第43話 エリクの受難


 五年前。

 その日は忙しい日だった。

 問題ばかりを起こす兄妹たちの後始末は、エリクの仕事であり、騒動が起きたあとこそエリクの仕事は増える。


「エリク殿下、前線に出向いたゴードン殿下から援軍要請が……」

「撤退だと厳命しろ! 皇太子が率いる本軍も撤退を始めていると言え!」


 皇国との小競り合いは続く。

 それは帝国の伝統となりつつあった。

 第一皇女であるリーゼロッテが東部国境の守将になったとはいえ、状況はすぐには変わらない。

 むしろ配置転換の隙をつくようにして、皇国は動いてきた。

 防備を固められたら手の出しようがないという理由だ。

 わかっていたから、皇帝は皇太子の軍を派遣した。

 目的は威嚇。リーゼロッテがしっかりと体勢を整える時間を稼げればいい。

 なのだが。


「エリク殿下! リーゼロッテ殿下より増員要請が……」

「出せるわけがない! 文句を言うなと言っておけ!」

「エリク殿下! 皇太子殿下が前線を離れたくないと……前線近くの街でバカンスを楽しみたいそうで……テレーゼ様を帝都からは出発させてほしいと……」

「知るか! 呼びたければ自分で呼べと言っておけ! 私は忙しい!!」


 次々に寄せられる要請。

 エリクに言えばなんとかなる。

 それが兄妹たちの共通認識と化していた。

 なぜなら面倒事をエリクは引き受ける性格だからだ。

 皇帝には恐れ多くて我儘は言えないが、エリクになら言える。そして後方に待機しているとき、エリクは多くの権限を持っている。なんとかできるのだ。

 しかし、今日のエリクはそのすべてを却下した。

 構っていられなかったからだ。


「大変そうだな、エリク」

「これは陛下……御見苦しいところをお見せしました……」

「よい。苦労ばかりをかけるな」


 忙しいエリクを皇帝ヨハネスが労いに来た。

 しかし、エリクは嫌な予感がしていた。

 忙しいのはいつものことだ。

 わざわざ来たのは……。


「陛下……私は何をすればよいのでしょうか?」

「察しがよくて助かるな。そのだな、リーゼが帝都を経って、それなりに時間が経つ。顔を見せに呼び戻してもよいのではと思ってな」

「陛下……いえ、父上。東部国境は帝国防衛の最重要拠点です。そこの長となった以上、簡単に離れるわけにはいきません」

「いや、それはわかっている。ただ、今はゴードンもヴィルヘルムも東部いるわけだし、な?」

「二人に代わりは務まりません。残念ですが、諦めてください」

「はぁ……フランツと同じことを言うでない……」

「宰相が同じ意見で安心しました」


 肩を落とし、皇帝は部屋から立ち去る。

 娘に会いたいがために、国境守備を疎かにさせたら、他国の笑いものだ。

 絶対に実行させてはいけない。

 ただ、さすがに不憫に思ったのか、エリクは皇帝の背中に声をかける。


「あとで……手紙を出すようにと伝えておきましょう」

「おお! そうかそうか! 頼むぞ!」

「はい、父上」


 嵐は過ぎ去った。

 ようやく落ち着ける。

 そう思った時。

 エリクの耳に爆発音が響いた。

 嫌な予感がしたエリクだが、努めて冷静を装った。


「エリク殿下! ザンドラ殿下の研究室で爆発が……!」

「……無事なのか?」

「ザンドラ殿下はご無事ですが……その貴重な魔導具のいくつかが……」

「……私の記憶ではザンドラは今日、貴族とのパーティーに出席していたはずだが?」

「つまらないから出てきたのよ。あー、もう、埃まみれだわ」


 伝令の後ろからザンドラが顔を出す。

 爆発のせいか、服は埃だらけだった。

 それを見て、エリクは頬を引きつらせる。


「そんな理由で城で爆発を起こすな」

「帝国のための研究よ。それで追加の魔導具を……」


 用意してほしい。

 その要求を言う前にザンドラは口をつぐんだ。

 それ以上、言うと目の前の兄が怒るだろうとわかってしまったからだ。


「……自分で用意するわ。自分で使う物だものね。当然よね」

「そういう心構えでいてもらえると助かる。そして、爆発を起こした責任を取って今日は部屋にいろ。これ以上、問題を起こすな」

「そうするわ……」


 そそくさとザンドラは姿を消す。

 はぁ、とため息を吐き、エリクは机の上を見る。

 次々とやってくる問題のせいで、机の上の書類は溜まる一方だ。

 いつになったら終わるのか。

 チラリと時計を見て、エリクは目を瞑る。

 今日は大事な日だが、この仕事量では今日中に終わるかわからない。


「やるしかないか……」


 そう呟き、エリクは机に向かうのだった。




■■■




 深夜。

 ようやく仕事を終えたエリクは、とある屋敷に来ていた。

 そこは帝国最古の貴族、アルテンブルク家の屋敷だ。

 そしてエリクはその屋敷の奥。

 幼馴染の部屋をノックする。

 返事はない。

 だが、エリクは人の気配を感じてそっと扉を開けた。


「――遅いわよ、エリク」

「す、すまない、レーア……」


 頬を膨らませ、レーアが不機嫌そうに座っていた。

 今日は二人にとって特別な日だった。

 誕生日ではない。

 しかし、それに匹敵する記念日。

 二人の出会った日だ。

 記念日として毎年祝っていたのはエリクのほうだ。

 最初は一方的に、そのうち二人で祝うようになった。

 不機嫌なレーアに対して、エリクはばつが悪そうにしながら、ゆっくりと近づく。

 そして持っていた花を手渡した。


「……花で懐柔しようとするなんて。舐められたものね」

「いや、これはほんの気持ちだ。この埋め合わせは今度、必ずする。約束だ」

「本当かしら? いつも忙しいエリク殿下が約束を守れるの?」

「必ず。アードラーの名に誓ってもいい」

「それじゃあ……今、我儘でも聞いてもらおうかしら」

「なんなりと」

「お腹空いたわ。何も食べてないの。あなたと食べようと思って」

「そうだったのか!? 待っていてくれ、すぐに用意しよう!」


 そう言ってエリクは慌てた様子で、キッチンへと向かっていく。

 レーアの我儘に応えるのはエリクの習慣といってもいい。それは幼い頃から続いたものだ。

 どんな問題でも捌けるのは、レーアの我儘に応え続けたから。

 当然、そのために必要な技能も身に着けた。

 料理もその一つだ。


「レーア、何か食べたいものは?」

「魚がいいわ。お酒も」

「では、そうしよう。君が望むものを用意してみせる」


 そう言ってエリクは意気揚々と料理に向かったのだった。


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