四月六日 フクジュソウ

 私の名前は漢字で書いてみると、とても良い事ばかり書いていて、実に縁起の良い花のように聞こえる。実際、前に聞いたところによると、私は新年の季語とされていて、早春に黄金色の花を咲かせる事から一番に春を告げるとして“福告げ草”と名付け、その後は語呂の関係から今のような名前に人間達がしたのだという。


 この名前にも由来にも私は不満はない。ただ、私は知ってしまっているのだ。人間にとっての幸せに時には死が該当する事を。


 その時、私を植えて育てていたのは、毎日昼過ぎになるとお茶を飲む習慣があった来宮くるみやサチという老女だ。サチさんはお茶の中でもハーブティーを好む人で、緑茶や紅茶なども好きではあったが、ミントやレモングラスといったハーブティーを飲む時は本当に幸せそうな顔をしていた。



「この一杯のために私は生きている」



 これがサチさんがティータイムの際に必ず言っている言葉だった。どこか親父くさいとは思ったが、昼過ぎに一杯のお茶を飲む事がサチさんにとっての幸せであるならば、私も文句は言わないし、窓際に置かれた鉢に植えられた私もその姿を見るのは好きだった。


 そんなある日、サチさんは本当に憔悴しきった顔をしていた。いつもの綺麗な銀髪も少しだけボサボサとしていて、ツヤのある肌も少しくすんでいるように見え、私はどうしたのだろうと思った。


 すると、サチさんは私に近づくと、軽く土を掘ってから私の根を一本だけブチリと取った。人間で言えば、足を一本取られるような物だが、私達は根を取られても別にまた生やすことも出来て、特に痛いわけでもないから、それよりも何をするのだろうという疑問の方が強かった。


 そしてサチさんは、私の根を綺麗に洗ってから煎じ始め、それをお茶にして飲んでしまった。



「……この一杯のために私は生きてきたのかしら」



 そんな哀しい声を残し、その後サチさんはこの世を去った。そう、縁起の良い名前を持つ私は毒草でもあるのだ。


 因みに、サチさんがあんな風になってしまったのは、親族達がサチさんの遺産を狙って争いあっていた事を知ったからで、これ以上親族達が争う姿を見たくないという事でサチさんは自らこの世を去ったのだった。


“幸せを招く”や“永久の幸福”が私の花言葉ではあるようだが、他にも“悲しき思い出”というあるもあるため、死という形でサチさんに幸せを招いてしまった事が私にとって一番の悲しき思い出という事になるのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る