第59話「天下の大悪人、異民族への使者になる(5)」

 ──壬境族じんきょうぞくに奪われたとりでで──




「お前らの族長と話をつけるまで、ここでおとなしくしていろ。戊紅族ぼこうぞくども」


 そう言われて、砦の部屋に幽閉された『戊紅族』の者は、30名弱。

 すべてが女性と子どもだった。


 彼女たちは皆、族長や防衛隊長、兵士たちの身内だった。

 壬境族は『戊紅族』の戦意を奪うため、彼女たちを人質にしたのだった。


「一族が守ってきた砦が、こんなことに利用されるなんて……」


『戊紅族』の少女、ノナ=キリュウは悲しげな口調で、つぶやいた。


 ここは、山のふもとにある砦だ。

『戊紅族』の祖先が建てたもので、集落を外敵から守る役目がある。


 その砦が壬境族に乗っ取られるなんて、誰も想像もしていなかった。


(父さまは、無事に藍河国あいかこくへとたどり着けたでしょうか)


 ノナ=キリュウは声に出さずにつぶやいた。

 彼女の父、ガク=キリュウは部下とともに藍河国に向かった。

 壬境族の侵攻について伝えて、兵を借りるためだ。


 これまで『戊紅族』と壬境族は、ほとんど関わらずに過ごしてきた。

 彼らが兵を率いて侵攻してきたのははじめてだ。

 おそらくは、本気で『戊紅族』を併呑へいどんするつもりなのだろう。


 そして彼らは、『戊紅族』が守ってきた秘伝書を手に入れようとしているのだ。


 ノナ=キリュウは窓に近づき、外を見た。

 砦の門と、門の前の広場が見えた。

 門の前には見張り台があり、弓を手にした壬境族の兵が立っている。


 今は夕暮れ時。門も砦も、あかね色に染まっている。

 なにも起こらないまま一日が過ぎた。

 吉報も凶報も、どちらも届かないままに。


 砦の景色は昨日までと変わらない。

 かつて『戊紅族』が守っていた砦は、壬境族であふれている。

 彼らは保管してあった食料を食らい、酒を飲み、気勢きせいを上げている。

 その姿を見たくなくて、ノナ=キリュウは窓から離れた。


 ここからは、仲間の姿は見えない。

 助けを呼びに行った者たちがどうなったのかも、わからない。


 先の見えない状況のなかで、人々はおびえている。

 なにもできない自分が悔しくて、ノナ=キリュウは唇をかみしめる。


(私は……防衛隊長である父さまの娘なのに。父さまが一族を守っているように、私は、人の心を守らなければいけないのに……)


「……ノナ=キリュウさま。私たちはこれからどうなるのでしょう」


 赤ん坊を抱いた女性が、不安そうにたずねる。

 少女は、なんとか笑みを浮かべて、


「大丈夫です。必ず、助けは来ますよ」


 ──そんな言葉を口にした。


 部屋の外には見張りがいる。

 格子のついた扉の向こうで、こちらをうかがっている。

 父が藍河国に助けを呼びに行ったことは、口にできない。


「私の父、ガク=キリュウは、私たちを助け出すために動いているはずです。だから、希望を捨ててはいけません」


 ノナ=キリュウは女性の手を握りしめ、続ける。


「私たちの祖先を導いてくれた仙人──吹鳴真君すいめいしんくんが言っていました。『先の見えない渾沌こんとんの中でも、戊紅ぼこうの民は進むことができる』と。私たちも信じて待ちましょう。皆さん」

「……は、はい。ノナさま」


 女性は震える声で、ノナ=キリュウに答える。



「──自分も、仲間を信じております!」

「──ガク=キリュウさまが壬境族に負けるはずありません!」

「──助けは来ますよね、ノナさま!!」



 部屋にいる女性たちと子どもたちが、一斉に声をあげる。

 希望は捨てない。

 自分たちは、いにしえの仙人から教えを受けた一族なのだから──と。


 そんな言葉を、皆が口々に発したとき──



「残念だったな。逃げた『戊紅族ぼこうぞく』の連中は捕まったようだぜ!!」



 ──あざけるような口調で、見張りの兵士が言った。


 一瞬、部屋の空気が凍り付く。

 人質たちが目を見開き、硬直こうちょくする。


「嘘をつかないでください。お父さまは強い方です。あなたたちに捕まるわけがありません!」


 少女ノナは立ち上がり、見張りの兵士をにらみ付けた。


「窓から外を見てみるといい。捕まった連中の姿が見える」


 見張りの兵士がせせら笑う。

 ノナは急いで、窓へと駆け寄った。


 夕闇が迫る中、砦の門が開いていく。

 広場に集まった壬境族じんきょうぞくの兵士たちが、歓喜の声をあげる。


 開いた門を通ってやってくるのは、壬境族の鎧兜よろいかぶとを身に着けた者たちだ。

 ガク=キリュウたちを追っていた兵士たちだ。


 壬境族の鎧兜・・・・・・をまとった・・・・者たち・・・の後ろには、なわなわがれたガク=キリュウと、その配下の兵士たちがいた。

 その姿を見た瞬間、ノナ=キリュウは床にくずれ落ちた。


「……ああ。父さま」

 

 父は、逃げびることができなかった。

 彼は藍河国あいかこくに助けを求める前に、壬境族の追っ手に捕まってしまったのだ。


 助けは来ない。

戊紅族ぼこうぞく』が壬境族に侵略されていることを、他国は知らない。

 このまま『戊紅族』は壬境族の併呑へいどんされてしまうのだろう。


 ノナ=キリュウ──巫女みこたちが伝えてきた仙人の教えも、ここで途切れる。

渾沌こんとん』の秘伝書も奪われる。

 すべては、終わったのだ。


「……そんな……父さま。吹鳴真君すいめいしんくんさま……」


 ノナは『戊紅族』に伝わる仙人の名前を口にする。

 そんな彼女たちをあざ笑うように、見張りの兵士たちは、



「終わりだ。あきらめな!」

「ガク=キリュウどもは、『四凶しきょうの技』の実験台になるだろうよ!」

「見せしめと、あの方の力を知るためにな」



 兵士たちが人質を見ながら、笑う。

 そして──



「「「うおおおおおおおおおっ!!」」」


 不意に、中庭で叫び声があがった。



「『戊紅族』の防衛隊長ガク=キリュウ! 家族を返してもらいに来た!!」



 壬境族の兵士の悲鳴とともに、ガク=キリュウの叫び声が響く。


 思わずノナは窓に顔を寄せる。

 砦の中庭に父がいる。けれど、さっきまでとは違う。


 いつの間にかガク=キリュウは、槍を手にしていた。

 黒塗りの大槍──ノナ=キリュウの父が得意とする武器だ。

 それを手に、ガク=キリュウは次々と、壬境族の兵士たちを打ち倒していく。


 彼のまわりにいるのは、父の部下たちだ。

 彼らも武器を手にしている。足下に落ちているのは、彼らを縛っていたはずの縄だ。縄には結び目ひとつない。

 まるで、最初からほどけるように細工がしてあったかのように。


 さらに、ガク=キリュウたちと一緒に戦っているのは──


「ど、どうして。父さまたちを連行してきた兵士たちが、父さまと一緒に戦っているの……?」


 その答えは、すぐにわかった。

 開いたままの門を通り、藍河国の鎧兜をまとった兵士たちが突入してきたからだ。



「藍河国の兵士が!? ど、どうして!?」

「違う! 最初に入ってきたのも藍河国の兵だ! 藍河国の兵が、我々の仲間に化けていたのだ!!」

「ガク=キリュウが、藍河国の兵を連れてきたぞ──っ!!」



 壬境族の兵たちは、完全に混乱していた。


 ──ガク=キリュウたちを連行してきたのが、壬境族に化けた藍河国の兵士だったこと。

 ──ガク=キリュウたちが解放され、攻撃してきたこと。

 ──開け放たれた門から、次々に敵が入り込んで来ること。


 それらすべてが、予想外の事態だったのだろう。


 壬境族の武器は、騎兵きへいによる突破力だ。

 砦の内部ではその力は発揮できない。それ以前に、彼らは味方を迎え入れたつもりだった。戦いになると思っていなかった。騎乗きじょうしている者はひとりもいない。武器を手にしている者も数少ない。


 しかも、この砦はもともと『戊紅族』のものだ。ガク=キリュウたちは内部の構造を把握している。戦うのに有利な場所も、見張りの目が届かない場所も知っている。


 その上、藍河国の兵を加えたことで、戦力はほぼ同数。

 騎兵なしの接近戦になれば、ガク=キリュウたちの方が有利に戦えるはずだ。


「……藍河国の人たちが、助けに来てくれた。父さまと一緒に。壬境族の兵士に化けて門を開けさせるなんて……なんてすごい……」


 ガク=キリュウは『戊紅族』最強の武将だ。

 壬境族は彼が援軍を引き連れてくることを恐れていた。それだけに、ガク=キリュウを捕らえたという報告を聞いて、歓喜かんきした。


 しかも、今は夕暮れ時。人の姿が一番、見分けづらい時間だ。

 だから見張りの兵士は、壬境族の鎧兜を身に着けているというだけで、味方だと判断した。疑いもなく、砦へと招き入れてしまったのだ。



「なにをしている。お前たちも戦闘に参加しろ!!」



 扉の外で、隊長らしき者の叫び声が響いた。


「し、しかし。捕虜ほりょの見張りを……」

「今はいい。とにかく、敵をとりでの外へ……お、おい。なんだ。貴様ら、どこから入ってきた!?」


 隊長らしき者の悲鳴がひびく。

 そして──



「──『麒麟角影突きりんかくえいとつ』!!」

「──『白虎大激進びゃっこだいげきしん』!!」



 扉の向こうで、見張りの兵士たちが吹き飛んだ。

 その後、がちゃがちゃという金属音がした。



 十数秒後──ノナたちを閉じ込めていた扉が開いた。



 扉の向こうにいたのは、剣を手にした二人の少年だ。

 見覚えはない。おそらくは、藍河国の者だろう。


 少年たちは、人質たちに向かって拱手きょうしゅして、



「助けに来ました。ぼくは黄天芳こうてんほう。『戊紅族ぼこうぞく』の皆さんの友人である玄秋翼げんしゅうよく先生の弟子です」

「同じく翠化央すいかおうです。すぐにここを出ましょう!」



 薄暗かった部屋に、光が差した。

 ノナ=キリュウや人質たちが、歓声を上げる。

 塔の外へとひびくように。助けに来てくれた兵士たちにも、聞こえるように。


 そして、人質たちは彼らに導かれて、牢獄ろうごくを脱出したのだった。


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