第11話 覚醒の儀

 覚醒の儀の前夜。

 ミナは自室に篭り、鼻歌混じりに裁縫をしていた。


 丈の長いズボンは、膝の部分に小さな穴が空いている。兄であるゼールが剣の練習をしているうちに破けてしまったので、彼女が修繕していたのである。


 ゼールは練習用の服をなかなか変えることをしない。いつもボロボロになるまで使い込むのだが、完全に使えなくなるまではミナが修繕するのが日課になっていた。


 兄は妹が直したがっていることに気づいていたので、メイドや従者に頼むではなく彼女にお願いしていた。


 兄の役に立っていると感じるだけで、彼女にしてみれば嬉しかった。少しも苦にならない作業を淡々とこなしている間に、ふと手が止まる。


「あら……これって……」


 その時、不思議なことが起こっていた。針を持つ右手に、金色の小さな光がいくつも浮かんでいたのだ。


 普通であれば恐ろしさを感じるはずだった。しかし、この時いつもなら怖がりだったミナは、少しも心に怯えが芽生えなかった。


 むしろ、まるで蛍の光を思わせるささやかな光に、温かいものを感じている。


「あなた達、誰?」


 ミナにはなぜかその光達が生き物のように思えた。問いかけに答えない代わりに、光の群れはよりいっそう輝きを増し、彼女を包むようにして消えていった。


(今のはまるで、妖精さんみたいだった。でも、まさか……)


 そんなことがあるはずがないという気持ちと、この目で見た超常現象を信じる気持ちが、少女の中で行ったり来たりしていた。


 何かの前触れなのだろうか。そう思いつつも、答えを教えてくれる者は誰もいない。すでに夜は更けていた。


 ◇


 朝になって、ゼールは誰よりも早く起床した。今日という日が、自分にとって何よりも輝かしい始まりとなる。


 確信が力となり、日が明けてすぐに行動せずにはいられなくなった。普段から着替えは自分で行なっている。この日は白い燕尾服を身に纏っていた。神様から力を解放していただく儀式には、できる限り美しい身で望まなくてはならない。


 同じように早起きをしたミナは、兄に挨拶をするなりその精悍な姿に驚き、そして喜んだ。


「お兄様。今日という日に立ち会えること、妹として誇らしく感じています」

「はは。大袈裟だなぁミナは。そんなに硬くならなくて大丈夫さ」


 両親もまた彼の姿を見て、高まる期待に胸を疼かせる。朝食をしっかりと済ませた勇者になろうとする男は、最後の身支度を終えると颯爽と家を出た。儀式を受ける者だけが、一時間ほど早く教会へと赴くのが通例だった。


 この時、ギガスラック家の面々は興奮を抑えきれず、どこかお祭りのような雰囲気があった。両親やミナだけではなく、執事や従者、メイド達もまた彼が大きく覚醒するこの日を待っていたのである。


 はやる気持ちを必死に抑え、ミナもまた丁寧な身支度をした。青いドレスが全身を軽やかに演出し、銀のネックレスが首元を彩っていた。


 両親もまた支度を終え、いよいよ教会へと家族で向かう。


 教会にはすでに多くの人々が、祭壇に立つ少年に熱い眼差しを送っていた。礼に乗っ取り誰もが着席しているが、儀式が始まれば歓声とともに立ち上がるだろう。


 少し遅れてやってきた両親と妹は、用意されていた最前席へと静かに向かい、その時を待つ。祭壇で静かに佇むゼールは、神父がやってくるまで胸を張り、堂々とした姿勢を崩さなかった。


 やがて神父が壇上へと上がる。まずは短い挨拶とこれまでの覚醒の儀についての歴史を語り始めた。誰もが聴いているようで、実は全く耳を貸していない。しっかりと話を理解しようと努めているのは、ミナくらいのものだった。


「では、これより覚醒の儀を始めます。神のしもべゼールよ、前へ」

「はい」


 儀式において、決められた手順を間違わず、堂々とこなすことは何より重要だった。前もってリハーサルをしていた通り、三歩ほど距離を詰めたゼールは、ここでゆっくりと瞳を閉じる。


 ここからは未知の世界。彼にとって、幻想的な祝福が訪れるはずだ。


 神父は詠唱を行い、彼に金色の粉を頭から振りかけていく。汚れを浄化し神を招き入れ、秘められし力を解放するために使われる粉だった。


 神父の口から紡がれる魔法の言葉は、ゆうに五分は続いたことだろう。そのうちに静まり返った教会に変化が訪れる。縮小させたオーロラのような光が、教会の天井付近に現れたのだ。


 ミナははっとしていた。天井から目を離すことができなかった。光はフラフラと彷徨い、ゆっくりと兄の元へと降りてゆく。


 そして、彼を極上の輝きと共に包み込むだろう。だが、ここから教会の空気は少しずつ予想しない方向へと変わる。


 神父の川の流れのように滑らかな詠唱が、唐突に止まってしまった。彼の瞳は明らかに狼狽の色があり、体には震えがきていた。


「どうしたことだ。これは……」


 思わず放った一言に、ゼールも想定外のことが起きていることを知った。


「神の光が、ゼールに向かっていない」


 勇者になるはずの青年は、目の前から発せられた言葉に思わず瞳を開けた。白く輝くオーロラは、どういうわけかゼールを避けるように、風に吹かれるが如く揺れ進んだ。


 するすると流れた光は、まるで生き物のように動きを止めると、明確にある人物へ向けて進み始めた。


「ど、どうなってるんだよ!? 僕のはずだろ!」


 ゼールの叫びが虚しく響いた。ざわざわと教会内を動揺が支配していく。誰もが驚き、ことの顛末を知りたがった。そして答えが出る。


 光はやがて、妹であるミナに優しく降りかかったのである。金色の小さな光達も同時に彼女の体から現れては消えた。


 ミナは何が起こっているのか理解できず、ただ兄と見つめあっていた。


 兄が変わり、妹が変わることを余儀なくされたのは、この日がきっかけだった。

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