第15話 でも、わたしは逃げない。



「あなたが勇者なんだね」


 わたしが言うと、マヨネーズマリネが完了した元おじいさんが小舟から立ち上がった。服も靴もボロボロのままだけど、機敏な動きのせいで立派な剣士みたいに思えてすごい。

 人は見た目が九割……。たしかに。印象って大事だわ。


 「マジか」「ウソだろ」という世紀末冒険者たちの動揺は無視しておこう。

 バカにしてたおじいさんが勇者だったんだから、そりゃびっくりもするだろう。仕返しが怖いのかもね。


「僕はアクタ。西の山で羊飼いだった十四の時、光たる女神様より天啓を受け、勇者と呼ばれた者だ」


 元おじいさん、勇者アクタがわたしの目の前に立って言った。

 担ぎ上げた時に感じた通り、背が高い。わたしより頭ひとつ半くらい上に顔がある。腕も太いし肩もしっかりしていて、端的に言って三人組より強そう。


「勇者は本当に魔王に負けたの?」

「……聖剣なしに魔王には勝てない」

 単刀直入に切り込むと、アクタは怯んで、ふくれっつらになった。

 このひと、本当にあのおじいさんだったんだと感動してしまうくらい見慣れた表情だ。

 というか、あのおじいさんの無愛想にすっかり慣らされていた自分に気がついたわ。無愛想おじいさんが無愛想勇者に進化(?)したところで特に対応には困らないから気にしない。


 それよりも。

 三人組がおじいさんを拾ったのが半年前、ということは、勇者が魔王に負けたのはそれ以前だ。

 わたしが召喚されてからざっと十日。

 そして、あの時、クマ王子は確かに言った。


 『勇者が失われ、聖剣もないのだぞ』


 と。


 わたしがこの世界に来た時点で聖剣はなかった。これ、確定。

 その時、聖剣だけでなく、勇者もいなかった。

 勇者はなんと、魔王に挑んで敗れていた。これ、今、聞いた証言。

 聖剣を出せなかったわたしは偽物だと言われた。これ、事実。


「アクタさん、ひょっとしなくても、聖剣ナシってわかってましたよね。なんで魔王に挑もうと? 仲間はいたんですよね?」


 ロールプレイングゲームだって、魔王に挑むにはそれなりに準備がいる。むしろ、魔王に挑むための準備の旅路がゲーム本編と言ってもいい。木っ葉みたいなヒョロヒョロ駆け出し剣士から経験値を積んで強くなって、お使いをこなして装備を整えて、仲間も集めて、やっと魔王の城の門を叩けるのだ。

 そういうゲーム、好きだった気がする。『最終ファンタジー』シリーズ派だった。ケアルガ。


「……死地とわかっていて、貴重な戦力を連れていけるものか」

 アクタが吐き捨てるように言った。

 なるほど?

 なんとなく見えた気がするぞ。

 

「聖剣ナシで吶喊したってわけだ。絶対に必要だとわかってる装備なのに」

「限界だったんだ! 陛下が倒れて、殿下おひとりで頑張って!」

「大きな声はやめてください。この距離なら十分聞こえてます」


 激昂して怒鳴るタイプの男のひとは苦手。うるさいし、力づくで言うことをきかせようという気満々で腹が立つから。


「……ごめん。怒鳴るつもりはなかった」

 アクタはびっくりするほど素直に謝って、ちょこんと頭を下げた。見た感じ、二十代半ばってところだけど、高校生みたいな言動だなと感じた。


「落ち着いて話をしましょう。ちょっと、わたしも疲れちゃってるし」

 わたしは小舟の脇に退かしてあった椅子に座った。

 ただしくは座り込んだ。すぐにマイケルが側に来てくれて、膝の上にケウケゲンを載せた。

 はあ。ため息がでる。ほんとはもう寝たい。この世界に来てはじめて、ベッドが使えそうだし。


「で、魔王はどうなったんだよ」

 話を引き継いでくれる気らしく、デニスがわたしの代わりに質問した。アクタは体を斜めにして、デニスを見返った。


「……わからない」

「はぁ?」

 ヤニとホセが声を揃えた。

 わたしだって口から同じ音が出た。

「気がついたら僕は老人になっていて、ひとりきりだった。神殿の中には魔王はいなくなっていたと思う」

 アクタは忌々しそうに言って、下ろしたままの拳を握りしめた。

 悔しい気持ちがぶり返してきているんだろうなと思った。

 仮にも勇者に選ばれて、魔王に挑んだんだ。結果が出なかったら心が折れても仕方がない。


「這って、なんとかメンシスを後にして、街道に出たところでお前たちと出会った。後のことはお前たちも知っている通りだ」

 アクタの言葉に、冒険者三人組が顔を見合わせた。

 やっぱりちょっと気まずいんだな。勇者に荷物持ちさせてた実感が募るもんね。まあ、それは置いといて。


「魔王の行方はわからないの?」

 わたしの質問にアクタが頷いた。

「ここんとこ、魔物の動きが変だって話はあるけど、関係あるのかねえ」

 ヤニが首を捻りつつ、「攻撃してきてもバラバラで、まとまりがないらしいんだよ」と、付け加えた。


 勇者と魔王の一騎打ち。決着がつかなかったんだとしたら魔王も生きていると考えるのが妥当だ。

 でも、無事じゃないのかもしれない。


「勇者がおじいさんになったんだから、魔王は赤ちゃんになっちゃった、とか?」

「なんだそれ」

 ホセ、ツッコミ機動が高いな。好感度アップしちゃうぞ。


「思いついただけ。気にしないで、流しちゃってよー」

 恥ずかしくなって手を振ると、急にヤニが深刻な顔で外に出た。

 何、どうしたの。わたしのボケがそんなに気に障ったのか?


 ハラハラしていると、開けっぱなしの戸口からヤニが大声を上げた。


「大変だ! 魔界が溢れた!」

「何だと?」

 デニスとホセ、それにアクタが慌てて外に出て行った。

 ヤバそうな空気だ。

 わたしもなんとか立ち上がった。ちょっと足元がふらついちゃったけど、歩ける。たぶん。


「セイジョサマ、元気ナイ」

「元気ナイけど、わたしたちも行こう。なんか、大変みたいだよ」


 ケウケゲンを抱いて、マイケルを連れて、わたしも外に出た。

 庭の焚き火はさっきのままで、男たちが遠くを見遣っていた。

「斥候、出まっす!」

 ヤニがカンテラを掴み、坂道を駆け下りていった。元兵士って本当だったんだなと思える動き、な気がする。


「どう大変なの?」

「瘴気と一緒に魔物が溢れて来てんだよ! 大変だろ!」

 デニスがイラつきながらも教えてくれるのは、やっぱり元隊長ってことなんだろう。

 疲労で判断力も恐怖心も弱ってるわたしは、ぼんやりとみんなが見ている方に視線をやった。


 夜空がひび割れるみたいに、稲妻が走っていた。雲からではなく、地面から上がっているような気がする。高山ならともかく、こんな平地で起こることじゃない。

 小高い丘の上にある推定村長宅とはいえ、夜だ。荒野を見渡すのは無理だ。ただ、稲妻がだんだん近づいてくるのはわかる。ゲリラ豪雨の雨雲が近づいてくるくらいの速さっていえばいいのか。うん、結構速いな?


「あの雷の下に魔物の群れが?」

「そうだ。ここは魔界の境界に近いからな。あれが来たら瘴気に飲まれて、村は魔界に沈むだろう」

 言っている内容と反して、アクタは淡々としている。


 村が魔界に沈む。

 え、じゃあ、今、寝ているひとたちはどうなるの? せっかくマヨネーズで浄化できたのに、また黒の病になっちゃうの? いや、それ以前に、普通に魔物に襲われて喰われるか。


 魔グリズリーが一匹でも怖かった。

 あんなのが、たくさん、来る……?

 どうしたらいい、どうしたらいい?


 マイケルが不安そうに見上げてくる。

 言葉が半端にしか通じていない分、マイケルはとても空気を読んでくれる。ケウケゲンもわたしの腕に身を寄せてきた。

 わたしの不安が伝わってるんだ。

 いけない。わたしがしっかりしなくちゃ。


「大丈夫、マイケル。落ち着こう」

 言って、わたしは深呼吸した。

「ケーちゃんも。大丈夫だよ、ママが守るからね」

 小さなフワフワはちょっと大きくなった気はするけど、まだ赤ちゃんだ。こんなのを魔物の群れに潰されるわけにはいかない。


 絶対にだ。


 すぐにヤニが戻って来た。デニスがどうだったと聞くより先、

「とんでもない大群だ! 逃げよう!」

と、叫んだ。


「わかったっ!」

 デニスがさっさと焚き火を踏み消し、荷物を掴んだ。ホセとヤニも身支度を整える。素早い。さすがは世紀末冒険者たち。

 アクタは突っ立ったまま、わたしを見ている。

 他人を試す目だ。

 『お前に何ができるのか』

 そういう目。

 ムカつくな。


「村のひとたちを置いていけない」

 わたしはアクタから視線を外し、言った。

 そうだとも。

 自分だけ逃げるなんてできない。ここには動けないひとがいる。彼らは生きている。生きようとしている。せっかく黒の病を浄化できたのに、弱った体では無抵抗で魔物に喰われてしまうだろう。


「諦めろ、嬢ちゃん! 病人担いでなんか逃げらんねーぞ!」

 デニスがわたしの腕を掴んだ。

 一緒に逃げようとしてくれているのはありがたいと思う。ちょっと薄情だけど、現実的な人たちだとわかってる。

 でも、わたしは逃げない。


「わたしは残る」


 マヨネーズでどれくらい戦えるのかはわからない。

 わからないけど、村の入り口をマヨネーズで塗り固めるくらいならできるかもしれない。盛り塩みたいにマヨネーズを山にしたら、魔物避けになるかもしれない。ならないかもしれないけど。

 襲って来たやつにもマヨネーズをぶつけてやる。

 ちょっとクラクラしているけど、がんばれる。大タル爆弾二つ抱えて、火事場力だ。


 マイケルも、ケウケゲンも、村のひとたちも、絶対に守る。


「この村を魔界に沈ませたりしない」

「バカ言うな!」

 担ぎ上げようとしたデニスを振り払って、わたしは一歩、踏み出した。マイケルが着いてくる。ケウケゲンは腕の中だ。

 地面がぐにゃぐにゃのマヨネーズみたいに頼りなく感じるけど、疲労で倒れるわけにはいかない。

 絶対絶対に倒れたくない。

 守りたい。


『……ならば、しばらくこの体、借り受けよう』


 知らない声が頭の中で囁いた。

 低くて、優しい声だ。

 え、誰? 女神さま? 聖杯?

 システムアナウンスの声ではないと思う。男のひとのような気もする。


『ママはしばらく休んでいるといい』


 その言葉が最後。


 『わたし』はケウケゲンをマイケルに手渡し、デニスの担いでいた大剣を掴んで引き抜いた。


「嬢ちゃん、何するつもりだっ!」

 デニスが叫ぶけど、わたしだって知りたい。


 でも『わたし』は返事もせず、剣を引きずって坂道を駆け下りた。さっきのヤニよりまだ速い。剣の先っぽが地面を削って、火花が散った。

 あっという間に村を出た『わたし』は乾涸びた道に出た。


 見えた。

 真っ暗な空を裂く雷光を撒き散らす黒い塊が迫ってくる。わたしが立っている道を真ん中として、広く展開した塊は差し渡し五キロメートル以上あるんじゃないだろうか。両端は霞んでよく見えない。高さは、うん、十階建マンションより高いと思う。先端部が泡立っていて気持ちが悪い。


 『わたし』はまた走り出した。

 今度はさっきより速い。速い。すごい速い。

 乾いた土に火花を散らして突っ込んでいく。まっすぐ豪直球。


 待ってよ、『わたし』!

 どういうことよ!


 叫べども、叫べず。

 わたしはただオロオロするだけで、指一本も自由に動かせない。自動運転の車に強制乗車させられているみたいだ。しかも、その車、とんでもない速さで走ってるんだよ。こわい。


 『わたし』は黒の塊に突っ込んだ。

 衝撃があるかと思ったけど、それはもうあっさり。ただ、『わたし』の周りで黒い火がチリチリ散っただけだ。


 黒い塊の中は、嵐だった。稲妻と雷。すごい風。

 荒れ狂った瘴気が押し出されてきていて、その後から、赤い目をしたいくつもの黒い物たちが蠢いて進んできている。

 確かに魔界が溢れたというのが正しい言い方だ。


 『わたし』は魔物を正面に迎え撃つ位置に立ち止まった。




 え、『わたし』、どうすんの……?



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