第5話 次に会う時を最後にします。

 その次の日から、トウガは約束通り、毎日話し相手になってくれた。


 最初は一日の終わり――ユキノが寝床につく頃だったが、やがて天気のいい日は山の中で会うようになった。


 話に飽きると、姿を隠しているトウガがどこにいるのか当てるという他愛のない遊びも始まった。


 そのおかげか、トウガは風の民の中でも鳥や獣の呼吸のまねが一番上手になったという。ユキノの耳でもなかなか聴き分けられないくらいだ。


 ユキノの方は毎日のように山を駆け回っていたおかげで足腰が丈夫になった。木登りも上手になったし、トウガから弓矢の使い方や釣りも教えてもらった。


 毎日たった一刻でしかないが、トウガと過ごす時間がユキノにとって何よりも楽しいものになっていた。


 トウガは決して姿を見せることはないし、話し方もぶっきらぼう。なのに、ユキノの耳をいつも気遣って、突然大声を出すようなことはしない。面倒くさそうにしながらも、いろいろ教えてくれる。


 三つ年上のトウガは、ユキノにとって友達というより兄のようなものだった。




 この『お礼』はそれから三年ほど続いたが、トウガが成長するにつれて『仕事』に出かけていない日が増えていった。


 そういう時は別の風の民が監視役としてユキノのそばにいた。だからといって、トウガのように話をしたり遊んだりすることはない。


 ユキノはトウガの帰りをいつも待っていた。


 実際、トウガも何もない日は緋ノひのくにに戻って、ユキノの監視役を続けていた。その時は会えなかった間の時間を埋めるようにたくさん話をした。




 毎日会うのが当たり前だったのに、十日に一度になり、月に一度になり、トウガが十六になる頃にユキノの監視役の任から外れた。


 その年、風の民の長が亡くなって、トウガが後を継いだのだ。


「今日が最後だ」


 そう告げてきたトウガに、ユキノはわあわあ泣いて訴えた。


「トウガに会えなくなるのは絶対イヤぁ! トウガは呼んだら会いに来てくれなくちゃダメなの! これからも友達でいて!」


 トウガはきっと困った顔をしていただろう。今まで彼に対しても、父に対しても、こんな風に我がままを言ったことは一度もなかった。


 『あたしを見張らなくていい時まで』と期限を切ったのはユキノだった。その日が来たのだから、トウガを解放しなければならないのは当たり前のこと。頭ではわかっていても、心では納得できなかった。


 ユキノが「嫌だ」を繰り返し続けていると、最後にはトウガの方が折れてくれた。


「わかった。時間がある時には会いに来るから」と――。


 トウガはその新たな約束を守ってくれた。監視役に『会いたい』と伝言を頼むと、数日から長い時は十日以上かかっても、トウガは会いに来てくれた。




「風の民はやっぱり風の民同士で結婚するの?」


 トウガに対する気持ちが恋だと気づいた時、ユキノも当然彼が自分のことをどう思っているのか気になった。


 そんな風に遠回しに聞いてみたところ――


 風の民に女性はいないとのことだった。地の民と結婚することもない。独り身で生涯を終えるものだと教えてくれた。そもそも『家族』というものが存在しないと。


「トウガだって、家族を作りたくならないの?」


 ユキノは聞いてみたが、トウガの答えは「作らないのが俺たちのおきてだ」だった。


 風の民の掟破りは死に値するということをユキノも知っていた。『掟』を出されてしまえば、ユキノにはどうすることもできない。


 トウガと話をしてきた中でわかったのは、風の民というのは、もともと親を亡くした子供だったということ。トウガも赤子の頃に拾われて、風の民として育てられた。


 風の民に拾われるのは男児だけだという。ユキノもそれはわかるような気がした。


 どこの国でもいずれ子供を産む女児は大切にされる。だから、親を亡くしても里親はすぐに見つけられる。一方、何人でも妻を持つことのできる男は、一人いれば子はいくらでも増やせる。


 緋ノ国のような過疎化の進む国では、男児も将来の働き手としてありがたいものだが、裕福な国では軽視されやすい。捨て子に多いのが男児というのは、たいていの国で共通することだった。


 戦乱の世の中では、各地の王たちは風の民を公然の存在として認めていた。だから、親を亡くした男児は『風の民への捧げもの』という形で、国から送り出していたという。


 しかし、伊呂波朝廷が開かれて平和になると、風の民はどこの国にも属さない異端者として扱われるようになった。朝廷にあだなす危険な存在として、見つけ次第殺せという勅命ちょくめいまで出ている。


 関わった者――たとえば恋仲になるような女性もその処罰の対象となる。


 ユキノの想いは決して叶うことはないと言われたも同然だった。


 そうでなくてもこの十年、「会いたい」と言うのはいつもユキノの方で、トウガから会いに来てくれたことは一度もない。


 恋に気づいたところで、ユキノの完全な片思いでしかなかった。


『風の民と地の民は住む世界が違う』


 トウガは何度もそう口にしていた。決して交わることはないと。


 トウガとの間には見えない大きな壁が立ちはだかっている。ユキノがどんなに近づきたくても、トウガがそれを許さない。


 この先、何回会おうと、トウガが風の民でユキノが地の民である以上、彼が女性として見てくれることはない。ユキノの方はトウガの姿を見ることすら叶わない。この一方的な関係が変わることはないのだ。


 結局、ユキノの単なる自己満足で、トウガを縛り続けてきただけだった。




 もういい加減解放してあげないとね。


 次に会う時が最後。そのつもりでトウガへの伝言を頼んだ。


 でも、それが最後なら、その日はあんまりすぐに来てほしくないな……。


 この縁が一日でも長く続くことを願わずにいられない矛盾はあった。

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