第3話それぞれの歩調





ノイモートン

それぞれの歩調



 丸くとも一かどあれや人心


 あまりまろきは ころびやすきぞ


         坂本 龍馬




































 第三章【それぞれの歩調】




























 「最後の質問ですよ、冰熬。イエスでもノーでも、もう答えは変えられません」


 銃を握っている祥哉の隣で、梦宗が嬉しそうに話す。


 「俺に力を貸してくれますか、それとも、貸してはいただけませんか」


 「・・・・・・」


 その問いかけに、冰熬はそっと目を閉じた。


 それがどういう感情なのか、どういう心情だったのかは分からないが、とにかく、その時の冰熬の顔つきは、いつもと変わらなかった。


 じっくり考えているのか、それとも時間稼ぎなのか、とにかく時間だけがただただ無情にも過ぎて行く。


 梦宗は気長に待つ心算のようで、どこかへとどかせていた椅子を持ってきて、そこへ腰を下ろす。


 祥哉は拳銃を冰熬に向けたまま、ずっと冰熬を見ている。


 5分ほど経った頃だろうが、冰熬はゆっくりと目を開けると、梦宗の方を見る。


 それに対し、梦宗はニヤッと笑う。


 「答えは決まりましたか」


 「ああ」


 「なら、聞かせていただきましょう。俺に力を貸して生きるのか、それとも貸さずにここで死ぬのか」


 「じっくり考えさせてもらったよ」


 「それは良かったです。待った甲斐がありましたね」


 それで答えは?と梦宗が続けて聞く。


 冰熬は少しだけ、ほんとうに、少しだけ口角をあげて笑った。


 それは梦宗や祥哉が気付かないほど、小さくてあまりにも自然なものだった。


 「断る」


 「なっ・・・!?」


 思わぬ冰熬の返答に、梦宗は椅子から勢いよく立ちあがり、そのため、椅子は後ろにバタンと倒れてしまった。


 「どういうことだ!?ここで殺されることを望むというのか!?一体何を考えているんだ冰熬!!?自分の価値が分かっていないのか!?」


 「俺の価値?んなもん、大したことねぇよ。ただ偶然生まれてきたってだけの産物だ。特別なもんじゃねえ」


 「あなたの力を、どれだけの奴らが欲していると思ってる!?それを全て無下にして、一体何を・・・」


 前のめりの姿勢から、冰熬はよいしょ、と背中を椅子の背もたれにくっつける。


 捕まっている人の態度には見えないが、冰熬は梦宗に向かって言う。


 「俺は俺の生きたいように生きる。んで、その結果として死ぬなら、それは仕方ねぇよ。諦めるしかねえだろ?」


 「力を貸して生き残る道があるのに、どうしてわざわざ死ぬ方を選ぶ!?」


 「プライドなんて大それたもんは持ってねぇけど、ただな、俺には俺の生き方ってもんがあるんだ。自分の意に反した生き方も、恥じるような生き方も、ましてや、他人に指図されながらの生きるなんて御免だ。俺は誰のもとでも動かねえ。毎日毎日、馬鹿みてぇに同じこと繰り返してたって、お天道様見て、雨に降られて、四季折々感じながら生きられりゃ、それでいい」


 「ふざけるな・・・!!!一国の兵力以上の力を持つ冰熬!!あなたが戦うことを放棄するなど、本来ならばあってはならないことだ!本来なら戦うことこそが自らの生きる道であると思うべきじゃないのか!?どうして戦わない!!?どうして戦うことから逃げる!?」


 普段の梦宗からは考えられないほど、今の梦宗は取り乱している。


 はあはあ、と大きく呼吸を乱しながらも、一度冷静になろうとしているのか、頭を抱えて深呼吸をしている。


 それが収まると、梦宗はまた冰熬の方を見てなんとかしようとしている。


 しかし、冰熬が続ける。


 「天から授けられたものだとしても、それは俺が望んだものじゃねえ。戦いたいなら、戦いたい奴が勝手にやればいいだろ。戦いたくねぇ奴等を巻き添えにするのは、てめぇらの悪いとこだな」


 「ならば、あなたの存在価値は何ですか。どうして今ここに存在しているのですか。生まれながらに持っている能力で金儲けさえ出来るというのに」


 「それがくだらねえって言ってんだよ。俺の存在価値なんざ、俺自身が決めるこった。てめぇらが勝手に決めることじゃねえ。それにな、持って生まれたもんなら尚更、金儲けなんぞ考えちゃいけねえよ」


 「なんだと?」


 「この力で俺は自由になった。この力は、ただ俺が過去に囚われず、己が非力だった頃から抜け出すための手段でしかない。これからだって、俺は戦争ごっこなんぞに協力するつもりは毛頭ねえんだよ、覚えておきな」


 「・・・・・・戦争ごっこ、ですか」


 「ああ」


 戦争は減ってきたとはいえ、まだ無くなったわけではない。


 この世界の何処かではまだ戦争が続いていて、毎日怯えて暮らしている人達が大勢いるのだ。


 国が勝手に始めた戦争に国民が巻き込まれ、戦わされ、命を落とし、それの繰り返し。


 勝利の女神だなんて、結局は戦いを煽るだけの存在だとも知らずに、人は崇め称え、信じて戦い続けるのだ。


 「その戦争ごっこで亡くなっている人達を、どう思いますか?」


 「戦争に関して、俺は感情移入はしねぇ」


 「可哀そうだとか、辛いだとか、普通の人はそう思うのでしょうね。けど、俺達からしてみれば、自分たちの国を守ろうと必死になているのに、どうしてみんな分かってくれないんだと、そう思ってしまうんです。俺達は国のために、世界のためにと戦う事を望んでいるというのに」


 「感覚さえ、麻痺するものだからな。誰が悪いってものでもねえ。戦争自体が悪だというなら、平和の中になっても悪は存在する。光がねえ場所に影は出来ねえからな」


 「それでもあなたは、俺には手を貸さないというんですね」


 「ああ」


 「そうですか・・・残念です」


 そう言うと、梦宗はゆっくりと踵を返す。


 祥哉と背中合わせになるようにそこで立ち止まると、続けてこう言った。


 「本当に残念です。あなたとならば、素晴らしい世界が建設出来ると思っていたのですがね。あなたに戦う意思が無いというなら、これ以上は何を言っても無駄でしょうね」


 「ああ、ようやく分かったのか」


 「ええ、充分ですよ」


 柔らかい笑みを浮かべたままの梦宗は、祥哉に向かって冷たい言葉を告げる。


 「殺せ」


 その言葉は祥哉の耳には確実に聞こえ、更に言うならば、冰熬にも聞こえていただろう。


 これがきっと冰熬でなければ、普通の人間はこれから自分が死んでいくというイメージを描き、恐怖に包まれるのだろうが、冰熬は違う。


 ただ自分の前に立っている祥哉のことをじっと見据え、しかし何も語らない。


 そんな時間も窮屈ではなく、だからといって退屈でもなく。


 祥哉は握っていた拳銃に力を込める。


 あとは引き金を引くだけで、冰熬の身体には穴があき、死ぬだろう。


 「・・・・・・」


 引き金を引こうとした祥哉だが、その指先に込めていた力を一旦抜くと、冰熬に向かって話しかける。


 「どうして俺を助けたりした?」


 「あ?何がだ?」


 冰熬には身に覚えがないことなのか、祥哉の問いかけに対し、眉間にシワを寄せる。


 ふう、と小さくため息をつくと、祥哉は続ける。


 「あんたを殺そうとした俺を、あんたは理由もなく助けた。俺はあんたを憎んでる。いつだってあんたを殺そうとしてた。それなのに、あんたは俺を憎まない。俺のことを殺そうとしない。それだけ俺に殺されない自信があるってことなのか?それとも」


 「ごちゃごちゃと。お前まで、理屈がどうだの理由がどうだの言うってか。勘弁してくれや」


 「祥吏が家を出ていって、いつか生きて帰ってくると思ってたけど、結局帰ってこなかった。祥吏が家をどうして出たのかも、どうしてあんたのところにいたのかも、どうして死んだのか、俺にはまだ分からない。けど、祥吏がもう帰ってこないっていう事実だけを見るなら、あんたは俺を助けることはどう考えてもおかしい」


 「お前がもう少し大人になったら、全部教えてやるよ」


 「いつもそうやって、俺のことをガキ扱いしやがって・・・!!」


 ガチャン、と冷たい金属音が聞こえる。


 まだ引き金を引いたわけではないが、指先に力を込めるだけで、ずっと恨んでいた男を殺せるのだ。


 祥哉はあまり表情を変えない冰熬を軽く睨みつける。


 「ガキだろうが。俺くらい歳取るとな、復讐なんて疲れるから考えねぇんだよ」


 「疲れる・・・?」


 「言い方が悪いかもしれねぇけど、疲れンだよ。俺が呼吸してる時間は限られてるってのに、復讐でその時間を費やすなんて、若ぇ奴しか考えねえだろうよ。恨んでも恨んでも消えねぇ感情なら、別のもんで埋めりゃあいい。もしくは、別の何かで書きかえりゃいい。人生なんて、前見ねぇと転んじまうだろ」


 「別のもんってなんだよ?そんなこと簡単に出来るなら、苦労してない」


 祥哉の言葉に、冰熬は珍しく小さく肩を揺らして笑った。


 それが、祥哉からしてみると、小馬鹿にされているように感じたのかもしれないが、冰熬はそんな気は全くない。


 「祥哉よぉ」


 「なんだよ」


 「俺を殺したら、それからどうすんだよ?」


 「それから・・・?」


 正直言うと、考えたことなどなかった。


 ただただ冰熬を殺すことだけを考えていて、殺した後のことなんて考えていなかった。


 祥哉が黙り込んでしまい、それで答えが分かった冰熬は、続ける。


 「俺を殺すことだけを目的にして生きてきたお前は、俺を殺した後の人生が待ってる。だろ?俺は殺されたらそこで終わりだ。だが、お前は違う。俺を殺してその後の未来ってもんがある。良くも悪くも、その未来って奴は厄介なもんで、こっちが迎える準備なんぞしてなくても勝手に来るんだ」


 「そんなこと・・・わかってる」


 「なら、よく考えな。人生を棒に振るのは簡単だ。けどな、苦労して苦労して手に入れたもんってのは、いつか輝くもんなんだ」


 一体冰熬は何のことを言っているのか、祥哉には分からなかった。


 ただ、引き金を引けなくなったのは確かだった。


 もう一度、梦宗に殺せと言われた祥哉は、引き金に力を込める。


 しかし、10秒経っても銃声は聞こえなかった。


 梦宗は祥哉の方を向いて、今度は強めに伝えた。


 「早く殺せ。お前だって、こいつを殺したいと思ってたんだろう?それが今、ここで叶うんだ!」


 「・・・・・・うるさい。あんたの指図は受けなくても分かってるよ」


 しかし、なかなか引き金を引かない祥哉は、目の前にいる冰熬をただ見ている。


 痺れを切らした梦宗は、祥哉の腕から拳銃を奪い取り、自らその銃で冰熬を撃ち殺そうとした。


 「躊躇してるなら、俺がやってやるよ!」


 「!!!」


 キィィィィン、と何か音が響いたかと思うと、梦宗が撃った銃は、祥哉が隠し持っていたナイフによって弾かれていた。


 咄嗟の行動だった。


 祥哉がそんなもの持っているとは思っていなかったが、どうしてここにきて冰熬を助けようとするのか、そちらの方がわけがわからなかった。


 「祥哉、どういうつもりだ?お前、冰熬を恨んでるんじゃなかったのか?」


 ナイフを手に持ったままの祥哉を、睨みつけるように、けれど笑みを浮かべた梦宗が一瞥する


 祥哉は険しい表情を浮かべたまま、小さく舌打ちをしていた。


 「確かに恨んでるよ。はっきりいって、あんたがこいつを恨んでるよりも遥かにね」


 「なら、どうして殺さない?殺すチャンスが今ここにあって、冰熬は動けないっているのに、どうしてお前は今冰熬を助ける?」


 何よりも、梦宗が気になっているのはそこであった。


 冰熬と2人であの古民家で過ごしている間だって、いつでも冰熬のことを狙っていた祥哉が、どうしてこの折角のチャンスを棒に振ってまで冰熬を助けたのか。


 尊敬しているとか、憧れているとか、そういうことならまだしも、少なくとも、冰熬に対する祥哉の気持ちにそういったものはないように感じた。


 すると、祥哉が答える。


 「俺だって、わからない。こいつのことをずっと恨んでたし、今だって多分恨んでる。祥吏がこいつのせいで死んだとなれば、当然だ。けど、こいつとしばらく一緒にいて、分かったことがある」


 「分かったことだと?」


 今度は銃を祥哉に向けながら、梦宗が尋ねる。


 「こいつは、確かにやる気はないし、だらしないし、料理もしないし、掃除もしないし、ろくでもない奴だ」


 「え、俺のこと?」


 「けど、他人を犠牲にして自分が生き残ろうとする、そんな卑怯な奴じゃない」


 褒められているのかは良く分からないが。


 祥哉はこちらに銃を向けたままの梦宗に、続けた。


 「祥吏は俺の大事な弟だった。そんな祥吏がこいつのために、こいつを庇って、何かの理由で死んだなら、俺は、弟が死んでも尚守ろうとしたこのろくでなしを、同じように守らないといけない、そう思う」


 「・・・麗しい兄弟愛ってことかな。俺には関係ないけどね。もういいよ、祥哉。お前に殺せないなら、俺が殺してやるから」


 「俺のことろくでなしって言ったか?」


 銃を構えた梦宗と、それに対峙する祥哉にたいし、冰熬は間に出る。


 「なんか間が悪くて悪いんだけどよ。いや、てかお前さ、ロープ外してくれねぇ?」


 忘れていたが、冰熬はロープで縛られていたのだった。


 思う様に動けないのか、冰熬は身体を左右に揺らしながらそう訴えた。


 しかし、そんな冰熬に、祥哉は顔だけをくるっと後ろに向けたかと思うと、少し不機嫌そうな顔を見せながら、こう答える。


 「そんなもの、もうとっくに解いてるくせに」


 すると、冰熬は一瞬だけ、本当に刹那ほどの時間だけ目を見開いて驚いた顔を見せたが、すぐに口角を少しだけあげて笑った。


 「お前も成長したなぁ」


 「馬鹿にしてるのか」


 「してないしてない。褒めただろ?」


 そういいながら、冰熬はするするっとロープから身体を脱出させた。


 どの時点で、いつからロープを解いていたのか分からないが、もしかしたら最初からだったのかもしれない。


 ロープから抜けだしたにも関わらず、冰熬は椅子から立ち上がろうとしない。


 「何してんだよ」


 「何って、お前の勝負を見届けようと思ってんだろうが」


 「そもそもあんたのせいだから。俺だって好きでこんなことになってるわけじゃないから。まじで殺す」


 「おーおー、若い野郎は気が短くていけねぇなぁ。もっと心にゆとりを持ちな」


 「やっぱりあんたは殺しておくべきだった」


 「今更後悔するんじゃねえよ。それもこれも、てめぇ自身で決めたこったろ?それに関しては俺を恨むのはお門違いってもんだろ」


 「いい加減にしないと、その口ナイフで縫い合わせてやるから」


 「ナイフで縫い合わせは出来ねえだろ。お前器用なこと出来るんだな」


 「ムカつく。そういうのを上げ足を取るって言うんだよ」


 「上げ足をとった心算はねえよ?だってそうだろ?ナイフじゃ無理だろ?針と糸だろ?」


 「ムカつく。本当にムカつく。じゃあ何?ナイフで切り刻んでやるって言えば良かったわけ?」


 「まあ、それなら可能だな。けど、その短いナイフじゃあ刻むのは一苦労しそうだけどな。お前の体力なら出来るかもしれねぇな」


 「あんたって、俺のこと馬鹿にしてるよな。しかも結構頻繁に」


 「そんなことねぇよ?」


 「馬鹿にしてるよ。俺のこと、家事掃除洗濯までする召使程度に思ってるだろ」


 「まあ、確かにお前は家事全般出来るな。助かってるよ。肉を生以外で食べるなんて発想、俺にはなかったからな」


 「もしかして、祥吏にも生肉食べさせたんじゃないだろうな」


 「俺の真似して頑張ってたぞ」


 「頑張ってどうにかなるもんじゃないだろ。腹壊しただろう」


 「壊してたな。若ぇからかと思ってた」


 「梦宗、ちょっと中断。やっぱこいつ殺してからにする」


 「俺は構わないけどね」


 冰熬を助けたはずの祥哉だが、やはりどうしても冰熬のことを赦せないのか、言い争うになったあと、ついには冰熬にナイフを向けた。


 しかしそれでも冰熬は椅子から立ち上がることもなく、平然としている。


 そんなやりとりをしていると、何か別の気配を感じた。


 3人はなぜか3人揃って気配を消し、息を殺し、そっとしていた。


 そのとき、重たい扉が開く音がして、そこから誰かが入ってきた。


 パッ、といきなり外から目が眩むほどの明るい光が入ってきた。


 思わず冰熬も腕で光を遮りつつ、向こう側に何がいるのかを確認しようとしていた。


 すると、その光の向こうから現れた影が、こちらに向かってこう叫んできた。


 「梦宗、いるか?」


 梦宗の名が呼ばれたことで、冰熬も祥哉も梦宗の方をみると、当の本人はわけがわからない様子で立っていた。


 光が小さくなると、そこに立っていた影にも表情が見えてきた。


 「鬧・・・影さん?」


 「意外、という顔をしているな」


 「どうしてこんなところに?それよりも、何の御用で?」


 その男は梦宗の知り合いのようで、梦宗は驚いた顔をしながらも、その男、鬧影に向かって何かと言葉を紡いだ。


 鬧影の後ろには数十人ほどの男たちが立ち並び、梦宗を取り囲むようにしていきなり近づいてきた。


 そんなに厳重にしなくても、というほどに身体をガードさせている男たちに取り囲まれて、梦宗は顔を引き攣らせる。


 「鬧影さん、どういう心算ですか?俺を取り囲んで。俺が何をしたっていうんです?」


 「お前には色々と聞きたいことがある」


 「聞きたい事、ですか?」


 ふん、と鼻で笑って答える梦宗に対し、鬧影は真っ直ぐに見つめて言う。


 「女を使って内部情報を盗み、さらには戦争を煽り、警察や政府の資金を勝手に使っていたな。それに関してだ」


 「身に覚えがありませんね。何かの間違いでは?」


 「正直に話すなら今のうちだぞ。梦宗、お前の手伝いをしていた女はもう先に捕まっている。素直に全部話してる」


 「・・・鬧影さん、あなたはやっぱり、もう少し警戒しておくべきでしたね。一体何者なんです?ただの一公務員、というわけではなさそうですね」


 梦宗はやれやれ、と観念したのか、手に持っていた拳銃を鬧影の方に向かって放り投げると、両手をあげながら質問した。


 しかし、それに対して鬧影が答えることはなかった。


 鬧影が手を軽くあげると、周りにいた男たちが梦宗の周りをさらに近づきながら取り囲み、ついには梦宗を捕えた。


 逃げられないようにと、手錠と鎖とその上にさらに鍵までつけられて。


 それでも梦宗は微笑みを崩さず、歩いて行って鬧影とすれ違う時、足を止めて鬧影に向かってこう告げた。


 「俺のやり方が正しいと分かるときが来ますよ。早いうちに」


 「・・・お前は自らの手も汚した。それを忘れるな」


 「昔のことじゃないですか」


 「何があろうと、摘み取ってはならないものがこの世にはある。お前はそれを犯してしまったんだ」


 男たちに強引に連れて行かれそうになりながらも、梦宗は足を踏ん張らせると、歯を見せて笑い、鬧影に噛みつくように言う。


 「甘いですね、あなたは。そんなんだから、この世から争いは消えないんです。俺が必要になったら、いつでも呼んでくださいね」


 「そんな時が来ないことを願う」


 ククク、と喉を鳴らしながら、男たちに連れて行かれた梦宗。


 その背中をただただ見ていることしか出来なかった祥哉。


 それから少しして冰熬の方を見てみると、冰熬はさっさと椅子から立ち上がって、去って行くところだった。


 「冰ご・・・」


 冰熬のあとを追いかけようとした祥哉の前に、鬧影が見える。


 ふと、鬧影が祥哉の方に顔を向けてくると、祥哉の方に歩み寄ってきた。


 敵ではないとは思ったが、自分との距離を縮めてくる鬧影に対し、祥哉は警戒心を持ったまま一歩だけ前に出る。


 「君は?」


 「あんたは誰?」


 警戒している祥哉に向かって、鬧影は至って穏やかに話しかける。


 まるで子供に話しかけるかのようにして、笑みを浮かべながら、優しく、そっと触れるかのように。


 しかし、鬧影を睨みつけるような鋭い目つきで、祥哉は問いかけに問いかけで答えた。


 ふう、と肩を一度上下させて息を吐くと、鬧影は一度顔を動かして、自分たちから遠ざかって行く冰熬の方を見る。


 それからまた視線を祥哉に向け直す。


 「私は・・・いや、堅苦しいのは無しにしよう。俺は鬧影。梦宗の上司でもあり、警察や政府の裏の動きを調査する役目でもある」


 「裏の動きって?あいつを見張ってたってことか?」


 小さく笑うと、鬧影は続ける。


 「裏の動きについては詳しく話すことは出来ないが、まあ、要するに怪しい動きをしているところに潜入調査しに行ってたってことさ。今回は、たまたまそれが梦宗に当たったってだけの話で」


 「あいつはどうなるんだ?」


 「それはこれから、俺よりもおっかない連中に取り調べされて、今まで梦宗が扱っていた事件や事故なんかも全部再調査だろうな。時間はかかるかもしれないけど、必ず梦宗の罪を暴く。そして裁く」


 最後の方を強い口調でそう言った鬧影に、祥哉はただ真っ直ぐな視線を送る。


 少しだけ視線を伏せたかと思うと、そんな祥哉に向かって、鬧影は何かに気付いたのか、その祥哉の横顔をじっと見ていた。


 「別に、俺には関係ないことだな」


 「・・・それで、君は?」


 「俺のことを聞いてどうする?あんたとはもうこれっきりだと思うけど」


 突き放すように刺々しく言う祥哉に、鬧影は苦笑いを向ける。


 「昔、君に似た男と出会ったことがあるよ」


 「?」


 突然、昔話をしてきた鬧影に、祥哉は怪訝そうな表情を浮かべる。


 鬧影はゆっくりと足を進めると、先程まで冰熬が座っていた椅子の前に立ち、それから祥哉の方を見る。


 「いや、君よりも厄介な性格だったかもしれないけどね。それより、君にはもしかして、兄弟がいるかな?」


 「・・・今はいない」


 「そうだったね。兄弟がいた、という言い方の方が正確か」


 「おい、あんた何か知ってるのか」


 回りくどい様な、直球で何も語らない鬧影に痺れを切らし、先に本題に入ろうとしたのは祥哉だった。


 鬧影は、自分の周りにいる、梦宗捕獲のために連れてきた男たちをその場から離れるように指示する。


 男たちは次々に外へと出ていき、残された祥哉と鬧影の間には、微妙な空気が流れる。


 「3年前、1人の若者が死んだ」


 「・・・・・・」


 ぽつりぽつりと、鬧影は話し始める。


 「その若者は、ある男のもとで修業をしていたんだ。何の修行かはよく分からないが、多分、強さを求めるためのものだったんだろう」


 一瞬、薄らと口を開いた祥哉は何か言おうとしていたが、すぐにその口を閉ざしてしまった。


 「男は若者に、自分には近づかない方が良いと言っていた。だが、それでも若者は離れようとしなかった。それほど男から何か学びたかったのか、それとも行く宛がなかったのか。とにかく、若者は男のもとにいた」


 鬧影の話によると、その若者のもとに、1人の女性が現れたそうだ。


 ブロンドの長い髪がよく似合うその女性は、若者が1人の時を狙って近づき、こんなことを言ったそうだ。


 「あの男はもうじき国中から、いえ、世界中から追われる身となるでしょう。その前に私達と手を組みましょう」


 どうして狙われることになったのか、若者は女性に会う度詳しく聞いた。


 最初は教えてくれなかったようだが、それも戦略なのか、若者は女性に会う事を望むようになった。


 それからしばらくして、女性からこんなことを聞いた。


 それは、男を捕まえた者には大金を送るという政府からの手配書が出回る、ということだった。


 金銭的にも余裕などなかった若者にこの話しをしてみると、若者の表情は少しだけ変わった。


 それから、若者は男のことを女性に教えるようになった。


 「待て。あんたはその若者が、男のことを裏切ったっていうのか」


 「落ち着け。話はまだ終わっちゃいない」


 女性は若者から聞いた男の情報をもとに、男を捕える算段をつけていた。


 そしてある日、女性から聞いた情報をもとに、男を捕えようとする組織が動きだし、男を捕えようと男たちが住んでいる場所に現れた。


 決行されたのは深夜のことで、男はぐっすりと寝てしまっていたらしい。


 男を捕えた組織は、男を殺すか、それとも手を組むなら助けようとか、色々と話をしていた。


 殺すことは簡単だが、男の実力を考えると、それはもったいないことだったのだ。


 男は顔を麻袋で隠されたまま、処刑されることが決まった。


 処刑を止めた者達も当然いたのだが、どうしても手を組まないと言い張る男に、一時の感情だけで決めてしまったのだろう。


 「・・・・・・」


 「当時、俺はその場にいなかったが、男が偽物だったことに気付いた連中は、誰一人としていなかったらしい。もちろん、その女が後から男の遺体を見て、違うと分かったようだがな。ちなみに、直接処刑で手を下したのが、梦宗だ」


 「どうして・・・そんなこと、俺に」


 「分かってるだろ?その若者の名は、お前の弟、祥吏だ」


 「・・・!!!」


 気付いてはいたのだが、こうして直接名前を聞かされてしまうと、最早どうあがいても抵抗など出来ない。


 抗うことが出来なくなった事実に、祥哉は唇を強く噛みしめる。


 「祥吏はあの男を助けるために、連中が捕えに来ると予測出来た日の前後数日間、出かけるように仕向けたんだ。自分が捕まるようにな。女に教えた男の情報も弱点も、当然ながら全部嘘だった」


 どうすることも出来ない気持ちの整理に、祥哉は下を向いたまま。


 それからほんの10秒ほど、2人の間には沈黙が響いた。


 鬧影が口を開こうとしたとき、それよりも少しだけ早く、祥哉が声を出した。


 「どうしてそこまでして、あいつを助けようとするんだ?恩があるわけでもない。英雄なわけでもない。それなのに、命を懸けて守るなんて・・・!!」


 「それは、君も同じだったろ」


 「俺は違う!!!俺は、こんなやり方であいつを殺すのが赦せなくなっただけだ!正々堂々、あいつと戦って、それで殺すんだ!」


 珍しく感情的な声と表情を見せた祥哉だが、すぐに大人しくなってしまった。


 「祥吏がどうして家を出て、あいつのもとに行ったのか、少しだけその話をしたことがある」


 「なんであんたがそんな話を」


 「まあそれはいいだろ」


 適当にはぐらかされてしまったが、鬧影は祥哉に語りかける。


 「家族にも恵まれて、愛情もって育てられて、なんの不満があるのか聞いたらよ、ただこう言ってたんだ。『自由になって、世界を見たい』ってな」


 「世界を、見る・・・?あいつが?」


 「ああ。戦争に明け暮れる毎日。そんな中にも人間は希望を持つ。だが、生き残るのはいつだって戦いを煽り、傍観しながらも、戦いから逃れている奴等で、死んでいくのはいつだって戦いを拒み、悲観し、嘆きながらも懸命に生きてる奴等だ。本当に、意味のない戦いだよ、戦争ってやつは」


 「・・・そっち側のあんたが、そんなこと言うのか」


 「ああ言うさ。頭の固い、結局は自分のことしか可愛がれないくだらない奴等ってのは、どの時代にも必ずいるもんさ。どれだけ時代が進もうと、科学や技術が進歩しようと、人間の本質は変わらない。それは君だって分かってるだろ」


 「・・・・・・」


 「祥吏がきっとあの男の存在を知って、自分もあの男のように生きたいと願ったんだろうな」


 祥吏が家を出てからすぐ、祥吏を探して回っていた。


 しかしそれでも見つからず、諦めかけていたその時、たまたま立ち寄ったその国で、男の噂を聞いた。


 男は何処からともなく現れて、国や世界で起こっている戦争に手を貸したとか、止めたとか。


 最大の軍事力を誇っている国でさえ、男の前では赤子同然だったという。


 男にはどんな力があるのか、それは鬧影にも分からない。


 男は強さを持ちながらも、戦う事を強く拒み、そのことで、国や世界から目をつけられてしまう存在となっていた。


 「なぜそれほどまでに戦いを拒むのか。あいつは寝転がりながら、大欠伸をしてこう言ったんだ」


 “面倒臭ぇからだよ”


 その言葉を聞いた途端、祥哉は唖然と口を開けてしまう。


 しかし、それを直接聞いたのかは分からないが、鬧影は堪え切れなくなったのか、腹を抱えて笑いだした。


 「信じられるか?こっちは国のためにと生死かけて戦ってよ、そのために奴に頭まで下げたってのに、返ってきた返事がこれだ。俺はさすがに最初は驚いたよ。こんな奴を、どうして国も世界も欲しがってるのかってな。けど、それからしばらくして、あいつとサシで話すことがあってな。そのとき、あいつっていう人間性が分かった気がしたよ」


 鬧影の話によると、一度声をかけてからというもの、失礼な男という印象が強くて、ほとんど会いに行っていなかったとか。


 しかしどうしても自分しか都合が合わない時があって、その時久しぶりに男のもとへと出向いた。


 森の奥の方、誰も近寄らないだろう場所で1人、男は古民家でだらだらと、鬧影とは真逆のような時間を送っていた。


 客人が来ても、もてなす、ということを知らず、男は太陽を浴びながらとても気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。


 声をかけると、こちらをちらっと見ただけで、特に返事もせずに寝ている男を見て、鬧影はこのまま帰ろうかと踵を返した。


 その時、男は顔をこちらに向けることもせず、こう言った。


 「人様の家に来る時には、手土産の一つでも持ってきな」


 その言葉に、さすがの鬧影も眉間にシワを寄せて、言い返したとか。


 「客人には、茶の一つでも出すのが礼儀ってもんだろ」


 「・・・・・・そうだな。でも生憎茶は切らしてるんだ。その辺の井戸水でも飲んでくれや」


 なんて適当な奴だろうと思ったらしい。


 鬧影のことを政府側の人間だと知っているのかと思いきや、顔は忘れていたらしく、ただ臭いがそう言う匂いだったらしい。


 それからすぐに祥吏が男の前に現れ、あの事件が起こった。


 男の近辺を探るようにと言われていた鬧影は、男のもとに現れるようになった祥吏のことも知っていたが、上には報告しなかった。


 どうしてかと聞かれると、鬧影自身にも分からないが、きっと鬧影自身が上層部のことを嫌っていたからだろう。


 男、つまり言ってしまえば冰熬という男は、ふらっと現れたにも関わらず、この土地にある程度根付いているが、その理由はきっと、亡くなった祥吏のことが多少なりともあるのだろう。


 「祥吏にしろ君にしろ、冰熬と出会って何かしら変わった。それが良いにしろ悪いにしろ、これからの人生で大きく価値観を変えるものになるだろうさ」


 「・・・冰熬はどうして、俺があいつのこと殺そうとしてるのを分かっていながら、俺を追い出さないんだ?」


 「そうだな。あいつはあいつなりに、贖罪に駆られてるんだろう」


 「贖罪・・・?」


 はっきり言ってしまうと、冰熬には似合わない言葉である。


 罪の意識だとか、過去の過ちだとか、そういうことを気にしないのが、あの冰熬という男であると思っている。


 「あいつが強さを手にしたのは、強くならなければいけない理由があった。俺はそう思う。まあ、実際はどうか知らないけど。戦争に利用されるほど強いなら、きっとこれからだってあいつを狙って色んな国が来るかもしれない。その時、君はどうする?」


 「どうするって・・・」


 「冰熬に復讐をするため、情報を売るのか?それとも、弟のようにあいつを守るために犠牲になるのか?はたまた、あいつと生きて行く道を選ぶのか・・・」


 「・・・・・・」


 答えなんて、見つからない。


 こうして今ここにいることさえ、もしかしたら奇跡なのかもしれない。


 ここに来るまでの間、色んな国に立ちよってきたが、何処も戦争の話をしていた。


 慰霊碑なんて豪華にして奉ったって、死んでしまった人間からしてみると、意味のないものだ。


 ある国では、勇敢に戦った兵士たちに、勲章を与えていた。


 ある国では、尊い犠牲となった動物たちに、沢山の花束を与えていた。


 ある国では、心に傷を負ってしまった女性たちに、裕福な暮らしを保証していた。


 どの国のやり方が正解で、どの国のやり方が間違っているかなんて、祥哉には判断出来るものではない。


 その国にはその国の正義があり、統治法がある。


 それと同様に、戦争でしか解決策を見いだせない国もあるのだ。


 全てを黒と白ではっきりと分けてしまうことは困難だが、人道的に反するのかどうか、それは自己での判断となるだろう。


 「あの男にとっては、どの国の政府も、どの国の正義も、どの国の白であっても、間違いだと言うんだろうな」


 「?」


 「あいつにとって、己が決めたこと、それだけが真実であって、進むべき道しるべなんだからな。だからこそ、祥吏だってあいつに惚れこんで居座ってたんだろうな」


 「・・・ふん。祥吏の趣味は良く分からないな」


 そんなことを言ってはいても、祥哉の目つきは随分と穏やかだ。


 祥吏のことを思い出しているのか、それとも別の何かなのか。


 「弟の分まで生きろなんて、俺はそんな偉そうなこと言わない。というか、言えない。けどまあ、あいつのことをそれなりに信頼してるなら、学ぶべきことは沢山あるだろうよ」


 「あんな男に学ぶことなんてない」


 「そのうち分かるさ。戦うことだけが生きる意味じゃないってな。戦いなんて、所詮は金と時間と命の無駄さ。金持ちや権力者共の娯楽になる前に、ケリはつけたいんだがな」


 「あんた、何か企んでるのか?」


 「さあ?野望はあっても、行動に移すとなるとそれなりに人手もいることだしな」


 「そんなこと、俺に話していいわけ?リークするかもしれないぜ?」


 挑発気味にそう言う祥哉に対し、鬧影は肩を小刻みに上下させて笑う。


 そして出口の方へと向かって歩きながら、祥哉の方を見ることもなく言う。


 「そうなったらそうなったで、俺も腹を括るしかないな。世界に喧嘩売って、世界を敵に回してでも、俺にだって貫きたいもんがあるんだ」


 そう言う鬧影の表情は、ただ単に自らの欲だけのために動いていた梦宗のものとは全く違う、祥哉の嫌いな言葉を使うなら、“希望”を秘めたものだった。


 「鬧影さん、上層部の方が今回の梦宗確保についての状況説明を願いたいとかで、連絡が来ています」


 「ああ、今行くよ」


 「・・大変そうだな。公務員ってのも」


 外で待機させていた男がやってきて、鬧影を呼んでいると言われると、鬧影は後頭部をかるくかいた。


 祥哉が声をかけると、鬧影は「まあな」と困ったような笑みを浮かべて答えた。


 「自由に動けるお前等が羨ましいよ。こちとら、肩書きが邪魔して好き勝手には動けないからな」


 「俺からしてみれば、その肩書きで白も黒に出来るあんたらが羨ましいよ」


 「おいおい、嫌な言い方するなよ。確かにそういうクソみてぇな連中もいるが、俺は一応、変えようと努力してるんだからよ」


 上手くは行かねえけど、と付け足すと、鬧影は祥哉に軽く手をあげながら背を向けて遠ざかっていった。


 外へ出てみると、太陽の光が思った以上に眩しくて、それでいて、鬱陶しいほどに絡みついてくる。


 鬧影は乗ってきた車なのか、とにかくその黒い高級車にも見える車に乗ると、祥哉の方を見ながら去って行った。


 残された祥哉は、何処へいくかと言えば、行く場所は一つしかなかった。








 険しい森の道を歩いている途中、祥哉は何かに気付いた。


 今までは一度だって嗅いだことがないだろう、なんとも食欲をそそるものだった。


 古民家とはいえ、しっかりと立て直しされているその建物の戸に手をあてると、ゆっくりと開ける。


 その先には、暖かそうな囲炉裏と、囲炉裏に小さな茶釜のようなものを置いて、そこでおかゆのような、おじやのような、そんな米のご飯の準備をしている男の姿。


 やる気のなさそうな表情に、だるそうにしている猫背。


 眠そうに目を細めながら欠伸をしているその姿は、国を脅かすほどの実力者とは思えないほど滑稽だ。


 顎鬚を生やし、風に靡く程度には伸びている銀色の髪の毛。


 平均よりも随分と高い身長は、向かいあった相手を威圧するのには充分だろうが、威圧している心算は本人にはない。


 しばらくそこに立っていると、祥哉の方を見るわけでもなく、男、冰熬は口を開く。


 「いつまでんなところで突っ立ってる心算だ。さっさと戸ぉ閉めろ」


 「・・・・・・」


 返事もせずに、祥哉は足を古民家に踏み入れ、戸を後ろで閉めた。


 そしてまだそこから動かずに立っていると、出来た食事を味見するため、冰熬は木製のスプーンで一掬いし、口に入れた。


 少し熱かったのか、険しい顔を見せたが、舌を少し出しながらスプーンをその辺に置いた。


 「師匠を殺そうとするなんざ、お前は弟子失格だ」


 「・・・弟子になった心算はないけど、殺せなかったんだから続行でいいだろ」


 「生意気になったもんだ」


 「素直な時があったのか」


 それからしばらく、気まずい空気がその場に流れた。


 冰熬は特に気にしている様子はないが、冰熬に拳銃を向けてしまった祥哉からしてみると、少々同じ空間にいることが落ち着かない。


 冰熬にバレないように深呼吸を数回繰り返した後、冰熬に向かって尋ねる。


 「祥吏が死んだとき、あんたは何処で何をしてたんだ」


 「・・・・・・」


 「酒のんで博打でもして女と遊んでたなんて言ったら、今ここですぐに息の根を止めてやるよ」


 「生憎だが、俺ぁ酒飲まねえし博打もしねぇし、女とも遊ばねえよ」


 「なら、何をしていやがった」


 「・・・それを答える義理はねえなぁ」


 「あんた、何でここにずっといるんだ?宛てもなく彷徨うスタイルだったんじゃないのか」


 冰熬は自分の茶碗を持ってくると、また胡坐をかいて座り直し、そこにまだ熱いそれをよそう。


 猫背のまま、祥哉の方をまだ見ずに。


 「この地へ勝手にやってきた。ここから出て行くのも俺の勝手だろ」


 「ここに留まる理由は何だ」


 「お前、ちったぁ丸くなったかと思えば、そうでもなかったな。んな角張った生き方じゃあ、長生き出来ねえぞ」


 「長生きなんてする心算はない。あんたを殺したら、俺はすぐに死ぬ」


 「・・・つまらねぇなぁ」


 「は?」


 冰熬は熱々のそれを口にいれると、やっぱりまだ熱かったのか、水を口に含んで熱を冷ましていた。


 そして、ここでようやく祥哉の方に顔を向けたかと思うと、あまりにも強いその眼光を初めて見た祥哉は、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


 「俺を殺してすぐ死ぬなんざ、それほどつまらねぇことはねえよ」


 「なら、どうしろっていうんだ」


 「・・・俺を殺せるかどうかは別として、俺はお前より歳だから、いつかはお前より先に死ぬだろう」


 「・・・?」


 一体冰熬は何を言おうとしているのか、祥哉はただ黙って聞く。


 「俺は俺の目的のために生きる。お前はお前の目的のために生きりゃいい。俺かお前か、どっちかが先に死んだとしても、恨みっこは無しだ」


 「?あんた、さっきから何を言ってるんだ?」


 「つまりだ」


 冰熬にしては珍しく、まるで悪企みを考えたガキ大将のように、歯を見せてニヤッと笑いかける。


 指で祥哉を指す代わりに、食事をしていたスプーンを祥哉に向ける。


 「博打はしねぇ主義だが、賭けをしよう」


 「賭け?」


 「ああ。お前はいつも通り、俺を殺そうと襲いかかってきて構わねえ。お前が俺を殺して目的を果たすのが早いかそれとも、俺が俺の目的を果たすのが早いか。どうだ?」


 「・・・・・・」


 どういう心算で冰熬が賭けなどと言いだしたのか、祥哉には分からなかった。


 しかし、冰熬からこうした話しを持ち出すのもまた珍しいというよりも初めてのことで、祥哉は小さく鼻で笑ってしまった。


 「ああ、分かったよ。俺とあんたと、どっちが先にくたばるか、賭けといこうじゃないか」


 「一応聞いておくが、お前、どっちに賭ける?」


 「んなもん、俺自身に決まってるだろ」


 「そりゃ残念だ。俺も俺に賭ける心算だからな」


 「当然だろ。そうじゃなけりゃ、賭けにならないだろ。それより、なんか変な臭いするんだけど、何作ったんだ?」


 ふと、祥哉は鼻を掠めるその異様な臭いに気付き、冰熬に尋ねてみる。


 すると、冰熬は自分で作ったそれを鼻でクンクン嗅いだ後、首を傾げた。


 「何って、その辺に落ちてたキノコとか、しばらく放っておいた肉とか山菜を混ぜたんだけど、確かになんか変な臭いするな」


 「あんたまさか、碌に調べもせずに、とにかく適当に入れたのか」


 「自然にあるもので身体に悪いものはないだろ」


 「あるんだよ。自然界には毒ってものがわんさかあるんだよ。あんたはどうしてそう、毒に対する免疫っていうか、そういうのが人間離れしてるんだろうな」


 「お前、俺を馬鹿にしてるのか。毒なんてさすがに俺も死ぬだろうよ。だから毒じゃねえって。俺の野生の本能が毒じゃねえって言ってるから大丈夫だ」


 「それが信用出来ないんだよ」


 冰熬が作った、囲炉裏に用意してあるそれを覗いてみると、やはり身体に悪そうな怪しげな色のものが入っていた。


 きっと時間が経つと臭いなどが出てくる類のものだったから、祥哉も今になるまで気付かなかったのだろうが、それを口にしていた冰熬が気付かないというのは、どういうことだろうか。


 やれやれと、祥哉は動物でさえ口にしないであろうその残飯とも言える冰熬の食事を、棄てるのもどうかと思いつつ、まあ、冰熬が自分で作ったものなら良いかと、それを冰熬に食べさせ続けた。


 祥哉は自分用で新しく安全なものを作って食べたのだが、結局、冰熬は何ともなく、ケロッとしたままだった。


 それを見て、殺すのは容易ではない、と思うのであった。


 「祥哉」


 「なんだよ」


 「ため息ばっかり吐いてると、幸せが逃げるらしいぞ」


 「誰のせいだと思ってんだよ」


 「祥哉」


 「なんだよ」


 「お前、俺の弟子になったんなら、ちゃんと鍛錬の一つでもしてやるぞ」


 「・・・・・・あんたに教わることなんか何もないね」


 「そうかい。なら、別に俺は構わねえけど」


 そう言って、黙々と食事を終えた冰熬は、食べてすぐだというのに、井草の匂いが心地良い畳の部屋で横になった。


 その部屋の戸を半分ほど開けると、外からの暖かい日差しが入り込んでくる。


 その日はすっかり寝てしまった冰熬だが、翌朝になると、太陽よりも先に本能が目を覚ました。


 「しーーーーーーーっっしょおおおっ!!」


 「・・・だから、目覚めが悪い起こし方止めろって言っただろ」


 「えー、なんでですかー?師匠言ったじゃないですか。賭けをするって。俺は俺に賭けたんですから、文句なんか言われる筋合いありませんけどねー」


 「はあ・・・」


 相変わらず、寝ている冰熬に斧やらナイフを突き立てて起こすという方法は変わらないようだ。


 そしてこういう時だけ、敬語を使うという謎の行動も。


 ダルそうに身体を起こした冰熬は、用意されている食事を怪しむこともなく口にする。


 そんな冰熬の横に座ると、祥哉も自分の食事を口にする。


 「で、鍛錬ってどんなことするんだ?」


 「ああ?お前嫌だって言ったじゃねえか」


 「嫌だとは言ってない。けど、あんたを殺すには、あんたって人間をもっと知る必要があると思っただけだ」


 「へぇ。勉強熱心だこと」


 「勇敢だと言われても、死んだら意味がない。俺は勇敢な男にはなる心算はない。ただ、あんたを殺す前に、俺自身が死んだら意味がないって思った。それだけだ」


 口実のようにも聞こえるその祥哉の言葉を聞いて、冰熬は祥哉にバレないように笑った。


 馬鹿にしているわけではない。


 ただ、以前出会ったとある少年のような、真っ直ぐな目をしていたから、と言ったら、それこそ笑われるだろうか。


 自分を慕う者など、ほとんどいないに等しいだろう。


 それでも、こうして何かのためにと自分を必要とする者がいれば、これからも現れるのであれば、生きる必要があるのかと。


 「覚悟しておけよ。お前みたいなガキにゃあ、ついてこれねえかもしれねぇからな」


 「ガキ扱いするな」


 「それにしても、たまには甘いもんも喰いてぇなぁ」


 「あんた、本当に自由だな」




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