第7話 すべる指先
世界は秋めいて、校内が文化祭の準備で騒がしくなってくると、私たちは昼休みも放課後も、急いで第二視聴覚室に逃げ込むようになった。
私のクラスの出し物は「夏祭り」。
射的、輪投げ、スーパーボールすくい、ソースせんべい屋と、夕方には来校者を交えて盆踊りもやるという。
実行委員長の榎本くんがテキパキと指示を出していた。いつもはふざけてばかりだけれど、こういうときにはその声の大きさが役に立つ。
私には関係ないけど。
三十五人クラスで、それぞれの屋台に担当者が五人ほど。兼任の人もいる。
結局楽しむ人たちだけで事足りるのだ。
私に与えられた『装飾係』は他に十人ほどいたが、これは名ばかりの、参加しなくてもいいという免罪符だ。
塾など勉強で忙しい秀才一派や、オタクと一括りにされる私を含めた陰気な連中、部活で青春を駆け抜ける人々が名を連ねる。
とにかく全員に役職名をつけて参加した感を出すなんて、高校生にもなって必要なことだろうか。
本当は楽しみたいけど楽しみ方が違うだけ、という人もいるんだから、クラス単位で催さなくてもいいのに。
いや、そういう違う人同士が、どうやったら無視し合わないでうまくやれるか学ぶのが学校の本質なんじゃないのだろうか。
そんなくだらないことを考えていたら、視線の先で、王様とピアス先輩が、マッチョの一年生、シゲくんをドラムセットに座わるよう追い立て始めた。
私と春田さんを含め教室にはあと五人いたけど、みんなその場から眺めてる。
シゲくんは、会話も身体的接触も苦手で、運動部の勧誘から逃げるためにここに流れ着いたらしい。
ピアスさんは彼に渡す前にスティックをティッシュで拭いてあげていた。
漏れ聞こえた話では、シゲくんは潔癖症でもあるという。
さっきまで三人は机を指で叩いてドラムごっこをしていたから、本物を触らせることにしたのだろう。
「嫌がってないかな……」
私の囁きに反応して、春田さんは私から視線を外して彼らを見た。
「シゲはドラムうまいよ」
「え、そうなんだ。知らなかった」
「授業中とかに来てる」
「ああ」と、納得して、私は笑ってしまった。
彼もれっきとした軽音部員ということか。
「ユキちゃんいると、緊張してできなかったんじゃないかな……」
「え?」と彼女を振り返ったところで、演奏が始まった。
私には上手いかどうかはわからないけれど、シゲくんは、心地よくずっと同じリズムを刻み続けた。
「知らない人、苦手だから、あいつ」
春田さんは、片頬をあげてニヤリと笑うと、リズムに合わせて体を揺らし出した。
ここは、違いすぎてはぐれてしまった人の漂着地だ。
学校に馴染めないどころか、その機能を享受し損なってる。
(でも、楽しいからいいよね……)
ふふ、と笑って私もリズムに乗った。
◇
いよいよ来週が文化祭というころ、私たちと同じ二年生で、金髪のお調子者レオくんが、シゲくんを誘って熱心に曲を練習しているのに遭遇した。
私が見るに彼は、「本当はクラスのみんなと楽しみたいけど、金髪と喫煙がやめられなくて輪に入れない」という感じだと思う。
思春期って難しい。
文化祭の代わりをここでやるつもりだろうか。
私は春田さんを見た。
彼女はもちろん私を見ている。
目が合うと、やっぱりドキドキする。
「あの曲……なんだっけ」
レオくんのギターは危なっかしくて、知ってる曲の気もするし、違うような気もしてくる。
「すごくゆーっくりした、Smells Like Teen Spirit」
それって誰の曲だっけ、と頭をフル回転させた。
私は春田さんのことを知りたくて、彼女のプレイリストを共有してもらっていた。
それで、彼女が聞いてるバンドの名前も曲名もちゃんと覚えたつもりだったが、言葉で聞いても、文字が浮かんでこなかった。
それに、実は、春田さんがギターを弾いているところは見たことがなかった。
なぜなら一緒にいる間、彼女は私に夢中だから。
自分で言うのは恥ずかしいが、事実だからしょうがない。
背負ってるギターケースは空ではないはず。
他の人はまがいなりにも軽音部だし、こうして時々演奏しては楽しんでいる。
ギターが弾けるのはピアス先輩とレオくんで、二人がリクエストを聞いて、カラオケ大会みたいになることもある。
「なにか弾いてよ」
覗き込んでお願いしてみたら、顔を背けられた。
根比べだ。
と、そのまま見つめてみる。
「……いいよ」
しぶしぶ了承した春田さんは、嫌そうに立ち上がると放り出してた自分のギターを取り出し、肩にかけながら歩いていった。
その時になってやっと気がついた。
彼女は左利きだった。
(私、そんなことも知らなかったんだ……)
もしかしたら私は、全然春田さんに注目してなかったんじゃないだろうか。
恥ずかしさと後悔で耳まで熱くなる。
気がついたレオくんとシゲくんが、じゃあ最初からと笑って迎えた。
どうやら、ギターは彼女が教えていたらしい。
レオくんが一生懸命何か聞いてる。
聞き覚えある気がしてた音は、春田さんのリードで鮮明になった。
なんてことなさそうに演奏している、伏目がちな彼女は、信じられないくらい綺麗でかっこよかった。
弦を押さえ、滑らかに滑る指先、揺れる髪。
小さく歌う唇。
急にこっちを見て、にっと笑らわれて、私は心臓を射抜かれた。
息もできないほど。
ああ、本当に好き。
私、彼女に夢中だ。
演奏が終わると、その場のみんなが拍手した。
「失敗した」とか「よかったよ」とか言いながら盛り上がってる。
私は興奮して立ち上がってしまった。
「すごいね」
勢い歩み寄ってしまって、スターに出会ったみたいに握手でもしそうになった。
「ユキちゃんも、まざる?」
「いや私、楽器なにもできないし」
思わぬ申し出に、顔の前で慌てて両手を振った。
「……じゃあ、歌う?」
「え?」と言ったまま私は固まってしまった。
音痴ではない自信はある。
でもいまここで?
みんなの前で?
「ユキの声、好きだよ」
音楽の中にいる春田さんは、すごく自然に微笑んでくれる。
そのキラキラした姿に、逆らえるわけない。
確かに、みんなで演奏してるとき、いつも後ろでこっそり口ずさんでた。
英語の勉強にもなるし、なんて思って。
そうだよね、あんなに近くにいるんだもん。
聞こえてたよね。
「エヴァネッセンスだったらハモれるよ」
春田さんはニヤニヤしながら私を見つめた。
上等だ。やってやろうじゃないか。
私は深呼吸しながら春田さんの隣り、隅に追いやられていたマイクの前に立った。
「俺もまぜてー」
と、先輩が走り寄ってきて、スタンドにあったベースを手に取る。
ほんの少し音を合わせたら、「どうぞ」と目配せされた。
私がそっと歌い出すと、後ろから春田さんのギターが寄り添う。
ベースとドラムが空気を揺らす。
たった五人の観客は両手をあげて大盛り上がりで。
嘘じゃない、楽しそうな声。
誰かがボリューム上げてる。
王様が笑って、窓を全開にした。
煙草の匂い、嫌いじゃない。
どうしようもなくて、クズだけど大好きな父親と同じ匂い。
マイクスタンドを掴んだのは、足が震えたから。
息を思いっきり吸って、副流煙で肺がチリって。
吐き出す声は歓声を呼ぶ。
春田さんのギターが馬鹿みたいに私を攻め立てる。
負けない勢いで覆いかぶさる私の音。
カーテンを巻き上げる風が気持ちいい。
見つめあって、交わる二人の歌声。
まるで、ひとつになれたみたいに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます