第6話

 暫くの間、談話室を離れていたのにも関わらず、二人の手は相変わらず結ばれたまま。姫が女の子に連れられて歩く姿に、見る者は微笑まずにはいられなかった。


 この心温まる光景がよく見かけるようになったのは、つい一週間前のことだ。それが風の噂で広まったことによって、他の患者たちやスタッフたちにも周知されるようになって、今となっては癒しの名物までになっていた。

 しかし、この穏やかな空気はある人物によって崩された。勝手に後ろに付いてきた人物にみおが振り返って、その顔面に指を突き付けたのだ。


「あー! お兄ちゃん。みおたちに付いてきちゃめー!」


「そんなあぁぁ! お兄ちゃんもみおちゃんと一緒に遊びたいのにぃ……」


 両手で顔を覆って、しくしくと嘘泣きを始めた亮。

 みおはそのあからさまな演技に一瞬戸惑い、姫の許可を確認するために彼女の方をちらっと見たが、無表情の姫からは何も読み取れるはずもなく。

 みおが悩むことに数秒後、「じゃあ」と切り出す。


「みおたちに変なことをしてこなければ付いてきても大丈夫!」


「ヨシ! お兄ちゃん、いい子にしまース!」


 満面の笑みに一転して、鼻歌交じりで意気揚々と二人に付いていく亮。

 彼のご満悦の様子に影響され、みおは楽しげな鼻歌のリズムに乗ってぶんぶん両手を振り回しながら廊下を進む。

 自分の手も振り回されることに、姫は特にこれといった反応を示すこともなく、ただみおに引っ張られるがままだけだった。









 一同は本棟にある中央図書室から数独の本を借りるとついでにスタッフから数枚のA5用紙と幾つかの文具を拝借して、同じテーブルを囲んだ。各自が用紙にパズルを書き写している間、みおが亮に数独のルールを教えた。

 その後、亮が調子に乗って、誰が一番早く解けるのかを競い合うと提案して、みおもそれに賛同した。彼自身でさえあんまりルールを理解できていないのにもかかわらずに、だ。


 本の中にある数独パズルは全部四段階の難易度:ビギナー級、インターミディエート級、エキスパート級、マスター級で形成されている。

 だけど、今回の勝負は難易度とかは一切関係なく、ただ一番早く解けた者が勝者となる、という非常にシンプルなルールで試合開始。



 開始してから五分が経過。三人はそれぞれ異なる反応でそれぞれのペースで進めていた。姫は硬い動かない顔のままですらすらと空欄を埋めていく。みおは首を捻りながら時折唸りを漏らし、少しずつ解答を進めている様子だ。

 一方、まだ一つの空欄すら埋まっていない亮は鉛筆すら握っていないで、終始低い唸り声を上げながら用紙と睨めっこ。

 ついに我慢の限界を迎えた彼は、隣のみおに話しかける。


「ええと、みおちゃん」


「う~ん? なぁ~に、お兄ちゃん?」


「これ、本当にみおちゃんがやりたいことなの?」


「うん! そうだよぉ~」


「いや、だってこれ……頭を使うやつではないカ!」


 開き直った亮に、「そうだよ~」と軽やかに返すみお。

 子供が遊びと言ったら、彼は鬼ごっことかかくれんぼといった活発な遊びを想像していた。けれど、実際に一子供がこんな退屈極まりない数独に興味を示すとは予想外。

 もしかして、都会の子供は室内にこもるのが好きなのか、と的外れな感想を抱く亮。


「頭悪いお兄ちゃんに、これは猛毒のようなものだヨ! 目がチカチカする……」


「尚更、これをやらないといけないね、お兄ちゃん」


「なしてェ!?」


「この前、お姉ちゃんから聞いたの! これをやればやるほど頭がよくなるって! みお、お姉ちゃんみたいに頭良くなりたい!」


 みおの説明が終わったのとほぼ同時に姫が鉛筆を下ろし、「できた」と呟く。


「お姉ちゃんはや~い! ちゃんとマスターのをやったの?」


「……うん」


 どれどれ、と亮は真ん中に置いていた数独の本を手に取り、姫に何ページ目のパズルだったのか確認しながらページをめくる。


「――オマイガ」


 亮の目に飛び込んできたのは、ほとんど数字のないページで、空欄が98%も占めていた。絶句する彼の手から本が滑り落ち、ばんっと共に机の上に着地。

 ちなみに、みおはインターミディエート級を挑戦したが、半分しか埋まらなかった。歳を考慮すれば、充分に健闘した方だ。

 しかし、さも軽々しくマスター級をクリアした姫を前にしたら、対抗心を燃やしてしまうもの。


「むぅ~~。じゃあ、今度はみおたちがスタートしてから五分後にお姉ちゃんが始めるね!」


 突然の無茶振りに姫が「分かった」とこくり。

 顔にこそ出していないが、その石ころのような無表情は一種の殊勝の態度とも見受けられる。みおは用紙の束から一枚を取り、9×9の正方形のマスを描き始めた。


「お兄ちゃんがやったやつはビギナーのものでしょ~? みおはできるからお兄ちゃんも頑張って!」


「みおちゃんのエールを全身で受け止めて、お兄ちゃん、頑張りまぁース!」


 うおおおお、と叫びながら亮も別の用紙を手に取って、次のターンに向けて準備を進める。

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