第6話
『お嬢様しかかかっていない奇病』。
そのセリフは誇張でも何でもなく、事実である。世界中を探し回っても、この謎の病気に侵されていたのはただ姫一人のみ。
「原因は未だに不明で、現在の技術でも治療するのが極めて困難とされています」
「うーん? ええと、つまり……?」
「お嬢様が回復するのは、とてもとても難しいでございますよ」
「え、そんな……」
みおは思わず姫の方を見たが、当の本人がその事実を肯定するように苦笑い。
いくら姫の家はお金持ちであっても、治療法が確立していないようでは、治すようがない。こればかりはお金の力で解決できるほど、単純な話ではないのだ。
「まさか、研究する人は一人もいないと言うのでは……」
「残念ながら、その可能性も捨て切れないのが現状でございます。そもそも、お嬢様は最初からここに入院していませんでした」
「あ、そうなんですね」
「最初は某有名な大学病院に一年間入院しましたが、当時の研究者の頭がバカになったのか、それとも単純に責務放棄したのか。
いずれにしても、『何の成果を得られませんでした』が帰ってきましたので。それで経過観察のためにこの病院に」
当時の状況を思い出すだけで嫌な気持ちになったかのように、眉をしかめる雅代。話を聞いて納得した亮の隣でみおは小首を捻った。
子供にとっては難しい話ではあるが、それでも真面目に話を聞いている辺り、彼女は本心から姫のことを心配していると見受けられる。
――しかし経過観察のためとは言え、幾らなんでも7年間はあまりにも酷すぎる。他人の8年間を無駄にしたという罪悪感がないのか。
そう思って、亮は眉間に皺を寄せた。
――全く無関心になったのか、それとも姫を放置していたのには他に理由があるのか……。
一つの疑惑が彼の脳裏に浮かび上がると、どうしてもそれを振り払うことはできず、直接本人に確かめることにした。
「だったら、どうしてその研究チームに折り返しの電話をしないの? ほら、例えば『おいコラ、研究はまだ進んでねえのか! あん?!』と催促すればいいだけですので。もしやりたくないようでしたら、代わりに私がやりましょうか?」
「お兄ちゃん、らんぼぉ~」
「失敬な。勿論、ちゃんとしましたよ。だけど、その研究チームは分家とつなが――あ」
彼女の妙な発言にみおは不思議がっているが、亮は心底で納得した。
その研究チームは姫の失脚を画策していた分家と繋がっていたのなら、目的のために彼女を治療しない方が賢明だ。むしろ、その近道にはなるだろう。
これは、亮が先日の彼女と
「失礼しました。では、貴方たちが見た模様について説明しますね」
「うーん。確か……つた?のような模様がお姉ちゃんの腕に広がっていったよね、お兄ちゃん」
「そうだね。でも今思い返せば、あれは蔦というより、枝というか……」
「……主幹よ」
亮とみおは姫の言葉をオウム返しに言うと、
「お嬢様の言葉を理解するには、まず、
主幹、花枝、花柄、棘、小葉、がく、蕾といった順番で、まるでアザのように赤黒く皮膚の上に現れる。そして、蕾の先端に薔薇の花びらが完全に揃った瞬間に、その者に痛みが浴びせられるのが、発作の一連の流れ。
この発作の前兆として、まるで「これから発作が起きるよ」と知らせるかのように、冷気がその者の身に忍び寄る。
しかし、この発作は気まぐれな性質で不定期に起こるため、その予測は難しい。一日おきに発作が起きることもあれば、丸々一ヶ月間が経っても起きないこともある。
今回の発作は前回から三週間も経過してから起きたもの。
長い間隔もあって、姫が発作のことを完全に忘れてしまうほど、三人との時間がとても楽しかったと言えるだろう。
だけど、この病気にはもう一つ厄介な特徴があった。
「お嬢様の身に痛みが浴びせられますが……その程度は日によっては違っていたりします。例えるなら、そうですね……」
「……軽い麻痺みたいな日もあれば、全身が焼け鉄杭に貫かれるような激痛の日もあるわね。まあ、意識が持っていかれそうな時の方が多いけど」
「そんな。どうしてモルヒネを……! まさか……」
「……察しがいいわね。だけど、亮が思ってることじゃないよ。単純に、私がそうしたいと思ったからそうしてもらっただけ。別に他意はないわ」
姫がそう答えたが、それが嘘だってことくらい、亮は知っている。しかし、それをみおの前で暴くのはまた別だ。
自分が拳を握り締めていたことに気付いた彼は、ゆっくりと手を緩め、笑顔を作り直した。
「うーん? お兄ちゃん、モルヒネはなぁ~に?」
「痛み止めでございますよ、みお様」
「あっ、分かった! 痛み止めって、痛みがぷしゅーとなくなるやつだ!」
「ええ、その通りでございます」
みおの飾り気のない天真爛漫な性格が亮の中にある不安を幾分和らげた。しかし、軽くなった空気を無視するように、姫は更に語り続ける。
「……時々、自分の身体を爪でえぐりたくなるけど、今でもそれが抑えられているのは、間違いなく
「いいえ、滅相もございません。お嬢様のお世話、偏にお下のお世話をするのがワタクシめの務めでございますので」
「……うん、とりあえず黙ろうね」
いきなり下ネタをねじ込む
姫自身も気付いていないけれど、ここ最近、彼女は色んな表情ができるようになってきている。無論、他の三人はとっくに気付いていたが、その変化に心の底から喜んでいるだろう。
ふと、みおは自分の手を姫のに重ねてきた。なんだろう、と彼女がみおに振り向くと、
「お姉ちゃん、一緒に頑張ろうね!」
「ええ」
その言に小さく頷き、重なったみおの手にもう片方の手を重ねる。小さく笑い合う二人の様子に、他の二人もほっこりとした顔をした。
説明している際に終始辛そうな顔をする雅代のことも気掛かりではあるが、今はこのほっこりとした空気に浸っていたい。
眼前の光景に目を細めながら、亮は二つの疑問を喉奥に押し戻した。
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