#秒恋〜貴方と過ごす1秒1秒が、私に初恋を刻む〜恋を知らない優等生は、ちょいキザなバスケ部イケメンと甘い恋をする〜

れん

#秒恋1 私の秒針はドキドキと、貴方への初恋を刻む

piece1 掴まれた手と相合傘

序章 相合傘と渡された黒い傘

ザアッと激しい音を立てて、雨は次々と地面へ突き刺さっていく。

自分を抱きとめている、大きな腕。

反射的にしがみついてしまった、広い胸。

彼の着ている制服のネクタイが、目の前にある。


突然のことに、頭が働かなかった。

自分の顔が、カアっと熱くなっているのがわかる。

ドキドキと暴れる心臓を持て余し、彼女はただ、茫然としていた――



11月初旬の放課後は、冬の気配が近づいていた。

彼女の名は、橘悠里。聖マリアンヌ女学院高校の1年生だ。


遡ること、10分前。

彼女は駅までの道すがら、突然の雨に見舞われていた。


「……うわぁ」

悠里は大きな瞳を空に向け、溜め息を漏らした。

激しい雨粒が、瞬く間に彼女の柔らかな茶色の長い髪と、キャメルの制服を濡らしていく。



いつもは折り畳み傘を鞄に入れているのに、今日に限って忘れてしまっている。

悠里は、ふうっと息を吐いた。


――駅まで、走れば5分。

「……がんばろ」

悠里は走り出した。



雨粒を蹴るように全速力で走り、交差点に出たときだ。

「やっ……!」

悠里は、出会い頭に大きな人影とぶつかってしまった。

衝撃で鞄を取り落とし、悠里自身も大きくバランスを崩してしまう。


転ぶのを覚悟して、ぎゅっと身体を強張らせた悠里を、人影が力強く引き寄せる。

その人のさしていた折り畳み傘は雨の道路に横たわり、代わりに悠里の身体が、勢いよく腕の中に飛び込んでいた――



「……ごめん。大丈夫か?」

低い声が、頭上で聞こえた。

ハッとして、悠里は彼の胸から身を離す。

切れ長の黒い瞳が、少し心配そうに彼女を見つめていた。


雨は容赦なく彼の上にも降り注ぎ、あっという間に髪と制服を濡らしていく……



「……ご、ごめんなさい!」

我に返り、悠里は慌てて頭を下げた。

「俺の方こそ」

対象的に、彼の方は落ち着いた声で応えた。

そうして悠里の鞄を拾い上げ、手渡してくれる。


「本当に、すみませんでした」

もう一度、悠里は深々と頭を下げ、雨脚が強まる中を走り出そうとする。


「あ、待てよ」

「え?」

足を止め、悠里は、きょとんと振り返る。



彼は、地面に転がったままだった折り畳み傘を拾いあげると、悠里に差し出した。

「持ってけ」

驚きに目を瞬かせ、悠里は彼を見上げる。

「え? でも、それじゃ貴方が……」

「いいよ」

自分が濡れてしまうのを厭わず、長い腕がそっと、悠里に傘を差し掛ける。

綺麗な黒い髪が、ぐっしょりと額に張り付いていくのを、彼は無造作に掻き上げた。


悠里は慌てて傘に手を添え、彼の方に押し戻す。

「だ、だめです、風邪引いちゃいますよ!」

「だから大丈夫だって」

ムッとしたような声とともに、再び傘が悠里の頭上にやって来る。

「だめ、だめです!」



激しさを増す雨の中、ひとつの傘を巡って押し問答をするうちに、2人は自然と相合い傘のような格好になっていた。



滑稽な状況で見つめあい、しまいには、どちらからともなく吹き出してしまう。


「……駅、だよな?」

緊張が解けたように、彼は微笑を浮かべる。

厳しく見えた切れ長の瞳は、笑うと一転して、柔らかな光を帯びた。


「じゃあ、一緒に入るか」

つられて悠里の顔も、ほころんだ。

「……はい!」



***



――勇誠学園の人だ……


濃紺のブレザーに、赤と白の差し色が入った深緑のネクタイ。

彼の制服は、悠里の通う聖マリアンヌ女学院に程近い、有名男子校のものだった。



「……まったく。人の厚意は、素直に受け取れよな」

頭上から、苦笑混じりの声が降りてきた。

「だ、だって……私のせいで、貴方が風邪を引いちゃったら、大変ですから……」

しどろもどろになりながら、悠里は彼の横顔を見上げる――



目鼻立ちの整った端正な顔立ちに、意志の強そうな切れ長の瞳。

その瞳に、濡れた黒い髪が映える。

背が高く、長い手足が印象的な男子生徒だ。

悠里とは、頭ひとつ分くらいの身長差があるだろうか。



傘にバタバタと打ち付ける雨を聞きながら歩いていると、程なく駅に辿り着いた。


「すみません、お世話になりました」

悠里は彼を見上げてから、丁寧にお辞儀をした。

「私、聖マリアンヌ女学院の橘悠里といいます。本当にありがとうございました」



「……たちばな、ゆうり」


驚いたように、彼が自分の名前を復唱する。

「え?」

悠里が、きょとんと首を傾げると、彼は応えた。

「あ、いや……悪い」


彼は、話をはぐらかすかのように首を振った。

そして、小さな笑みを浮かべる。

「俺は、勇誠学園2年、柴崎剛士」

「シバサキ、ゴウシさん……」


何となく、彼の名を復唱した悠里に、彼――剛士の目は、ふっと和らいだ。



剛士は悠里の手に、先程までさしていた自分の折り畳み傘を握らせる。

「えっ?」

「今度こそ、受け取れよ?」

目を丸くする悠里に悪戯っぽく笑いかけ、剛士は軽やかに走り出した。

「じゃあな」


悠里が乗る電車とは、反対のホームだ。

悠里はあたふたと、持たされた黒い傘と、遠ざかっていく彼を交互に見る。

剛士は既に、ホームへと続く階段の近くまで行ってしまっていた。



「あ……」

今から悠里が走っても、彼には到底追いつけない。

意地でも彼女に傘を持たせようとする、強引な作戦だった。


有無を言わせぬ親切の差し出し方に、悠里は、笑ってしまう。

「ありがとうございます! あの、お借りしますね!」

せめてもと、悠里は、懸命に声を掛けた。


人混みに紛れていきながらも、剛士が、ひらりと片手を上げて応えてくれたのが見えた。



「ふふ……」

悠里は、彼が階段を昇り、その背中が見えなくなってしまうまで、じっと目で追いかけた。


濡れてしまった髪と、制服の冷たさが気にならなくなるくらい、気持ちが温められた気がする。

悠里は、彼の黒い傘を大切に持ち直し、自分の乗る電車のホームへと歩き始めた。




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