第8話
あの一件以来、亮は適度のリハビリをするようになった。彼が自分を追い込む時とは違って、サポートの
それ以外の時間は談話室に行って雑談したり、一緒にゲームしたりするようになった。みおがいた頃と同じように過ごす二人の後ろ姿を眺めて、
「……そうだ。次のリハビリはいつ?」
「あー、確か2日後だけど……」
「……いつもの時間?」
「そうですけど。あの姫さん?」
「……うん?」
「もしかしてなんだけど、また応援に来たり……?」
「……そのつもりだけど。いや?」
「いやなわけではないですし、むしろありがたいんですが……。何分その、恥ずかしいので……」
姫も忙しくようになったため、時間が合えば亮のリハビリの応援しに行くようになった。あの日以来、亮は自分が努力しているところを見られるのに苦手意識を持つようになったから、この手の話題になるといつも彼女に主導権が握られる。
「……ふふ、楽しみにしてるわね」
「えー無視ですかソウデスカ」
忙しくなったというのは、彼女は祖父が大事していたものを守るために、
今まで
「例え火の中でも海の中でも崖から飛んでも、お嬢様の指示さえあれば必ずやり遂げてご覧に入れましょう」
「……うん。とりあえず崖の飛び降りは禁止ね。私が悲しむから」
「何を仰います。ワタクシの命は既にお嬢様の私有物! どうか変な遠慮はなさらず、好きにお使いください。なんなら、使い捨てでも結構でございます」
「……愛が重いって。愛が」
とは言え、
看護師長が治療の話を進めてくれてから、その筆頭研究者が臨床試験の詳細内容の説明と姫の観察も兼ねて、わざわざ来日することに。
会う前は姫はカチカチに固まっていたが、いざご対面になった瞬間、看護師長の言葉に心から納得した。
筆頭研究者は彼女が以前、中庭で話した英国紳士だ。
5年前、彼の元には一通のメールが届いた。差出人不明ではあるが、内容はある研究チームの裏話と一人の少女の奇病のことが記され、当時の資料とある少女の写真まで添付された。
話の信憑性に半信半疑だったが、独自の調査で少女が実在すると判明し、それ以来彼は
説明会が終わった時、英国紳士は彼女にこう言う。
「Some peoples' worlds will be destroyed when they lost their loved ones. I'm here to protect them......and yours too, of course.
(人は大切な人を失った時、その者の世界は崩れます。それらを守るために、私はここにいます……。勿論、貴女のも、ですよ)」
「……Thanks.(……ありがとう)」
「You're welcome. Glad to see you smile again.
(どういたしまして。貴女の笑顔が見ることができて何よりです)」
初期段階の臨床試験は日本で、それ以降は英国で行うことになる。
それを亮に説明すると、できる限り一緒にいよう、と提案されて、彼女も快諾した。
そんなある日、
この世界で唯一
「……
質問で返されたのは亮にとっても想定外だったが、姫に試されるようで実に悪くないと思う。彼の答えに興味津々な碧の双眸は、一種の余裕の表れでもあるだろう。
「私が思うに、7階は姫のために建てたんじゃないかなーと思います」
「……へえー、その心は?」
「世間から
へらへらと笑いながら言う亮を見て、姫は満足気に笑みを浮かべる。
「……半分正解、半分外れといったところかな。元々この7階は病床数が足りない時用の備えのために建てられていてね。恐らく
まあ、直接本人に聞いたわけではないから、あくまでも私の推測だけどね。期待外れな回答でごめんね」
「いえいえ、そんな。むしろ、逆に普通の理由で安心しましたので」
「よかった」と胸を撫で下ろす姫。本当に変わったなぁと亮がしみじみと眺めると、もう一つ質問を思い付いた。
「そうだ。姫が7階の患者と違う病気を持ってることについて、彼らはどう思いましたか?」
「……そうね。察した勘のいい人もいれば、逆もいたって感じかな。ただ、誰もそのことについて触れないようにしてたから、内心でどう思われたかは分からなかったけどね」
そう答える姫の眼は、過ぎ去った彼方を思い出しているようで、亮は無粋なことをせず、ただその様子をじっと眺めるのみ。
いい思い出だといいな。微笑ましく姫を眺めると、向こうはハッとなってどこか申し訳なさそうな表情を浮かべ、回答を続ける。
「……次の質問なんだけど。答えはね、海の匂い」
「海の匂い、ですか」
「……そう。こう見えて、実は嗅覚はいい方なのでね。本当はその人が死ぬ時にしか嗅げない匂いなんだけど。お陰様で死期間近の人間を嗅ぎ分けることができて、それで分かった感じかな。
それに、海の潮の香りというより、ちょっと腐った感じがするけどね」
姫の言葉を聞いて、亮は「なるほど」と納得の頷きを作り、一度みおが亡くなったあの日のことを思い返す。
あの時、姫がみおの病室の前で立ち尽くしていたのは、彼女の死を悼むというよりも、その死期を予測できなかった自分に対しての自責のようだ。
ふと、みおの笑顔が脳裏にちらついて、亮の胸の奥にずきりとした。
それを誤魔化すように、彼は感慨深げに顔を仰いだ。
「でもしかし、海の匂いですか。なんか意外というか、そうでもないというか」
「……ほら、人が死ぬ時、その魂が海に還るってよく言うんじゃない?」
「ああ、確かに」
「……でもまあ、死ぬ前に一度還る場所が見れたのは本当によかったね」
誰のことを明言せずとも、お互いは分かってしまう。
ここ最近二人は気丈に振る舞っていたが、やはり四人だった空間に一人を欠けた寂しさが二つの心に沁み広がる。
互いの心の穴を埋め合うように、二人はゲームをそっちのけで暫くみおを偲んで語り合った。
やがて姫が英国に発つ日がやってきた。
彼女を見送るために、亮も彼女たちと一緒に空港まで付いていった。ギリギリ許せるところまで一緒にいよう、という姫の提案が可決された。
もしかしたら、お互いを会うのは今日で最後かもしれない。そんな不安を抱えたまま、普段とは寸分も変わらずの他愛ない話をする。
だけど、物事には必ず終わりがあるというように、別れの時は早くもやってきた。一行は出発ロビーへ続く階段口の前に立ち止まった。誰が言ったのではなく、なんとなくそうしただけ。
そこで、姫はトランクケースを引いて一歩を踏み出して、二人の顔を見比べる。
しんみりとした雰囲気を避けたいがために、亮は笑顔を浮かべているが。普段あんまり弱さを見せない
「お嬢様、どうかお元気でお過ごしください」
「……うん」
「いやぁ、寂しくなりますねー」
「……そのことなんだけど」
そんな前置きをしつつも、姫はある話を持ち掛けた。
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