第46話「天下の大悪人、新たな導引法を学ぶ」
──
彼女は
『天地一身導引』は、天地とひとつになるもの。
『天と地と人』に深く関わる生き物になりきることで、『気』を効率よく取り込み、自分の身体に染みこませることができる。
それによって自分の身体の状態がはっきりとわかるようになり、体内の『気』──
『
そんな冬里さんの説明を聞きながら、俺と星怜は
導引を行う冬里さんの姿が、あまりにもきれいで、神秘的だったからだ。
「──以上。天より下り、人に近い生物の姿となり、地に
導引を終えた冬里さんは、静かに告げた。
「
「…………」
「…………」
「
「い、いえ」
「な、なんでもないのです」
すぐに返事ができなかったのは、冬里さんに見とれていたからだ。
『天地一身導引』をしているときの冬里さんは、まるで
もちろん、彼女が人間なのはわかる。
身体には
でも、導引をしている最中の冬里さんは、すごく神秘的で、この世のものとも思えなかった。
自分が人間だということを、完全に忘れているように見えたんだ。
達人の技って本当にすごい。
だけど、
秋先生が
ただ……気になるのは、冬里さんの身体のことだ。
彼女を
雷光師匠は『身体の「気」がすべて「天元の気」でできているのは俺だけ』と書状に残していた。
だったら、『内力を持つ黄天芳』がいない『剣主大乱史伝』の中で、冬里さんはどうしていたんだろう……?
「……天芳さま。どうなさいましたか?」
「……兄さん?」
気づくと、冬里さんと星怜が俺をじーっと見ていた。
俺はあわてて
導引の修行中だ。集中しよう。
冬里さんの未来のことは……今は、考えても仕方がない。
ただ、俺は秋先生と冬里さんに借りがある。
ふたりは俺の希望を入れて、内力の指導者を引き受けてくれた。その恩義には、必ず報いる。
俺は『剣主大乱史伝』の
大悪人にならないように、借りは返すし、恩義には報いる。
それに、冬里さんには、10年後も健康で生きていて欲しいからな。
「失礼しました。冬里さん」
俺は冬里さんに一礼して、
「お手本を見せてくださって、ありがとうございました。引き続き、指導をお願いします」
「
「はい。冬里さん」
「は、はい」
「冬里が後ろを向いている間に、導引にふさわしい姿になってくださいませ。はい、どうぞ」
冬里さんはそう言って、手を叩いた。
ちょっと厳しい、指導者の口調だった。
俺と星怜は、それに従うことにしたのだった。
「──まずは『鳥のかたち』です。鳥が天から地上に向けて、
冬里さんが、ふわり、と、腕を動かす。
指先まで『気』が行き渡った腕を上下に揺らして、身をかがめる。
『天地一身導引』、鳥のかたち。
それをかたどった冬里は、本当に地上に魂を運ぶ鳥のようだった。
「……すごいです」
「星怜さま。集中してくださいませ!」
「は、はい!」
「息を吐きながら、左腕を少し下げるとちょうどよいでしょう。はい。そうです」
しかも、教え方もうまい。
お手本を見せながら、俺たちの動きをしっかりチェックしている。
間違っているところは、手取り足取り、修正してくれる。
俺たちは冬里の指示を受けながら、鳥のかたちを繰り返す。
最後は手を繋ぐ『
「鳥が天から運んできた魂は、地上の生き物が受け取ります」
そう言って冬里さんは身をかがめる。
細い指で、俺と星怜の頭を掻いて、
「次は、鳥から魂を受け取った、地上の生き物になりきります。さきほどお見せした『猿のかたち』です。さんはい、『うきー』!」
「……うきー」
「…………うっきー」
「おふたりとも、動きが
「「うっきー!!」」
「もっと本能のままに。猿になりきってくださいませ!!」
「「うきーっ!!」」
俺と星怜、冬里はしゃがんで、おたがいの背中を突っつきはじめる。
「うっきー!」「うき−!」「うきうっきー!」
ここは猿山。俺たちは猿。
だから星怜は俺の背中にしがみついていて、首筋に顔をくっつけてる。
俺は星怜をくっつけたままぐるぐる歩いて、冬里さんの背中に手を当てる。
その繰り返しだ。
『天地一身導引』は『天・地・人』をかたどったものだ。
──天を
──地の深くに根を張るもの──樹木。
──人の姿に似た獣──猿。
これら三種の生き物をかたどっている。
人の代わりに猿を採用しているのは、天地と一体になるためには『人であることを忘れる必要があるから』らしい。それで人に近い姿の獣が使われているんだとか。
「はい。最後は樹木のかたちをいたしましょう。死して地に
「こうかな」
「兄さんと背中を合わせます。こうですね!」
「そのままです。おたがいに足と腕をからめて、根と枝をかたどります。絡み合ったまま、樹木になりきってくださいませ」
俺たちは背中合わせになって、樹木の枝に似せて、腕を伸ばした。
こうしてると、身体に『気』が入って来るのがわかる。
身体をくっつけているせいか、星怜と冬里の中にある『気』が見えてくる。
ふわふわした、やわらかいもの。
──それがふたりの内力らしい。
俺の中にも、濃密な内力があるのがわかる。
圧縮されたような、
これが『
もう少しで手が届きそうな気がするんだけど……。
そんなことを考えながら、俺は修行を続けて──
「はい。ここまでにいたしましょう」
やがて、冬里さんが、導引の終わりを告げた。
俺と星怜は、床に座り込んだ。
おたがいに汗びっしょりだった。身体が、熱をおびていた。
さすがは秘伝の導引法だ。
冬里さんが『できれば下着姿で』と言った理由がわかる。
汗で張り付いた服が気持ち悪い。
これがなければもっと、いい動きができたような気がする。
というか……導引をしていると、服を着ているのがすごく不自然に思えてくる。妙な感覚だ。
星怜も同じようなことを考えているのか、服の胸元をつまんでいる。
でもまぁ、星怜や冬里さんと一緒に、下着姿で導引をするわけにはいかないか。
「少し休んだあとで、『
俺と星怜を見下ろしながら、冬里さんは言った。
「『
「はい。冬里さん」
「わかりました!」
「落ち着いたら声をおかけくださいね」
そう言って冬里はそのまま部屋の隅に向かい……寝台の
彼女は、かすかな声で、
「………………恥ずかしいのです」
「え?」
「家族以外の方の前で、このような姿をお見せするのは、はじめてなのです」
座り込んだ冬里さんは、首筋まで真っ赤になってる。
「冬里は少し、おかしいのです。導引をしているときは恥ずかしさとか、怖さとかをまったく感じないのです。でも、終わると急に感情が戻ってくるのです……」
「そうなんですか?」
「そ、それに、ずっと母さまと一緒に旅をしていたので、他の人と話したことがほとんどなくて……冬里は、変なことを言っていませんでしたか? おかしい娘だって思いませんでしたか?」
「大丈夫です。大丈夫ですから」
「冬里さまは、立派に指導してくださったのです!」
俺と星怜はあわてて答えた。
たぶん、冬里さんは、
導引の天才で、指導もうまい。導引を始めると、他のことをすべて忘れてしまう。
だけど、オンとオフの差が激しい。
指導を終えると、恥ずかしがり屋で人見知りに戻ってしまう、ということか。
「すごいですね。冬里さんは」
俺は思わず、そんな言葉を口にしていた。
「恥ずかしがり屋なのに、俺や星怜をちゃんと指導してくれるんですから。導引を始めると他のことが見えなくなるのは、それだけ集中してるってことですよね。適性があるってことですよね」
そこまで集中できるのは、すごいと思う。
俺は、冬里さんのようには、修行に
修行中も、『
そんな俺は、雷光師匠や秋先生、冬里さんのような達人にはなれないと思う。
だから、冬里さんのように、ひとつの道を
それが内力の傷を癒やすためであっても、素直に、すごいって思えるんだ。
しかも冬里さんは秋先生から、医術についても学んでいるそうだ。
医術の知識があって、導引の指導もできるんだから、本当にたいしたものだ。
冬里さんの力を借りられたら、『黄天芳破滅エンド』も、回避しやすくなると思うんだけど……彼女には身体の問題があるからな。無理はさせられない。
それに……強引に手伝わせた結果、冬里さんが体調を
なにより、他人を利用するのは『剣主大乱史伝』の黄天芳のやり方だ。
同じやり方はしたくない。
俺はこうして、冬里さんに導引を習えただけで十分だ。
「冬里さんはきっと、すごい才能があるんだと思います」
俺は言った。
「冬里さんがこのまま技を究めれば、歴史を変えるような達人になるかもしれません。ぼくは、そうなることを願っています」
「……天芳さま」
「はい」
「あなたさまは、
「あ、あのあの! そろそろ『獣身導引』を始めませんか!」
不意に星怜が、俺の手を引っ張った。
「わたしはもう落ち着きましたから。兄さんも、汗がひいたようなのです」
星怜は俺の腕をなでて、汗がひいてるのを確認して、
「ですから、修行を続けましょう。時間がもったいないのです」
「う、うん。そうだね」
「わかりました。では『猫のかたち』から──」
部屋の隅でうずくまっていた冬里が立ち上がる。
汗で湿ったその背中に、傷があった。
なにかに打たれたような赤い傷だ。
導引の最中も、ずっと見えていた。気にしないようにしていたんだけど──
「これは、昔の傷です。気にしないでくださいませ」
俺の視線に気づいたのか、冬里は慌てたように言った。
それから、ゆっくりと深呼吸をして、
「はい。では天芳さま、星怜さま。導引を続けましょう」
冬里は俺と星怜の手を取って、
「この姿のまま『獣身導引』をすると、効果は高まるはずです。おふたりの『天元の気』も増えます。そのよりよい使い方も、あとでお教えしますね」
そうして俺たちはふたたび、動物になりきったのだった。
──十数分後──
「お疲れさまでした。
導引を終えて部屋を出ると、廊下の向こうに、侍女の
俺たちが出てくるのを、ずっと待っていてくれたらしい。
「お湯もわかしてございます。星怜さまも玄冬里さまには、汗を流していただけるようにと、奥方さまがおっしゃっていました。ただ、芳さまは──」
「どうかしましたか、白葉」
「黄家に
「王宮から書状が?」
「詳しくは、奥方さまが話をされるとのことです。どうぞ、お部屋に」
「わかりました」
俺は母上の部屋に向かった。
母上は部屋の
「がんばっていますね。天芳、えらいですよ」
俺が部屋に入るなり、母上はそんなことを言った。
「たゆまぬ努力を続けるその姿勢を、母は
「ありがとうございます。母上」
「あなたに来てもらったのは他でもありません。白葉から聞いていると思いますが、王宮から書状が届いたのです」
母上は机の上に置かれていた書状を
「『王宮にて会合が行われるので、黄家の者も出席するように』とのことです」
「会合が、ですか?」
「毎年行われているものですね。
そういう会があるのは知っている。
ただ、黄家の者が出席したことはない。
父上も兄上も、この時期は北の
王家もそれがわかっているから、
でも、今年は招待状が来ているということは──
「王太子殿下は、あなたに黄家の代表として、出席して欲しいようです」
母上は言った。
「もちろん、断ることもできます。あなたはまだ若いですから、高貴な方々の間で肩身の狭い思いをすることもあるでしょう。強制はしません。母は、あなたの意思を
おだやかな笑みを浮かべたまま、
──────────────────────
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