どうして俺だけ……

夕奈木 静月

第1話

「それでは、お疲れさまでした」


 長くこの会社に勤めていたので、職務の引継ぎは一筋縄ではいかなかった。


 俺は苦笑いしながら毎日遅くまで居残りして資料をまとめ、今日ようやく退社の運びとなったのだ。


「おー、お疲れ。またいつでも遊びに来てくれよな」


 同僚の木村が明るく声をかけてきた。


「ああ。お前のアシストには何度も助けられたよ。ありがとう」


 俺も笑顔で返す。


 他の社員たちとも穏やかにあいさつを交わし、俺は社屋をあとにした。立つ鳥、跡を濁さず、だ。


「おーい、長田!」


 歩道に出たところで呼び止める声が。振り返ると木村だった。


「なんだ、どうした」


 俺としてはもう別れの挨拶は済んだんだし、こっちの都合で退職するんだからわざわざこれ以上会話したくはない。


「言うの忘れてたんだけどさ、おまえ……貝原かいばらさんのことやっぱり諦められない、って言ってたよな?」


「あ? ああ……」


 貝原さんは社のアイドル的存在だ。俺は告白し、見事撃沈。でも彼女への思いは本物だと今でも自信を持って言える。


 その証拠に、俺は撃沈後半年経った今でも、他の誰にも目移りしていない。機会があればもう一度アタックしたいとすら思っている。


「彼女さあ……、色々あって海外行っちゃったんだ」


「ええ!?」


「急なことでさ、お前も忙しくて気づけなかったんだろうな。お前が退社準備に必死になってた先週だよ、突然休職届け出してな……」


「……そんな」


「分かる、分かるよ、お前の気持ち。まあでも、貝原さんだけが女じゃない。もう彼女のことはあきらめて頑張っていけよ。ほんじゃ俺はこれで」


 無言で立ち尽くす俺を置き去りにして木村は社内に戻っていく。


 そんな……。俺に一言も挨拶なしに休職? 結構仕事上でも関わりがあったのに……。どうしたんだろう、貝原さん。




 翌日朝。


 引っ越し準備などもあり退職を急いだせいか、会社に置き忘れていた私物のノートPCを取りに向かった。


 貝原さんのこともあり、よく眠れなかった。気分が重い。


 社屋に到着する。


 と、見覚えのある人影が。


 あれは……忘れるはずもない、貝原さんだ。どうしてここに?


 そして一緒にいるのは木村だった。


 どういうことだ?


 俺は木村を問いただそうと駆け出した。


「うわっ! な……長田!?」


「木村お前……どういうことだよ!? 説明してくれ」


 俺の剣幕に驚いた様子の木村は、あろうことか逆ギレを始めた。


「長田ぁ! お前もう会社来ねーはずだろ!? 来んなよ、馬鹿野郎っ!!」


「はあっ!? なんだよお前! 昨日と言ってることが全然違うじゃないかっ!『またいつでも遊びに来い』って言ってたろ!?」


「長田君、どうしたの? どうしてそんなに怒ってるの? 作太さくたがなにか悪いことした?」


 へっ!? どうして貝原さんは木村を下の名前で呼んでるんだ?


「長田……! この際だからはっきりと言うよ。紗雪花さゆかはお前のしつこいアプローチにうんざりしてたんだ!」


 う、嘘だろ……。貝原さん、そんなそぶり少しも見せてなかったのに……。


 ついでに木村が貝原さんの下の名前をためらいなく呼んでる……。この二人、いつからそういう関係なんだぁ~?


「ごめんね、長田君。私、ちょっとあなたは……無理だったみたい」


 ガーン。断言されたし。


 そして俺への拒否反応? 貧血を起こしたみたいにおでこを押さえる貝原さん。


 もう倒れそう、俺。


「き、木村……。だったらどうしてお前、昨日俺にあんな嘘ついたんだよ?」


「……昨日、何の日だった?」


「昨日? 昨日って祝日だっけか?」


「……違うよ、エイプリルフールだ。だから、せっかくお前が傷つかないように『優しい嘘』をついて真実をオブラートに包んでやったのに……。しばらく紗雪花は近所の支社で働いてたんだ。お前に声を掛けられるのがイヤで、上司に一時的な転勤希望を出してたんだよ」


「ぐう……」


「まったく……お前がいなくなって、紗雪花がようやくこっちに戻ってこられたのに……。ついでに言うと、お前、会社では相当嫌われてたからな。気づいてないかもしれないけど」


「そんな……」


「ところでお前、忘れ物取りに来たのか? ああ、そういえばお前の机の上に液晶が粉々になったノートPCがあったけど……。まさかあれじゃないよな? あれって会社の備品だよなあ? 誰かが間違って落としたみたいだけど。そうそう、そこのゴミ置き場に俺がさっき置いといたぞ」


 俺は慌ててゴミ置き場を見る。


 うっわあ……あれ、間違いなく俺のじゃん……。ステッカー貼ってたからすぐ分かる。ひどい……。


 液晶パネルはめちゃくちゃ……。キーボードも、もう操作できないんじゃないかというくらいに大破している。『落とした』ってレベルじゃない……。きっと故意に壊されたんだ。


「ううっ……、うわあああああっ!!」


 俺は……、こらえきれなくなって泣き出してしまった。あのPC……ゲームもできるやつで……15万もしたんだぞ……。


「……あっ、もしもし警察ですか? うちの会社の前に不審者です。……ええ、はい、至急来てください」


 凍り付くように冷たい声で貝原さんが警察に電話をする。ひどい、ひどすぎるぅ……。


 悔しい……。どいつもこいつも俺をさげすみやがって……。


 嫌われてもいい、憎まれてもいい。俺はこのぶっ壊されたノートPCのカタキを討つっ!!


 俺の仲間は会社の人間たちじゃないっ! もはや君だけだよ、ノートPCくん……。君をツブした奴を許さない!! 復讐してやる。あいつらの職務を邪魔してやる……! グヘヘ……グヘヘヘッ……!


 立ち上がった俺は猛スピードで社長の元へ走って行く。


 あっけに取られた貝原さんと木村がこっちを見ている。


 ノックもなしに社長室に飛び込んだ俺は、開口一番、こう叫んだ。


「社長っ!! 昨日出した退職届、あれ、嘘ですからっ!! ほら、エイプリルフールってやつですよ」


 さあ、なんて言われるだろう。『なるほどな、また今日からよろしく』だろうか。


 社長は目をまん丸に見開いた。


「ふ、ふ……」


 おでこに血管が浮かび上がっている。


 おーおー。俺に辞められるとやっぱり困るんだな。分かった分かった。また今日からよろしくね。感動で血圧が上がっちゃったのかな? もう年だもんね。 


 言いたいことの頭文字は『ふ』か。大体見当はつくぞ。社長が退職を取りやめた俺に言いたいこと……。


 さあ、言ってくれ。『不束ふつつかなわたしだけども、これからもよろしくな』と。


 社長は俺の目を真っすぐ見て口を開く。


「ふ、ふ……ふざけるなあ~~~~~~っ!!! 嘘をつくなんて……仕事を何だと思ってるんだぁ!? この不届きもの~っ!! 不埒者! フライにして揚げてやろうか!? 二度とその不快な顔を見せるなっ」


 ですよね~。やっぱりそうなりますよね~。


 『ふ』でいっぱいいんを踏みながら社長は俺を突き飛ばしてきた……。思わずどもってしまったのを誤魔化そうとしたのだろうか。心もち頬が赤い。


 俺に今できること? 壊されたPCの亡骸なきがらを抱きしめることだけだよっ……。


 了












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どうして俺だけ…… 夕奈木 静月 @s-yu-nagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ