第8話 わたしのあなた
生徒指導室なんて初めて入った。
自分とは無関係な場所だと思ってたのに。
「どうしてあんなことしたんだ。なにがあった」
あんなこと、とは軽音部が窓を開けて爆音を外に響かせたこと。
担任の先生は心底心配しているって顔を作ってるつもりらしいけど、「面倒だ」とか「この馬鹿が」って気持ちが透けてる。
こんな顔向けられ続けたら、ますます捻くれてしまいそう。
「先生、最後までちゃんと、私の話を聞いてくれますか」
「もちろんだ。何でも話せ」
先生は座り直して、微笑んでくれた。
私は、目一杯抵抗することにした。
「私、クラスの数人からいじめられてました」
思ったとおり、彼は驚いた。
合いの手を入れられる前に続ける。
まだ私のターン。
「私ストレス性の睡眠発作があって、ストレスがかかりすぎると、どんな状況でも急に寝ちゃうんです。それをおもしろがられて、一年の終りくらいから……」
ちょっとの間。
彼は言葉を探してる。
「やられてることは大したことじゃないんで、たぶん他の人は知らないと思います。たまに痛いこともあったけど」
眉を寄せて笑って見せる。
先生は真剣な顔でこっちを見てる。
「それでも、クラスでうまくやろうと思ってたんですけど……でも、ちょっとつらくて。一カ月くらい前かな、通りかかった春田さんが私を介抱してくれて。それから、昼休みだけはクラスから離れて、彼女とご飯食べるようになったんです。春田さんは学年でも人気者だし、先輩にも後輩にも好かれてて、うらやましいですね」
彼女はすごい。怒られてほしくない。
「でもな、吉村。あんなところに出入りしてたらお前まで」
「先生、私には、どっちがいいかなんてわからないです。少なくともあの部屋にいる誰も私を馬鹿にしたり疎外したり、暴力を振るうことはしなかった。私は弱いから、みんな守ってくれました」
緊張から震えてしまう手を、渾身の力で握って抑える。
先生の顔は、怖くて見れなかった。
謝って終わりにしたくない。
あの楽園は、私の大切な場所だってちゃんと伝えたい。
「あそこは私の避難場所なんです。保健室も図書室も私にとっては、苦しいだけで……」
「そうか……」
先生はなんとか飲み込んでくれた。
「でも、最初に言ったとおり、最近はあんまりからかわれたりもしなくて。なんでだろ、春田さんと友達になって、楽しくて、みんなとも笑って話せるようになったら、案外普通に接してくれるようになって」
いい話もしておこうと明るく笑うと、先生も愛想笑いで答えた。
もう全身から終了の合図が流れ出ている。
「先生、今回のことは反省してます。でも、発散することっていいことですよね。みんなで大きなことするって楽しいです。あんなに大声出したの初めてで、すっごく楽しかったです」
私が子どもらしい雰囲気で楽しそうにそう言うと、先生も思わず笑ってしまって、咳払いして真顔に戻った。
「それでも、あんな大きな音をさせたら周りの迷惑だろ」
「それは反省してます」
「まあ、いい曲だったな。お前の声も、かっこよかったぞ」
先生はすっかり上機嫌になって、それからしばらく他愛もない話が続いてしまった。
これを切り上げられるようになったら一人前だな、なんて悪いことを考えていたせいか、話は思わぬ所に着地をしてしまった。
「それで、先生、文化祭のステージ空けてくれちゃったの……。そんなつもりじゃなかったんだけど……」
「ふーん……」
生徒指導室からまっすぐ第二視聴覚室にやってきて、そのままぐったり机に突っ伏した私に、窓辺に座った春田さんがアコースティックギターをいじりながら相槌を打つ。
彼女はアコギも弾けるのだ。
私は「もしかして、天才なのかな」と思ってる。
「私以外の人、協力してくれるかなあ」
春田さんはなんてことない調子でそう言って、じゃらんと弦を弾いた。
「そりゃ、そうですよね……」
大きくため息する私に、彼女は穏やかな曲をプレゼントしてくれた。
見つめられるのと同じくらいドキドキする。
「大丈夫だよ……」
しばらくの沈黙ののち、春田さんが静かに言った。
顔を上げたら、夕日に煌めく長い髪やまつ毛や、しなやかに動く彼女の指が、絵画のように美しくて、私はぼんやり見入ってしまった。
どうしてこの人は、私を選んだんだろう。
どうして、こんなに好きなんだろう。
胸が締め付けられて、泣きそうになる。
なのに、彼女が私を見て、二人の視線が絡まって、微笑まれたら、途端になにもかも大丈夫な気になってしまった。
◇
文化祭の当日、私は朝から第二視聴覚室にこもって、逃げようかどうしようか悩んでいた。
本当は学校へ来るのも億劫だった。
父は仕事で来ないから、それだけは救いだ。
廊下に貼り出された体育館ステージの進行表には、三時から十五分間『軽音部』と差し込まれている。パンフレットに記入するのは間に合わなかったらしい。
そのまま反故になってくれればよかったのに。
それならどうせ誰も来ないだろうとも思う。
行く必要があるだろうか。
頭を抱えていたら、メイド服姿でギターケースを背負った春田さんが現れた。
私は驚いてなにか叫んだと思う。
「うちのクラス、メイド喫茶やるんだって。知らなかった。行ったら着せられた」
淡々と言いながら、なんでもない様子で彼女はギターを取り出して調整を始めた。
単純に似合っていて可愛かったのでなにも文句はない。
「あ、私、制服で舞台立つのか……」
「これ着る?」
「いや、似合わないだろうし、きっと大きいよ」
私は慌てて拒否した。
すると春田さんは何か思いついたようで、走って出ていき、五分もせずに戻ってきた手には、黒いワイシャツとズボンが握られていた。
クラスの一番背の低い男子が着る予定だったものを取ってきたと言う。
「似合うと思って」
私はそれ以上何も聞かず、ありがたくそれを着ることにした。
久しぶりに、彼女の前で服を脱ぐ。
たかが着替えだけど、私たちにはそれ以上の意味がある。
もう普通のことのようになってしまっていた、彼女の視線。
このまま二人で、どこかに逃げてしまいたい。
不安と緊張で考えがまとまらない。
気がつくと、春田さんが目の前にいて、冷たくなった私の手を取ってくれた。
「大丈夫だよ。私がいるよ」
視線が合って、見つめ合うほんの数秒。
彼女がゆっくり近づいて、私は目を閉じた。
頬に柔らかい感触。
小さく音を立てて離れて、もう一度見つめ合う。
きっと大丈夫。
春田さんは、それでもやっぱり二歩下がって、私が着替えるのをじっと見つめた。
あなたって本当に変で、最高ね。
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