第2話

 患者たちの夕食後の時間帯。

 それは、いつも木村きむらさんが仕事から解放された時間でもあるだが。今日の彼女はずっとこっそりストックしていたプリンを片手にある患者の病室に足を運んだ。

 本来であれば、一人の患者にここまで肩入れするのは良くないとされているが。初めての受け持ちなんだからこれくらいのことは普通だよね、と自問してもやはり答えが見つからず、病室の前に辿り着いた。

 最終的に彼女は「これはあくまでもアフターケアーというやつだ。うん、そういうことにしよう」と結論付けて二度ノックする。けれど中から物音がしなかったのでドアを開けると、


「まだ落ち込んでるのね、鶴喜クン」


「そうか。僕、落ち込んでるのか」


「自覚なしなのは相当ね」


 落ち込む亮を見て、思わず苦笑い。木村きむらさんは後ろ手でドアをスライドさせて、壁に置いてあった来客用の椅子をベッドまで引っ張ってそこに腰掛ける。


「あの子はね、ガンだったんだって。全く酷な話ね」


 みおの病気を告げても無反応の亮を見て、手を合わせる。


「お、お姉さんでよかったら、話聞いたげよっか! な、なーんてね。あはは、ご、ごめんね。今のなし」


 紅潮した頬のままで手をバタバタ振り、慌てて否定しようとする木村きむらさん。慣れないものをするんじゃなかった、という後悔が一瞬心中をかすめた。

 そんな彼女に亮は顔を向けて、こう言う。


「……綾乃さんらしくないですね。そんな発言」


「鶴喜クンには言われたくないよ。今落ち込んでるの、どこかの誰かさんだっけ」


 彼女の言葉を吟味するように、亮は少し考え込む。


「なあ、どうすれば綾乃さんみたいに割り切ることができるんですか。僕は、とてもじゃないけど、真似すらできる気が……」


「アタシなんてまだ全然だよ。もしこういうことに慣れていれば、あの時涙すら流していないと思うけどな。だけど、こういう仕事をしていく内に仕方なくこういうことに直面することもあって、それが偶々鶴喜クンの知り合いってだけ。

 割り切っているように見えたのは、そうね……。『まだ仕事中だから』なんじゃないかな」


 昔事だと思わせるような木村きむらさんの落ち着いた語り口。

 実際に起きたのは今朝だと気付き、後に苦笑いに転じた。だけど、亮は何やら考え込んでいてそのことに気付かぬ様子。


「姫がそうなのかな……」


 意外な名前に突如話題に上がって、木村きむらさんが目をまん丸に見開いた。


「うん? どうしてここで姫さんが出てくるの?」


「あいや、別になんでもないですハイ」


 亮が慌てて取り繕うにもすぐに木村きむらさんがムスッとした顔で追い打ちをかけてきて、逃げ道を塞ぐ。


「あ、今更隠し事なんてするんだ、鶴喜クンは」


「いや、これは綾乃さんが知るべきではないことと言いますか」


「患者の癖に何を言う。ここはアタシの職場なんだから、一番知る権利があるのはアタシのはずでしょ」


「そりゃあ……そうですけど……」


「ほら、ちゃんとアタシに話して。洗いざらい全部。あ勿論、誤魔化すのはなしね」


 亮が観念するようにため息をつくと、他言無用の念を執拗に押してから、彼女に7階の実態とそこでの姫の役割を教えた。

 一通り聞き終えて、彼女が「そんなことが……」という感想を漏らす。少し考え込んだ末、木村きむらさんは続ける。


「だけどそうね……。話を聞くと、姫さんは、アタシとは違う方法で『死』と向き合ってたって気がするね」


「え、どんな?」


「アタシは『これは仕事だから』割り切れるんだけど。姫さんにとっては切っても切れないものになるじゃないかな。

 あの子はね、7階患者……いや、恐らく彼女に関わった全ての人間の死を背負っているじゃないかな。あの談話室で、訪れるかもしれない自分の死を待ちながら。勿論、死神云々は関係なく、ね」


「……」


 彼女の見解を聞いて、亮の中では合点がいった。初めて会った時の姫はどこか悲壮感が漂っていたのにも納得がいく。あの悲壮感はただ7階の死神から来たものだけではない。昔事の積み重ねで人生に絶望したから、ああなったわけだ。

 亮は華小路家の全貌をまだ完全に把握しているわけではないが、病院ここで起きた出来事を点と点と繋ぎ合わせれば、真実が自ずと浮かび上がってくるものだ。

 

 姉との不仲、祖父の逝去、姫の失脚を画策した分家、そして薔薇紋病。これだけの事実が揃った以上、導き出せる結論は3つ。

 一つは、雅代の言葉通り、姫がここに入院したのは経過観察中であるため。二つは、家のしがらみやら派閥抗争から逃げたくて、この病院に逃げ込んだ。

 そして三つは、

 

――雅代が過保護すぎて、姫をこの病院へと逃がした。


 雅代自身が気付いていないかもしれないけれど、彼女が薔薇紋病について説明している時、その表情はとても苦しそうだった。まるで、古傷がこじ開けられたかのように。

 患者の姫はともかく、どうして説明役の彼女までそんな表情をするのか。

 答えは一つだ。彼女は昔事に未だに罪悪感を抱いていた。そうとしか説明がつかない。


 自分の推測が核心についていることも知らずに、彼は一度目を伏せる。一通りまとまったところで、彼は真剣な顔つきで自分の考えを紡ぎ出す。


「やっぱり僕はみおちゃんの死が『仕方ない』だとは思いたくない」


「うん」


「だけど、彼女の死から逃げたくもない。それで何が変わるわけではないにしろ、ちゃんと自分なりに向き合っていきたい」


「……そうか」


 亮の気持ちを聞いて、安堵の笑みを浮かべる木村きむらさん。彼女にこれ以上心配させたくまい、と彼はわざと空元気を出して、ある質問を投げかけた。


「と、いうことで、もし綾乃さんが異性からプレゼントをもらえるとしたら、何が良いですか? 参考程度に是非聞かせてください」


「うーん、有休!」


「おい、こっちが贈れないと分かってて言いましたよね……あっ」


 木村きむらさんの意味深な笑みを見て、もう手遅れだったと知る。自分がまんまと彼女の罠に嵌っていたことに。


「やっぱり贈る気満々ね。誰かさんに」


「ほ、ほっといてくださいよ」


「でも、本当にごめんね。姫さんが好きそうなもの、何も思いつかないや。そうだ。にしきさんに聞くのは一番手っ取り早いじゃない?」


「誰も姫に贈ると言ったわけでは……。って、にしきさんって?」


 「ほら、あのメイドさん」と木村きむらさんが答えると、亮が思い出したかのように「ああ」と呟く。「雅代さんの苗字ってにしきだったんだ」という感想がぼんやりと脳裏をかすめて、眼前の彼女がピンと人差し指を立ててみせた。


「では、ここで一つ、女の子にプレゼントを贈る最適解を教えて進ぜよう!」


「急にどうしたんですか?」


 「いいから、お黙り」と彼女に凄まれ、仕方なく「ハイ」と従う亮。

 普段は木村きむらさんを振り回す方なのに、いつもの立場が逆転されると思うと、自然と苦笑いが零れた。


「無論、相手が好きそうな物を贈るのが前提条件として。一番大事なのは、相手を想う気持ちをプレゼントに込めること。あとはそうね。女の子なら無難にサプライズが好きじゃないかしら」


「サプライズ……」


「そう。相手が想像つかないものを用意すること。こればかりは鶴喜クン自身で考えないと意味ないから、お姉さんが助言するのはここまで。分かった?」


 話の終了を合図するように、彼女は静かに手を合わせる。彼が僅かに眉尻が下げた表情で礼を言うと、


「そんな顔でお礼を言われるより、笑顔がいいな。いつもの煩わしい笑顔の方が鶴喜つるきクンらしい」


「そうか……。よし」


 予想外の苦情に少し困ったように笑って、目を伏せる。

 次に顔を上げた時には、その童顔からは憂鬱の気配が消えていた。


「では、煩わしい笑顔の方がご所望でしたので、ご要望に応えようじゃないカ!」


 頬一杯まで笑顔を広がせて、まるでミュージカル役者を彷彿させる喋り方で語り続ける。


「私は鶴喜亮つるきりょう! 世界中の人々にスマァーイルをお届けすると誓った、未来のエンターテイナー! これより、私は『落ち込む』から卒業し、更なる進化を遂げましたゾ!

 さすがミス・白衣の天使ホワイト・エンジェル代表、木村綾乃きむらあやの! 人を慰めるのがお上手ぅ! ヤサスィ! もうこれ上なくしゅきッ! ありがとうござい、マァース!」


 鬱陶しいくらいの眩しい白歯の並びを見せ付けられて、木村きむらさんは思わず苦笑い。当初の頃とは随分と印象が変わったなぁとしみじみに思った時、亮は両腕を広げた。


「さあ、返事の受け入れ態勢は準備おk! いつでもどこからでもウェルカムヨ☆」


「うん、ちょっとやりすぎたなと思ったけど……。ははは、どういたしまして」


 木村きむらさんが軽く肩をすくめて返すと、亮は一度赤の双眸から微笑を消して頭を下げる。


「それと、今朝はすみませんでした」


「……いいよ。こっちこそごめんね。その、看護師なのに患者に言い返したりしちゃって」


 しんみりとした空気になりそうな瞬間、亮の一言によって壊された。


「いや、それはご褒美になりますからむしろもっとやってくださいお願いします」


「うん。これから鶴喜クンのことを無視しよう」


「そんなつれないこと言わないで! ツッコミがなくなったら、私たちのコンビはどうなっちゃうノ!?」


「鶴喜クンのツッコミ担当はキツイから、一生パスでお願いね」


「そ、そんなァ?!」


 オーバーリアクションの彼を見て、木村きむらさんは内心で安堵した。自分をも鼓舞するためかのような、鳴り響くような大声。

 相変わらず鬱陶しくて、騒々しい患者だ。周囲の人間を振り回すことに一切躊躇わない癖に他人のためにすぐに行動する、非常識で優しい少年。

 何を考えているのか見当もつかないし、どういう風に生きていたらこんな人間になれるのかは非常に謎だ。

 だけど――


――よかった。いつもの鶴喜つるきクンに戻ったね。

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