第12話 合わせる歩幅

「ごめん、なさい……」

悠里の声は涙に掠れ、すぐ隣の剛士の耳に届くのがやっとだった。

悠里は頭を下げる。


剛士は首を横に振り、静かに問いかけてきた。

「家に、帰るんだよな? 駅はどこ?」


悠里の最寄駅を聞くと、彼は首を傾げる。

「それなら、反対の電車だよな……」


そう。彼女の駅に行くのなら、線路を挟んだ向かい側のホームから電車に乗る。

自分は本来、帰宅時間にこちら側には居ない筈なのだ。

どう説明すればよいか迷い、悠里は俯いた。


剛士の声が、ゆっくりと尋ねてくる。

「……じゃあお前、家からこっちに出てきて、ここに居たってことだよな?」

悠里は俯いたまま、小さく頷いた。


「……イタズラ電話か?」

剛士が、短い言葉で正解を言い当てた。

「……はい」

「――そうか」

剛士が、ちらりと腕時計を見やる。

もう20時を回っているのが悠里にも確認できた。



剛士が、そっと肩を叩いてくる。

大きな暖かい手。反射的に悠里は顔を上げた。

剛士の唇が小さく微笑んでいた。


「帰ろう。送るよ」

予想だにしなかった言葉に、悠里は慌ててかぶりを振った。

「そんな……大丈夫です。1人で帰れます」

「いいから」

剛士は彼女が言い終わらないうちに答え、立ち上がる。


「柴崎さん……」

つられて悠里も腰を上げ、彼を見上げた。

悠里がもう一度断ろうとするのを遮るように、剛士の声が降ってくる。

「ほっとけないだろ」


悠里は口をつぐんだ。

自分はいま、どんな顔をしているのだろう。

彼にここまで心配をかけ、親切にしてもらうことに対して、申し訳なさで胸がいっぱいになる。

「行こう」

剛士が反対ホームへの連絡通路に向かい、歩き始めた。



悠里の最寄り駅は3駅先だ。

帰宅することを考えると、すうっと胸から血が引いていくような嫌な感覚があった。


悠里はドア近くに立ち、外に顔を向ける。

我慢しても我慢しても滲んでしまう涙を、他人に見せたくなかった。

剛士は何も言わず、悠里を庇うように立つ。


背の高い彼に隠され、周囲から悠里の姿は見えなくなった。

剛士のさりげない気遣いに、胸が暖められる。

不思議な安心感が悠里を包み込んだ。


――ありがとうございます。

悠里はそっと彼を見上げ、唇だけで呟いた。

応えるように、剛士は小さく微笑んだ。



電車が悠里の最寄駅に到着する。

乗り換えの電車があるところでもなく、急行列車が停まる駅でもない。

ここで降りるのは周辺の住民だけだ。


悠里と剛士の他に降りたのは、5人にも満たなかった。

それらの人影もすぐに改札から出て行き、ホームには2人だけが残された。


ここで降りたのは初めてだったろう、剛士がくるりと辺りを見回す。

それから彼は、傍らの悠里に視線を落とした。

「じゃあ、行くか」


悠里はぽかんと彼を見上げる。

その様子に、今度は剛士がきょとんとする。

「家まで送るから」

嬉しい言葉だった。

しかし、そこまでしてもらって良いのかとも逡巡する。


「別にいいよ」

悠里の気持ちを読んだかのように、剛士が軽い調子で付け加える。

電車でのことといい、どうしてこんなに、気持ちをわかってくれるんだろう。

思わず悠里は微笑んだ。



改札をくぐり、帰路につく。

家までは10分程度だが、住宅街のため夜は仄暗い外灯が時折佇んでいるだけの、閑散とした小道が続く。


この道を今日、独りきりで帰るとしたら、どんなに心細かっただろう。

いや、そもそも無事に帰ることができたかどうかすらわからない。

改めて悠里は、自分の歩幅に合わせてゆっくりと隣を歩いてくれている剛士に感謝した。

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