女子高生2人の歪な恋『視線』
所クーネル
第1話 そして出会った
ぱこん、と音がした。
なんだろう。
ああ、私の右足から、上履きが床に落ちたんだ。そう思いながら、私は意識を取り戻した。
目を開けると、天井が霞んで見える。
メガネが汚れてるせいだ。
机が整然と並んだだけの、放課後の空き教室のがらんとした空気。
口の中は血の味がするし、あちこち痛い。
起き上がろうとして、バランスを崩して今度は自分が床に落ちた。
「わあっ」
同時に派手な音がして教卓が倒れる。
まさかそんなところに乗せられていたとは。
どうやって。
いや、乗るように言われたような気もする。
とにかく私の体が軽くてよかった。
(他の人だったらいまごろ大怪我だよ……)
「……他の人なら、いじめられてないっての」
心の中の純真な私を、擦れた私が馬鹿にする。
いじめの原因にもなってるというのに、独り言をやめられない。
座り込んだまま、ぼんやりと床板のラインを見つめてしまって、やっと息を吹き返したのは何分後だったのか。
数秒だったかもしれないけれど。
くしゃくしゃの癖毛が砂っぽいという不快感が、私を現実に引き戻してくれた。
青春真っ只中の十七歳だというのに、かわいくまとめる気力もお金もなくて、楽だからとメンズのショートを見本に選んでいるおかげで、こういうときに遠慮なくゴミを払い落とせる。
バサバサと音がするほど叩いてから、醜い自分とクソみたいな世界との間に分厚い前髪を戻す。
よろよろ立ち上がって、教卓を元に戻したところで気がついた。
後ろの方に誰かいる。
視界の端に何か映った。
確かに視線を感じる。
恐る恐る振り返ると、窓際の一番後ろの席に髪の長い女子生徒が座っていた。
椅子に腰で座って足を投げ出して、厚手のカーディガンのポケットに両手を突っ込んでて、そんな不良みたいな人うちの学校にいただろうかと思うほど威圧感があった。
夕日が当たって赤っぽく透ける髪は絶対染めてるし、長く緩くウェーブしていて綺麗だから絶対パーマも当てている。
両方とも本当は校則違反だ。
みんな気にしてないけど、私は気にする。
でもその瞬間は、そんなことどうでもいいと思えた。なにもかもが、どうでもいいと。
だって彼女の、揺れる前髪の隙間から覗く、キラキラした瞳が、私を見ていたから。
お互い前髪が邪魔して、視線は判然としないけれど、目が合った気がしたと同時に思い出した。
クラスが違うから話したことはないけれど、彼女は「変わってる」って有名で、名前だけなら聞いたことがあった。
『暗い』とか『キモい』とか陰口を言われてはいるけれど、私と違っていじめられないのは、きっと美人だからだ。
「い、いたの?」
へらへらと、曇り眼鏡で馬鹿な質問。
「……ああ、うん」
と、無愛想な返事。
「そっか」
私は自分の中で鳴った『会話終了』のゴングを聞いて、帰り支度を始めることにした。まずは服のホコリをはたく。
彼女は、私が吉村ユキという名前だということも知りはしないだろう。
同じクラスの人にも名前を間違えられることがあるし、一言も話したことない人もいる。
ここに連れ込まれたときは周りが良く見えていなかったから、彼女は最初からそこにいたのかもしれない。
それとも、あの輪の中にいたのだろうか。
跡の付く紺のブレザーは脱がされて遠くの机の上で、スカートは明るい色だから脱がされなくてすんだけど、ホコリまみれだし、よく見れば足跡がたくさんついている。
規定通りの膝丈スカートをはたいていたら、春田さんが立ち上がる音がした。
見ないようにしてたけれど、ゆっくり近づいた足音は目の前で止まってしまった。
恐る恐る顔を上げると、彼女は美人なのに仏頂面で、私のブレザーを持って立っていた。
春田さんは、想像したより小柄だった。
もっとすらっと高身長で、モデルさんみたいなのかと思っていたけれど、一六〇センチもないみたいだ。私よりは大きいけれど。
「あ、りがと……」
差し出されたブレザーを受け取ろうと手を伸ばしたら、その手首をわっしと急に掴まれた。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
反射で謝りながら、慌てて振りほどこうとしたけれどまったく歯が立たない。
華奢に見えたし左手なのにすごい力だった。
「教室入ったら、寝てた、から……」
私の大声をさえぎって一生懸命に出したらしい春田さんの声は、少しかすれた。
「変だと、思ったけど……」
彼女はぼそぼそとぶっきらぼうに話すけど、力が緩んでいくのと一緒に、だんだん怖くなくなっていって、私は彼女が話し終わるのを静かに待っていた。
「ずっと、見ちゃって……」
そう言うと、彼女は掴んでいた手を離してくれた。言いたいことは、言い終わったようだ。
「……見て、た?」
私の問いに、春田さんは小さくうなづいた。
至近距離で目が合ったら、彼女は慌てて視線を外した。
前髪の隙間から見える瞳は、すごく優しそう。
「私のこと見てたの?」
彼女はうつむいたまま、また無言でうなづく。
私には、彼女が恥ずかしがってるように思えて、つい、いつもは閉じ込めている意地の悪い私が胸の奥から這い出した。
「なんで?」
そんなこと聞かれると思わなかったのか、「えっ」と声が漏れた春田さんが顔を上げて、また目が合った。
大きくて、鋭くて、綺麗な目。
「何で、見てたの?」
こんな大胆に行動したのは、まだ分別のない幼少期以来だろ思う。
どうして春田さんには、こんなふうに強気でいいなんて思うんだろう。
答えにくそうに視線を泳がしているけれど、彼女は逃げられないと観念している。そして私には、たぶん答えがわかってる。
本能的な直感が、二人の間で渦を巻く。
「きれい……だったから……」
淡いピンクのリップが塗られた綺麗な薄い唇が動いて、私に稲妻を落とした。
そんなことあるわけないと思いながら、心のどこかでそうかもしれないと思ったことが、まさか彼女の口からこぼれるなんて。
今度こそ春田さんは照れているとわかった。
恥ずかしそうに視線を泳がせて、それがボタンの開いたワイシャツから見える私の胸元で止まった。
見られてる———
緊張したときの癖で、私は唇を舐めた。
その、ほんのわずかな動きも見られてる。
(気持ちいい……)
私はまた唇を舐めた。今度はゆっくり。
つられるように、春田さんの大きな胸が上下する。
彼女は、私に興味がある。
「ねぇ、お願いがあるんだけど……」
やっと出た声は、自分がしようとしてることの異常さに震えていた。
彼女は、相変わらず黙ってじっと見てくる。
たぶん、イエスのサイン。
「あざ、できてないか…見てくれない、かな」
無意識に、ワイシャツの前をあわせるようにぎゅっと握っていた。
自分で言っておいて、びびってる。
「いいよ……。そこ、座りなよ」
春田さんの言葉は、短くて柔らかい。
言われるまますぐ後ろの机に腰掛けたけど、残り数個のボタンを外そうとした手が震えてしまってうまくいかない。
その手を春田さんに上から握られて、自分の手がどれだけ冷たくなってたか思い知らされる。
春田さんは黙ったまま、白く柔らかな手でそっとボタンを外してく。遠慮っぽく、丁寧に。
私はその指先を、ずっと見ていた。
(私が、きれいだって……)
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