第6話 ミナとゼール

 陽光が眩しく整った金髪を照らしていた。

 まだ顔に少年のあどけなさを残している彼は、ただ必死に稽古を続ける。


 屋敷の庭はそこらの公園よりもずっと広く、一人でいると寂しくなるくらいだったが、稽古をしている時は不思議と気にならない。


 もうすぐ、自分にも武術を教えてくれる教師がくる。これまでずっと望んでいたが叶わなかった。


 貴族としての作法や勉学を叩き込まれるばかりで、強さを磨くという学びの機会はずっとお預けだったのだ。


 でもそれも、もうすぐ終わりだ。彼は額から滝のように汗を流しながらも、重い木剣を手足のように扱うための練習を続ける。一時間ほどして、やっと剣を下ろした。


 一人の少女が、疲れきった少年に歩み寄ってきた。その細い手には白いタオルと、トレーに乗せた水入りのコップがある。


 彼と同じ金髪だが、その光り方は幾分優しかった。背中まで伸びた髪がふわりと風に揺れる。


「ゼールお兄さま。少し休憩をなされてはいかがでしょう」

「ん。ああ、そうか。僕はどれくらい練習してたんだろ」

「一時間程です」

「ははは! もうそんなに経ってたのか。参ったな」


 少年は満ち足りた顔で少女が持ってきたタオルを受け取り、汗を拭いた後で水を飲んだ。


「くうう! 最高だよ。この為に頑張ってるのかもな」

「ふふ。お兄さまらしいですね」

「ところでミナ。君も来年、僕と一緒に入学が決まったそうだね」


 ミナと呼ばれた少女は、微かな笑みを浮かべている。


「ええ。未熟者ではありますが」

「おめでとう! 飛び級入学なんて初めて聞いたよ。凄いじゃないか!」


 兄の爽快な笑みを一身に浴びて、妹は照れくさそうにもじもじしているばかりだった。


「私なんて、兄様に比べたらお話になりません」

「そこは謙遜しなくてもいいんだよ。君らしいといえば、君らしいけれど」


 自然と彼の手は妹の頭を撫でていた。妹は子供扱いされるのが少し嫌だったが、こうして撫でられるのは好きだった。


 快活で暴れん坊、でありながらも礼儀を弁えた兄と、大人しく知識に秀でた妹。


 二人は代々、勇者の力を持つものを世に送り出してきたギガスラック家に生を受けた。由緒正しい貴族でもあるから、人生にはしっかりとレールが引かれている。


 兄はこれから受ける覚醒の儀で、ほぼ間違いなく勇者としての力に目覚めるだろう。五百年という長いギガスラック家の歴史において、勇者の力が跡取りの中で誰も備わらなかったことなど一度もない。


 生まれたばかりのゼールを見て、彼の父は確信したのだという。この子が力を宿すに違いないと。だから三人目の子宝に恵まれなくとも焦らなかった。


 強烈な兄の影にいた妹は、初めから勇者という規格外の力など期待されていない。ただ太陽を見守る月のように、静かに佇んでいれば良かった。


 ミナが自分のこれからについて、ふと物思いに耽っていると、ゼールは不思議そうに顔を寄せた。


「どうしたんだ? 何か不安なことでもあるのか」

「いえ。特に不安はないです」

「いーや、今のは不安がっている顔だったよ。当ててあげようか。昨日君を轢こうとした、あの馬車のことを考えていたんじゃないか?」


 彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐに思い出した。あの乱暴な馬車の割り込みで、危うく馬に体当たりされるところだったことを。


「お兄さまは何でもお見通しなのですね。私、申し訳ないことをしてしまいました」

「君は悪くない。悪いのはあいつだよ」


 ミナはあの時、奇妙な違和感があったことを覚えている。子分を引き連れて馬車から降りてきたあの男。あれは確か、グレイド・フォン・ポーンという人だ。


 有名なポーン家の三男坊であり、名家唯一の汚点などと蔑まれている男。噂は有名で、最初ミナは彼の目に恐怖を覚えた。


 だが、なぜかその瞳の色が、途中から急激な変化を見せる。顔立ちや立ち振る舞い、纏っているオーラすら何か変化したかと思うと、何もせずに去っていった。


 あの変化はなんだったのだろうか。見た目は変わっていないのに、まるで雰囲気が別人のようだった。


 しかし、どうやら自分以外には、その変化は気づかなかったらしい。現に前にいる兄は、彼のことを思い出して苛立ちを募らせていたから。


「あんな奴が貴族だなんてね。僕はいずれあいつと白黒つけることになると思うよ。だから何も怖がることはない」

「そんな、おやめください。謝るべきは私でした」

「いいや! それは違う。さて、僕はもうちょっと鍛えるかな! 先生に早く認めてもらって、すぐに上級の技を教えてもらう。そして——」


 朗らかな笑顔を浮かべていたゼールだったが、言葉は最後まで続かなかった。執事が大慌てで走ってきたからである。


「ゼール様ぁ! 決まりましたぞ! 覚醒の儀の日取りが!」

「じい! それは本当か!」

「はい! 少し急を要しますが、三日後になるとのことです。ミナ様も、どうかご一緒に受けていただけますかな?」

「はい。是非とも宜しくお願いいたします」

「やったぁ! とうとう僕の力を見せる時だ!」


 微笑みを浮かべるミナと、飛び上がって喜びを爆発させるゼール。二人はどこまでも対照的でありながら、同じ未来を見据えていた。


 たしかに、この時までは。

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