第88話「狼炎と夕璃、打ち合わせをする」

 ──数日後、燎原君りょうげんくんの屋敷で──




ろうさま。奏真国そうまこく使節しせつの方とはお会いになりましたか?」


 ここは、屋敷の一室。

 太子狼炎たいしろうえんは、燎原君の末娘の夕璃ゆうりと話をしていた。


 最近の狼炎は政治について、燎原君から話を聞くようにしている。

 それが終わった後、夕璃と一緒にお茶を飲むのが日課になっていたのだった。


「奏真国王の長女の方がいらしているようですよ。謁見えっけんの際に、狼さまは同席されていらっしゃいましたか?」

「ああ。先日、王宮で見かけた」


 狼炎は答えた。

 視線は、机に置かれた書類に向けたままだ。

 見ているのは燎原君にもらった、内政についての資料だった。


 最近、狼炎は燎原君から政治についての指導を受けている。

 燎原君は現実に起きた事件を取り上げて、その解決方法を狼炎にたずねてくる。もちろん、それはすでに解決した事例だ。調べれば結果はわかる。


 だが、必要なのは「なぜ、そうしたか」についての答えだ。

 それがわからなければ、指導を受ける意味はない。


 だから、狼炎は考え続ける。

 考えれば考えるほど知識欲が湧いてくる。同時に、自分の知識不足を思い知らされる。それがふがいなくて、悔しくて、学ぶ手が止まらない。

 今の狼炎は、そんな状況だった。


「狼さまは、どのような印象を持たれましたか?」

「……ん? ああ、奏真国の姫君の話だったな」


 夕璃の言葉が続いているのに気づいて、狼炎は書類から顔を上げた。


「礼儀正しい人物ではあった。身に着けているものは派手だが、それほど高価なものではない。贅沢ぜいたく浪費ろうひひかえているようだ。信用に足る人物だと思うが」

「ええ。私も、そのように思いました」


 微笑ほほんで、夕璃は茶を飲んだ。


「あの方について、狼さまにお伝えしたいことがあるのです」

「どのような件だろうか?」

「私のお友だちが言ったのです。奏真国には海がないので、ご案内すればよろこんでくださるはずだと。藍河国が他国を歓迎する意味をこめて、海を見せて差し上げるのはどうかと……そんなことをおっしゃっていたのです」

「ふむ。面白い話ではあるな」


 狼炎はうなずいて、


「夕璃どの。そのお話はどなたから?」

黄海亮こうかいりょうさまの妹君ですわ」

海亮かいりょうの妹……ああ、柳星怜りゅうせいれいか。しかしなぜ、海亮の妹がそのようなことを?」

黄家こうけの次男でいらっしゃる黄天芳こうてんほうさまが、先日、奏真国を訪問されています。その際にあの方は、奏真国内を自由に行動する権利をいただいたそうなのです」


 この話をすることは、すでに決めていたのだろう。

 夕璃はよどみなく、狼炎に説明していく。


「それで黄家の方には、奏真国の使節とのえにしができたのでしょう。それで奏真国の第一王女さまが、海を見たがっていることを聞きつけたのでしょう」

「海亮の弟が奏真国内で自由行動を許された。その返礼として、第一王女が見たがっている海へ……か」

ろうさまは、どう思われますか?」

「楽しそうに話をすると思ったら……これも課題か? 夕璃姉ゆうりねえさん」


 太子狼炎は夕璃に視線を向けて、苦笑いしながら、


「夕璃姉さんは叔父上のように、この狼炎に課題を出されるおつもりなのだろう? 実践問題というものかな?」

「あら? 私は狼さまを試したりいたしませんよ」

「いやいや。叔父上も夕璃どのも、油断できぬお方だからな」


 太子狼炎は楽しそうな表情で、お茶を飲む。


「それに、おふたりに試されるのは悪い気分ではない。むしろ、試されなくなったら終わりだと思っているよ」

「殿下。おたわむれを」

「冗談ではないのだよ。夕璃姉さん。あなたと叔父上には、この狼炎を試し続けて欲しい」


 真剣な口調だった。

 茶器を手に、おだやかな口調で、狼炎は、


「以前の私は常に『不吉の太子』の異名におびえていた。自分自身でそれに気づかぬほど……私はなにも見えていなかった」

「……狼さま」

「それに気づかせてくれたのは夕璃どのと……いや、すまぬ。課題の途中だったな」

「もう、狼炎さまったら。課題ではないと申し上げておりますのに」

「夕璃姉さんを失望させたくないだけだ」


 太子狼炎は肩をすくめた。


「奏真国の使節に、藍河国内の観光を許すか、だったな。黄家の者も彼女たちに海を見せたがっている。それにどう対処するかだが……」


 藍河国の高官には、新興の奏真国を見下す者もいる。

 かつては狼炎もそうだった。

 奏真国を見下すことで、自分の強さを示そうとしていたのだ。


 今、思い出すと赤面する。

 奏真国の留学生──翠化央すいかおうに、食ってかかったこともある。

 それを止めてくれたのが黄天芳だ。


 そして、太子狼炎は黄天芳と翠化央に命を救われている。北の地でのことだ。壬境族じんきょうぞくの王子に襲われたとき、割って入ってくれたのがあのふたりだ。当時は彼らに救われた事実を認めるのが辛かったが……今は違う。

 ──違う自分でありたいと思う。


 だから、狼炎は考え続ける。


 奏真国は友好国だ。その国の使節なら、厚くぐうするべきだ。

 ただ、あまり厚遇こうぐうしすぎれば、藍河国の高官の反感を買う。

 その反感が奏真国に向かってしまっては意味がない。


 ならば──


「そうだな。奏真国の王女が海を見たがっているなら、叶えて差し上げるのがよかろう。そして、それを自然に行うために……この狼炎が、北のとりでに向かうというのは、どうだろうか」


 ふと、狼炎は思いついた言葉を口にした。


「そうすれば奏真国の使節は、自然と願いを叶えることができる。理由はおわかりかな。夕璃どの」

「まぁ、狼炎さまこそ。私を試されますのね?」

「夕璃どのの意見が聞きたいだけだ」

「そうですね……」


 夕璃は少し、考えるしぐさをした。


狼炎殿下ろうえんでんかが北の砦に向かわれるのを、奏真国の使節が途中まで見送る……という形式を取るためでしょうか?」

「……さすがは夕璃どのだ」

「藍河国の厚遇こうぐうに感謝の意を示すため、奏真国の方々は太子殿下を街道まで見送る。その途中で狼炎殿下は……奏真国の方々に海へ行くように勧めるおつもりですね? 見送りへの返礼として」

「正解だ。夕璃どの」


 太子狼炎はうなずいた。


「それによって、藍河国は大国としての度量どりょうを示せる。奏真国は礼儀を守り、かつ、藍河国の海を見て、様々な学びを得ることができる。この狼炎が見送りへの返礼として、奏真国の者に自由行動を許すのだ。誰も文句は言えまい」

「よいお考えです。殿下」

「では、この狼炎が北に向かう理由はおわかりかな?」


 狼炎は指を2本、立ててみせた。


「理由はふたつある。夕璃どのにはわかるだろうか?」

「そうですね……殿下は北の地で、ガク=キリュウどのの部隊の訓練を行うおつもりなのではないですか?」

「…………夕璃どの」


 狼炎は思わず目を見開く。

 ここまであっさり、見抜かれるとは思っていなかったからだ。


「夕璃どのだけは敵に回したくないものだ」


 狼炎はため息をついた。


「万が一にも夕璃どのが敵に回ってしまったら……この国は崩壊ほうかいしてしまうかもしれぬ」

「あら? 私が狼さまの敵に回ると思っていますの?」

「それほど夕璃どのを評価しているという話だ。この狼炎の考えをあっさりと見抜いてしまうのだからな」

「ありがとうございます。評価してくださったお礼に、お茶のおかわりを差し上げますわ」


 夕璃は茶器を手に取った。

 狼炎に側に立ち、空になった彼の茶器に茶を注ぐ。


 狼炎の側で茶を注ぐ──それだけで満たされた表情になるのを、服のそでで隠しながら、夕璃は続ける。


「ガク=キリュウさまは優れた武将です。そして、あの方は壬境族を敵視していらっしゃいます。あの方の部隊をきたえるには、北の地がふさわしいでしょう」


 夕璃は一呼吸おいて、


「北の砦には『飛熊将軍ひゆうしょうぐん』の黄英深こうえいしんどのがいらっしゃいます。壬境族との戦闘経験を持つ『飛熊将軍』と、新たな武将であるガク=キリュウさま。そのおふたりを対面させることで、藍河国に新たな力が加わったことを兵たちに示す……それが狼炎さまの目的だと思います」

「ご明察だ。夕璃どの」

「ですが……もうひとつの理由がわかりません」


 夕璃は席に戻り、首をかしげた。


「理由はふたつとおっしゃいましたね。他に狼炎殿下が、北の地に向かう理由がおありなのですか?」

「ふふ。夕璃どのにもわからぬか」


 そう言って、狼炎は視線を落とした。

 夕璃が淹れてくれた茶に口をつけ、うつむく。


「わからぬだろう。この狼炎のおろかさに関わることでもあるからな」

「……狼炎殿下の、愚かさ?」

「私は、北の地で命を落とした……『狼騎隊ろうきたい』の墓をもうでたいのだ」

「…………あ」


 夕璃は思わず声を漏らした。


 太子狼炎は以前、北の地で壬境族の部隊に襲われている。

 その時に彼を守って、数名の兵士──『狼騎隊』が命を落としたのだ。


 敵は壬境族の王子だった。

 強敵を前に狼炎は、黄海亮、黄天芳、翠化央の3人に助けられ、なんとか命を拾ったのだった。


ろうさま。勝敗は兵家へいかつねです。そこまで気に病む必要は──」

「正しき指揮を取ったのならそうだろう。だが、私はあのとき、失態しったいおかした。それゆえに我が部下は命を落としたのだ。それを……忘れたくはない」

「……狼さま」

「同じ失敗は二度とせぬ。それを誓うためにも、彼らの墓に詣でたいのだ」


 太子狼炎は顔を上げ、まっすぐに夕璃を見つめたまま、告げた。


「こんなことが言えるのは夕璃姉さんだけだ。幻滅げんめつしても構わぬ。だが、あなたにだけは、我が本心を知っておいて欲しいのだ」

「幻滅などいたしません」


 夕璃は静かに席を立つ。

 それから優雅な動作で、狼炎に対して拱手した。


「狼炎殿下のお考えこそ、とうといものだと思いますわ」

「……そうだろうか」

「無論、殿下の真の思いは、この胸にしまっておきます。藍夕璃あいゆうりは誓います。殿下の本心は、決して他人に漏らすことはないと。この誓いを違えたときは、この胸が張り裂け、心臓が血を噴き出しますように」

「いや、その誓いは駄目だ。夕璃姉さんが死んでしまったら困る!」

「覚悟をお伝えしたまでです」

「それでも駄目だ。あなたが死んだら、本心を告げる相手がいなくなってしまうではないか」

「まぁ、狼さまったら」

「…………まったく。夕璃どのは」


 それから、ふたりは細かい打ち合わせをはじめた。


 そして翌日、朝議ちょうぎにおいて、太子狼炎が北の砦に向かうことが告げられた。


 反対意見や慎重論しんちょうろんはあったが、『壬境族への対策として、兵を鍛えるのは重要』という意見が大半を占めた。

 太子狼炎とガク=キリュウは兵を率いて、北の砦へと向かうことになった。


 そのことは夕璃ゆうりを通して星怜に、星怜から凰花おうかに伝えられた。

『太子狼炎が北に向かう。それを奏真国の使節が見送るのはどうか』という提案も。

 使節の代表である奏紫水そうしすいは、提案を受け入れた。


 こうして、天芳てんほうがいない間に、事は進み──

 星怜と凰花も、灯春とうしゅんの町に近い場所へと移動し──


 それと同時に藍河国の軍勢も、北の地へ向かうことになったのだった。



──────────────────────


 次回、第89話は、次の週末に更新する予定です。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る