第6話 皆神山

 数日後、黒葉真風は長野県松代の地に立った。大本営の移転先に選ばれた土地である。大本営は皆神山をくり抜く形で賽の目状に掘られた巨大な防空壕となっている。その地盤の強固さ、近隣に空港が設置されていることから大本営の移転先に選ばれたとされているが、一部では不穏当な噂もあった。

「皆神山はピラミッドである」

という話しである。最もこれはその山の形状、そして天の岩戸伝説をはじめとした日本神話との関連から酒井勝軍氏によって提唱されたものである。実際の所皆神山の地下はかつては川であり、噴火によってできあがったため、ゴロタ石によって形成されていた。つまり強力な地盤ではなかったのである。とても大本営の移転先に選ぶことは出来ず、別の場所に大本営は移転されることになった。だがそれでもこの地下壕は生かされた。

真風は大本営跡に向かって歩き出した。松代城跡を眺めつつ百姓家や武家屋敷の残る小道を抜け皆神山へと向かう。平地にぽつねんと立つ独立峰である皆神山は周囲を人家に囲まれ、道もそれなりに整備されていた。そこを真風は目立たぬように、知人の家を訪れる風を装い歩く。それでも、知らぬ人がいれば警戒されるのが田舎の常。

噂は住民の間を光速で広まる。早朝というのにすでに畑には人の姿が見える。

野良仕事の手を止め、老婆がこちらを見つめる。これだけで真風は自分たちの訪問はすぐに近隣に知れ渡ることを覚悟した。そしてそれはすぐに結果となって現れた。

「つけられていますな」

真風を追い抜きつつ百姓の格好をした男がぼそりと呟いた。

「気配の消し方から見て地回りあたりではありますまい。おそらくは相当な手練れ」

「 忍びだろうな。このあたりだと戸隠流か」

真風も聞こえるか聞こえぬか程度の声で返事する。大本営の守護者がいるだろうことは予測はしていたが相手が忍びとまでは想像していなかった。畑中少佐もなかなかやる、だが厄介なことをしてくれた、と相反する感想を持った。

僅かに体にまとわりつく人の気配を感じつつ真風は防空壕入り口へとたどり着く。百姓の姿をした部下がすでに待ち受けていた。

「奴らはなにも仕掛けては来ませんでしたな。様子見と言ったところでしょうが、中で襲われたら地の利のない我らに勝ち目はありませんぞ」

部下の言葉に真風は少し考え込んだ。いかに対処すべきか、追跡者をどう説得するかを考えた。そして出した結論は真っ正面から語りかけることだった。

「私は風魔忍群の総領、黒葉真風と申す。そちらは戸隠流の方々とお見受けする。少し話をしたいが宜しいか」

その瞬間に強力な殺気が二人を包み込んだ。武道家、暗殺者、そういった常に戦いの中に身を置く物の中でも超一流と呼ばれる者たちが身につける独特の気配。

相応の修羅場をくぐり抜けた真風もここまで強い気配を放つことは出来ない。戦えば敗北は目に見える、それ程の力を持っていた。

「畑中陸軍少佐がこの地に隠した物を回収に参りました。皆様のご協力をお願いしたく存じます」

素直に目的を告げるという忍びにはあるまじき行動に一瞬周囲の気配にざわめきが生じた。あり得ない行動が不意をついたのだ。真風はさらに追い打ちをかける。

「私の雇い主は百目。捜し物は陛下の護衛用に搬入された川崎飛行機製六式重機」

さらに続ける。

「雇い主の名前も目的も明らかしたこの意味をどうぞご理解いただきたい」

忍びにとって、雇い主の名前を明かすことなど絶対にあり得ないことだった。

それを明らかにすることは死を持って償わなければならないほどの意味を持っていた。

それをさらりとやってのけたことにさらに気配は動揺を見せた。

「少佐はすでに他界し、契約は破棄されている、加えて陛下も此所にはいらっしゃらない。我々がここを守護する理由はすでに無い。ただし、我々がお前たちに協力する義理もない。好きにするが良い」

老練さを感じさせる声が聞こえた。本能的に真風の声の持ち主がどこにいるか探そうとしたが、声は東からも西からも頭上からも聞こえるようで、位置は知れなかった。そして二人を覆っていた気配は不意に消え去っていた。

その声が消えたとき、真風は冷や汗をかいていることに気付いた。緊張がほどけ、どっと疲労がやってきた。しかし本番はこれからである。迷路のように入り組んだ地下壕を歩き回らなければならない。その労力を考え、真風はやや憂鬱な気分になった。

防空壕の中は真の暗闇であった。光の入らないということは夜の闇とは比べものにならない。ロウソクがなければ一歩として進むことは出来なかった。そして迷わないように紐を張る。ロウソクの淡い光であたりを見渡せば照明の施設が張り巡らされているのは分かるが、電源自体が一体どこにあるかがわからない。事前の情報ではゴロタ石ばかりで土壌は強固ではないと言うことだったが、実際には岩盤をくり抜く形で地下壕は構成されている。触れてみればその硬さが良くわかる。

「良くも短期間でこれだけの施設を造ったものだ」

真風は感心した。と同時に「人力だけでこれほどの穴を掘れるのか?」という疑問も持った。山の地下全体に配置された出入り口は所々終戦の際にふさがれ侵入者を拒んでいた。それ故に僅かな員数でこの地を侵す者を監視することが出来た。その結果この地に封印された秘密は守られことになった。地下故の年を通じての低温と湿気は調査が長引くほどに肉体に不快感を与えた。その時だった。突如明かりがともった。通路に所々設置された外灯に灯がともったのだ。

「お屋形様、配電盤を発見いたしました」

部下の声が地下壕内に響き渡った。薄暗いがロウソクよりも確実に明るい灯が周囲を照らした。見渡せばごつごつの壁面に地面も完全に平らなところはなく、虫の姿も見える。

とても長期間の居住に耐えられる所ではない。印象としては防空壕や地下壕と言うよりも鉱山である。

「軍はこんな所に陛下をお連れしようとしていたのか」

真風は呆れるように独りごちた。そして灯りの下、地下壕内全ての通路を探索したが目的の物は発見できなかった。

「お屋形様、私の方では何も見つかりませぬ」

配電盤の前に集合した二人はお互いの情報を確認し合った。

「しかしなぜこんな最深部に配電盤を設置したのでしょうか?入り口そばでなければ不便でしょうに」

それは真風も疑問に思ったことだった。そして導いた答えは一つ。ここが出入り口である、ということだ。一歩一歩地面を探り、壁を探る。音の変化で空洞を探そうというのだ。

そしてついに壁の一カ所が偽装された扉になっていることを発見した。

壁を押すと回転し、さらに地下へと延びる通路が現れた。階下と思われる部分から灯りが見え、階段は照明がなくとも歩ける程度には明るかった。

「これではまるで忍び屋敷そのものですな。素人には見つけることは出来ますまい」

部下がおどけたように声をかけたがその響きにはおびえや驚きのような物が感じられた。

真風はこの状況を見て、かつてラサを訪れたときのことを思い出していた。この感じはあの時同様に未知の知識に触れたときの感じに似ていた。

緩やかに下る通路を下がった先には広大な空間が広がっていた。防空壕はこの空間の直上に掘られているようだった。この空間には照明器具のような物は見当たらなかったが、床や天井がぼんやりと明るく本を読むことも可能な程度に明るかった。奥行きは一キロ以上はあろうかと言うほど広く、バラックが幾棟も見えた。その中に一際目立つ建物があった。

一見してそれは住居、しかも相応の豪華さをまとっていた。

「ここに陛下をお連れするつもりだったか」と真風は納得した。その住居の隣には軍の物と思われる建物があり、工場とおぼしき建物が併設されていた。

「これか」そういった真風の言葉の真意を理解し、部下が走った。真風はゆっくりと歩いて近づく。先ずは部下が確認する。一族の総領は慌てずじっくりと構えていれば良い。

案の定すぐに部下が戻ってきた。

「お屋形様、ありました。おそらくこれで間違い有りますまい」

真風が覗いた先は整備工場になっていた。そこには目的の川崎飛行機工業製「六式重機」が放置されていた。それは整然と並べられいつでも稼働可能な状態に見えた。全部で四両の重機が見えたが僅かづつ形状が違うように見えた。有る一両には右腕に槍のような物が装着されていた。近づいてみればそれは杭打ちであった。とがった先端を持つ杭で岩盤を穿ち穴を掘るための工具である。別の一両はドリルを両手で抱えていた。

「こいつで防空壕を掘ったか」

ここにきて最初に感じた違和感が解消された。この大きさであれば人の数倍、いや十倍以上の効率で作業を進めることが出来る。短期間であれだけのサイズの防空壕を掘れるわけである。しかしあらたに持ち上がった問題は、この広大な空間が何なのかという事である。

上層の地下壕とは明らかに出来に差がありすぎる。上層は床も壁もでこぼこで鉱山そのものだったが、この空間は床も天井も磨かれたように平らで光を帯びていた。

「少なくとも上の地下壕を造ったものとは別の誰かが造った物」であることは間違いなかった。ともかくも目的の物は発見した。あとは雇い主に状況を報告するだけである。

帰り際、朝方野良仕事をしていた老婆に声をかけられた。

「お嬢さん、捜し物はみつかりましたかの」

その気配に真風は驚いた。その年老いた姿とは裏腹に、大本営跡で真風を圧倒した凄まじい気配を感じさせた。

「おかげさまで見つかりました。ありがとうございました」

素直に頭を下げた。ラサで出会った老僧にしろ、この忍びであろう老婆にも、世界には自分が足下にも及ばない人間が数多いることを、真風は思い知らされた。

そして同時に時代が変わりつつあることも実感した。あれほどの手練れであっても生活するのが困難な時代になっていることを自覚した。そんな時代で自分の子を忍びなどと言う滅び行く職業に就けて良いものか、自分の代で終わりにしても良いだろうとも思いもした。そして各務原の町で出会った家族に思いが至った。自分の子はあの家族のように育っても良いのではないかと。

突然真風は自分の子を藤堂隆俊に預けることを決意した。


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