第11話 楚王
後宮――大清宮に戻ると、わたしはほっと一息をついた。
これでとりあえずは最大の問題を乗り切った。次の朝議にはしばらく出なくてもいいはずだ。
もともと皇帝は病弱で参加する回数は少なかったし、例の陵墓の件さえなければ、今朝だって出席したくなかったところだ。バレるかもしれないし。
それでも一応、わたしはいったん皇帝の私室に戻った。そこには梨鈴がついてくる。
なんといっても、梨鈴は貴妃であり、妃の筆頭だ。皇帝の側に近侍するのはおかしくない。
男装したわたしの妃という感じで、なかなか悪くない。
「お疲れ様、蒼華」
梨鈴は柔らかく微笑むと、お茶を淹れてくれる。といっても、この時代、この世界のお茶は茶葉を固めて団子状にしたものを溶かすというものだ。
味は良くも悪くも独特な感じだけれど、梨鈴が淹れてくれたことが嬉しかった。
「ありがとうございます、梨鈴様。珍しく優しいですね……!」
「わ、私をなんだと思っているの!? 私はいつも……優しくはないかもだけど……」
梨鈴は目を伏せる。照れ隠しなのか、梨鈴はわたしにそっけない態度を取ることが多い。
もちろん、わたしも本気でそれを咎めているわけではなくて、ちょっとした冗談だった。
わたしはふふっと笑う。
「わかっています。梨鈴様が本当は優しい方なのは」
「そ、そうかしら……?」
「そうですよ。だからこそ、わたしは身代わり作戦に協力したわけですし」
皇帝の失踪で一番困るのは梨鈴だ。皇后の地位を手に入れる可能性がなくなるのだから。
もともと落ちこぼれのわたしには、そこまでの問題は生じない。
そういうわけなので、わたしのしたことは梨鈴からしてみれば、借りを作ったことになる。
少し恩着せがましい言い方だったかもしれない。
梨鈴はうつむいてしまう。
「ごめんね。私はあなたに何も報いることができていないわ」
「本当にどうされたんですか? 梨鈴様らしくないですよ」
「私は私の味方をしてくれる人のために、なにかしてあげたい。それって私らしくないこと?」
わたしは目を丸くし、梨鈴は顔を赤くした。わたしは微笑む。
「いえ、とても梨鈴様らしいことですね」
「本当は私も蒼華を昭媛、ううん、もっと上の賢妃の地位に推薦してあげたいの。でも……」
梨鈴は顔を曇らせる。
文昭儀は、わたしに対して昭媛という高い妃の地位を約束すると言った。そして、彼女はそれが可能だと知っていたのだ。
文昭儀は、皇帝の寵愛を得ている。皇后がいれば皇后が妃の序列を定めるが、不在である以上、皇帝の意向が最優先。
その皇帝の意思を左右できるのは、妃だと文昭儀だけだ。他の妃はそれほどの愛を得られていない。もちろん、梨鈴も。
そして、文昭儀の権力は文昭儀自身のものだ。彼女が実力で勝ち得たところが大きい。
それに対して、梨鈴は違う。彼女の力は後ろ盾である八柱国の一つ・夏氏に由来している。
つまり、梨鈴の父の柱国大将軍の同意がなければ、梨鈴はわたしを昭媛にも賢妃にも推すことができない。
そして、柱国大将軍・夏策真は、わたしには何の借りもない。没落貴族出身の落ちこぼれ妃を、娘の友人だからといって、後押しする理由はないのだ。
「だから蒼華は文昭儀についたほうが出世できたのに……」
「わたしは出世なんて必要ないんです。それに、梨鈴様が側にいれば、それで十分ですよ」
「ま、またそういう恥ずかしいことを言う!」
「全然恥ずかしくないですよ?」
梨鈴は顔を真っ赤にした。彼女をからかうのは楽しい。いや、本心でもあるんだけれどね。
それと、今回の件で、わたしは夏策真にも貸しを作った。好むと好まざるとにかかわらず、状況は変わってくるだろう。
皇帝が戻ってこなかった時、この状態をどうするのか? わたしがこのまま皇帝代理を続けるのか、それとも……。
そんな会話をしていたとき、突然、梨鈴の侍女がばたばたと騒がしくやってきた。
皇帝の部屋なので、礼法を守っているが、かなり慌ててはいる。
「た、大変です。楚王殿下が……皇帝陛下にお目にかかりたいと」
楚王・高秀善は今上皇帝陛下の従兄。優秀だと評判の二十代の男だ。軍人でもある。
ちなに、敬称が「殿下」なのは、王といっても、あくまで皇帝の下の立場の称号に過ぎないからだ。
陛下の敬称で呼ばれるのは、万民の父である皇帝と、万民の母たる皇后だけだ。
「具合が悪いといって、追い返してくれませんか?」
わたしが頼むと、侍女は首をふるふると横に振った。
「そ、それが……楚王殿下は皇帝陛下が害せられたという噂を聞いた。ただちに宮中にに参上したい、と」
「つまり、皇帝失踪の噂をどこかから聞きつけてきたのね」
困った。高秀善は、夏氏と対立している。梨鈴や夏策真が説得しても、納得しないだろう。
もちろんただの才人のわたしは論外。
しかも、皇族である楚王は、皇帝と一対一で間近で面会する権利がある。楚王は、後継者争いのライバルではあったとはいえ、皇帝にとっては実の兄弟よりも頼りにする親しい間柄だとも聞く。
つまり、わたしが男装して皇帝として会ったら一発でバレるのだ。
「ど、どうしよう……?」
梨鈴が慌てる。わたしは考えた。
楚王を追い返すにはどうすればいいか?
それは楚王と近い立場の人間から、彼を説得させればいい。
楚王は政治的には傍流の人間だ。そんな彼が頼みにしたのは、没落した安東貴族や新興の科挙官僚、そして文昭儀のような宮中で強い力を持つ人間だ。
つまり……。
そのなかで、わたしが頼れるのは文昭儀のみだった。
文昭儀の協力を得ることができるだろうか? なるべく取りたくない手ではあるけれど、おそらくわたしは可能だと踏んでいた。
「陛下……? 文鳳英が参りました」
ちょうど文昭儀がやってくる。本来なら、男装しているときに文昭儀も近づけるつもりはなかった。
彼女に会えば、もちろん、わたしの正体がバレるから。
でも、もはや他に選択肢はない。わたしは文昭儀を呼び入れた。
<あとがき>
次回、文昭儀との対決! 面白いと感じたら
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