0日目②:朝とはじまりはすぐそこに

「夏彦くん」


呼びかけられると同時に体を揺さぶられている感じがする


「んぁ・・・?」

「よかった。普通に寝ていただけだった。おはよう。夏彦くん」

「おはようございます・・・彰則さん」

「おはようございます・・・って、何度も言うけど、仕事をしていない時は敬語じゃなくていいんだよ?僕のほうが年下なんだから」

「けど、なんとなく彰則さんは敬語使いたくなるんですよね。覚とは違って」

「それは、夏彦くんと巳芳くんの距離が近いからというのもあるよね」


彰則さんはさり気なく俺のマグにコーヒーを注いでくれる

その優しさと気遣いにお礼を述べてから、俺はそれを一口

適度な苦味が、意識をしっかりと覚醒させてくれる


「覚は彰則さんと同じガチの御曹司ですけど、そうは見えないから」

「ま、まあ・・・そうだね。良くも悪くも普通にしか見えないもんね、彼」

「少し金持ちっぽい洒落た趣味があるだけで、基本はどこにでもいる男ですからね。敬語使う気起きなくなるんですよ」

「僕だって普通だよ?実家が立派なだけで、どこにでもいる会社員。それは巳芳くんと変わりないと思わない?」

「そうですね。そう言われてしまえば、そうだ。彰則さんも普通ですね」

「でしょ?」


「けど敬語はつけちゃいますね」

「えぇ・・・まあ、そういう空気があるのかもね。どこかとっつきにくい感じ」


確かに、彼は覚とは違って、どこは品のある感じがする。とっつきににくさを助長しているのはこの真面目そうな雰囲気も影響しているかもしれない

けれど俺は知っている。彰則さんは真面目で厳しそうに見えるけれど、実際はふわふわで優しい人なのだ

いつもにこにこ。さりげない優しさで俺と良子を支えてくれている


「彰則さんふわふわですから。とっつきにくさなんてあるわけないじゃないですか」

「わ、ワックスで固めているからふわふわじゃ・・・!」


頭を抑えながら狼狽え始める姿は初めて見た

確かに、彰則さんはいつも髪をワックスでガチガチに固めているけど・・・実際はふわふわなのかな

けど俺が話をしているのは髪の毛の話じゃなくて・・・


「ワックス?雰囲気の話ですけど」

「い、いや・・・そうだよね。見せたことないから・・・ごめんね。さっきのは気にしないで」


気にしないで、というのなら気にしない

まあいいか。話したくないことだろうし、これ以上は深くは聞かないでおこう


「おほん。まあ、そうだね。本当は、敬語なしに、普通に話して欲しいけど、今は我慢するよ」

「すみません」

「謝らないで、夏彦くん。けれどいつかは僕も、皆と同じように敬語なしでお話したいな」

「はい」


それから彰則さんは俺の前に緑色の布で包まれた小さな容器を差し出してくれる

隣にはカップ春雨・・・?


「彰則さん、これは?」

「良子ちゃんから今日も泊まり込みだろうって連絡をもらったから。朝ご飯だけでも用意できたらなって思って、持ってきたんだ」

「こんなに・・・いいんですか?」

「うん。好みの味かわからないけれど・・・それでもよければ。ここのパン屋さんが売っている朝限定サンドウィッチ、とっても美味しいんだ。後はスープがお供にあったほうがいいかなって・・・食べられそう?」

「ありがとうございます。少し多そうなので、半分に分けてもいいですか?」

「うん。じゃあ半分はお持ち帰り?」

「帰れないので昼ごはんですかね・・・」

「あぁ・・・」


蓋を開けて、サンドウィッチを軽くつまむ

ふわふわの生地に、ゴロゴロ卵ペースト。朝ご飯には丁度いいお味と食感だ


「卵だから、後で事務所の冷蔵庫に入れておくんだよ」

「はい」

「ちゃんと名前書いておかないと取られるからね?」

「わかっていますよ。彰則さんは心配性ですね」

「君には巳芳くんと東里くんがいるからね。名前を書いていても取られそうだけど」

「流石に彰則さんからの貰い物ですよ。渡すわけがないじゃないですか。俺が大事に食べます」


「・・・」

「どうしました?」

「いや・・・なんでもないんだよ。朝だからかな。ぼおっとしていたみたい」


へえ、彰則さんでもそんな事あるんだ

いつもしっかりしてて、年下には絶対に見えない人でも・・・

家庭の事情でバタバタしていると言っていたから。もう少し落ち着けられるように仕事の負担を肩代わりできるようにならないといけないな


「無理しないようにしてくださいね」

「うん。わかってる。夏彦くんも無理しないようにね」

「もちろんです」


ふとした瞬間に、電話がなる

時計を確認してみると、まだ朝の六時半だ

こんな朝早くから電話がかかってくるのは初めてだ


番号は・・・非通知のようだ

正直、そんな電話なら出る必要はないと思った。不審な電話なのだから

けど、従業員の誰かに何かあったかもしれない

そんな可能性も否定できなくて、俺は恐る恐る受話器を手にとった


『・・・』


ノイズが酷くて上手く聞き取れない電話だ。男性、だろうか


「もしもし。聞こえていますか?」

『・・・・・・・』

「もしもし。もしもし」

「夏彦くん、大丈夫?」

「ノイズが酷くて聞こえなくて・・・彰則さん、聞いてみます?」

「う、うん・・・」


彰則さんに受話器を渡してみると、彼も怪訝そうに顔をしかめる


「確かに、これじゃ聞き取れないけど・・・一つだけ聞き取れたよ」

「何が聞き取れました?」

「訃報・・・と、聞き取れたんだ。誰かが亡くなったのかもしれない。もう少し聞いてみようと思う。これは僕がやるから、メモを持ってきてもらえるかな」

「わかりました!」


メモ帳をデスクから取ろうとすると、なぜか俺の端末の方にも着信が入る

こちらも非通知。偶然、だよな

俺の方針としては非通知だろうが知らない番号だろうがとりあえず出てみる・・・だが


「彰則さん。俺の方にも着信入ったんでお願いします。メモ帳とペン、ここに置きますね」

「ありがとう。こっちは任せておいて」

「はい。お願いします」


とりあえず事務所の外に出て、その電話に出てみる


「・・・もしもし」

『もしもし。もしもし。聞こえているか?』

「聞こえています。あの、どちら様で」

『巽龍之介が死んだ。柳永に戻れ』


電話の主はそれだけ告げて、通話を終える

どういうことかわからないが、巽龍之介は俺の爺ちゃんの名前だ

正直、疑いたい話だ

けれど・・・この電話は、同じような電話はかつて一度あった

婆ちゃんが亡くなった時も、同じように電話があった

最初こそいたずらかと思ったが、その後すぐに慌てた東里がやってきて・・・婆ちゃんが亡くなったと連絡をもらったから

にわかには信じられないけれど、どこか、また・・・同じような気がするのだ


「・・・彰則さんのところに戻ろうか。電話の進展があったかもしれないし」


同じように電話に対応している彰則さんは、誰の訃報を知らされるのだろうか

・・・まさか、な


事務所に戻ると、困った表情の彰則さんと寝間着姿の東里が立っていた

この会社の社長でもある東里の自宅はビルの最上階にある

だからこの場にいてもおかしくはないのだが・・・


「夏彦くん。さっきの電話ね、夏彦くんが事務所から出たら切れちゃったんだ」

「そうですか・・・で、東里はなんでここに?まさか寝間着が仕事着なんて言うわけじゃないよな」

「そんなことあるわけないじゃないか。流石に僕もパジャマで仕事なんてしない・・・ってそうじゃなくてね、夏彦。よく聞いて」

「・・・何かあったのか?」

「さっき、僕の自宅の方に夏彦のお爺様のお手伝いさん・・・寅江さんから電話があってね」


今朝、お爺さんが亡くなられたから、唯一の親族である夏彦に柳永へ戻ってきてほしい・・・そう、連絡があったんだ


そう、東里が告げてくれる

あの電話の主と同じように、爺ちゃんの死を、伝えてくれた


今思えば、これが全ての始まりだった

誰かわからない電話で祖父の死を知り、彼が住んでいた柳永へ向かう

そしてそこで俺は出会うことになるのだ

爺ちゃんと一緒にいた、誰かの為に何かを成せる自己犠牲だって厭わないお人好しで、世話焼きな神様と


・・


柳永のとある民家にて


「龍之介、お疲れ様でした・・・後は私に任せてください」


しわくちゃになった老人の手を握りしめる、青緑の髪をもつ少女

その少女は少しだけ、変わっている


「りんどうちゃん、会社に電話したら社長さんがお孫さんに伝えてくれるってことだったわ。こっちに来られるから、泊まれる準備をお願いできる?」

「もちろんです。しかし由紀子ゆきこ。貴方も家のことがあるでしょうし、葬儀の手続きは私が・・・」

「一応、最期が来た時はその面倒を見ることも契約に含まれているから。最期までお手伝いさせてね。それに、りんどうちゃんじゃ・・・」

「む?」

「見た目が幼すぎて、任せてもらえないと思うわ・・・」

「ですよねぇ・・・」


その少女は、どこからどう見ても小学生ほどの身長と年齢に見える

しかしそのどこか落ち着いた空気は、小学生には見えない

それに・・・


「はぁ・・・この体格で過ごして二百年以上。気に入ってはいるのですが、もう少し威厳とか欲しいものですよねぇ」

「あらあら。可愛いのに」

「むう。可愛くても対して意味はありません。由紀子がいうこの可愛い見た目は、私が齢二百歳超えの神様なんて信じてもらえない一因にもなっているのですよ?」


「そうね。私も最初半信半疑。そもそも神様だなんてと思ったほどよ・・・今も信じられないわ」

「普通はそのへんにいませんからね、神様」

「そうねぇ・・・あら、お客様だわ。りんどうちゃん、ここはお願いね」

「もちろんです。来客は由紀子、お願いしますね」

「任されました」


誰もいなくなった龍之介の寝室に置いてある椅子に少女は腰掛ける

特徴的な角と尾を揺らしながら、ベッドサイドに置かれている写真立てを手にとった

その中には、面倒くさそうにこちらを見る山吹色の髪の青年

彼が龍之介の孫。確か名前は・・・秋、冬、春・・・そうそう。夏彦。夏彦だ


「夏彦様。夏彦様。あの方の生まれ変わり。私は早くまた、貴方にお会いしたいです」


初対面でも、彼女にとっては「再会」になる出会い

その日とその瞬間は、もう遠くない

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