適当に怪文書3

えままん

テーマ「強迫性障害」

鍵はしっかり閉めただろうか。つい30分ほど前の事なのに、もう忘れてしまっている。これほどまでに老化がきついものだとは。いや、本当は頭では分かっているのだ。私は確かに鍵を閉めた。しかし、そうは思っていながらも、ドアの前までたどり着き、鍵がかかっている事を確認する。そして私は新たに一つの不安要素が思い浮かんだ。エアコンのスイッチを切っているかを確認したくなったのだ。私はすぐさまドアを開けて、エアコンを確認する。スイッチは切れていた。私は自分の心配の加減の酷さに腹を立てながら、また会社へと向かった。その翌日。会社で書類点検を行っていると、自分が全ての書類に目を通せているのかを確認したくなってきた。その後書類点検を2度3度行ったため、期限に間に合わなかった。上司からはこっぴどく叱られた。私は自分を情けなく思い、自分の存在価値を否定したくなった。しかし死ぬ勇気も湧いてこない。こんなゴミクズは世の中にいらないはずなのに。死にたいのに、死にたくなかった。今はそれが地獄の苦しみよりも耐え難いものに他ならなかった。そんな苦しみの最中にも、鍵を閉めているか、洗濯物は干したか、通帳をクローゼットに保管しているか、ほんの些細な事を心配してしまう。それは苦しみに苦しみを重ねる事となり、私の脳はすでに限界を迎えていた。そして、私の脳は物事の確認を行う事を諦めた。そう、私はただひたすら「今」を生きるだけの肉塊。過去の事にはこだわらない。未来の自分は「今」の自分の成した事など気に留める事も無いだろう。故に自分への投資も一切行わない。そんな生活をいつしか普通の生活と認識するようになり、苦痛も次第に癒えていった。しばらくして、都会の暮らしへの疲労感からか、親に会いたくなった。もしかすると、鬱を乗り越えた自分を褒めてもらいたいという欲求があったのかもしれない。実家への道のりの途中、分かれ道で悩む事になった。というのも、右折すれば実家に着くはずなのだが、それは本当なのかをふと確認したくなった。一度そう決めてしまうと、体はもう自由が利かなくなってしまった。そして私は、何時間も、ただ1か所の分かれ道で路頭に迷っていたのである。実家には結局帰る事が出来なかった。仕方なく自分の家への帰路を辿ろうとした、その時だった。今まで通った分かれ道をどっちに進めばよいかは分かるのだが、本当にそれでいいのかと、まるでもう一人の自分が囁くように行動する事を躊躇させる。私はもう訳も分からず、遂には自分の家に帰る事を諦めてしまった。それから何年の月日が経っただろうか。私はあれから、どこへ行くこともなく、特定の路上で物乞いをしている。物乞いでもらった金銭がいくらなのか、何度も、何度も確認する。そして買いたい物を、何度も、何度も確認する。そして今夜の寝床がどこなのかを何度も、何度も確認する。そして自分の性別を何度も、何度も確認する。そして自分の出生日を何度も、何度も確認する。そして自分の名前を、何度も、何度も確認する。そして自分という存在が今も生きている事を、何度も、何度も確認する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

適当に怪文書3 えままん @Emaman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る