勝手に悪役令嬢呼ばわりされた上に、弟子ができました
紫藤市
1
それは、ある春の日のことだった。
「マ、マノン様っ! わたしを弟子にしてくださいっ!」
ジンク伯爵邸で催された茶話会でフェール公爵家の長女マノン・ウルスは突然駆け寄ってきた令嬢に涙目で懇願された。
相手の声が小さく内容はマノンの耳にしか届かなかったため、傍目には令嬢がマノンに嫌味を言われて泣かされているように見えたことだろう。
「……弟子? それはどのようなもののかしら?」
茶話会に出席してみたものの親しい友人の姿は見当たらなかったため、早々に帰ろうと椅子から腰を浮かせていたマノンは、怪訝な顔で相手を見つめた。すぐに、自分の表情が険しくて相手を睨んでいるように周囲に誤解されることに気づいたが、いまさら表情を変えるわけにもいかない。
自分では平々凡々な容貌を自認しているマノンだが、周囲にはきつい顔立ちをした美人だとよく言われる。
「あなたは確か、トネール伯爵家の――リリアーヌ様?」
どこかで見た覚えがある顔だ、と数秒記憶を辿った後、マノンは正確に相手の名を言い当てた。
一度でも紹介された相手の名前と顔はしっかりと覚えているのがマノンの特技だ。
リリアーヌ・オランドはマノンと同じ十七歳で、ミヌレ伯爵の嫡男と婚約しているはずだ。
「はいっ! そうです! マノン様に名前を覚えていただけていたなんで、光栄です!」
声を震わせながら、リリアーヌはこくこくと頷いた。
艶のある亜麻色の髪に藍色の瞳を潤ませたリリアーヌは子猫のような愛らしさだ。
トネール伯爵家はテルドール王国の中では古い家柄の貴族だが、あまり裕福ではない。
いまリリアーヌが着ている茶話会用のドレスは、昨年流行したデザインのもので、しかも生地は安物だ。
マノンはリリアーヌを王宮で開催された舞踏会で二度見かけたことがあるが、二度とも同じドレスを着ていたことを思い出した。
「わたし、ずっとずっとマノン様に憧れていました! それで、マノン様に弟子入りしたいのです! ぜひ、わたしの師匠になってください!」
「……師匠? わたくし、あなたに教えられるような特技などありませんことよ?」
手にしていた扇で口元を隠しながらマノンは小声で答える。
マノンとリリアーヌから離れたテーブルで会話を楽しんでいた人々は、なにごとかと視線をふたりに向けている。
「わたし、マノン様のような悪役令嬢になりたいんです!」
「…………悪役令嬢になりたいなら勝手におなりなさいな」
さらりとマノンはリリアーヌの弟子入り志願を一刀両断した。
そもそも、『マノン様のような』というところが気に入らない。
「だいたい、わたくしは悪役令嬢などと言うものになった覚えはありませんわ」
昨今、テルドール王国の貴婦人たちの間で流行っている恋愛小説の中に、悪役令嬢なるものが頻繁に登場していることはマノンも知っている。
悪役と呼ばれるだけあって、物語の女主人公に嫌がらせをしたり恋路を邪魔したりして最後は断罪されることが多い。物語を読めばなぜ悪役令嬢が断罪されるかは一目瞭然だし自業自得ではあるが、他人に嫌がらせをする浅慮な悪役令嬢がマノンはあまり好きではない。
ただ、こういった流行りの小説になぞらえて、なぜかマノンは同じ年頃の令嬢たちから『マノン様は悪役令嬢みたい』と陰で囁かれている。別に居丈高な振る舞いをしたことはないのだが、物怖じしない態度が『悪役令嬢』みたいだと言われる理由と思われる。不本意極まりない。
「マノン様は婚約者のジルベール殿下に言い寄ったロシニョル男爵令嬢に、はっきりと『あなたは殿下にふさわしくない』っておっしゃいました」
「あれは、淑女らしからぬ振る舞いが目にあまったからですわ。殿下に勝手に飲み物を渡そうとしたり、殿下に誘われてもいないのに殿下とダンスを踊ろうとしたりしたのをたしなめただけです」
マノンの婚約者であるジルベール・サングリエ・ガヴィニエスは国王の第五王子だ。王位継承権は持っているが、王位に就く可能性はほとんどない。ゆくゆくはマノンと結婚してフェール公爵家に婿入りする予定だ。
五つ年上の婚約者は、周囲からは常にマノンの顔色を窺っていると揶揄されている。
「はい! 殿下はロシニョル男爵令嬢に言い寄られて明らかに迷惑そうでしたものね」
目を潤ませながらもリリアーヌは小声ではきはきと答えた。
見た目と口調がまったく合っていない。
「カイユ伯爵令嬢から城下町で流行っているお菓子のお店の話が殿下に振られたときも、マノン様は『殿下はそのようなことに興味をお持ちではない』ってはっきりとおっしゃいました」
「殿下とカイユ伯爵令嬢の会話に横から口を挟んだことは差し出がましかったとは思いますが」
「殿下がマノン様に目で助けを求めていらっしゃいましたものね!」
「……よく見ていらっしゃるのね」
ジルベール王子は菓子など甘い物に興味がない。
そして軍人である彼は、とにかく社交場が苦手だ。
公務としてどうしても王子が王宮主催の晩餐会や舞踏会に出席しなければならない場合、常に彼はマノンを同伴させ、面倒な会話はすべてマノンに任せていた。
そのため、マノンはいつもジルベールが返事をする前に賢しらに口を出す、と言われているのだが、当のジルベールはマノンの評判などお構いなしだ。
「わたし、人前でちっとも自分の意見を言えなくて……」
俯いたリリアーヌは涙目で唇を噛みながら呟く。
「いま、充分言えてるじゃないですか」
「それは、マノン様の前だからです。憧れのマノン様とこうやってお話しできるだけで興奮してなんかいつもの十倍は喋れています!」
「あら、そうですの。それは良かったですね。でも、ご自分の意見なんてはっきりと言う必要はないでしょう? 淑女は可愛らしく黙って笑顔を浮かべているだけのお人形でいる方が、評判は良いですわよ」
マノンは自分が思ったことをそのまま口にするのが習慣になってしまっているが、普通の貴族令嬢はおしとやかな方が好まれる。
フェール公爵家では男女ともにおとなしいことを美点とはしないので、マノンも社交界に顔を出すようになるまでは自分の言動が他の令嬢とは違うことに気づかなかった。
「でも、ずっと黙っているのって良いことばかりじゃないです」
藍色の瞳から大粒の涙をこぼしながらリリアーヌが訴えた。
「婚約者には侮られるし、浮気されるし、婚約者の浮気相手がわたしの変な噂を流すし……」
「まぁ、それは大変ですわね」
リリアーヌの婚約者ピエリック・フルミリエについては、マノンも多少噂を耳にしていた。
「わたし、婚約者との婚約を解消したいんです。でも、わたしから婚約解消を申し出るとわたしに過失があるって言いがかりを付けられそうですし、いまのままの自分では婚約解消しても同じような相手とまた婚約させられて同じように嫌な目に遭うだけって気がするんです」
「多分、そうでしょうねぇ」
ふんふん、とマノンは頷いた。
ピエリック・フルミリエに虐げられているリリアーヌが自分を変えたいと思っているのであれば、協力するのもやぶさかでない。
「そのためにも、わたしはマノン様のような悪役令嬢になりたいんです!」
「思考が飛躍しすぎているように思うけど、つまりは自分を変えたいってことで良いのかしら? そのために、わたくしに弟子入りをしたい、と」
「はいっ!」
リリアーヌは大きく頷いた。
「わたし、婚約者にはっきりと言い返してやれるようになりたいんです」
「わたくしなら、浮気をするような婚約者は二、三発は殴ってやりますわ」
「そ、そこまで過激な真似はできませんが……」
「そう? 浮気男にはそれくらいの制裁が必要ですわよ」
「マノン様は、殿下を殴ったことがおありなんですか?」
「ありませんわ。殿下はそんなことをなさらないもの。浮気男を殴ったのはわたくしの母ですわ」
「フェール公爵夫人が……あんなお美しい方が」
ヒエッとリリアーヌが声を上げる。
フェール公爵夫人は世間では嫋やかな美女として国内外の貴婦人たちから慕われている。
「結局母の誤解でしたけど、誤解を招くような真似をした父が悪いってことで母は父を殴ったことを謝りませんでしたわ」
「そ、そうなんですね」
「あなたの婚約者の場合、明らかに浮気をしているようですから、殴って良いと思いますわ」
「ぼ、暴力に訴えるのは良くないと、思い、ます」
「師匠のわたくしが指南していますのよ?」
「あ、弟子入りを認めてくださるんですね! ご指南、ありがとうございます!」
がしっとマノンの手を取ったリリアーヌは、うれし涙を流しながら礼を言った。
「え? あら、そういうつもりではなかったのですけど」
リリアーヌの調子に巻き込まれてしまったマノンは、周囲の視線に冷や汗をかきながらこっそりとため息をつく。
どうやら、いまさら師匠になるつもりはないとリリアーヌに告げても、前言撤回は無理そうだと諦めた。
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