『老舗書店・有隣堂の非日常な日常』 〜主役不在の撮影現場、なんと私が代打だと!?〜

森内 環月

『老舗書店・有隣堂の非日常な日常』

 〜主役不在の撮影現場、私が代打だと!?〜


 暗闇の書店でも目につくオレンジ色の胴体。

 左右見ている方向が違うのか、焦点の定まらないまなこ。

 普段であれば、よく見ようともすれば「何見てんだよ!」とイキられそうなそのくちばしは、本日は沈黙を保ったままだ。

 尖ったくちばしの代わりに向けられるは、黒光りするレンズ。そして多くの二足歩行の人間どものまなこに見つめられている。


 諸君、私は今、蛇に睨まれたカエル状態だ。

 それとも、袋の中のネズミというべきか? フクロウだけに。

 とまあ、くだらないことはさておき。

 さて、どうしてこのようなことになったのか。


 時は数百年、ではなく、数十分前の有隣堂伊勢佐木町いせざきちょう本店のYouTube撮影スタジオにさかのぼる。

 安心して聞いてほしい、これはそこまで壮大な物語でもなんでもない。

 ただの、老舗書店・有隣堂が企画するYouTubeという非日常における日常の一片であるのだから。


○●○ 

「え? あの人(中の人)今日来れないの?」

 閉店後の有隣堂伊勢佐木町本店のYouTube収録スタジオで声をあげた男性に、周りにいた人物は何事かと振り返る。

 まいったなーと頭をぽりぽりとかくプロデューサーと、目を丸くさせて思わず手に持っていたウン十万するマイクセットを落としかける麗しの広報課長の姿がそこにあった。

「せっかくスタジオセットして、観覧席も埋まったってのに」

 ぼやくプロデューサーに、観覧席の社員やアルバイトも「どうしたんですか」と会話に参加してくる。今日はいつもに増して観覧席は賑やかだ。

「なんかさー、収録間に合わないってさ。電車止まっているらしくて。電車の中ですし詰め状態だって」

「ほんとだ、JRなんか遅延してる。関内かんないも1時間遅れか」

「黒子役の人からも、遅れそうって連絡が来ました。さっきまで商談で外に出ていたらしいですよ」

「え、ヤバくない? どうすんの、今日の撮影」

 プロデューサーと話すのは、観覧席最前列でキャッキャと笑う中堅バイヤーのお姉さまがた。本日は出演予定もないので、心なしか、いや心置きなく現状を楽しんでいる。

「うそー今日どうやって家帰ろう…」「俺んち歩いてすぐだけど、来る?」「あ、結構です」「そ、そう…」

 と、一方で撮影とは全く関係のないことを話しているのは、右手後方に座る一見仲の良さそうな大学生アルバイターの男女。

「ブッコロー、フクロウのくせに飛べないんですかね」

「最近、競馬本抱えるのに必死で、飛んでないって噂だもんなあ。って…あれ? そもそもブッコローってミミズクじゃなかった?」

「えーそうでしたっけ。ま、どっちでもいっか」

 と話すは、立ち見観覧の自社のキャラクター設定に雑な上司とその部下である。どうやら仕事帰りにフラット立ち寄ったらしい。

 いつもながらに騒がしい収録現場と観覧席にツッコミを入れる暇があるわけでもなく、プロデューサーはため息をついた。ゲストもすでにきているが、見るからに有隣堂内部の人間なので半分ほったらかし状態である。


「これだけ人がいたら、今日は中止、なんて言えませんねえ」

 と麗しの広報課長も困ったように頬に手を当てた。

 さて、どうしたものか、と収録現場一同がざわざわしているさなか、準備を手伝っていた社員が「あ、そうだ」と声をあげた。

「ちょうどいいところに」とベッコウ色のヴィンテージメガネを光らせた彼女は、手前にあった数々のクラフトパンチをザザーっと片腕でおし分ける。噂によるとその大半は彼女の私物らしいが、持って帰るのが大変〜と置きっぱなしとなっている。商品と混在した「おかざき」とひらがなで書かれた私物の山は、その数を増やし続けているとかいないとか。

 クラフトパンチの山を盛大に崩し去った彼女は、なんと、目ざとくKADOKAWAが運営する「カクヨム」の公式キャラクターである私こと『トリ』を引っ張り出したのである。(どうぞここで「ばばんっ!」と効果音を!!音響さん、よろしくどうぞ!)

 ……ええ、名前についてはどうか言及しないで頂きたい。きっと、名前考えるのもめんどくさかったんでしょうね。ええ、ええ、当方全く気にしていませんよ、まったく。

 そして、なぜ私がこの場にいるのかについても、あまり触れないで頂きたく思いまして。

 記憶に新しい「新卒カメレオン」という二つ名でゲスト出演を果たし『web小説の世界』で紹介を受けた彼女が、あろうことか私をすっかり忘れてオフィスに帰るとは!

 追い討ちをかけるように、有隣堂の優しい社員さんから「『トリ』さん、忘れてますよー!」という電話を受けてなお「あ、では(いらないので)どうぞ、差し上げます」なんてやり取りを目の前でされるとは!なんという屈辱!(心の中の声)も漏れてるぞ、おいっ!

…なあんて、別に思ってもいませんけどね。ごっほん、ゲホゲホ、ぐぅぉほん。


 えー気を取り直して。

 もちろん、先述のような私の独り言など聞こえるはずもなく、ザザーっと床に落下したクラフトパンチを拾い上げながらベッコウ色のメガネをかけた女性社員が言った。

「トリさんに出てもらうっていうのはどうですか?」

 おっとりとしながら奇抜なことを言い出す彼女は、もうすでにお気づきの通りチャンネル出演最多回数を誇り、突飛な商品を紹介するわりには自身の店舗には商品を並べないことで有名な岡崎女史である。最近は、数々のSNSで「岡崎さん」とハッシュタグをつけるだけで、ピースサインで笑う女史と女子のツーショットがずらっと並んでいるんだとか。それにチャンネルMCが妬いているとかいないとか。そんなことは私にはどうでも良い話である。


 しかし、その一方で、そんな奇抜な発言に撮影スタジオからは「おおー!」と声が上がった。

「たまには、岡崎さんもいいこと言うじゃん。そっか、トリさん喋らんからあとで全部テロップ入れときゃいいかな」

 と、台本をバシバシと叩きながら、プロデューサーは恐ろしいことを提案した。

 撮影スタジオからは、またもや「おおー!」という歓声が巻き起こる。

 観覧席からは「よっ!主役交代!トリさんの新時代!」などと囃し立てるものもいるくらいである。よって、プロデューサーのぼそっと放った言葉は、歓声に紛れて聞いたものはいないだろう。

「ま、編集大変だけど、誰かに任せりゃいっか」

 そう、彼に首根っこを掴まれた私を除いて。


○●○ 

 そして冒頭に戻る。

「はいじゃあ、トリさん、今日はどうぞブッコローの代わりによろしくね」

 口の悪いオレンジ色のミミズクMCの代打を任された私に、プロデューサーがウキウキと話しかける。その表情は、まごうことなき時代劇の悪代官そのものであった。

 今日はどうやら食品がメインの回らしく、皿や調理器具が機材の後ろをとめどなく行ったり来たりしている。逃げ場を失った私は、全身の羽毛が毛羽立ち、冷や汗によるベタつきを感じ始めたが、収録現場はむろんお構いなしに、着々と準備が進められていく。

 そんな様子を知ってか知らずか、今回のゲストらしきこれまた美人な有隣堂スタッフがエプロンをクルクルと巻きながら、私の可愛らしい自慢の羽毛をもしゃもしゃとさせた。くるくると回る彼女に合わせて動くエプロンからは、何やら良い匂いがし、私の鼻腔をくすぐった。どうにもこうにも、この老舗書店には美人スタッフが多い。羨ましい限りである。

「今日はブッコローさんの代わりに、美味しいもの食べさせてあげますからねー!」

 彼女のこの言葉で、干からびたパンのように萎れていた私のやる気は、10日ぶりに水をもらった植物かの如く、がぜんむくむくと膨らみ、はち切れんばかりとなった。

 私とて単純なトリである。

 今ならば、『唐辛子入り38倍激辛カレー!』(当社比)でも、『カエル入りの魔女じみたスープ』でもなんでも食える気がした。


○●○ 

「それでは、収録開始しまーす」

 プロデューサーの言葉を合図に収録のカウントダウンが始まった瞬間、「ちょっと待ったー!」と誰かが扉を蹴破る勢いでスタジオに乱入した。

 主役は遅れて登場するもの、という設定はおおよそアメコミで使われるものであり、このような日常系のお話には代わる言葉で表される。

「なあんだ、中の人○○さん来たの。遅刻だよ〜」

 残念な表情を隠そうともしないプロデューサーの言葉に、遅れてやってきた『ブッコロー中の人』は、登場するなりガックリと膝をついた。


中の人○○さん。間に合ったんですねー」

 麗しき広報課長が声をかけながら、私を抱き上げてブッコロー氏に置き換えようと席を立った。

 面白いもの好きのプロデューサーは、そのままでいいんじゃない?と笑いながら、膝をついてハアハアと呼吸の荒い主人公(の中の人)に近寄る。

「はいはい、おつかれさまー。今から始めるからね。あなた、今日観覧席でどう? 一応、代わりいるんだけど」

 と肩を叩かれた彼は、はっと収録現場を見渡し一瞬で理解をしたようだった。

 プロデューサーを押し除けた勢いでそのまま立ち上がり…怒りの咆哮が有隣堂内に響き渡った。

「今までの分、ぜんぶお蔵入りな! ついでにヌイグルミそいつもお蔵に入れといて!」

 主役の座を取られた怒りだけでなく、満員電車ですしづめ状態だった怒りも幾分か加わっているのだろう、『ブッコロー中の人』は猛烈に突進してくると、私に掴み掛からんとした。

 けれど、まあまあ、落ち着いて、などと周りに止められた彼は、ヘナヘナとその場に腰を下ろした。「いてて…」と言っているからに、どうやら怒鳴った際に腰を痛めたらしい。彼の額には大粒の汗が浮かんでいる。

 優しき有隣堂社員の労いの言葉と、「結局MC来たのかよ」「せっかくトリさん用に番組セッティングにしたのに」などという不満一部が入り乱れ、スタジオ内はまたも騒然となった。プロデューサーがどちらサイドにいたのかは、きっと明らかにしない方が賢明である。


 けれども、プロデューサーがどのような顔をしようとも、残念なことにこのチャンネルMCであるブッコローは番組内で絶大な権力を誇っているのである。

 おそらく、編集でチョキチョキできる編集担当者の次くらいに。つまるところ、MCの機嫌を損ねると、番組の構成的にも視聴回数・チャンネル登録者数の伸び悩みという大問題にまで発展しかねないのである。

 現MCに「もうやだ! YouTubeやめる!」とまで言われてしまうと、せっかくの20万人を超えたチャンネル登録者数も水泡に帰す。有隣堂社員にとって、これだけは宇宙の滅亡と同等の危機なのである。


 こうして、撮影チームならびに観覧席の面々は、みな総じて『ブッコロー中の人』に団扇を仰ぎ、どこから持ってきたのかオフィス用のリクライニングチェアを搬送し、ひいては茶菓子を並べてご機嫌を取っ…ではなく、苦労を労った。私のいたMCポジションはものの10分足らずで奪還され、本物の『ブッコロー』が鎮座し直すと、持て余された私は最前列のパイプ椅子に転がされた。そうこうしているうちに、黒子役も無事にスタジオに到着し、予定より47分遅れで収録は開始した。


 エプロンをつけた美人料理人に出された温め直されたスープを食べては飲み、相変わらずの辛口コメントで迎撃する『ブッコロー氏』は、今やパイプ椅子に転がされた私の垂涎の的であった。動画が公開されたのち、ギリギリというノイズが入っていたのであれば、それはきっと私の歯軋りの音に違いない。

 しかしながら。お馬さんの話に脱線傾向にあることは差し置いても、コミカルに話を繋ぎ、どんな話題でも鋭い嘴で突く俊敏性にはあっぱれという他はない。近年の荒れるYouTube界においても、右に出るものはいないであろうMCっぷりを発揮した『ブッコロー氏』は、プロデューサーに「はい、オッケーです」とプロの顔をさせる。これには、さすが本業プロは違うと私も感心した。

 ただ、どうや!と私に向かってドヤ顔をして見せるところは、大人気ないと本当に思った。


○●○ 

 さて、『ブッコロー氏』が言い放った「ヌイグルミそいつもお蔵に入れといて!」という、彼曰く、番組乱入の罪を犯した私(断固として否認するが!)の最終処分についてだが。

「お蔵入りにしてしまうのはかわいそうだから、せめて送り返してあげましょうよ」という美人広報課長のお目こぼし、ならぬありがたい一言のおかげで、私は誕生したKADOKAWAのオフィスに戻れることとなった。

 もちろん郵送で。

 予想はついていたが、やはりひどい扱いである。


「送るにしてはちょっと物足りないな。どうせなら、もっと重量のあるものを入れようよ」

 収録後、そういって、『ブッコロー氏』がニヤリと悪いことを思いついた顔をし、「どうせロクでもないのだろう」と思いつつも私の羽毛がぞわぞわと逆立った。

「たくわんとかどうよ、乾燥たくわん」とニヤニヤ笑い出した。やはりロクでもなかった。

「やめなよ、自分が気に入らなかった紹介品をよそに送りつけるのは」

 とプロデューサーが止めてくれるので、私はこっそり胸をなでおろす。視界の隅で、観覧席に座るアトレ恵比寿店のワクワクおねえさんが「それいいですね!」と口を開きかけたのは見なかったこととする。

「他に何かいいものないですかねえ」と癒しの広報課長は、頬に手を当てて首をひねる一方で「あ、ちょうどいいところに」というのは、値段を覚えない皿洗い文房具バイヤー、改め、『文房具の仕入れの全権を握る男』と紹介される男性社員。言わずもがな、彼は岡崎女史の上司である。

 彼が「有隣堂しか知らない世界 企業YouTubeの世界」なる本のひと山をスッと差し出すと、それにならうように、岡崎女史もバサっと何やら紙の束を差し出した。上司が上司なら部下も部下である。

「完全なる宣伝じゃないか!! KADOKAWAで売れというのか! 他社だろ!」という私の突っ込みは、もちろん聞いてもらえるはずもなく。第一、そんなヤワな精神ではYouTubeの世界、現代の出版業界でやってられないのだろう。誰とは言わないが、あの全国大手の別書店に自社のポスターを貼りに行く猛者もさがいるくらいなのだから。


○●○ 

 こうして、私は、大量の「有隣堂が作る 企業YouTubeの世界」、通称「ゆうせか」本と緩衝材代わりの「百年後のたましき」に埋もれて、KADOKAWAのオフィスに郵送された。

 …はずだったのだが、当然このまま素直に送り返されてめでたしめでたし、と簡単に終わらせてくれるはずもない。

 結局のところ、なんらかの手違いがあり、私はKADOKAWAのオフィスには送り返されなかった。かなり端的に言えば、送り返されることすら忘れ去られ、有隣堂伊勢佐木町本店の、あの、何かが出ると噂される倉庫に埋もれることとなったのだった。


 有隣堂倉庫に置かれた大量のダンボールの中から「処分するなら、私頂いちゃってもいいですか〜?」と家に持ち帰った岡崎女史が、百十数年後のたましきに埋もれ、やたらと企業YouTubeの世界に詳しい私を発見するのは、きっと数十年先の話である。


(終わり)

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