32話 実家にメイが来た
夏休みになって、自分の部屋が気になった。
アパートではなく実家のことだ。
母さんは相変わらず忙しくしているので、あまり掃除はできていないだろう。
久しぶりに帰って掃除機でもかけるか。
夏休み二日目の朝、そんなことを考えていたらメイからラインが来た。
〈なにしてる~?〉
それだけで僕は笑顔になる。
彼女との何気ないやりとり。こういうことがすごく幸せに思えるのだ。
〈まだ寝てる〉
〈そうなんだ。今日はなんかやるの?〉
〈実家の掃除に行こうかなって思ってる〉
〈おー!〉
これは返事が難しいな。
悩んでいると、メイが連投してきた。
〈ユッキーの実家見てみたい!〉
なんだと?
別に見られて困るものはないけど、コインランドリーの外で会うのは危険だ。
でも、近所の人に見つかるだけなら問題はないか。
学校の関係者はいないし、学生も住んでいない。メイという動画配信者を知っている人はいない……はずだ。
母さんにも連絡を取ってみる。今日は休みだが少し出かけるらしい。
〈母さんいるかもしれないけどいい?〉
〈いいよ!〉
というわけで、メイと実家で合流することになった。
☆
メイには家の場所を伝えて、僕は路線バスで実家まで帰った。
広い通りから路地を抜けていくと、古い住宅街の中に我が家はある。
二階建ての平凡な一軒家だ。
僕はカギを開けて中に入った。
家の空気を吸うのは久しぶりだ。
十分ほどするとインターホンが鳴った。戸を開けるとメイが立っていた。
「やほ~」
「お疲れ」
メイを家に上げる。
今日は半袖ブラウスにショートパンツという格好だった。黒いソックスは膝下までの短いタイプ。
「おお~、ここがユッキーの実家かあ」
「普通の家って感じでしょ」
「そこがいいんだよ。嫌味っぽいけど、あたしの家って大きすぎて落ち着かない時あったからさ」
「じゃあ、和室とかあんまり見ないよね」
僕は座敷にメイを案内する。
「わ、タタミの匂いだ! これけっこう好きなんよね」
「とりあえず座ってて。冷蔵庫に麦茶あると思うから」
「りょーかいです」
僕は台所に行って冷蔵庫の麦茶をコップに注いだ。家の中は静かだ。
実家で彼女と二人きり。
メイが僕を信用してくれているからこそのイベントだった。
「ユッキー」
「なに?」
座敷に戻るとメイがそわそわしていた。
「ちょっと、寝転んでもいい?」
「いいけど……」
「よいしょっ」
メイはタタミに横向きに転がった。
「和室ってマジでいいなあ。すごく落ち着く」
「今日は遠慮なくゆっくりして」
「なんか失礼だけどね。ひとんち押しかけて寝転がってるとかさ」
「メイは僕の彼女なんだから、彼氏の家では好きなことしていいんだよ」
「あっ……うん」
メイはちょっと慌てたように返事をした。
まだ、彼女って言われると焦るのだろうか? 僕も同じだけど。
それにしても、またきわどい光景ができている。
横になっているメイの足がはっきり見えるので、目のやり場に困る。
ダンスをしているだけあってメイの足は引き締まっている。ほどよく日焼けもしていて健康そのものという感じ。
だから余計ドキドキしてしまう。メイはどうしてこう無防備なんだろう……。
「ユッキーはお掃除に来たんだよね」
「そ、そのつもり」
「よかったら手伝うよ」
「え? そこまで散らかってないから平気だよ」
「でもユッキーのお部屋は見たいなあ」
「言うと思った……」
「いい?」
「許可します」
「やった」
メイは起き上がって麦茶を飲んだ。「ぷはー」と大げさにリアクションするのがかわいらしかった。
☆
二人で二階に上がり、右手の部屋に入る。そこが僕の部屋だ。
本棚だらけで参考書とか問題集ばかり入っている。
デスクには邦ロックのCDがたくさん並べてあった。
「わあ、めっちゃ趣味かぶっとる!」
メイはさっそくCDを手に取る。
「これは昔から好きだったの?」
「そういうのもあるし、メイの踊ってみたがきっかけではまったやつもあるよ」
「そっか。自分の好きなものを人が好きになってくれると嬉しいね」
ちょっと照れくさくなった。
「ただいまー。いるのー?」
母さんの声がした。僕は「いるよー」と返事をする。
「ユッキーのお母さんと話してみたいな」
「そうだね。僕も紹介したい」
台所へ戻ると、メイと母さんが見つめ合った。
「はじめまして! 葉月芽生って言います!」
「うそ……こんなかわいい子が彼女だったの!?」
母さんは困惑している。彼女ができたとしか伝えていなかったのだ。
「かわいいですか?」
「うん、すごく。へえー、予想と全然違った。黒髪ロングストレートでメガネかけた子だと思ってた」
「その気持ちはわかるけど、偏見がひどいね母さん」
「ユッキーとは仲良くやってまーす」
メイはずっとニコニコしている。そのせいか母さんも笑顔になってきた。
「ユッキーって呼んでるんだ」
「下の名前で呼ぼうとか考えたんですけど、なんかしっくりきすぎちゃって変えられないんです~」
確かに、今さら違う呼び方に変わるのも変な気がする。
「お昼にスパゲッティ作るから食べてかない? うちの子の話とか聞きたいし」
「いいんですか!? じゃあ食べます!」
やっぱりメイの距離感って近いよな。初対面の母さんにもここまで入り込んでいる。
「僕、部屋の掃除してくるよ。ちょっと二人で話してみたら?」
「メイちゃんがいいなら話したいけど」
「ユッキー、さみしくない?」
「すぐ終わらせるから」
「えへへ、じゃあここで待ってる」
僕は二階へ上がって掃除を開始した。
一気に掃除機をかけ、ウェットティッシュでホコリと窓のカビを拭き取る雑なやり方。それでも綺麗になった。
あとは窓を開けて空気を入れ換える。
――よし、完了!
下に戻ると、いつしか場所は台所の隣、居間に移っていた。
「あ、ちょうどよかった。できたところよ」
「ねえユッキー、このスパゲッティめちゃめちゃおいしいよ! こんなの初めて!」
メイがキラキラした顔で感想を語ると、母さんが得意げな顔をした。
「あたしは通販会社の幹部だから、お高い食材も簡単に手に入るの。メイちゃんはあんまり食べない?」
「そーですね。実家でも手軽さ重視みたいな感じで作ってました」
「ふふ、だったらこのコーヒーも飲んでみて。レアものよ」
メイはアイスコーヒーのカップを口につける。
「んま~! すごいですお母さん! おいしい!」
「でしょー! 料理が苦手でも食材のよさでごまかせるのよねー!」
……なんだこれ。女子会か?
僕は二人の勢いに取り残されている。
「ユッキーも食べよ!」
「う、うん」
僕も台の一角についてスパゲッティを食べた。
そうか。
気にしていなかったが、これって高い麺とソースだったんだな。道理でスーパーで探しても見つからなかったわけだ。
僕は久しぶりに、母さんのスパゲッティを味わって食べた。
メイは母さんと意気投合している。
二人の会話を聞いて思ったことがあった。
……母さん、もしかして昔ギャルだったか?
☆
「ユッキー、今日はありがとね。お母さんと話せてすごく楽しかった」
「想像以上に息が合ったね」
「ねー。ユッキーのお母さんしゃべりやすい」
「あたしも楽しかったわー。若い頃に帰った気分」
「まだそんなに年でもないでしょ」
「年って言わないで。数えたくないの」
「ごめん……」
「あの、ワガママ言ってもいいですか?」
突然メイが言った。
「そこにパソコンありますよね」
居間の隅っこにあるノートパソコンを、メイは指さした。
「あれがどうかしたかしら?」
メイはちょっと恥ずかしそうにしながら言う。
「あたしたち、まだ写真撮ったことないんです。誰かにスマホ見られるの怖くて……。だからいま撮って、そのパソコンに保存しといてもらえないかなって」
言われてみれば、一回も撮っていない。僕にはカメラを使う習慣がなかったから意識しなかったけど、メイは気にしていたようだ。
「メイちゃん、有名人なのよね」
「一応、そうらしいです」
「じゃあ家の中で撮るしかないか。映えないけどいい?」
メイの表情がパッと花開いた。
「はいっ!――じゃあユッキー、撮るよ」
「う、うん」
ここは彼女に任せよう。
メイは座ったまま自分のスマホを構えると、僕の方に寄りかかってきた。
「まず一枚目! 笑って~」
「こ、こうかな?」
パシャッ。
「あははっ、なんか顔変だよ」
「笑うの苦手かも……」
「もう一回!」
パシャリ。
「ちょっとよくなったかな? じゃあお母さん、次はお願いしていいですか?」
「任せて。はい、しっかり近づいて」
「よいしょ」
「こ、こう?」
「いいわね。はーい」
パシャ。
お互いに体を傾け、頭と肩を触れ合わせているツーショット。僕の表情は固めだが、なかなかいい絵だと思う。
「そうだ、座敷に掛け軸あるんだけどそこでも撮る?」
「わー、ぜひ!」
「水墨画の掛け軸だよ?」
ギャルの背景としては合わないんじゃ……。
「いいのっ。さあ行こう!」
「わわっ」
僕の家なのになぜかメイに手を引かれて移動する。
座敷の壁にかかった、岩山と鶴の絵が描かれた掛け軸。
そこを挟んで立つ。
「いくわよー」
僕はよくわからず、とりあえずピースした。
メイは手のひら側を上に向ける、いわゆるギャルピースというやつを作っていた。さすがだ。
「もう一枚くらい撮る?」
「はい! ユッキー、おでこ貸して」
「え? これでいい?」
メイの方を向いて、ちょっと頭を下げる。
すると、メイがこつんと自分のおでこを当ててきた。
両手も重ねて目を閉じる。
母さんがそれを写真に収めた。
目を閉じておでこを触れ合わせた二人の写真。その空間だけ、なんだか時間がゆっくり流れているように見えた。
……いいな、これ。
言葉を交わさなかったのに二人とも目を閉じていたのも、心が通じ合っているみたいで最高じゃないか?
二人で写真を一枚ずつ確認する。メイはずーっと笑顔のままだった。
「じゃあこれ、パソコンに移してもらえますか?」
「オッケー。そんなにネットつながないから流出の恐れはないわ。安心して」
「信じてます」
メイのスマホからパソコンにデータを移す。そちらの画面でも確認して、二人でうなずきあった。
「形に残せてよかった」
はしゃいでいたメイは、落ち着いたように優しい微笑みを浮かべる。
明るい顔から大人っぽい顔に変化する瞬間。
それはいつも不意に来るから、僕はドキッとしてしまう。
「メイちゃん、今日はみんなお休みだからいつまでいてくれてもいいわよ」
「はい、ありがとうございます」
パソコンの前に座っている僕たちは、自然に肩を寄せ合う。
「もうちょっといさせてね、ユッキー」
「もちろん」
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