第9話「天下の大悪人、王太子と出会う」

 ──天芳てんほう視点──




 数日後。俺は父上の職場に来ていた。

 場所は、将軍府にある兵舎へいしゃだ。

 ここで書状や報告書の代筆をするように、父上に頼まれたからだ。


 いつもは祐筆ゆうひつが口述筆記しているのだけど、今日は休みを取っている。

 なので、急ぎの書状を代筆するために、俺が呼び出されたのだった。


「書状はすべて書き終わりました。それでは、お先に失礼しますね。父上」

「うむ。ご苦労だったな。天芳」


 父上は書状の内容を確認してから、うなずいた。


「気をつけて帰るのだぞ。祭りが近いせいか人出が多い。そういうときは、怪しい者たちが町に入ってくるものだからな」

「お祭りというと、王さまの誕生日を祝うものですね」

「そうだ。くれぐれも注意せよ」

「大丈夫です。白葉はくようが迎えに来てくれることになっていますから」


 俺はふと、思いついて、


「迎えが来るまでの間、兵舎を見学してもいいですか?」

「構わぬが、皆の邪魔にならぬようにな」

「ありがとうございます。父上」


 俺は父上の執務室を出た。

 廊下ろうかを抜けると、そこは兵士たちの訓練場だ。

 かけ声とともに、兵士たちが槍を振るっている。


 父上は将軍として、部隊を任されている。

 初夏になったら北に向かい、国境の砦の防衛任務に就くことになる。

 今はそのための訓練中だ。


「そういえば、今年から兄上も一緒に行くことになったんだっけ」


 兄上は同年代の人間の中でも、かなり強い方だと思う。

 でも、兄上は『剣主大乱ヒストリー=オブ史伝=ソードマスター』に登場しない。それが気になって仕方がないんだ。

 これから兄上に、なにが起きるんだろう……?



「いくぞ我が友、黄海亮こうかいりょうよ。この剣を受けてみよ!!」



 不意に、兄上を呼ぶ声が聞こえた。

 横を見ると、訓練場の中央で兄上と、高価そうな装束しょうぞくの青年がいた。

 青年のまわりにいるのは……確か、宮廷に仕える近衛兵このえへいだ。


 だとすると、兄上と剣の訓練をしているあの青年は……。


「この藍狼炎あいろうえんの剣には、一点のくもりもないぞ!!」


 ……やっぱり、藍河国あいかこくの太子だ。


 ゲームに登場する藍狼炎は、藍河国の王になっている。

 でも、それは10年後の話だ。


 現在の太子は、兄上と同じ18歳。

 だから兄上と気が合うのか、一緒に剣の練習をしているようだ。


「太子さま。無駄な動きが多いですよ」


 兄上は太子の剣を、次々とさばいていく。


「攻撃よりも身を守ることを心がけてください。太子さまが剣を取られるのは、あくまでも非常時です。味方の到着まで身を守るのも、指揮官の勤めと心得られよ」


 兄上は父上から武術を教わっている。

 無駄な体力を使わず、最低限の動きで敵を倒す、実戦的な剣術だ。

 大きな身体と強い内力ないりょくが必要だから、俺には身につけられなかったんだけど。


 対する太子は、飛んだり跳ねたり、宙返りしたりしてる。

 見ているぶんには面白いけど、兄上には通じていない。


「やるな我が友! ならば我が渾身こんしん一撃いちげきを──」

「いえ、ここまでです。殿下」


 兄上は太子の剣をかわして、その胸元に剣先を突きつけた。

 勝負ありだ。


「ふっ。お前にはまだ敵わぬか」


 太子は悔しそうな顔で、剣をおろした。


「『飛熊将軍ひゆうしょうぐん』の長男は駿馬しゅんめと聞くが、まさに、その通りだな」

「ありがとうございます。殿下」


 兄上は太子に拱手きょうしゅして、


「ですが、太子殿下は兵を指揮するお立場です。武術にこだわる必要はありません」

「それは違う。強くなければ兵の信頼は得られぬ!」

「太子殿下は十分にお強いです。それに、人は成長するものです。殿下はこれから大きく伸びていかれることでしょう。私など、想像もつかないほどに」

「どうだろうな。海亮かいりょうよ」


 太子は探るような目で兄上を見ながら、


「そんなことを言いながら、お前もこの狼炎ろうえんを見下しているのではないか?」

「おたわむれを」

「ならば、この狼炎が十分に強いというのは本当か?」

「もちろんです」

「ならば、そこにいる少年で試させてもらおうではないか」


 太子の視線が、俺を見た。


 ……って、え?


天芳てんほう!? どうしてここに!?」

「やはりあれは海亮の弟か。ならばちょうどよい!」


 太子はその顔に、ゆがんだ笑みを浮かべた。


「あの少年と『内力比ないりょくくらべ』をするとしよう。この狼炎が勝てば、海亮かいりょうの言葉が正しいと確認できるであろう?」


「「「太子殿下がお呼びである。ここに来るがいい!!」」」


 太子の後ろで近衛兵が声をあげた。

 それを聞いた兄上の顔が、真っ青になる。


「おやめください! 天芳は武術を学んではおりません! 内力比べなど!!」

「ただの遊びだ。本気など出さぬ」

「だ、誰か! 父上を呼んできてくれ!! 天芳はこの場から──」

「立ち去ることは許さぬ!! 黄天芳こうてんほうとやら、この狼炎のもとに来るのだ!!」


 …………仕方ないな。

 逃げたら、父上と兄上に迷惑をかけることになる。それが黄家壊滅こうけかいめつの原因になることもあり得る。

 ここは時間を稼いで、父上が来るのを待とう。


「はじめてお目にかかります。ぼくは『飛熊将軍ひゆうしょうぐん黄英深こうえいしんの次子にして、黄海亮の弟、黄天芳と申します」


 俺は太子に近づいて、一礼した。


「ご拝謁はいえつの機会をいただいたことを光栄に思います。太子殿下には、ご機嫌うるわしく」

「うむ。では、手を出せ『内力比べ』をするのだ」

「ぼくはまだ若輩者じゃくはいものです。とても殿下の相手ができるものではありません」

「構わぬ」

「どうしてもですか?」

「そうだ」

「では、少々お待ちください。手を洗って参ります」

「……手を?」

「ぼくはつい先ほどまで、書類仕事をしていました。手がすみで汚れております。このまま太子殿下のお手に触れるのは非礼と心得ます。手を清めることをお許しください」

「…………わかった。さっさとしろ」

「感謝いたします」


 俺は訓練場にある井戸から水を汲み、手を洗いはじめた。



 じゃぶじゃぶ。じゃぶ。

 じゃぶじゃぶ。じゃぶ。

 じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ……。



「いつまでやっているのだ!?」

「なかなかすみが落ちなくて」

「もういい。さっさと勝負を……」

「では、酒をいただけますでしょうか?」

「今度はなんだ!?」

「尊い方の手に触れるのです。無礼があってはいけません。清める必要があります」

「どうせ遊びだ。無礼は許してやる」

「ですが……」

「うるさい。さっさと手を出せ!」

「──太子殿下は、天下についてどのようにお考えですか?」

「────!?」


 太子の動きが止まった。


 俺が口にしたのは『剣主大乱史伝』で、主人公が藍河国王に向けて言い放ったセリフだ。

 ゲームに登場する国王──藍狼炎あいろうえんと主人公が出会ったときに、このセリフが出てくる。

 だから、反応があるかと思ったんだけど。


「……天下……天下だと? お前はなにを言っているのだ?」

「太子さまは天下万民の上に立つお方です。そのようなお方が、小功しょうこうをもとめて大事だいじをおろそかにするべきではありません。『内力比べ』など、天下に比べれば小さなことではないでしょうか」


 ……こんな感じだったっけ。

 あのイベントでのセリフは『小功しょうこうを求めて大事だいじをおろそかにしたから、天命てんめいを失ったのだ』だったような気がするけど。

 まぁいいか。太子の動きは止まってるし。


世迷よまい言を!! いいから手を出せ!!」


 太子が俺の手をつかんだ。

 無理矢理に手を重ねて、俺に内力──『気』を送り込んでくる。


 圧力が来た。

 膝が震え出す。太子は内力を使って身体を強化している。

 その重みが、腕を伝わってくる。


「どうだ。この狼炎の力がわかったか」

「わかりました。わかったので放してください……」

「いいや。まだわかっていないな!」


 太子の『気』が高まっていく。


『剣主大乱史伝』の太子狼炎は優秀なキャラだ。

 すべてのパラメータが平均以上で、多くのスキルを有している。

 優秀すぎて他人を信じない人だったけれど、強いのは間違いない。


 だから、内力もかなり強い。

 太子の力と『気』が生み出す圧力で、俺のひざが震え出す。

 まずい。このままだと……。


「天下だと? この程度の内力に耐えられないものが天下を語るなど、身の程知らずもはなはだしい。貴様には立場をわからせる必要が──」




「て、天芳てんほうさま! 黄天芳さまはいらっしゃいますか!! 星怜せいれいさまが……星怜さまが!!」

「──白葉はくよう!?」




 俺は反射的に『獣身導引じゅうしんどういん』を発動。

 腕と脚、背骨をやわらかくした『蛇のかたち』になる。


 無意識だった。

 使った技は『獣身導引じゅうしんどういん』の蛇のかたち。『蛇不即死 (蛇は即死しない)』

 それで太子の内力をやわらかく受け止めて──受け流した。


「────うぉおおおおっ!?」

「「「狼炎殿下!?」」」


 太子の足が滑る。太子の呼吸が乱れ、その手が俺の手から離れる。

 バランスをくずした太子狼炎は、そのまま、地面に転がる。


「──失礼いたします。太子殿下!」


 俺は太子に一礼してから、白葉に駆け寄る。

 太子は、さっき『無礼は許してやる』って言ってた。兄上も、他の人たちも聞いてた。

 大丈夫だと……思う。それよりも今は星怜のことだ。 


「白葉!? なにがあったんですか!?」


 白葉は兵舎へいしゃの入り口に立っていた。

 俺は急いで彼女の身体を支える。白葉は腕を押さえている。

 息が荒い。柱に寄りかかって、やっと立っている状態だ。


「……申し訳ありません、天芳さま。星怜さまが……さらわれました。星怜さまの叔父おじを名乗るかたが訪ねてきて…………」


 白葉は途切れ途切れに、話し始めた。



 少し前に、黄家に見知らぬ男性が訪ねてきた。

 その者は星怜の叔父だと名乗り、取り次ぎを頼んだ。

 白葉が用件をたずねると『星怜の母のゆくえについて』と答えて、書状を手渡した。


 星怜が出てくると……彼女はその男を『叔父さん』と呼んだ。

 男の名前は柳阮りゅうげん

 間違いなく、星怜の叔父だったそうだ。


 しばらくの間、星怜と叔父は話をしていた。

 白葉も、身内だからと思って、安心して見ていたらしい。


 だが、男は急に星怜の腕をつかみ、彼女をさらおうとした。

 星怜は抵抗していたけれど──男の力は強かった。


 白葉が止めに入ったのだが、男には仲間がいた。

 その者と戦って、白葉は傷を負った。


 それでも白葉は、俺たちに知らせようと思い、ここまで来たのだった。



「男たちは星怜さまを連れて、町の方に向かいました。追ったのですが……人混みがすごくて見失ってしまう……それで……白葉は、ここに……」

「わかりました。白葉は休んでいてください」


 俺は兄上の方を見た。


「兄上はこのことを父上に伝えてください。ぼくは星怜を探しに行きます!」

「ま、待て天芳! お前ひとりでは……」

「黄家の危機なんです!」

「いいから聞け! 星怜の母のゆくえが問題なのだろう!?」


 兄上が駆け寄ってくる。

 そのまま兄上は俺の耳元に顔を近づけて、小声で、


「これは最近入ってきた情報で、母上と星怜は知らない……いや、ふたりを傷つけるのが嫌で、父上が伏せておいたのだが──」


 兄上は小声で、星怜の母親について教えてくれた。

 頭の中が、真っ白になった。


 星怜は言っていた。

 自分には叔父がいる。でも、素行が悪くて絶縁されたって。

 その男──柳阮りゅうげんは、星怜の母親のゆくえを教えてやると言って、近づいてきた。


 奴がそれを知っているなんて、あり得ないのに。


「ありがとうございます。兄上!」


 俺は町に向かって走り出した。


 待ってろ。星怜。

 お前は俺の──黄天芳の義妹いもうとだ。

 必ず連れ戻してやる。怪しい奴らに渡したりなんかしない。絶対に。







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 次回、第10話は、明日のお昼くらいに更新する予定です。




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