第33話 保健室で

 四月十一日のこと。


 俺はいつも通りカンタに馬車で送ってもらい学園に到着し、普段と変わり映えしない一日を過ごすはずだった。


 しかし一時間目の授業が終わり、二時間目の授業というように時が流れていくにつれ、どうにも体の様子がおかしいことに気づいた。


 そういえば昨夜、メラニーが熱を出してうなされていた時、なぜか俺の部屋にやってきたんだ。ひいこら言いながらやってくるので、無理せず休めと言ったところ、予想の斜め上の返しがきた。


「おにーさま、メラニー辛い。看病して!」


 確かに具合が悪いのは間違いないけど、そういうのはメイドとか従者にお願いしようね? っということを普段より優しめに伝えたが、妹はなぜか引かず、ベッドまで占領されてしまう。


「まったく。お前は仕方のないやつだ」


 仕方なく濡れタオルや飲み水の準備をした。こんなことをする貴族なんていないだろうな。しかし、世話をしてあげるとより可愛く感じるようになるのは不思議だ。


 とりあえず落ち着いたメラニーだったが、結局は俺のベッドで寝る気満々で、さらには一緒に寝ようとまで言われてしまう。


「風邪を移されては敵わん。俺はソファで」

「やだ! 寝てくんなきゃやだ! さびしいよお!」


 うわー、泣き出しやがった。えんえん泣かれるとうるさくてみんな起きちゃうよ。っていうか元気あるのかないのか分からん。妹の押しに負け、俺は仕方なく一緒に眠ることにした。


 熱まで出ているのに、なぜかメラニーのやつは嬉しそうに笑っている。いやぁ、こんな子供がいたらあっちの世界でも、俺は幸せだったかもしれないなぁ。


 ……という経緯があり、案の定というか俺は風邪を移されてしまったっぽい。

 四時間目まできた時、思った以上に重症な気がしてきて焦った。


 視界がぐるぐる回り始めてる。黒板なんて見ても書き写せないし、何をすることもできやしない。


 ようやくお昼になって、俺は保健室に行くことに決めたんだが、そこまでの道がまた長い。


 普段なら余裕な道を、重い体を引っ張って歩くのはしんどかった。一階にある保健室への廊下を歩くとき、不意に誰かに声をかけられた気がした。


 しかし、誰から声をかけられたかは分からなかった。ここからしばらく、俺の記憶は途切れている。


 ◇


 目を覚ました時、白くて清潔な天井があった。

 ここは何処だ、と悩むより先に、誰かがこちらに気づいたらしい。カーテンの向こうから足音がする。


 そうか。保健室の先生か。誰かがここまで俺を運んでくれて、今は寝かされているらしい。


 寒気が酷くて頭痛がした。こりゃしばらく学園を休むことになるかもしれないと考えていると、


「失礼します」


 という鈴音みたいな声がした。カーテンが開かれると、保健の先生ではない学生服の少女がいる。


「お目覚めになったのですね。お身体は、大丈夫ですか?」


 なぜかそこにいたのはミナ・ツー・ギガスラックだった。


「あ、ああ」

「顔色が優れないようですね。廊下でお見かけしたのですが、突然倒れてしまったので驚きました」

「まさか、お前がここまで俺を?」


 微笑を浮かべて頷くミナ。澄みきった微笑みは、まるで雲ひとつない青空のように爽やかだった。


「貸しを作ったようだな……礼を言う。ところで今は何時だ」

「はい。今は十六時になるところです」


 げ! 放課後になっちゃってるじゃないか。カンタのことを待たせてしまっている。俺は体を起こそうとしたが、ミナが慌てたように両手で押さえてきた。


「あ! お待ちください。急に動いちゃダメです!」

「迎えを待たせている。行かねばならん」

「でも、ちょっとだけ待って下さい。この前覚えた治癒の魔法があったのです。もしかしたら元気にできるかもしれません」


 ぼーっとした頭で彼女の話を聞いているうちに、一つの魔法を思い出した。ああ、状態異常を治してくれるキュアのことか。


 確かにゲーム中のあらゆるバッドステータスを解消してくれたが、戦っている最中に熱や風邪を引くことはないので、効果があるかは分からなかった。


 でも、ものは試しだ。


「じっとしていて下さい。えーと……」


 金髪の少女は、手に持った魔導書を青い瞳で真剣に見つめ、慣れない口調で詠唱を始めた。どうやら本当に覚えたてらしく、どこか辿々しい。


 しばらくして、小さく白い掌から太陽を閉じ込めたような光が現れた。輝きはまるで俺に口づけでもするみたいにいたわり深く、すぐに体全身に浸透していくようだった。


 お、おおお! この光を浴びただけで、一気に倦怠感が消えて体が治っていくのが分かる。ミナは不安げな上目遣いでこちらの様子を伺っていた。


「あの、どうでしょうか?」

「ああ、随分と楽になった。もう普通に動けそうだ」


 すると、彼女はホッとした顔で小さな息を漏らした。


「良かったです。私でも、お役に立てましたね」

「役に立てたどころではないさ。回復魔法が得意なのか」

「そう……ですね。得意とまではいきませんが、好きです」


 他の魔法も使えるということか。回復魔法が使える人は是非欲しい! というわけですぐに勧誘したくなったが、なにしろあの勇者の妹だ。引き抜くのはほぼ不可能だろう。ああ惜しい!


 っていうかこんな可愛い娘とずっと一緒にいるのは危険だ。そろそろ本来の人格が表に出てしまうに違いない。


「さて、では帰るとしよう。世話になったな」

「あ! 急に動いちゃダメですよ。完治したわけではありません」


 小さくて柔らかい手に抑えられ、無理に動くのが忍びなくて迷った。ちょっとした押し会い気味になっているところで、保健室の扉がガラッと開いた。


「坊ちゃん! ここにいたんすかー! いやー、ずっと来ないから探し……」


 カンタが意気揚々と乗り込んできて、そして固まった。

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