第46話「天下の大悪人、新たな導引法を学ぶ」

 ──天芳視点てんほうしてん──




 冬里とうりさんの『天地一身導引てんちいっしんどういん』を見て、改めて実感した。

 彼女は導引どういん達人たつじん──いや、天才だ。


『天地一身導引』は、天地とひとつになるもの。

『天と地と人』に深く関わる生き物になりきることで、『気』を効率よく取り込み、自分の身体に染みこませることができる。

 それによって自分の身体の状態がはっきりとわかるようになり、体内の『気』──内力ないりょく把握はあくしやすくなる。

天元てんげんの気』もコントロールできるようになるそうだ。


 そんな冬里さんの説明を聞きながら、俺と星怜は呆然ぼうぜんとしていた。

 導引を行う冬里さんの姿が、あまりにもきれいで、神秘的だったからだ。


「──以上。天より下り、人に近い生物の姿となり、地にかえる。これが『天地一身導引』です」


 導引を終えた冬里さんは、静かに告げた。


天翔あまかける生物になりきることで、より高いところから、大地と一体化した生物になりきることで、より深いところから『気』を取り込むことができます。では、やってみてくださいませ」

「…………」

「…………」

天芳てんほうさま、星怜せいれいさま? どうなさいましたか?」

「い、いえ」

「な、なんでもないのです」


 すぐに返事ができなかったのは、冬里さんに見とれていたからだ。

『天地一身導引』をしているときの冬里さんは、まるで天女てんにょのようだった。

 もちろん、彼女が人間なのはわかる。

 身体には薄衣うすぎぬを一枚羽織はおっただけ。肌は上気して、額には汗をかいている。長い髪が、汗ばんだ首筋に張り付いている。その姿は間違いなく人間なんだけど……。


 でも、導引をしている最中の冬里さんは、すごく神秘的で、この世のものとも思えなかった。

 自分が人間だということを、完全に忘れているように見えたんだ。


 雷光師匠らいこうししょうの技を見たときと同じだ。

 達人の技って本当にすごい。凡人ぼんじんの俺は感動するばかりだ。


 だけど、玄冬里げんとうりさんは、『剣主大乱史伝』に登場しない。

 秋先生がノンプレイヤーキャラクターだから、その娘の冬里さんが出てこないのは当然なのかもしれない。

 ただ……気になるのは、冬里さんの身体のことだ。


 彼女をやすには大量の『天元の気』が必要だと、秋先生は言ていった。

 雷光師匠は『身体の「気」がすべて「天元の気」でできているのは俺だけ』と書状に残していた。


 だったら、『内力を持つ黄天芳』がいない『剣主大乱史伝』の中で、冬里さんはどうしていたんだろう……?


「……天芳さま。どうなさいましたか?」

「……兄さん?」


 気づくと、冬里さんと星怜が俺をじーっと見ていた。

 俺はあわててかぶりを振る。


 導引の修行中だ。集中しよう。

 冬里さんの未来のことは……今は、考えても仕方がない。


 ただ、俺は秋先生と冬里さんに借りがある。

 ふたりは俺の希望を入れて、内力の指導者を引き受けてくれた。その恩義には、必ず報いる。


 俺は『剣主大乱史伝』の黄天芳こうてんほうとは違うんだから。

 大悪人にならないように、借りは返すし、恩義には報いる。

 それに、冬里さんには、10年後も健康で生きていて欲しいからな。


「失礼しました。冬里さん」


 俺は冬里さんに一礼して、


「お手本を見せてくださって、ありがとうございました。引き続き、指導をお願いします」

承知しょうちいたしました。それでは、天芳さま、星怜さま」

「はい。冬里さん」

「は、はい」

「冬里が後ろを向いている間に、導引にふさわしい姿になってくださいませ。はい、どうぞ」


 冬里さんはそう言って、手を叩いた。

 ちょっと厳しい、指導者の口調だった。


 俺と星怜は、それに従うことにしたのだった。

 







「──まずは『鳥のかたち』です。鳥が天から地上に向けて、たましいを運ぶ姿をかたどったものになります」


 冬里さんが、ふわり、と、腕を動かす。

 指先まで『気』が行き渡った腕を上下に揺らして、身をかがめる。


『天地一身導引』、鳥のかたち。

 それをかたどった冬里は、本当に地上に魂を運ぶ鳥のようだった。


「……すごいです」

「星怜さま。集中してくださいませ!」

「は、はい!」

「息を吐きながら、左腕を少し下げるとちょうどよいでしょう。はい。そうです」


 しかも、教え方もうまい。

 お手本を見せながら、俺たちの動きをしっかりチェックしている。

 間違っているところは、手取り足取り、修正してくれる。


 俺たちは冬里の指示を受けながら、鳥のかたちを繰り返す。

 最後は手を繋ぐ『比翼帰天ひよくきてん (仲良く翼をそろえて空に帰る)』でおたがいの『気』を通して『鳥のかたち』は終了だ。


「鳥が天から運んできた魂は、地上の生き物が受け取ります」


 そう言って冬里さんは身をかがめる。

 細い指で、俺と星怜の頭を掻いて、


「次は、鳥から魂を受け取った、地上の生き物になりきります。さきほどお見せした『猿のかたち』です。さんはい、『うきー』!」

「……うきー」

「…………うっきー」

「おふたりとも、動きがかたいです。まずは『群猿毛繕ぐんえんもうぜん (猿が群れをなして、仲良く毛づくろい)』から。うきー! うっきー!」

「「うっきー!!」」

「もっと本能のままに。猿になりきってくださいませ!!」

「「うきーっ!!」」


 俺と星怜、冬里はしゃがんで、おたがいの背中を突っつきはじめる。


「うっきー!」「うき−!」「うきうっきー!」


 ここは猿山。俺たちは猿。

 だから星怜は俺の背中にしがみついていて、首筋に顔をくっつけてる。

 俺は星怜をくっつけたままぐるぐる歩いて、冬里さんの背中に手を当てる。

 その繰り返しだ。


『天地一身導引』は『天・地・人』をかたどったものだ。


 ──天を飛翔ひしょうするもの──鳥。

 ──地の深くに根を張るもの──樹木。

 ──人の姿に似た獣──猿。


 これら三種の生き物をかたどっている。


 人の代わりに猿を採用しているのは、天地と一体になるためには『人であることを忘れる必要があるから』らしい。それで人に近い姿の獣が使われているんだとか。


「はい。最後は樹木のかたちをいたしましょう。死して地にかえった猿が樹木をはぐくみ、木の実が生まれ、それを鳥がついばんで天に運びます。まずは『樹木戴天じゅもくたいてん (大樹が枝を広げ、天を支える)』からです」

「こうかな」

「兄さんと背中を合わせます。こうですね!」

「そのままです。おたがいに足と腕をからめて、根と枝をかたどります。絡み合ったまま、樹木になりきってくださいませ」


 俺たちは背中合わせになって、樹木の枝に似せて、腕を伸ばした。

 こうしてると、身体に『気』が入って来るのがわかる。


 身体をくっつけているせいか、星怜と冬里の中にある『気』が見えてくる。

 ふわふわした、やわらかいもの。

 ──それがふたりの内力らしい。


 俺の中にも、濃密な内力があるのがわかる。

 圧縮されたような、煮詰につめたような、とにかくいものだ。

 これが『天元てんげんの気』なのだろうか。

 もう少しで手が届きそうな気がするんだけど……。


 そんなことを考えながら、俺は修行を続けて──



「はい。ここまでにいたしましょう」



 やがて、冬里さんが、導引の終わりを告げた。


 俺と星怜は、床に座り込んだ。

 おたがいに汗びっしょりだった。身体が、熱をおびていた。

 さすがは秘伝の導引法だ。


 冬里さんが『できれば下着姿で』と言った理由がわかる。

 汗で張り付いた服が気持ち悪い。

 これがなければもっと、いい動きができたような気がする。

 というか……導引をしていると、服を着ているのがすごく不自然に思えてくる。妙な感覚だ。


 星怜も同じようなことを考えているのか、服の胸元をつまんでいる。

 でもまぁ、星怜や冬里さんと一緒に、下着姿で導引をするわけにはいかないか。


「少し休んだあとで、『獣身導引じゅうしんどういん』をいたします」


 俺と星怜を見下ろしながら、冬里さんは言った。


「『天地一身導引てんちいっしんどういん』を終えたら、必ず『獣身導引じゅうしんどういん』を行ってください。ふたつでひとつの導引法とお考えください」

「はい。冬里さん」

「わかりました!」

「落ち着いたら声をおかけくださいね」


 そう言って冬里はそのまま部屋の隅に向かい……寝台のかげに、座り込んでしまった。

 彼女は、かすかな声で、


「………………恥ずかしいのです」

「え?」

「家族以外の方の前で、このような姿をお見せするのは、はじめてなのです」


 座り込んだ冬里さんは、首筋まで真っ赤になってる。


「冬里は少し、おかしいのです。導引をしているときは恥ずかしさとか、怖さとかをまったく感じないのです。でも、終わると急に感情が戻ってくるのです……」

「そうなんですか?」

「そ、それに、ずっと母さまと一緒に旅をしていたので、他の人と話したことがほとんどなくて……冬里は、変なことを言っていませんでしたか? おかしい娘だって思いませんでしたか?」

「大丈夫です。大丈夫ですから」

「冬里さまは、立派に指導してくださったのです!」


 俺と星怜はあわてて答えた。


 たぶん、冬里さんは、天才肌てんさいはだなんだと思う。

 導引の天才で、指導もうまい。導引を始めると、他のことをすべて忘れてしまう。

 だけど、オンとオフの差が激しい。

 指導を終えると、恥ずかしがり屋で人見知りに戻ってしまう、ということか。


「すごいですね。冬里さんは」


 俺は思わず、そんな言葉を口にしていた。


「恥ずかしがり屋なのに、俺や星怜をちゃんと指導してくれるんですから。導引を始めると他のことが見えなくなるのは、それだけ集中してるってことですよね。適性があるってことですよね」


 そこまで集中できるのは、すごいと思う。

 俺は、冬里さんのようには、修行に没頭ぼっとうできない。

 修行中も、『黄天芳破滅こうてんほうはめつエンド』のことを忘れることができないんだ。

 そんな俺は、雷光師匠や秋先生、冬里さんのような達人にはなれないと思う。


 だから、冬里さんのように、ひとつの道をきわめようとする人は尊敬する。

 それが内力の傷を癒やすためであっても、素直に、すごいって思えるんだ。


 しかも冬里さんは秋先生から、医術についても学んでいるそうだ。

 医術の知識があって、導引の指導もできるんだから、本当にたいしたものだ。


 冬里さんの力を借りられたら、『黄天芳破滅エンド』も、回避しやすくなると思うんだけど……彼女には身体の問題があるからな。無理はさせられない。

 それに……強引に手伝わせた結果、冬里さんが体調をくずしたら……秋先生を敵に回すことになる。そうなったら最悪だ。


 なにより、他人を利用するのは『剣主大乱史伝』の黄天芳のやり方だ。

 同じやり方はしたくない。

 俺はこうして、冬里さんに導引を習えただけで十分だ。


「冬里さんはきっと、すごい才能があるんだと思います」


 俺は言った。


「冬里さんがこのまま技を究めれば、歴史を変えるような達人になるかもしれません。ぼくは、そうなることを願っています」

「……天芳さま」

「はい」

「あなたさまは、仰雲ぎょううんさまと同じことを……」

「あ、あのあの! そろそろ『獣身導引』を始めませんか!」


 不意に星怜が、俺の手を引っ張った。


「わたしはもう落ち着きましたから。兄さんも、汗がひいたようなのです」


 星怜は俺の腕をなでて、汗がひいてるのを確認して、


「ですから、修行を続けましょう。時間がもったいないのです」

「う、うん。そうだね」

「わかりました。では『猫のかたち』から──」

 

 部屋の隅でうずくまっていた冬里が立ち上がる。

 汗で湿ったその背中に、傷があった。

 なにかに打たれたような赤い傷だ。

 導引の最中も、ずっと見えていた。気にしないようにしていたんだけど──


「これは、昔の傷です。気にしないでくださいませ」


 俺の視線に気づいたのか、冬里は慌てたように言った。

 それから、ゆっくりと深呼吸をして、


「はい。では天芳さま、星怜さま。導引を続けましょう」


 冬里は俺と星怜の手を取って、


「この姿のまま『獣身導引』をすると、効果は高まるはずです。おふたりの『天元の気』も増えます。そのよりよい使い方も、あとでお教えしますね」


 そうして俺たちはふたたび、動物になりきったのだった。







 ──十数分後──





「お疲れさまでした。ほうさま。星怜せいれいさま。玄冬里げんとうりさま。お茶の準備ができております」


 導引を終えて部屋を出ると、廊下の向こうに、侍女の白葉はくようが立っていた。

 俺たちが出てくるのを、ずっと待っていてくれたらしい。


「お湯もわかしてございます。星怜さまも玄冬里さまには、汗を流していただけるようにと、奥方さまがおっしゃっていました。ただ、芳さまは──」

「どうかしましたか、白葉」

「黄家にてて、王宮から書状が届いております。ご対応をお願いしたいのです」

「王宮から書状が?」

「詳しくは、奥方さまが話をされるとのことです。どうぞ、お部屋に」

「わかりました」


 俺は母上の部屋に向かった。

 母上は部屋の椅子いすに座っていた。今日は体調がいいみたいだ。


「がんばっていますね。天芳、えらいですよ」


 俺が部屋に入るなり、母上はそんなことを言った。


「たゆまぬ努力を続けるその姿勢を、母はほこりに思います」

「ありがとうございます。母上」

「あなたに来てもらったのは他でもありません。白葉から聞いていると思いますが、王宮から書状が届いたのです」


 母上は机の上に置かれていた書状を紐解ひもといた。


「『王宮にて会合が行われるので、黄家の者も出席するように』とのことです」

「会合が、ですか?」

「毎年行われているものですね。豊作ほうさくを願う酒宴しゅえんや茶会です。今年は王太子殿下が主催しゅさいされることが書かれています」


 そういう会があるのは知っている。


 ただ、黄家の者が出席したことはない。

 父上も兄上も、この時期は北のとりでに行っているからだ。

 王家もそれがわかっているから、黄家うちには招待状を出さなかった。


 でも、今年は招待状が来ているということは──


「王太子殿下は、あなたに黄家の代表として、出席して欲しいようです」


 母上は言った。


「もちろん、断ることもできます。あなたはまだ若いですから、高貴な方々の間で肩身の狭い思いをすることもあるでしょう。強制はしません。母は、あなたの意思を尊重そんちょうしますよ」


 おだやかな笑みを浮かべたまま、玉四ぎょくし母上はそんなことを言ったのだった。





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