ドラゴンフィッシュを見に行こう

紫水街(旧:水尾)

邂逅

「ドラゴンに撥ねられまして」

 私を呼び止めた彼は、至極真面目な顔でそう語った。

「えっ」

 私は訊き返す。

 彼は細長く横に突き出した耳をピンと弾いて、さも当然のように答えた。

「ですから、ドラゴンに撥ねられたんです」

「ドラゴンって、あのドラゴン?」

 私の頭の中で、映画や漫画や小説に出てきたいくつものドラゴンたちが火を噴きながらタップダンスを踊った。

「あのドラゴンってどのドラゴンですか。種族まで言わないとわかりませんよ」

 彼はムッとした顔で言う。

 どのドラゴンって言われても、ドラゴンはドラゴンじゃないんだろうか。かたーい鱗に覆われていて、翼で空を飛び、火を噴く空想上の動物。

「種族って言われても、そもそもドラゴンって空想上の生物じゃ……?」

 それを聞くなり、彼は顔色を変えた。

「空想上だなんて失礼な!」

「ごめん、でもドラゴンって架空の……」

「まだ言うか」

「ごめん」

 なんで私がこんな変質者に謝らないといけないんだろう。

 私は自分の運の悪さを呪った。帰り道で見知らぬコスプレイヤーに呼び止められたと思ったらこのザマだ。あーあ、うっかり「どうしました?」なんて訊かなきゃよかった。

 目の前の彼は横長い耳をピンと弾き(どうやらこれが癖のようだが、それにしても精巧な作り物だ。ヨーダか?)、突然説明口調に切り替わった。

「いいですか、ドラゴンというのは非常に個体数の多い動物です。共生関係を築き、家畜として使役し、時には駆除し……我々とドラゴンは切っても切れぬ関係にあるんですよ。それを言うに事欠いて空想上とは、一体どんな教育を受けてきたのやら」

「ごめん……」

 私は上の空で謝り、彼の格好をぼんやりと眺めた。

 縄文時代の貫頭衣を高級な布で作ったような長袖のワンピースを着ている。綺麗なクリーム色だ。裾には黒い糸で変な模様の刺繍がしてある。男なのにワンピースを着ているのは、きっと女装を趣味にでもしているのだろう。私は人格者なので他人の趣味をとやかく言うつもりはない。

 その変なワンピースから突き出した裸足には絡みつく蛇のようなデザインのサンダルを履いていた。もう一度言うが、私は他人の趣味をとやかく言うつもりはない。でも、さすがにこれで外を出歩いてるのは正気を疑う。

「だいたい、何ですかその変な格好は」

 彼は私のジャケットを指差した。こっちのセリフじゃ。先に言いやがって。

「つるんつるんじゃないですか。脂でも塗っているんですか」

「ただの合成皮革ですけど?」

 続いて、足を指差す。

「それに、その足を締め付けている筒! 拷問でも受けているんですか」

「スキニーだし。そもそも変な格好だなんて、君にだけは言われたくないわ」

 変な格好してるくせに、彫りの深い顔立ちは決して整っていないわけではない。むしろ美形と言える。それが妙に腹立たしい。

 そもそも、やや浅黒い肌にブロンドの髪、特徴的な長い指と耳、どれもこれも作り物や化粧にしては自然すぎる。トールキン原作の映画の中から飛び出してきたみたいだ。明らかに日本人じゃないし。こいつ、いったい何者……?

「だいたい、なんでそんなに指も耳も長いのよ」

「エルフ族だからです。多文化都市モールデンでは身体的特徴についての話を慎むのがマナーのはずですが」彼はやれやれと首を振る。

「あっ、そう……」

 そんなマナーがあったなんて。ありそうだけど。いや、そんなことよりモールデンってどこだ。

「そもそもここはどこなんですか」

「日本」

「ニホン?」

 そんな国は記憶にない、と言いつつ首を傾げる。

「そういう君こそ、どこの国から来たの」

「ダンケルク王国ですよ」

 知らんわ。

「首都モールデンの中央区画にある高級住宅地に住んでいます」

 普通、自分で高級って言うか?

 でも胸元に首飾りが大量にぶら下がっているのを見ると、本当に金持ちなのかもしれない。悪趣味だけど。

 よく見ると、首飾りのうちひとつだけがぼんやりと光っていた。分厚い本みたいなのを模したデザインの青銅色の首飾りだ。中にLEDでも入っているのだろうか?

「あ、これは翻訳機です。研究のときに重宝するので日頃から持ち歩いていたんですが、まさかこんなところで役に立つとはね」

 私の視線に気づいた彼はそんなことを言った。

「はあ」

 どこの国の人だかわからないけど、とりあえず警察と精神病院のどちらかに連れていこう……私はそう決意した。でも、警察と精神病院どっちがいいんだろう。やっぱり警察かな。私が悩んでいる間も、彼はドラゴンについての話を延々と続けた。

「実は、一口にドラゴンと言っても様々な種があるんですよ。確かに大抵のドラゴンは火を噴きますが、氷点下の息を吐くものもいますし、毒を吐くのもいます。あ、毒を吐くって別に悪口とかを言うわけじゃないですからね。ふふふ」

「どうでもいいわ!」

 なんでこんなのもきっちり拾うんだ。翻訳機が優秀すぎる。

「空を飛ばない代わりに地面を走るものもいますし、地中で穴を掘って生活するものもいます。雲の中に隠れ棲むもの、人の影から影へと泳ぎ渡るもの、中には滝を登るものまで。今言ったもの以外にも実に多種多様な生態があり、今なお様々な発見が続いているんですよ!」

 腕を振り回して語る彼の熱気に当てられ、私はなんとなく頷いた。

「ドラゴンについては新事実の判明スピードが異常に早いのです。……というより調査のメソッドがようやく一定のレベルに達した、と言うべきでしょうか。今やドラゴンに関する学説は半年経てばすっかり書き換わると言われているほどでして、研究者たちは学会への出席に追われるあまり研究の時間が取れないと嘆いています。最近ではドラゴンが先か卵が先かについての論争に決着がついたとかつかないとか」

「ふうん……」

 研究者ってのはどこも似たようなことをやっているんだな……と私は教授の顔を思い浮かべた。

「もちろん炎も毒も吐かないドラゴンもいますよ。その中でも気性が穏やかな種を選び、家畜化して人や物資の運搬作業に使っています。それから食肉にもしているんですよ。野生のドラゴンは雑食なので肉にやや臭みがありますが、飼育する場合は植物性の餌を食べさせることでその問題を解消できます。オーガニック・ドラゴンです」

「オーガニック・ドラゴン……」

 ドラゴンを家畜化して運搬や食肉にする……やっぱり放牧とかするんだろうか。でも空を飛んで逃げたらどうするんだろう。それにしても、まさかドラゴンの飼育に関してオーガニックなどという単語を使う日が来ようとは。

 この時点で私の脳みそは、理解しようと努力するのを放棄しかかっていた。

「それで、私がある日モールデンの大通りを歩いていたときのことです。暴走ドラゴンが目の前に迫ってきました。避ける間もありませんでした。次の瞬間、目の前が真っ白になりました」

 暴走ドラゴン。

 誰かが逆鱗にでも触れたのだろうか。

「撥ねられたんですね」

「そう。撥ねられたんです」

「それは……御愁傷様……」

「それで、気づいたらここにいたのです。撥ねられたはずなのに怪我もしてないし、痛みもない。ただし自分がどこにいるのかわからない。放心していたところ、あなたが通りかかりました。ギリギリ話が通じるレベルの知能しかないようですが、これは非常に幸運でした」

 ああ? 今何て言った?

「なんとかしてダンケルク王国まで帰らなければなりません。手伝いなさい」

 翻訳の問題だよね?

 協力してください、を翻訳し間違えたんだよね? うん、そうに違いない。私は心を落ち着けるために深呼吸を繰り返した。

「炎でも吐こうとしているんですか?」

「違うわ!」

 もう一度深呼吸。

「今までの話をまとめるね。君はドラゴンに撥ねられたと思ったらいつの間にかここにいた。元いた場所に帰る手伝いをしてほしい。そういうことだね」

「そうですね。このように低レベルな文化圏で生活するのは正直我慢ならないのですが、背に腹は変えられませんから」

 私は震える拳を握りしめ、これで一発ボディブロー入れて背と腹くっ付けてやりたい衝動をなんとか堪える。

「低レベルでごめんね」

「いいんですよ、あなたの責任ではありませんから」

 なんでずっと上から目線? 何様?

「ここでずっと話してるわけにもいきませんし、とりあえず食事を出しなさい」

 どうしてこんなに偉そうなんだろうか。

 私が額の青筋を悟られぬようにしつつ、彼を警察署へと案内しようとしたそのとき。

「では、あなたの家まで」

 彼が大振りなクリスタルの首飾りをピンと弾いた。

 目の前に真っ白な光が溢れ――そして次の瞬間、私と彼は家の中にいた。

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