第88話「狼炎と夕璃、打ち合わせをする」
──数日後、
「
ここは、屋敷の一室。
最近の狼炎は政治について、燎原君から話を聞くようにしている。
それが終わった後、夕璃と一緒にお茶を飲むのが日課になっていたのだった。
「奏真国王の長女の方がいらしているようですよ。
「ああ。先日、王宮で見かけた」
狼炎は答えた。
視線は、机に置かれた書類に向けたままだ。
見ているのは燎原君にもらった、内政についての資料だった。
最近、狼炎は燎原君から政治についての指導を受けている。
燎原君は現実に起きた事件を取り上げて、その解決方法を狼炎に
だが、必要なのは「なぜ、そうしたか」についての答えだ。
それがわからなければ、指導を受ける意味はない。
だから、狼炎は考え続ける。
考えれば考えるほど知識欲が湧いてくる。同時に、自分の知識不足を思い知らされる。それがふがいなくて、悔しくて、学ぶ手が止まらない。
今の狼炎は、そんな状況だった。
「狼さまは、どのような印象を持たれましたか?」
「……ん? ああ、奏真国の姫君の話だったな」
夕璃の言葉が続いているのに気づいて、狼炎は書類から顔を上げた。
「礼儀正しい人物ではあった。身に着けているものは派手だが、それほど高価なものではない。
「ええ。私も、そのように思いました」
「あの方について、狼さまにお伝えしたいことがあるのです」
「どのような件だろうか?」
「私のお友だちが言ったのです。奏真国には海がないので、ご案内すればよろこんでくださるはずだと。藍河国が他国を歓迎する意味をこめて、海を見せて差し上げるのはどうかと……そんなことをおっしゃっていたのです」
「ふむ。面白い話ではあるな」
狼炎はうなずいて、
「夕璃どの。そのお話はどなたから?」
「
「
「
この話をすることは、すでに決めていたのだろう。
夕璃はよどみなく、狼炎に説明していく。
「それで黄家の方には、奏真国の使節との
「海亮の弟が奏真国内で自由行動を許された。その返礼として、第一王女が見たがっている海へ……か」
「
「楽しそうに話をすると思ったら……これも課題か?
太子狼炎は夕璃に視線を向けて、苦笑いしながら、
「夕璃姉さんは叔父上のように、この狼炎に課題を出されるおつもりなのだろう? 実践問題というものかな?」
「あら? 私は狼さまを試したりいたしませんよ」
「いやいや。叔父上も夕璃どのも、油断できぬお方だからな」
太子狼炎は楽しそうな表情で、お茶を飲む。
「それに、おふたりに試されるのは悪い気分ではない。むしろ、試されなくなったら終わりだと思っているよ」
「殿下。おたわむれを」
「冗談ではないのだよ。夕璃姉さん。あなたと叔父上には、この狼炎を試し続けて欲しい」
真剣な口調だった。
茶器を手に、おだやかな口調で、狼炎は、
「以前の私は常に『不吉の太子』の異名におびえていた。自分自身でそれに気づかぬほど……私はなにも見えていなかった」
「……狼さま」
「それに気づかせてくれたのは夕璃どのと……いや、すまぬ。課題の途中だったな」
「もう、狼炎さまったら。課題ではないと申し上げておりますのに」
「夕璃姉さんを失望させたくないだけだ」
太子狼炎は肩をすくめた。
「奏真国の使節に、藍河国内の観光を許すか、だったな。黄家の者も彼女たちに海を見せたがっている。それにどう対処するかだが……」
藍河国の高官には、新興の奏真国を見下す者もいる。
かつては狼炎もそうだった。
奏真国を見下すことで、自分の強さを示そうとしていたのだ。
今、思い出すと赤面する。
奏真国の留学生──
それを止めてくれたのが黄天芳だ。
そして、太子狼炎は黄天芳と翠化央に命を救われている。北の地でのことだ。
──違う自分でありたいと思う。
だから、狼炎は考え続ける。
奏真国は友好国だ。その国の使節なら、厚く
ただ、あまり
その反感が奏真国に向かってしまっては意味がない。
ならば──
「そうだな。奏真国の王女が海を見たがっているなら、叶えて差し上げるのがよかろう。そして、それを自然に行うために……この狼炎が、北の
ふと、狼炎は思いついた言葉を口にした。
「そうすれば奏真国の使節は、自然と願いを叶えることができる。理由はおわかりかな。夕璃どの」
「まぁ、狼炎さまこそ。私を試されますのね?」
「夕璃どのの意見が聞きたいだけだ」
「そうですね……」
夕璃は少し、考えるしぐさをした。
「
「……さすがは夕璃どのだ」
「藍河国の
「正解だ。夕璃どの」
太子狼炎はうなずいた。
「それによって、藍河国は大国としての
「よいお考えです。殿下」
「では、この狼炎が北に向かう理由はおわかりかな?」
狼炎は指を2本、立ててみせた。
「理由はふたつある。夕璃どのにはわかるだろうか?」
「そうですね……殿下は北の地で、ガク=キリュウどのの部隊の訓練を行うおつもりなのではないですか?」
「…………夕璃どの」
狼炎は思わず目を見開く。
ここまであっさり、見抜かれるとは思っていなかったからだ。
「夕璃どのだけは敵に回したくないものだ」
狼炎はため息をついた。
「万が一にも夕璃どのが敵に回ってしまったら……この国は
「あら? 私が狼さまの敵に回ると思っていますの?」
「それほど夕璃どのを評価しているという話だ。この狼炎の考えをあっさりと見抜いてしまうのだからな」
「ありがとうございます。評価してくださったお礼に、お茶のおかわりを差し上げますわ」
夕璃は茶器を手に取った。
狼炎に側に立ち、空になった彼の茶器に茶を注ぐ。
狼炎の側で茶を注ぐ──それだけで満たされた表情になるのを、服の
「ガク=キリュウさまは優れた武将です。そして、あの方は壬境族を敵視していらっしゃいます。あの方の部隊を
夕璃は一呼吸おいて、
「北の砦には『
「ご明察だ。夕璃どの」
「ですが……もうひとつの理由がわかりません」
夕璃は席に戻り、首をかしげた。
「理由はふたつとおっしゃいましたね。他に狼炎殿下が、北の地に向かう理由がおありなのですか?」
「ふふ。夕璃どのにもわからぬか」
そう言って、狼炎は視線を落とした。
夕璃が淹れてくれた茶に口をつけ、うつむく。
「わからぬだろう。この狼炎の
「……狼炎殿下の、愚かさ?」
「私は、北の地で命を落とした……『
「…………あ」
夕璃は思わず声を漏らした。
太子狼炎は以前、北の地で壬境族の部隊に襲われている。
その時に彼を守って、数名の兵士──『狼騎隊』が命を落としたのだ。
敵は壬境族の王子だった。
強敵を前に狼炎は、黄海亮、黄天芳、翠化央の3人に助けられ、なんとか命を拾ったのだった。
「
「正しき指揮を取ったのならそうだろう。だが、私はあのとき、
「……狼さま」
「同じ失敗は二度とせぬ。それを誓うためにも、彼らの墓に詣でたいのだ」
太子狼炎は顔を上げ、まっすぐに夕璃を見つめたまま、告げた。
「こんなことが言えるのは夕璃姉さんだけだ。
「幻滅などいたしません」
夕璃は静かに席を立つ。
それから優雅な動作で、狼炎に対して拱手した。
「狼炎殿下のお考えこそ、
「……そうだろうか」
「無論、殿下の真の思いは、この胸にしまっておきます。
「いや、その誓いは駄目だ。夕璃姉さんが死んでしまったら困る!」
「覚悟をお伝えしたまでです」
「それでも駄目だ。あなたが死んだら、本心を告げる相手がいなくなってしまうではないか」
「まぁ、狼さまったら」
「…………まったく。夕璃どのは」
それから、ふたりは細かい打ち合わせをはじめた。
そして翌日、
反対意見や
太子狼炎とガク=キリュウは兵を率いて、北の砦へと向かうことになった。
そのことは
『太子狼炎が北に向かう。それを奏真国の使節が見送るのはどうか』という提案も。
使節の代表である
こうして、
星怜と凰花も、
それと同時に藍河国の軍勢も、北の地へ向かうことになったのだった。
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次回、第89話は、次の週末に更新する予定です。
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