51話 雨が降って風邪を引いたら?
九月に入り、数日が経過した。
ここのところあまり天気がよくないので気分もさっぱりしない。
週末、一日の授業が終わると僕は英語の先生のところに行った。いくつかの疑問に答えてもらい、みんなよりやや遅れて学校を出た。
マック前を通る時、窓から店内の様子を見たがメイと月詩さんがいるなんてことはなかった。
また週明けに密会かな。
そんなことを考えながら歩いていると、ぽつぽつと雨が当たり始めた。
今日は傘を持っていない。
早足になったが、雨脚の方が先に動いた。
ざーっと一気に降り始め、僕は一気にずぶ濡れになった。
近くは雨宿りしづらい店しかなかったため、イオンタウンまで走った。
土砂降りの中を走るなんていつぶりだろう。
久しぶりの急激な運動で一気に息が上がった。
イオンタウンの軒下に飛び込むと、しばらくしゃがみこんで呼吸を整えた。
「ふーっ……」
すっかり濡れてしまった。
まだブレザーを着る時期じゃなかったのが不幸中の幸いか……。
「あれ?」
うしろの自動ドアが開いて、制服姿のメイと月詩さんが出てきた。
「ユッ、キー……」
メイが僕の名前を呼ぼうとして、ぎこちない表情になった。
お客さんの姿はないが、危険な場所だ。
「こんにちは結城さん。雨に遭ってしまったのですね」
こういう時は月詩さんが頼りになる。
「こんなに降るとは思ってなかったよ」
「自販機で飲み物を買うふりをしてください。私たちはこっちに立ちますから」
「わ、わかった」
僕はすぐ横の自販機の前に立った。
メイと月詩さんは向き合って何か話しているような体勢を作る。
「はい、はい」
月詩さんはメイからの声を受けてうなずいている。
「アパートまで送るか、と言っています」
「それはいいよ。どうせ帰ったらすぐシャワー浴びるし、洗濯すれば乾くものしかないし」
「ノートはどうです?」
「ビニール袋をかぶせたからたぶんセーフ」
「用意がいいですね」
「勉強した分を失うのは怖いからね」
すごいな~、とメイがつぶやいた。
「傘を買ってあげましょうかと言っています」
「大丈夫。そのうちやむから」
「そうでしょうか。これは長引きそうな雨だと思いますよ」
その通りかもしれない。夕立ではないし、夜まで降り続くか。
「まあ、そんなに離れてないから走っていけばなんとか」
「心配だなあ」
メイの声が届いた。
自動ドアが開いて、お客さんが横を通っていく。
僕はスマホを出して、メイにラインを送った。
〈たまにはこういうこともあるよ。心配しないで〉
メイが高速でスマホをなぞっている。
〈ユッキーが風邪引いたらやだもん〉
言い回しがかわいい。
〈そんな弱くないよ〉
メイは不満そうな顔をしていた。
「結城さんが大丈夫と言うなら、無理に意見を押しつけるのもあまりよくないかと」
「そうかなあ。うちの車に乗ってけばいいのに」
「乗るところを見られたら危険です。それはお互いに理解しているはず」
「うう、ユッキー置いてくのしんどいな……」
僕は再びメッセージを送る。
〈帰ったら報告するから〉
メイはそれを読んで、諦めたように息を吐き出した。
〈気をつけてね〉
〈ありがとう〉
☆
メイと月詩さんの迎えが来たので、僕はそっとそれを見送った。
それから雨の中に飛び出し、アパートまで走り続けた。
アパートには不意の雨の時に買った傘がすでに二本あるのだ。これ以上増やしたくなかった。
まっさらピュアの横を全力で通り過ぎ、アパートにたどり着いた時には靴の中までぐしゃぐしゃになっていた。
靴脱ぎで思い切って下着だけになってしまい、まずシャワーを浴びた。
それから黒の部屋着になって、ノートなどをバッグから取り出して乾燥させる。ビニール袋のおかげで被害は最小限だ。
僕はすっかり疲れてしまい、マットレスに横になった。
雨で濡れたせいというより、走り続けたのがよくなかった。
運動しない人間がこんなことをすると、一気に体にクるのだ。
「まあ、一晩休めば……」
僕は横向きになってスマホを触る。
メイに、アパートに着いて休んでいることを伝えた。
〈よかった!〉
「ホッ」と安心した顔をした猫のスタンプがついてきた。
……彼女に心配してもらえるって幸せなことだよな。
週明け、元気な顔を見せて安心させてあげよう。
☆
「なぜだ……」
翌朝。
目が覚めたら気分は最悪だった。
寒気がひどく、気力が抜け落ちていた。
感覚でわかる。――風邪を引いた。
「駄目だったか……」
そうならないと思いたかったが、やはり僕は弱かった。
今日が土曜日でよかった。
九時過ぎ、メイからメッセージがあった。
〈起きてる? 調子どう?〉
……嘘ついてもしょうがないよな。
〈風邪引いちゃった……〉
マスクをした顔のアイコンをつけて返事をする。
〈電話できる?〉
〈できるよ〉
すぐにかかってきた。
「ユッキー、やっぱり昨日の雨で……」
「はは、情けないね。でもメイの車に乗るのは危なかったし、仕方ないんだ」
「そうかもだけど……」
うー、と電話口の向こうでメイがうなっている。
「ユッキー」
ハッとするような低い声でメイが言った。
「アパートの場所、教えてもらえない?」
「え? ど、どうして?」
「ユッキー、ごはん作るのしんどいでしょ。今日はあたしがついててあげる」
「そんな。風邪移したらまずいよ」
「大丈夫。マスクするし、あたしの頑丈さを信じて」
「でも、迷惑になるよ……」
「そんなことないよ」
優しげな声にドキッとする。
「ユッキーの世話焼いてあげたいって思ってたの。看病する機会をあたしにちょうだい。たぶんこういうことってそんなに起きないと思うし」
くう、今日もずるい言い回しをするじゃないか。
「……じゃあ、場所言うからメモして。服装にも注意して見つからないようにね」
「オッケー!」
通話が切れると、部屋の中は今も降り続いている雨の音だけになった。
もうすぐここにメイがやってくる。
いつか、さらに関係が進んだらやろうと思っていた自宅デート。
それとはかけ離れた形でメイを招くことになった。
不安はあるが、とにかく寒気が思考を邪魔してくる。僕は毛布にくるまって、メイが来るのを待つことしかできなかった。
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