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リリアーヌがマノンに弟子入りした翌日、マノンはリリアーヌを連れて王宮へ登城した。
テルドール王国国王ティユール七世の第五王子ジルベール・サングリエ・ガヴィニエスと婚約しているマノンは、五日に一度は王城ミル宮殿へ出向き妃教育を受けている。
ジルベール・サングリエ・ガヴィニエスはマノンと結婚した後は王籍を抜けるため、マノンに妃教育は必要ないはずだが、王子の配偶者となる者はすべからく妃教育を受ける慣習らしい。
妃教育というものはとにかく面倒だ。
なにしろマノンは第五王子妃なので、王太子妃や第二王子妃ほど優秀であることを誰も望んでいない。とはいえ、及第点は取らなければいけない。そのちょうど良い頃合いの見極めが難しいのだ。
「フェール公爵令嬢、ごきげんよう。お連れの方はどなたですか?」
王宮の回廊をマノンがリリアーヌと一緒に歩いていると、彼女に声をかけてくる者がいた。
ふたりが足を止めて振り返ると、侍従服を纏ったミヌレ伯爵子息レオ・フルミリエの姿があった。
彼はリリアーヌの婚約者であるピエリック・フルミリエの三つ年下の弟で、現在はジルベール王子の侍従として王宮に勤めている。
どうやら彼は、マノンが妃教育のために今日登城することをあらかじめ知っていたジルベールの指示で迎えに来たようだ。
マノンの婚約者は第五王子という王位継承権はほぼないような立場ではあるが、国王の息子であることに違いはないため、マノンも王子の婚約者として王宮内ではそれなりの待遇を受けている。
マノンにはフェール公爵家が雇っている護衛兼従者が常に付いているが、王宮では基本的にレオがマノンを出迎え、案内役を務めていた。
「――リリアーヌ嬢?」
レオはマノンの隣に立つリリアーヌの姿を認めると、険しい目つきになった。
兄の婚約者であるリリアーヌをレオが快く思っていないことは、一瞬でマノンに伝わった。
「ごきげんよう、レオ殿。こちらのリリアーヌ・オランド嬢はわたくしの友人として殿下に紹介したくてお連れしたの。なにか問題があるかしら?」
軽く首を傾げてマノンはレオに微笑む。
ほんのすこし目を細めただけで、マノンの表情には相手に否と言わせない迫力が宿った。
「――いいえ、ございません」
問題は大ありだ、と言いたげな表情を浮かべつつレオは首を横に振った。
彼には、法的に問題があるか倫理的に問題がある場合に限らなければマノンの意見に反対する権限がない。
理由は単純で、ジルベールが婚約者の自由にさせるようにとレオに命じているからだ。
「ただ、少々意外だっただけです」
反対はしなかったが、差し出がましいと思われても私見は述べずにはいられなかったらしい。
「フェール公爵令嬢はご存じとは思いますが、リリアーヌ嬢は私の兄の婚約者です。トネール伯爵令嬢がフェール公爵令嬢のご友人にふさわしくないと申し上げるつもりはありませんが……」
「『申し上げるつもりがない』のに、なにをおっしゃるつもりかしら? あなたは、わたくしの交友関係に口を挟むおつもり? どのような権限で?」
「いいえ――――大変失礼いたしました」
相手が主人の婚約者であることを思い出したのか、レオは引き下がった。
もとよりフェール公爵家はレオの実家であるミヌレ伯爵家よりも格上だ。下手に不興を買って良い相手ではないことを思い出したらしい。
詫びるように、レオが深く頭を下げる。
そんなレオの姿を見たリリアーヌは、両手を口元に当てて感激した様子で呟く。
「マノン様、凄いですわ! レオ様に謝罪させるなんて!」
リリアーヌの言葉が癇に障ったのか、レオは目を吊り上げた。
「凄くないわ。普通のことでしょう?」
マノンが呆れた様子で答えると、リリアーヌは勢いよくぶんぶんと首を横に振った。
「わたし、レオ様が女性に謝罪しているところは初めて見ました」
「そうなの?」
「レオ様って、女性にぶつかっても謝ったりしないんですよ。それどころか、ぼうっと立ってた方が悪いって顔をして睨んでくるんです」
リリアーヌはマノンの耳元でぼそぼそっと囁く。
ただ、回廊には三人以外に誰もいなかったため、リリアーヌの声は存外に響いた。
「――――っ!」
リリアーヌのその指摘は正しかったらしく、レオは顔をしかめる。
「あら。それはいけないわね」
マノンはレオに視線を向けないまま、リリアーヌに告げた。
「殿方というものは、自分に非があるなしに関わらず、女性にぶつかったらまずは謝るものよ。その上で、相手に対して周囲にもうすこし気をつけるようにと忠告するのが紳士というものだわ。それなのに、謝らないどころか相手を睨み付けるなんて、言語道断ね」
マノンがわざとレオに聞かせるように言うと、彼がぐっと息を飲む音が回廊にかすかに響いた。
「マノン様だったら、もしぶつかってきた相手が自分を睨み付けてきたらどうしますか? 後学のために、ぜひ教えてください!」
リリアーヌはマノンを拝むような仕草で頼み込む。
「わたくし? わたくしならまず、相手に微笑むわ。そして、こう言うの。『あら、あなたはわたくしの存在を認識してくださらなかったのですね。とても残念ですわ。でも、わたくしもあなたの存在に気づけなかったのですからおあいこですわね』って」
「とっても婉曲な皮肉ですね!」
「あなたには、どういう意味に聞こえるかしら?」
「自分がフェール公爵令嬢に道を譲らなかった不届き者だという自覚を持て! 痴れ者が! ということですね」
意気揚々とリリアーヌが答える。
そのそばでレオは顔面蒼白になっている。
「あなたの意訳、面白いわねぇ」
「でも、わたしがマノン様と同じことを言っても、違う意味に取られると思います。悪役令嬢のマノン様だからこそ、おっしゃる言葉に重みが加わるのです!」
感激した様子のリリアーヌはすでに涙ぐんでいる。
「リリアーヌ嬢。あなたはフェール公爵令嬢に大変失礼なことを言っている自覚はおありか?」
顔を強張らせたレオがおそるおそる尋ねる。
彼は、リリアーヌが普段とはまったく違う態度であることに驚いている風でもあった。
「失礼? おかしなことをおっしゃるのね。友人同士の軽い会話では多少の失言は普通に混じるものでしょう?」
朗らかな口調でマノンはレオに対して言い放つ。
「わたくしたちのお喋りに口を挟むあなたの方が失礼ではないかしら?」
ねぇ、とマノンがリリアーヌに同意を求めると、リリアーヌは勢いづいたように首を縦に振った。
「――――大変失礼いたしました」
結局、レオはマノンに対して仰々しい謝罪を重ねるしかなかった。
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