第三笑 【 運命の白い糸を切る赤い鋏を 】




壊し屋~最後の砦~

 第三笑 【 運命の白い糸を切る赤い鋏を 】



   人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない                         M.ハイデッガー(独・哲学者)






































































    第三笑 【 運命の白い糸を切る赤い鋏を 】












































  「ここ、病院じゃねえか」


  営業の仕事も早々と終わりにし、直帰した広太郎のもとにかかってきた一本の電話。


  留守電になっていたため、再生ボタンを押す。


  『俺、祐介―。依頼が入ったんだけど、待ち合わせ場所は・・・ええと、住所教えるね。詳しいことも後で連絡するから、とりあえず此処に着いたら連絡頂戴―。ああ、それと、結ちゃんにも電話したんだけど、何回かけても出ないから、広太郎から呼んでおいて・・・!!!くそう!』


  とまあ、こんな具合の内容だったのだ。


  何度検索し直しても、やはり目の前の大きい病院を指している地図。


  軽く舌打ちをして祐介に電話をしてみると、準備をしていたかのように、二回目が鳴る前に電話に出た。


  「おい、病院に着いたぞ」


  『そうだよ。病院だよ。えっとね、病室は三〇五号室ねー。分かってるとは思うけど、一応言っておくね。静かにね』


  「・・・」


  言われた通り、三〇五号室へと足を運ぶと、個室になっているその病室にかかっている名前には“泉 洋子”とあった。


  数回ノックをすると、中から祐介と思われる男の声がした。


  「ああ!来た来た!こっち!」


  ニッコリ笑う祐介の影から見えた人影は、白髪とシワを身につけた老人だった。


  祐介に誘われて病室へと入り、老人に向かって口角をあげて笑いかけようとする。


  そのとき、後ろからヒールの音が聞こえてきて振り返ると、見舞い用の花を持ってやってきた結花がいた。


  広太郎と祐介のことは完全に無視し、老人のもとに一直線に向かうと、微笑む。


  「中島結花です。これ、生けておきますね」


  「まあ、綺麗。わざわざありがとう」


  パイプ椅子を用意し、腰掛けて足を組んだ広太郎は、祐介をちらっと見る。


  その視線に気付いた祐介は、部屋にあった花瓶に花を生け終わった結花を確認し、自らも椅子に座る。


  「こちら、泉洋子さん」


  「はじめまして」


  丁寧に頭を下げられ、広太郎も思わず頭を下げる。


  「泉さんは末期癌で、もう余命少ないんだって。最期に見たい景色があるって・・・」


  「それなら、治療は止めて病院を出て、見に行けばいいのでは?」


  広太郎は洋子の顔を見ながら言う。


  洋子は口元を柔らかく動かすと、クスクスと笑って広太郎に話す。


  「そうね。そうすればいいのよね。けどね、私は今七十三。今の医療は進歩してるから、きっと治せる、その言葉を信じていたの。子供にも孫にも迷惑かけずに死ねるなら、場所はどこでも良いの。治らないわ。自分の身体のことなら、自分が良く分かるの。貴方はまだ若いから分からないでしょうけど、この歳になるとね、自分の命よりも大切なものが出来るのよ」


  「その景色は、命より大事、ということですか?」


  「ええ、そうよ。思い出の場所なの。先立った夫との」


  その景色を見るかのように、洋子は病室の窓から外を眺めているが、横目で見ても、そこには高く立ち並ぶビルがあるだけ。


  しばらくすると、結花が立ち上がって窓に近寄る。


  「確か、ここ数年で建ったビルですよね」


  「ええ。あのビルの向こうにね、あるの」


  「思い出の場所ですか?」


  「そう。綺麗だったわ。桜の木」


  「桜の木・・・?」


  聞くと、洋子がこの病院に来たのも、その桜の木が良く見えたかららしい。


  しかし、五年前、洋子のいる病院と桜の木を遮る様に、ビルの建設が始まった。


  日に日に見えなくなっていく桜の木は、今まだそこにあるのか、それさえも確認出来ないままなのだという。


  「どうして、思い出の場所なんですか?」


  女性特有の諭すような、少し掠れた優しい声で結花が聞くと、洋子は恥ずかしそうに肩を動かして笑う。


  「夫にね、プロポーズされた場所なのよ」


  結花だけに聞こえるように、コソッと答えられたその言葉に、広太郎と祐介はなんだ、と結花に目を向ける。


  最初は目を点にした結花だが、またフワリ、と笑う。


  「そうでしたか」


  それから少し、世間話をしたあと、洋子はふと真面目な顔つきになる。


  スッと封筒を広太郎達に差し出すと、笑みは止めないまま、強い声で告げる。


  「お願い。あのビルを壊して頂戴」


  出された封筒の中身を確認すると、広太郎は目だけを洋子に移し、ニヤリと笑う。


  「お安い御用で」








  「やっぱ、結花も女だったんだな」


  「何よ、急に」


  帰り道、広太郎が藪から棒に言う。


  それに対し、結花が明らかに嫌そうな顔つきになり、動かしていた足を止め、前を歩く広太郎の背中を睨む。


  「いやー?別にー?」


  「厭味な奴ね」


  「知ってる」


  結花を子馬鹿にしたように笑い、広太郎はさっさと先へ進む。


  その後を、ちょこちょこと着いて行く祐介は、まるで広太郎の弟か弟子のようで、お尻に尻尾が見える様な見えないような・・・・・・。


  「広太郎、爆破だけなら簡単だよな?なら、早く終わるよな?」


  「なんだ。本業の方でも心配してるのか」


  「当たり前だろ。この前の件で、俺結構長期間休んだし。あんまり時間かけられないっていうか、休めないっていうか」


  ピタリ、と足を止めると、広太郎は祐介の方をちらっと見る。


  そして、すがるような目で自分を見てくる祐介に対し、鼻でフン、と笑う。


  「祐介がいなくても出来る依頼だ。クビにならねえように、しっかりと仕事しておけ」


  そう言われ、祐介はちょっとホッとしたように顔を緩めるが、何かに気付いたのか、慌てて広太郎を止める。


  「何だ」


  「ちょっと待ってよ!それって、広太郎と結ちゃんが二人っきりで依頼をこなすってことだろ!?それはダメだ!俺は許さない!許可しない!」


  「めんどくせぇ奴だな」


  コツコツと歩いて広太郎たちとの距離を縮めた結花は、興味無さそうに二人を追い抜こうとする。


  「結ちゃん!絶対に広太郎と密室で二人になったらダメだから!こいつだって男だよ!猛獣なんだよ!!」


  「猛獣にだって相手を選ぶ権利はあると思うぞ」


  足を止めてゆっくりと祐介を見る結花は、表情ひとつ変えずに言い放つ。


  「万が一も無いわ」


  再び歩き出そうとした結花を、今度は広太郎が止める。


  「結花、あとでメールすっから、ちゃんと読めよ」


  「依頼料の半分をくれて、仕事先の仕事出来ない上司クビにしてくれて、通勤電車でお尻触ってくる顔なじみの痴漢を捕まえてくれて、なおかつ気が向いたら返事するわ」


  「ええ!?結ちゃん、痴漢されてるの?!俺が捕まえ・・・!!」


  途中まで祐介が叫んだところで、広太郎が思い切り祐介の頭を叩いた。


  痛そうに目に涙を溜めながら広太郎を睨む祐介だが、そんなもの気にも留めずに、広太郎は「わかったわかった」とだけ言う。


  すでに暗くなった道に、月灯りだけが足跡を照らす。


  結花が帰るのを見届けると、祐介はしょんぼりと肩を落としながら去って行った。


  携帯を開き、考える素振りも見せずにメールの内容を打つと、広太郎は欠伸をして近くのコンビニに寄った。








  翌日、結花は病院に行って洋子に会うことにした。


  「こんにちは」


  「あら!また来てくれたの?嬉しいわ」


  昨日、広太郎たちと別れたあと、すぐに広太郎からメールが来た。


  内容は、しばらく広太郎はビルの耐久性や何が使われているか、オフィスとして使われているのは何階か、それ以外はどうか、一日何人くらいの人が出入りするのかを調べるということだった。


  広太郎は、依頼を着実に遂行する。


  それは、依頼料が広太郎にとって満足するものであった場合に限るが。


  だが、いくらお金を積まれても、それだけ権力も地位もある人に頼まれても、やらない依頼がある。


  『生憎だが、俺は殺し屋じゃねえ』


  優しいところがあるとか、臆病だとか、そういうことではない。


  一応、一般的なものとは違うものの、広太郎には広太郎なりのモラルがあるようで、動物も殺さない。


  「今日は一人?あの元気な子と、格好良い子はいないの?」


  「ええ。私だけです」


  元気な子=祐介


  格好良い子=広太郎


  この法的式がすぐに分かってしまったのは悲しいが、結花は二人には見せたことのない笑顔で答えた。


  「今日はちょっと、世間話に来ただけです」


  「あの子たちとは話さないの?お友達なんでしょう?」


  「友達・・・とはちょっと違いますけど。私、友達いないんです」


  冗談なのか本気なのか、結花は少しだけ眉を下げて口を開く。


  「こんなに可愛いお譲さんだもの。嫉妬されちゃうのかしら」


  肩を小刻みに動かして笑う洋子を見て、結花も同じように笑うと、扉が開いてドクターが入ってきた。


  「泉さん、気分いかがです?」


  診察を見ているのも何だと、結花は来てすぐにも係わらず部屋から出て行こうとする。


  洋子に止めらたが、また後日来るとして、結花は病院を後にする。


  ふと、結花の目に映ったのは、洋子が壊して欲しいと願っている、桜の木を見えなくしているビルだ。


  見た目はどこかの会社のものかと思っていたが、どうやら違うようだ。


  二十五階まであるビルは、十階以上はマンションとして貸し出しており、それ以下はオフィスであったり小さなお店が入っているようだ。


  エレベーターも二つついており、マンションになる十階からはオートロック式のドアもついている。


  「豪華っちゃあ豪華ね」


  個人が住まう場所であるドアは通ることが出来ず、ドアの前で踵を返した。


  エレベーターに乗って、どんなお店が入っているのかと、壁についている案内を眺めていると、エステサロンが目に入る。


  反射的にその階のボタンを押すと、すぐにチ―ン、と鳴って扉が開く。


  「予約してないんですけど」


  「大丈夫ですよ。すぐにご案内出来ます」


  この前は、予約しておいたのに、広太郎から依頼で呼び出されたため、キャンセルせざるを得なかった。


  布一枚を身に纏い、溜まった疲労を流してくれそうな手の動きに身を委ねる。


  二時間みっちりやってもらうと、結花は満足そうにやんわりと笑い、お店の人に御礼を言ってエレベーターに乗りこむ。


  エレベーターの扉が開き、一階に着いたのかと思った結花は下りようとする。


  しかし、よく見てみるとそこは一階ではなく、三階を指していた。


  そしてさらに、三階から乗りこんできた人物は、結花の姿を見るや否や、「ゲッ」と声を漏らした。


  「・・・ちゃんと仕事してるのね」


  スーツ姿に身を包み、いつもは少し丸めている背中をピシッと伸ばしている男は、顰めていた顔をニコッと笑みに変える。


  「お客様もいかがです?実年齢よりも老けて見られませんか?この化粧品は、女性に人気でして、毛穴もカバー、美白も出来ますよ」


  「悪いけど、こう見えてまだ十代なんですー。一昨日きやがれって感じですねー」


  第三者から見れば、営業マンと女性との素敵な素敵な会話なのだが、営業マンが女性に見せているパンフレットは年配者向けの化粧品のもので、女性は中指を立てている。


  しばらくは微笑みあっていた二人だが、疲れたのか、互いにため息をついていつもの表情へと戻した。


  「営業スマイルって、思ってた以上に恐怖ね。凶器だわ」


  「お前の笑顔って般若みたいなんだな。背筋がゾクッとした」


  ヒールの踵で靴の上から足を踏まれた広太郎は、小さく声を漏らしたが、結花は聞こえないフリをする。


  「で?どうするのよ?ここ、マンションでもあるみたいじゃない。そう簡単には壊せないんじゃないの?犠牲者出るわよ」


  「だからこうして仕事利用して調べてんだろ。で、結花はどうせサロンだろ。金使わないと綺麗を保てないってのも大変だな」


  「あんたの会社に電話してクビにしてもらえるように頼もうかしら」


  一階に辿りついた音が鳴ると、先に結花が出て、後ろから広太郎が下りる。


  「それより、桜の木は見てきたのか」


  「まだよ」


  「偉そうに言うなよ。見て来るくらいすぐ出来るだろ」


  「なら朝永が行きなさいよ」


  「報酬減らすぞ」


  女性らしからぬ舌打ちをすると、結花は諦めたように、病院とは反対側へと歩き出した。


  広太郎はきっとまだ仕事なのだろう。ビルから出てそのまま真っ直ぐに繋がる道へと進んで行った。


  あの病院からでも見えたなら、それなりに大きな桜の木だろうと思っていたが、なかなか見つからない。


  もはや、切られてしまったのだろうかと、不安がよぎる。


  近所の可愛らしい洋菓子店に立ち寄って、話を聞きだす。


  「すみません。このあたりに、桜の木ってありますか?」


  「桜の木・・・?ああ、ありますよ。そこの道の突き当たりにある駄菓子屋さんの裏にあったと思いますよ」


  「ありがとうございます。あ、このシフォンケーキください」


  小さい箱を手に持ち、結花はひたすら真っ直ぐな道を歩いて行くと、話に出ていた駄菓子屋があった。


  小さいころによく遊びに行った伯母の家の近くに、ぽつんと駄菓子屋があったことを思い出す。


  夏休みやお盆などで訪ねると、必ず小遣いをもらって駄菓子を買いに行ったものだ。


  懐かしさを覚えつつ、結花はその駄菓子屋を通り過ぎ、裏にあると言っていた桜の木を探す。


  「あった」


  太い幹で自らの身体を支え、細く長く伸びる枝からは、暖かさを求めてうずうずしている蕾が生っていた。


  風が吹いて枝が揺れるたびに、寒そうに身を縮めている。


  「写真・・・・・・」


  携帯を取り出し、桜の木があることを知らせようとシャッターを切る。


  「これでいいわ」


  撮った写真を広太郎に送ると、携帯を閉じ、さきほど購入したケーキを食べるため、どこか座れる場所を探した。








  「朝っぱらから何だ」


  《聞いて無いわ》


  「お前が聞かなかっただけだろ。てか、今何時だと思ってんだよ。時計良く見ろ。それとも時間の読み方教えてやろうか?」


  《・・・・・・まあいいわ。けど、五十%は貰うから》


  早朝、時計の針は、広太郎の目が間違っていなければ四時半を指していた。


  急に鳴った携帯に心臓は驚き、まだ真っ暗闇の中を浮遊していた広太郎の意識は目を覚ましたが、広太郎自身は不機嫌極まりない。


  名前を見た瞬間、出なくてもいいかと放っておいた広太郎だが、留守電に切り替わる度に切り、またかけてくるのだ。


  どれだけ時間が経っても止むことはなく、何十回目かのコールで、広太郎はいい加減にしろと起き上がる。


  《報酬が一千万って。百万だって言ったわよね》


  「祐介か。あの野郎」


  こんな会話からスタートしたのだが、どうも結花の様子がおかしい。


  「おい」


  《何よ》


  「まさか、あの婆さんに同情でもしてんのか」


  すっかり冷めてしまった頭でカーテンに向かい、朝陽が見える窓を見るべく、その布を横に移動させる。


  眩しい太陽が見えてくる時間になったのだと知る。


  目を細めながら、青い空と白い雲、すでに仕事に向かっている車や人を眺めていた。


  「無言ってことは、肯定か。そんなキャラじゃあねえだろう」


  《同情なんてしてないわ》


  「女ってのはややこしい生き物だな。いや、一部男もそうか。にしても、私情挟むとは、結花も祐介に似てきたな」


  《先週買った鋏で指を切って欲しい?それとも先々週買った菜箸で目を貫いて欲しい?それとも先月買ったロープで首を締めあげて欲しい?それとも闇ルートで入手した銃で額打ち抜かれたい?それとも・・・・・・》


  「ああ、どれも結構だ。生憎、俺はまだ死ぬつもりはないんでね」


  ブツッと一方的に切ると、今度はメールが届いた。


  そこには昨日結花が撮ってきた桜の木が写っており、画像を確認した広太郎はすぐ携帯を閉じた。


  台所に向かって冷蔵庫を開けると、昨日の夜買ってきたコンビニの弁当を取り出し、レンジに入れる。


  その間に寝巻を脱ぎ、ワイシャツ、ネクタイ、スーツ上下を着飾る。


  チン、と鳴ったレンジから熱々になった弁当を取り出し、テーブルに置くと、ストックしてある割り箸を口で割って口に含む。


  リモコンを操作してテレビを点けると、芸能関係のスキャンダルを取りあげていた。


  大抵の人は、この手のものはすぐに飛びつくのだろうが、広太郎は興味が無かった。


  チャンネルを回して適当なニュースをやっているところで止めると、大きな口でおかずの唐揚げを食べる。


  朝食を済ませると、大して見てもいないテレビを消し、鞄を持って部屋を出る。


  鍵をかけて会社に向かい、営業先に顔を出すだけ。


  「朝永くん」


  「はい、何でしょうか」


  「今度新しい地区を営業で回ってほしいんだ。君は優秀だからね。朝永くんに一旦任せてみようって、上からも期待されてるよ」


  「ありがとうございます。精一杯、やらせていただきます」


  高笑いする上司の言葉に、内心、「面倒臭いこと持って来やがって」と思っている広太郎だが、キラキラな笑みを全面に出す。


  心の中で舌打ちをする広太郎は、仕事をしながらも情報を聞き出す。


  「ねー、お兄さーん。何してるんですかー?」


  「お兄さん、格好良いー!写メ撮らせてー!!」


  学校はどうしたのかと聞きたいが、女子高生が二人、広太郎のもとに寄ってきた。


  声をかけられることは結構あるが、昼間の仕事中にはあまりない。


  二人の女子高生を見て、普段ならば眉間にシワの一つでも寄せるところなのだが、ニコリと微笑む。


  「写メは勘弁してほしいかな」


  「なんでえー?超自慢したんだけどー」


  「今仕事中でね。ごめんね」


  ふと、広太郎は二人に質問をしてみた。


  「君達さ・・・・・・」


  その二人に、洋子のいる病院から見えるビルに住んでいるかを聞いたところ、一人はそこに住んでいるということだった。


  「へえ。あんな立派なところに住んでるんだ。色んなお店も入ってるし、便利でしょう」


  「そーでもないよ。エレベーターとか故障するし、お店に行くお客さんとかと一緒に乗ると気まずいし、なんか家って感じしないんだよね。それに、ビルの影になってて目立たないけど、ラブホあってさ。なんとなく嫌なんだよね」


  「そうなんだ」


  「それに、噂なんだけどね。あのビル、建設中になんかトラブルがあって、手抜きがあるって。まあ、噂だからわかんないけど」


  「手抜き、ねえ」


  女子高生との会話もほどほどにして、広太郎は仕事に戻る。


  ビルの設計図が入れば早いのだろうが、そんなもの手に入るはずがない。








  その日の夜、広太郎は一人、例のビルへと足を運んでいた。


  しかし、格好は普段と異なり、まるで清掃員のような服装に身を包み、腰を折って用具の入ったカートを押す。


  一階から九階まで順に回り、どこで手に入れたのか、すでに閉まっている店の鍵を開けて中へと侵入する。


  良い子は真似しないように。捕まってしまいます。


  広太郎は、店に従業員が何人いるのか、通っている人は大体どのくらいかを一通り把握した。


  口に小さな懐中電灯を咥えている姿は、泥棒と間違われても仕方が無く、物音がする度に目だけを動かす仕草は、プロのよう。


  十階より上、住宅が並ぶ階の住民はすでに調べ上げていた。


  例えば、十階に住んでいる夫婦であったり、十三階に住んでいる孤独な老人であったり、十四階に住んでいる母子家庭であったり。


  情報の出所を明かすわけにはいかないが、広太郎は知っていた。


  ビルから出て近くの公衆トイレで着替えをし、明日の仕事のために家に帰って寝ようと決めた。


  「あ?」


  洋子のいる病院の前を通り過ぎ様としたとき、見覚えのある人影を見た。


  それの後を追って行くと、足早に病院に入り、人気が無くなりつつある廊下を走っていく。


  しばらくして、病室から出てきたその人物に声をかける。


  「お前、何してんだ」


  「!!!!」


  肩をビクッと動かし、広太郎の方に顔を向けると、あからさまに眉間にシワを寄せ、ため息を吐いた。


  「朝永こそ、何してるのよ」


  「俺ぁ、依頼の準備してんだろーが。何だア?結花ちゃんは死にそうな婆さんを慰めにでも来たのか?」


  「あんた、地獄に落ちるわよ」


  「落ちたって構わねーよ。そもそも、そんなもん信じてねーしな。で?こんな時間じゃあ、面会も出来ねえはずだろ」


  依頼人に同情はしない、というモットーの広太郎は、普段は滅多にない結花の行動を不審に思っていた。


  「病状が悪化したって、連絡があったのよ」


  「親戚でもねえのに、連絡先教えたのか。立派なもんだな」


  「普段使ってる携帯とは別の携帯の連絡先だから、足はつかないわ。それに、皆があんたみたいに血も涙もないわけじゃないのよ」


  広太郎のほうに身体を向けると、結花は開き直ったように手を腰に当て、首を軽く曲げる。


  「祐介には偉そうなこと言ってたのにな。まあ、女ってのはそういうもんだな」


  「性別は関係ないと思うわ。朝永が変わってるのよ。それは自覚しなさい」


  「俺は人助けしてるつもりはねえぞ。偽善ばっかり並べても、助けられるもんなんてたかが知れてる。優しくても、力がなくちゃあ助けられねえ。知恵はあっても行動出来なきゃ何も動かせねえ。夢があっても金がないと手に入れられねえ」


  広太郎の言葉に、結花は眉を顰める。


  腰に置いていた手を前に持っていくと、両手で腕組みをする。


  「わかってるわ」


  「悪いが、今回依頼料半分はやれねえな」


  「どういうことよ」


  納得いかない結花は、くるっと自分に背中を向けて歩き始めた広太郎に向かい、苛立ったように問いかける。


  「今自分がいる立場を考えろ。そしてわきまえろ。今のお前に、信用して託せる依頼なんて無ぇんだよ」


  そう言って、結花の反論も聞かずに去っていってしまった。


  「結ちゃん、大丈夫?」


  「!!!!!!!!」


  気配も無く近づいてきた声に、結花は先程よりも大きく肩を揺らした。


  反射的に、思いっきり振り向くと同時に鞄を相手に向けてぶつけてみれば、「痛い」という声が降ってきた。


  「何よ。外岡やん。吃驚するじゃない」


  「俺の方が吃驚したんだけどね」


  ハハ、と困ったように笑うのは、仕事帰りのようで、作業着のままの祐介。


  「広太郎に何か言われたの?」


  「・・・別に。大したことじゃないわ」


  無表情で淡々と話す結花に向かって、祐介はいつもと変わらない笑顔を見せる。


  「まあ、広太郎は言い方キツイし、選ぶ言葉も悪いけど、最後にはちゃんと理解してくれるよ。俺は広太郎のこと信頼してるよ」


  「・・・・・・」


  視線を祐介に移動させると、今回の依頼を外されたというのに、ニコニコとしている。


  「信頼してないわけじゃないわ」


  「そ?良かった」


  「じゃあ」とだけ言って、結花が帰ろうとすると、祐介がすかさず「送っていく」と着いてきた。


  断っていたのだが、結局、結花のアパートまで着いてきてしまった。


  何も言わずに部屋に入ってしまった結花を見届けると、祐介は数秒だけ、しまってしまった扉を見ていた。


  そして、ポケットから携帯を取り出し、どこかに電話をかけた。


  数回鳴り続けていたコールが途切れると、耳元からは不機嫌とも上機嫌とも言えない声が聞こえてきた。


  『はあ・・・・・・』


  「ちょっとちょっと。出てそうそうため息は無いんじゃないの」


  『あのなあ祐介くん?俺は疲れてるんだよ。ゆっくり休ませてくれや』


  「結ちゃんのことなんだけどさ」


  『人の話を聞け』


  結花のアパートに背を向けて歩き始めると、祐介は携帯を持っていないほうの指を使って顎をさする。


  「元気ないんだけど、広太郎何か言った?」


  『あ?知らねえよ。大体、俺が何か言って落ち込むようなタマじゃねえだろ。てか、何お前、結花に会ったのか?』


  「うん。さっきね。仕事帰りに見掛けてさ」


  夜風が妙に生温かく、作業着だけの祐介でも肌寒さは感じなかったが、道にある自販機を見つけるとお金を入れる。


  光るボタンから一つを選び、ホットのお茶を取り出す。


  「結ちゃんてクールだけど、やっぱり女の子だからさ。女の子扱いしてとは言わないけどね、俺と同じ扱いしてると、知らず知らず傷つけちゃうよ」


  『・・・・・・。クールなのか?人間味が無いんだろ。結花が傷つこうが傷くまいが、俺はどうでもいい。離れたきゃあ離れて行けばいい。俺と距離を縮めろなんて思っちゃいねーし、祐介とも仲良しこよしをやってる心算はねえんだよ』


  「広太郎・・・・・・」


  『人の心配してる余裕あんなら、自分のことしっかりしろ。他人優先にしたって良い人生が送れるとは限らねえよ。世の中、金のある奴に群がって、権力のある奴に跪いて、地位のある奴に媚びて。くだらねえ奴らばっかりだ。反吐が出る。笑顔振りまいて社交辞令、そんな時間は無駄なんだよ。俺は俺のやりてえようにやる。要件がそれだけなら切るぞ』


  「ちょっとま・・・・・・」


  ツ―ツ―、と無機質な音だけが耳に木霊する。


  祐介は切れてしまった携帯の画面をしばらく呆然と見た後、小さく息を吐き、またポケットに戻した。


  先程買ったお茶を喉に流し込むと、胃に続く通り道を流れて行くのを感じる。


  「寒いな」








  「ま、こんなもんか」


  一人、黙々と作業をしていた広太郎が、やっと口を開いた。


  何を作っていたのかというと、ビルを破壊するための所謂爆弾というものだ。


  あの高いビルを破壊するためには、よく映画などで見る“発破”をしてから解体作業を開始するのだろうが、広太郎はそういうまどろっこしいことが好きではない。


  あっという間にビルを壊せるだけの威力が欲しいが、周りに住んでいる人まで巻き込んではいけない。


  試行錯誤を繰り返し、所々に爆弾を仕掛け、だるま落としのように崩す作戦に出た。


  どこかの知り合いから教えてもらった丁度いい感じになる爆弾の作り方。


  「随分とざっと説明したね」


  「俺の後ろに立つな」


  「ゴ〇ゴみたいなこと言うね。それで?いつ実行するの?」


  「お前、仕事はどうした」


  例の知り合いの部屋で作業をしていた広太郎の背後には、誰に聞いたのか祐介が立っていた。


  ひょこっと顔を覗かせて、広太郎の手元にあるモノを眺めていると、広太郎はそれを持って立ち上がる。


  「休憩時間。広太郎、昼飯食べた?」


  「まだだ」


  「じゃあどっかで食べようよ。結ちゃんも誘ってるんだ」


  「結構だ。俺は帰る」


  手に持っているソレを新聞紙に包み、更に紙袋に入れると、広太郎は祐介の方を一度も見ずに帰ろうとする。


  祐介は広太郎の腕を咄嗟に掴み、動きを制止しようとした。


  しかし、祐介に掴まれた腕を振り払う広太郎の力の方が強かったため、いとも簡単に距離が離れてしまった。


  「広太郎」


  「実行するときは連絡する」


  それだけ言って、扉は閉まった。


  祐介は取り払われた手をそのまま制止させ、広太郎の背中を追う為に足を動かした。


  「広太郎!」


  すでに何百メートルも進んでいた広太郎の背中を見つけると、祐介は全速力で近づき、広太郎の隣に並んだ。


  休憩時間が差し迫っているが、祐介は広太郎だけに聞こえるように言う。


  「結ちゃんにも連絡するんだよね?」


  「一応な」


  「結ちゃん、毎日お見舞いに行ってるみたいなんだ。泉さんの容体は安定してるけど、結ちゃんの身体も心配だし、依頼だって進めないといけないし、それに・・・・・・」


  「黙れ」


  結花のことは勿論、洋子のことも広太郎も含め心配している祐介の言葉を、広太郎は冷たい口調で止めた。


  一切祐介の方を見ない広太郎は、赤になった信号で立ち止まる。


  青になった反対の交差点からやってくる人混みは、広太郎たちなど見えないように足を進めて行き、肩がぶつかっても何も言わない。


  機械的に動く毎日を、ただ無意味に過ごしていく。


  「依頼は必ず遂行する。あとのことは知った事じゃねえ」


  「こう・・・・・・」


  名前を呼ぼうとした時、信号が赤から青に変わってしまい、広太郎は颯爽と歩き始めた。


  人に呑みこまれていく背中を見つめることしか出来ず、祐介はゆっくりと踵を返し、仕事場に戻るのだった。


  そのころ、結花は洋子のもとに来ていた。


  「今日も良い天気ですね。風も気持ちいいし」


  「そうねえ。それにしても、毎日ありがとう。お仕事の休憩時間に来てくれて。お昼ご飯は食べてきたの?」


  「ええ。いつも机に座ってるだけの仕事だから、外に出たいんです」


  「どんなお仕事も大変よね」


  世間話をしていると、バイブにしておいた携帯が振動したことに気付き、結花は洋子に声をかけて部屋から出た。


  外に出て携帯を確認してみると、広太郎からだった。


  すでに電話は切れてしまっていたため、結花は悩みながらも、広太郎にかけ直すことにした。


  十回鳴ってやっと出た広太郎は、悪びれた様子もなく言う。


  『なんだ』


  「それはこっちの台詞よ。何よ」


  近くにある植木の周りの石壁に腰掛けながら、結花は広太郎の言葉に耳を傾ける。


  『明日昼に決行する。明日は仕事休んでこっちに来い』


  「随分身勝手な言い分ね。急すぎるわ」


  『文句があるならまた今度聞いてやる。祐介とは朝一でやることがあるが、結花は昼ごろ来ればいい』


  「・・・・・・あ、そう。わかったわ」


  五分くらいその場で風を受けた結花は、重たい腰をあげて洋子のもとに戻った。


  「明日、桜の木が見られるようになりますよ」


  「あら、本当!?嬉しいわ!!」








  ―翌日


  広太郎と祐介はビルの前に来ていた。


  二人とも警官の格好をしており、何やらどこかと無線を取り合っているような繕いをしていた。


  ビルの警報器を点けると、次から次に人が出てきて、何か何かと騒ぎだす。


  「このビルに爆弾が仕掛けられているという連絡が入っておりまして、確認をしますので、全員避難してください」


  ワ―ワ―キャーキャー言って、我先にと走りだす住民や店の従業員。


  広太郎達はそんな人の群れを掻き分けて逆に流れると、確認する素振りを見せながら、そこに小さな爆弾を仕掛ける。


  全ての階を見て回り、誰も残っていないことを確認したうえで、またビルを出る。


  「どうでした?爆弾ありました?」


  「え?え?マジ?すげー」


  「テレビくんじゃん?」


  噂を聞きつけた、本物の警官が来てしまう前に事を終わらせようと、広太郎は緊迫した雰囲気で言葉を放つ。


  「複数の爆弾を確認しました。みなさん、もっと離れてください。いつ爆発してもおかしくありません!」


  携帯で撮影をする人がちらほらいて、そんな人を見て広太郎は軽く舌打ちをする。


  そして、手に隠し持っていた爆弾のスイッチを押す。


  瞬間―――――


  映画のワンシーンのように崩れて行くビル。


  それと同時にやってきた本物の警官を乗せたパトカーを見つけると、広太郎たちはすぐさま姿を消した。


  だるま落としのようにダンダンと落ちて行き、低くなったビルの残骸。


  回りを取り囲む警官とマスコミ、そして野次馬。


  その中を、まるで他人事のように、ラフな格好に着替えた広太郎と祐介はスタスタと歩いて行く。


  真っ直ぐに向かったのは洋子のいる病院だが、病室には入らなかった。


  部屋の中から、結花と洋子の会話が聞こえてきたからだ。


  「ほら、見てください」


  洋子の部屋のカーテンを閉め、テレビを大きな音でかけて爆弾の音を掻き消していたため、洋子は何が起こったか分かっていない。


  シャッと空けられた窓から見える景色には、淡いピンクの色をつけた花が咲いていた。


  「まあ・・・!!!!綺麗ねえ」


  洋子がベッドから起きて身体を立たせると、上着を肩にかけて窓際に近づく。


  それを支えるように結花は背中に触れると、洋子は目を細めて両手を口元に持っていき、その風景に見とれた。


  少しして、洋子が疲れたように身体を揺らしたため、結花は洋子をベッドに座らせる。


  「どうです?」


  「・・・・・・とっても嬉しいわ。もう未練はないわ」


  冗談っぽく笑う洋子の傍で、結花もフッと笑う。


  「ありがとう。本当に、ありがとう」








  桜の木が見られるようになってからわずか一週間後、洋子は息を引き取った。


  その連絡は結花のもとにも届き、どこからか仕入れたのか、広太郎もその情報を持っていた。


  葬式を行わず、ひっそりと寺の隅の方に置かれることになった洋子の墓はまだ何も手をつけられていない。


  紐が張ってあるだけの墓の前に来ると、結花は花を添える。


  冷たい風が髪を梳き、添えたばかりの花弁を揺らしていく。


  「なによ」


  決して独り事を言っているわけではなく、結花は自分の背後に感じた気配を察知し、その気配が何かもわかった。


  肩にポン、と置かれたそれを確かめるために手を伸ばすと、封筒だとわかる。


  それも、お金の入った、分厚い封筒だ。


  「今回の報酬だ」


  手に取った封筒の中身は、一万円札が何層にも重なっており、結花はその封筒を鞄にしまうこと無く、後ろに向ける。


  「いらないわ」


  「あ?」


  自分のもとに返ってきた封筒を受け取ると、黒のパーカー、黒のパンツを穿いている男、結花が嫌いな男、広太郎はパーカーのポケットに入れる。


  まだ墓とも言えない洋子の墓に目を向けると、広太郎は興味無さそうに欠伸をする。


  「しっかし、他人の墓参りとは、お前はよほどの暇人だな」


  「朝永と違って、私にはまだ多少人の血が流れてるのよ」


  「俺には流れてねえってか。馬鹿馬鹿しい」


  鼻で笑って帰ろうとする広太郎に向かって、結花はいつもとは違う、強い口調で放つ。


  「あんたは何の為に壊し屋なんてしてるのよ」


  ピタ、と足を止めると、広太郎はくるりと身体を反回転させて結花の方を見て、結花の言葉が理解出来ないという表情を浮かべる。


  首を少し傾けて目を細めると、今度はニヤリと口角をあげて笑う。


  「意味なんてねえよ」


  「はあ?」


  「面倒臭ぇな、一々意味だの何だの。誰かの為にやってるわけでもねえし、何か目的があってやってるわけでもねえ。まあ、強いて言えば、小遣い稼ぎ程度だ。自分のことしか考えられないような奴なんて・・・」


  「私だって、自分を守るのに精一杯よ!!」


  広太郎の言葉を遮り、結花が叫んだ。


  冷静、クール、虎視耽々と獲物を狙っているような結花が、こういう風に叫ぶことは珍しく、広太郎も思わず声を止める。


  乱れた呼吸を整えようと、何回も息を吸って吐いてを繰り返している結花を、ただ広太郎は見ていた。


  邪魔な前髪を手で書かきあげると、結花は普段の口調に戻る。


  「覚えておくといいわ。あんたみたいに自由気まま、何も守るものも無ければ、失うものも無い人なんて、ほとんどいないのよ」


  「貴重な意見をありがとう。参考程度にしておくよ」


  呆れたように笑う広太郎を睨みつけ、結花は立ち去ろうとした。


  「くだらねえこと言う様になったな」


  すれ違う時、自分の耳に確かに届いたその言葉に、結花は首だけを動かして広太郎を見た。


  広太郎は特に顔を動かすわけでも無く、ただ真っ直ぐ前を見つめているだけだが、口元が笑っているのは見える。


  「何よ、それ」


  何か引っかかるような言い方をする広太郎はいつもの事だが、それにしても、厭味を言われる筋合いはないと、結花は問いかける。


  「いや、いいんだ。人間てのは、仲良しこよしでやってきて、それでもどこかで敵対心があって、動物みたいに本能だけで動く生き物ではない。一応、理性ってやつも持ち合わせてる。そこがセ―ブ出来なかったり、コントロール出来ないような人間は低能であって、くだらないと思ってる。だがまあ、そこにまさかお前が仲間入りするとは思って無かった。それだけだ」


  感情豊かな性格であれば、きっとここで怒ったり罵声を浴びせたり、何か強い口調で広太郎に反論するのだろう。


  しかし、結花は広太郎の性格を知っているためか、それともさほど興味が無いのか、淡々と返した。


  「仲間入りなんてした心算ないわ。それに、知能が高いからこそ、人間なんて厄介なのよ。綺麗に嘘だって吐けるのよ、朝永、あんたみたいにね」


  「褒め言葉として受け取っておく。ま、今後の依頼に支障をきたさねえ程度にしとけよ」


  軽やかに身体を反転させると、結花の横を通り過ぎ、寺の出口へと向かって行く。


  そんな広太郎の背中をいつまでも睨みつけていると、途中で目が痛くなったため、結花は目頭を押さえた。


  すると、どこからか足音が聞こえてきた。


  「結ちゃん、大丈夫?」


  「何がよ」


  「いや、広太郎に何か言われたんじゃないかと思って」


  「何も無いわ。それにしても、もしかしてこの短期間で、次の依頼を持ってきたとかじゃないわよね?」


  「・・・・・・」


  「無言は止めてくれる?」


  「てへ。さすが結ちゃんだね。せいかーい」


  おちゃらけた様子で言う祐介の鳩尾に拳を入れると、祐介は軽く笑ってお腹を摩る。


  さっさと歩いて寺から出る結花は、足下にいる自分の影を見つめると、その影を作りだしている太陽を睨む。


  そして日陰に移動すると、目的もなく歩き出した。








  「朝永くん、今朝早く取引先から連絡があって」


  「朝永くん、今度の会議に参加してくれるよね?」


  「社長が君を褒めていたよ。いや、実に成績優秀な部下を持ったよ」


  「僕の娘の婿に来てほしいよ」


  「先方が君のことを気に入っていてね」


  次々に飛んでくる自分への称賛の声。


  大抵なら喜ぶそれらの言葉さえ、広太郎にとっては聞きたくない台詞の一部だった。


  今まで散々使ってきたが、それでもなお持て余している愛想笑いは、広太郎にとって表舞台で生きて行くためには必要なもの。


  自らが上にのし上がる為の良い材料にしか思っていない上司、本当は他人の成功を妬ましく思っている同僚、興味がない癖に話を盛り上げる後輩。


  「ありがとうございます」


  心にもない感謝の言葉は、誰が望んだものか。


  ―くだらねえ。


  決して口には出さないが、広太郎の心の中に渦巻く黒いものは、目の前にいる会社の人間の中の誰一人にも気付かれてはいない。


  朝永広太郎は、誠実で謙虚で一生懸命で腰の低い、清き青年でいなくてはいけない。


  ―つまらねえ。


  会社をあとにすると、広太郎はその足で会社から一駅ほど行ったところのカフェに入る。


  カフェにはお客は一人しかおらず、その空間を通って窓から離れた、一番孤立している席に座った。


  「ご注文は」


  「コーヒーとナポリタン」


  上着を脱いでネクタイを緩めると、ワイシャツのボタンを三つ開ける。


  壁に凭れてため息を吐いていると、店員がコーヒーを持ってきて、広太郎に声をかける。


  「お疲れのようですね」


  丁寧にテーブルの上にコーヒーを置くと、店員はミルクと砂糖も一緒に置く。


  「ごゆっくり」


  店員が去っていくと、広太郎はしばらく目を瞑り、ふう、と息をついた。


  ナポリタンが運ばれてくると、広太郎の携帯がチカチカと光って、表示を確認すると祐介からだった。


  「なんだ」


  『依頼だよ。いつものとこに集合ね』








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