第63話「天下の大悪人、異民族への使者になる(9)」
──
「『
玄秋翼の剣が、敵兵の刀を受け流した。
彼女はそのまま剣の
「ぐぉ……がっ!?」
敵兵がぐらつく。
その
敵兵の腕と
「
「駄目だ! この敵は危険すぎる!!」
飛び出した
語気の強さにおどろいたのか、藍河国の兵士が足を止める。
玄秋翼たちがいるのは、
指揮官が生活するための住居だと聞いている。
そのためか、広い。
今いる大広間だけで、兵士十数人は入れるだろう。
その大広間に、
(本当なら、足止めだけのつもりだったのだがな)
予定通りに行かなかったのは、敵兵が強すぎたからだ。
奴らは異常な速さで動き、
殴られた兵士は吹き飛ばされ、壁に叩き付けられて気絶した。玄秋翼が応急手当をしたが、今も目を覚まさない。
敵兵はそのまま、ガク=キリュウたちの戦いに乱入しようとしていた。
だから
「……玄秋翼どの。なんなのですか。あの者たちは」
「……
「……我らでさえ、足止めするのがやっとだなんて」
彼らは、
その彼らが、
目の前にいるのは、壬境族の兵士が数人。
そのすべてが、異常に発達した筋肉を持つ、大男たちだった。
奴らの身体は刃が通りにくい。身体の動きも速い。
なにより異常なのは、点穴がほとんど通じないことだ。
玄秋翼は敵に念入りに点穴をほどこした。
本来なら、半日は身体のしびれが取れないものだ。
なのに、敵はもう起き上がろうとしている。
「身体を強化する
「これは貴様の仕業か!? 『
「
部屋の奥で人影が立ち上がる。
最初に目につくのは、灰色の髪だ。
身体は──筋肉質というわけではない。むしろ細身といった方がいいだろう。
だが、その者が繰り出す技がおそるべき威力を備えていることを、玄秋翼は知っている。
「貴様はなにを企んでいるのだ。『四凶の技』の使い手よ」
玄秋翼は兵士の向こうにいる敵をにらみつける。
「幼かった
「すべては
返ってきたのは、短い言葉だった。
「
「
「この後、乱世が来る。藍河国は滅ぶ。これは天命である」
灰色の髪の男性は、続ける。
「ならば、滅ぼすものは滅ぼす。殺すべきものは殺す。そのための力を集め、効率を高める。そうすれば乱世の時間は短くなる。犠牲者を減らすこともできよう。なのに、どうして邪魔をするのだ」
「……貴様はなにを言っている!?」
玄秋翼は、うめくように問いかける。
敵を理解したかったわけではない。
だが、ここまで話が通じないのは、予想外だった。
敵は数年前『天命だ』と言って玄秋翼を狙い、冬里を傷つけた。
そして今、壬境族とともに『
それだけのことをするのだ。敵にもなにか理由があるはず。
殺し合うならば、それを聞いてからにしたかった。
せめて、敵がどんな人間なのかを知りたかったのだ。
けれど、それは叶わなかった。
灰色の髪の男性は、玄秋翼の理解できない言葉を繰り返すだけだ。
「貴様が口にしているのは、すべて、
玄秋翼は剣を手に、叫ぶ。
「国が滅ぶ!? 乱世が来る!? 本気でそんなことを信じているのなら……まずはそれを防ぐことを考えるべきではないのか!? 壬境族とともに『戊紅族』を襲い、それで
「もはやお前を、仲間にするつもりはない」
灰色の髪の男性は、冷えた口調で答えた。
「壬境族との共同作戦も失敗したようだ。いずれ新たな手立てを整え、改めて『
灰色の髪の男性は、壬境族の兵たちの身体に触れた。
まるで牙を立てるように、彼らの背中を、
「『四凶の技』──『
「「……が、あがっ! がは……」」
「秘伝の
「「「がああああああああっ!!」」」
壬境族の兵士たちが、
そうして彼らは、ゆっくりと、玄秋翼たちの方へ歩き出す。
「妙な薬……いや、身体を侵す毒を盛られているのか?」
兵士たちを観察しながら、玄秋翼はつぶやく。
「目が血走っている。肌は
おそらく『四凶の技・
相手の『気』を
壬境族の兵士たちが異常な状態になっているのは、そのためだ。
(あのときもこいつは……
冬里は『窮奇』の技を受けたとき、体内の『気』を喰われたのだろう。
急激に『気』を失ったことで、気の通り道に──
だから今も、冬里は苦しんでいるのだ。
「壬境族の兵士は、我らが止めます」
不意に藍河国の兵士たちが、宣言した
「その隙に玄秋翼どのは、灰色の髪の男を。悔しいが……我々では、あやつを止められないでしょう」
「いいのか? それではあなた方が危険では……」
「危険な技を使う男を逃がすわけにもいきません。どうか…どうか!」
「承知した。だが、あなた方も死んではいけない」
玄秋翼は藍河国の兵士たちに、告げた。
「あなた方が怪我をしたら、私は責任をもって
「「「承知しました!!」」」
藍河国の兵士たちが剣を手に走り出す。
彼らの前には、赤銅色の顔をした敵兵たちがいる。体温が異常に上がっているのが見て取れる。彼らの身体には傷がある。今も血が流れ出している。
なのに痛みを感じている様子はない。
『四凶の技・
「そのような技の使い手を、放置するわけにはいかぬ!!」
玄秋翼は地面を蹴った。
身を低くして、地面で一回転。敵兵の足元をすり抜けながら、剣を振る。
狙ったのは敵兵の
「……不意を突けるのは一度だけか」
敵兵はすぐに反応する。他の兵士たちが玄秋翼に意識を向ける。
だが、敵の陣形に切れ目ができた。
玄秋翼は、灰色の髪の男性に向かって走り出す。
「貴様を逃がすわけにはいかぬ!! 『四凶』の使い手よ!!」
「馬鹿め。天命を受けた我に敵うものか!」
玄秋翼が突き出した剣を、敵の剣がはじき返す。敵はその勢いのまま、玄秋翼に向かって剣を振り下ろす。玄秋翼は『
目的は時間稼ぎと、敵を逃がさないこと。
冬里を傷つけられた怒りはある。それは決して消えない。
だが、玄秋翼は、怒りに飲み込まれてはいない。彼女は自分が怒りを抱えながら、冷静でいることに気づく。
それを奇妙に思いながら、彼女は目の前の敵に向かって、剣を振り続ける。
(……そうか。今の私は、自分だけのために戦っているのではないのだな)
冷静でいられるのは、そのためだ。
玄秋翼は
燎原君に会うことができたのは、
彼がいなければ玄秋翼は、今も
玄秋翼は多くの者の助けを受けて、『四凶』の使い手を見つけ出した。
だから──彼女はもう、
それは、玄秋翼もわかっている。
自分は、
「なにを笑う? 玄秋翼よ!」
「笑っている? 私が?」
敵の剣を受ける。
弾かれる。敵の
振り下ろされる敵の剣を、転がって避ける。
敵の進路に回り込み、再び剣を振る。
決め手はない。ただ、まとわりつく。時間を稼ぐ。
「ああ、そうか。私は自分が変わったことが、おかしいのだな」
がりん、と、剣がぶつかり合う。
敵の力を逸らしきれなかった──反射的に首を倒す。直後、すぐ側を敵の剣が通過する。髪を数本切られる。玄秋翼は敵の腕に点穴技の『
効果なし。
逆に、指先にしびれるような感覚が走る。
それでも玄秋翼は、剣を振り続ける。
「
「
「ああ……そうか。貴様は変わっていないのだな」
玄秋翼はまた、笑う。
「4年前も、貴様は『天命』とばかり言っていた。貴様はその時とまったく変わっていない。この4年間は、貴様にはなにももたらさなかったのだろう。不幸なことだ」
「お前のたわごとに付き合うほど暇ではない!」
敵の構えが、変わった。
剣を手にしていない手を後ろに回し、数秒、呼吸を止める。
玄秋翼はとっさに距離を取る。
数歩下がり、相手の剣の間合いを外す。
だが──
「『四凶の技・窮奇』──
──灰色の髪の男の掌から、強大な『気』が、噴き出した。
「が、がぁっ!?」
それが物理的な
玄秋翼はとっさに受け技の『
剣で打撃を
衝撃に耐えきれなかった剣が、折れた。
玄秋翼は
(……
(奴は『
玄秋翼は必死に、
その彼女の前に、灰色の髪の男がやってくる。
「お前は危険だ。ここで死ね。
敵の問いに、玄秋翼は答えない。
彼女は敵にさとられないように、横目で仲間の兵士たちを見た。
彼らは
彼らと灰色の髪の男を戦わせるのは危険だ。
だが、藍河国の兵士は逃げないだろう。彼らが玄秋翼を置いていくことはない。燎原君が選んだのは、そういう者たちだ。
(……良い仲間と弟子を得た、か)
まだ、反撃の機会はある。
奴がこちらにとどめを刺す瞬間、決死の一撃を放つ。
奴が逃げられないように、足止めをする。自分の役目を果たす。
そう心に決めて、玄秋翼は呼吸を整える。
「名も無き敵よ。貴様の技の正体がわかったぞ」
「
「ここで私が死んでも、
「話をするだけ無駄だ。死ね」
灰色の髪の男が剣を振り上げる。
玄秋翼は足に『気』を集中させる。
床を滑って敵の足元に潜り込み、すべての『気』を使って点穴を施す。わずかな時間でもいい。敵の行動力を奪う。
玄秋翼が覚悟を決めたとき──
「秋先生!!」
「先生! ご無事ですか!!」
広間の入り口から、天芳と小凰の声がした。
反射的に玄秋翼は内力を振り絞り、叫ぶ。
「天芳! 小凰!
「「は、はい!!」」
「無駄口を叩くな! 玄秋翼!!」
『四凶の技』の使い手が剣を振り下ろす。
玄秋翼は両脚に『気』を集中させ──床を蹴った。
敵のいる方向ではなく、回避する方向に。
「『窮奇』の技は『毒の
玄秋翼はふたたび、声をあげた。
ここで死ぬわけにはいかない。
奴の技について知っていることを、天芳と小凰に伝えなければ。
それは『四凶の技』の使い手への対抗策になるはずだ。
「往生際が悪いな、玄秋翼! 無様にも生にしがみつくか!!」
「ああ、しがみついてみせるとも。娘と弟子を生かすためなら、どんな手でも使ってやる!!」
玄秋翼は武術家ではない。遍歴医だ。
守るべき名誉も、名声もない。
守るべきは最愛の娘と、最愛の弟子たちと、仲間たち。それだけだ。
(そのためなら無様な姿など、いくらでもさらしてみせるとも!!)
玄秋翼は床を転がり、敵の
それを繰り返して、数十秒後。
「──『
「────っ!?」
駆け寄ってきた黄天芳の剣が、敵の剣をはじき返した。
「……間に合って、よかったです」
彼は肩で息をしながら、そう言った。
後ろを見ると……小凰と藍河国の兵士たちは、まだ敵兵と戦っている。
小凰たちは玄秋翼を助けるために、敵を引き受けてくれたのだ。
そして……おそらくは天芳か小凰の点穴を喰らったのだろう。
壬境族の兵士が、床に倒れて、びくびくと震えている。
「まったく。どうして来たのだ……
「そりゃ来ますよ。ぼくは秋先生の弟子なんですから」
「『四凶の技』は危険だ。君でも、無事では済まない可能性がある。本当は来て欲しくなったのだが……」
「危険なことくらいわかってます!」
天芳は叫んだ。
「でも、ぼくは秋先生が死ぬことの方が怖いです。この敵が野放しになるのも嫌です。いつ『四凶の技』の使い手が襲ってくるか、びくびくしながら生きるのなんてごめんです。だから……」
「……天芳」
「人質は解放しました。敵将のレン=パドゥはガク=キリュウさんが倒しました。もうすぐ、ここは兵士たちが取り囲みます。それまでの足止めくらいはさせてください」
「…………わかった」
玄秋翼はうなずいた。
敵は、突然の乱入者に動揺している。
天芳の剣が、予想以上に鋭かったのもあるのだろう。敵はそれを警戒して、動けずにいる。
機会は、今しかない。
「敵の能力について教える。君なら、奴に対抗できるかもしれない」
玄秋翼は身体を起こし、天芳の耳元にささやいた。
黄天芳の身体は、震えていた。
強敵と対峙しているのだ。怖くて当然だろう。
だから玄秋翼は優しい口調で、続ける。
「ただし、無理は禁物だ。どうしても敵わないと思ったら逃げること。私のことは放っておくんだ。それだけは、約束すること。師匠命令だよ」
そうして玄秋翼は、敵についてわかったことをすべて、天芳に伝えたのだった。
──────────────────────
次回、第64話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。
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