婚約者の親戚に嫌がらせを受けたので反抗します。

たかしろひと

第1話

 厳原いづはら邸の和風庭には松の木や梅の木、紅葉の木などが植えられていた。芝生に通る石畳、アーチを描く石橋、大きな池と細い川、泳ぐ鯉がじっとこちらを見ているような気がする。


「……ここに、住むんだよね」


 睦屋桜子むつみやさくらこは池に映る自分の、不安そうな顔に問いかけた。縁談が決まったのはほんの一ヶ月前。桜子の夫となるのは若くして厳原家の当主を務める厳原康太郎いづはらこうたろう無愛想で無口、噂によると、かなり頑固らしい。結婚式を三日後に控えているというのに、ほとんど話したことがないし、未だ人となりが分からない。むしろ、一切興味を持たれていない気がする。こんな状態で妻としてやっていけるのだろうか。


「多分、ただお嫁さんが欲しかったんだろうな」


 十八歳の桜子と、康太郎は十歳差、つまり二十八歳だ。話も合わなさそうだ。日本は大正の時代が幕を開け、どことなくお祝いムードだというのに桜子の気分は沈みに沈んでいる。


「はぁ、私らしくない」


 桜子は屋敷内へ戻ることにした。晩秋の風は肌寒く、風邪を引いてしまいそう。


「あーら、あなたが桜子さん?」


 振り返ると、石畳を歩いてくる着物の中年女性と若い女性の二人組が。


「え、あ、はい」


「ふーん? 学生なの?」


 袴姿だからかそう見抜かれた。実際、桜子はまだ女学生であり、来年の三月まではこの家から通うことになる。


「ええと、康太郎さんのお父様のご親戚でしたね」


「あなた、厳原に取り入って遺産でも狙っているの? 聞けばあなたの家はただの金物屋らしいじゃない。そこの貧乏娘が何故この家へ嫁げるのかしら。康太郎さんをどうやってだまくらかしたの?」


 意地の悪い笑み。悪意。まるで桜子が悪いとでも言いたげに。


「いえ、縁談は康太郎さんのお母様とうちの両親が取り決めたことでして」


 と、その時。後ろにいた若い女性に手首を引っ張られた。


「え!?」


 体が浮く。そして、


 ザッパーンッ。


 物凄い水音がして桜子は池に頭から飛び込んでしまっていた。


「や……ぷはっ」


 深めの池の中でどうにか体勢を立て直して、水面から顔を出す。石橋の上でニヤニヤ笑っている母娘は蔑んだ目でこちらを見ていた。


「小汚ない貧乏人がよく厳原家の敷地へ入れたわね。本当に不愉快」


 桜子はその話を聞きながら、石橋に肘をついて、二人の足首をガシッと掴んだ。


「何すんじゃ、ぼけーっ」

 

 勢いをつけて二人の体を池に引っ張り込む。


「きゃぁっ」


「いやっ」


 二人とも無防備に池の中へ。

 近くに顔を出した中年女性の頭頂を手のひらで押して水の中へ。


「おらおらっ、誰が貧乏人じゃ」


「ガボガボッ」


 岸にたどり着いた若い女性が青い顔でこちらを見ているのに気づいた。桜子は沈みそうになった中年女性の着物の胸元を掴んだまま、池の中を歩き、若い女性へと歩み寄って行く。


「ひっひぃっ」


「逃げたらただじゃおかないぞ?」


 笑顔で歩み寄って行くと、青い顔で首を左右に振る。


「やめ、やめてっ、近づかないでよっ」


「人を池に落としといて何を言ってんだ、このボケ女が」


「ご、ごめんなさいっ」


「謝るくらいなら最初からすんなや」


 中年女性を池の岸に突きとばし、自分も上がる。


「まったく、これだから金持ちは」



 桜子は放心状態の二人を置き去りにして、屋敷へと向かうことにした。




 翌日。

 桜子は康太郎の部屋へ呼び出されていた。

 向かい合って一対一だ。


「昨日のことは聞いた」


「お言葉ですが、私は池に落とされたのです。溺れまいと必死に彼女達の足を掴んでしまいました」


 康太郎はじっと桜子を見つめる。


「それは本当か」


「はい。彼女らは逆のことを言うでしょう。康太郎さんがそれを信じるのは当然です。私が嘘を言っていると思って頂いても構いません」


 康太郎はじっと桜子を見つめる。


「……以前の縁談、妻として迎えるはずだった女性はこの屋敷に来てからみるみる痩せ細り、心を病んでいった。ついには、屋敷を飛び出し、二度と戻ってこなかった」


「そうですか」


 桜子は適当に相づちを打つ。まったく興味のない話だった。


「お前と同じような仕打ちを受けたのだろう。毎日、毎日」


「毎日、池に落とされていたら身が持ちませんものね」


「私はどうしてやることも出来ない。若いがゆえに父のように親戚達を制御する術を持たない」


 康太郎は少し沈んだ顔をした。


「……婚約は破談だ」


 だろうな、と桜子は頷く。何しろ、親戚を池に沈めたのだから。


「分かりました。父に一報を」


「桜子」


 初めて名前を呼ばれた。まっすぐに見つめられる。


「好いている男はいるのか」


「いませんよ」


「なら、私が厳原家の当主として立派に務めを果たせるようになったら、会いに行っても良いか?」


「会いにって……いつでもどうぞ」


 何を言い出すかと思えば。


「今はお前に対して何も思わない。しかし、お前のことが知りたくなった。興味が湧いた。だから、それまで、誰のものにもならないでほしい」


 照れるという概念は、彼には存在しないと思っていた。

 よく見ると、ほんのりと頬が染まっている。


「それは保証できませんが……じゃあ、待ってますよ」


 何故だか無性に、彼に興味を持たれたことが嬉しかった。

 いつになるのだろう? そんな風に考えながら待つのも悪くない。

 桜子は笑って、頷いた。

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婚約者の親戚に嫌がらせを受けたので反抗します。 たかしろひと @takashiro88

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