第43話 あたしが次期聖女と呼ばれていた頃 4
支度をして廊下に出ると、目の下に隈のできた侯爵とチャールズがパッと駆け寄ってきた。
驚いた。2人の顔、どうやら一晩寝てないらしい。
「グレイス!!! 大丈夫か!? 何かおかしなことはされていないか!?」
「グレイス様……」
2人にはあたしがグレイスにしか見えないらしい。
それも仕方ないかな~とは思うけど、泣きそうなその顔を見ていると、2人は本気であたしのことを――――正しくはグレイス・エイデンのことを、大切に思っていたのかもしれない、とも思える。
死んで後悔したのかもしれない。もしかしたら、本当に。
侯爵が刺される前のあたしなら、恨み言をつらつらつらつらぶつけたり罵ったり、胸の烙印とか見せて追い詰めたり、そういう悪趣味な手段で爽快な気分でも味わおうとしていたかもしれないけれど、今はもう、そういう真っ黒な気持ちはどこかに消えている。
もう、いいんじゃないかって。あたしもあんたたちも、あんな大昔のことに囚われ続けるのは。
だって苦しいでしょ、そんなの。
あたしはいつも通り、2人に「はあ?」と怪訝な顔を向けた。
「グレイス? 誰だっけそれ。あたしはラビだけど?」
あたしと同じ薄青色の瞳が、驚きに見開かれる。
あたしは真っ直ぐにその目を見つめ返しながら、にこりと微笑んだ。
「あたしはラビですよ、侯爵様。な~んか起きたら顔変わっててびっくりだけど。この顔も似合ってます?」
「いや、だが……」
「それよりお腹減ったぁ。ギル、朝食食べに行きましょうよ。本邸の食堂で食べるなんて初めて! 楽しみですねえ」
「そうだな」
ギルバートはあたしの気持ちを汲み取ってくれたらしい。何も言わず、あたしが差し出した手を握り返してくれた。
背後を、戸惑う2人が黙ってついてくる気配がした。
感動の再会? そんなものある訳ない。
もしあたしがもっと普通の境遇の、例えば街の娘とかに転生していたならそれもあったかもしれないけれど。残念ながら、あたしは解放奴隷だ。
あたしが今までどんな人生を歩んできたか知ったら、泡吹いてぶっ倒れちゃうかもしれない。しかも記憶付きなんて。
そんなの、ただの悲劇でしかない。
記憶のないフリ。それが、あたしの考え得る唯一の親孝行だった。
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――――――――――――
同僚のメイドたちもさぞびっくり仰天するんじゃないかと思っていたのに、いざ顔を合わせると皆が皆いつも通りの顔で「あんたまたとんでもないことしたんだって?」「男爵がカンカンだったわよ」と平常運転。
あたしの容姿に何か言うことはないのか、て言うかあたしだってよくわかったなって感じなんだけど、それはあたしが言及するまで「まあ、言われてみれば……」と気づいていない様子だった。
「顔つきはいつも通りラビじゃないか。こんな物騒な顔、あんた以外にいないわよ」
「なんじゃそりゃ。とんでもない美少女でしょうが」
「はいはい。でもその目はすごいわねえ、確かに。どうなってんの、それ」
ちなみに男爵の方は、さすがにあたしを見てびっくりしていた。
「お前が、奴隷の……!? 何だその顔に……目は」
あたしの容姿が一夜で激変したことに狼狽えていたけれど、侯爵の目もあるからか、それ以上何か言うことはなかった。
それに当然みたくあたしが食堂で食事を取ることも黙認した。主に侯爵の様子によるところが大きいんだろうけど、取りあえず何も言わない方がいいと判断したんだろう。
食堂で食事を取るなんて初めて。
あたしはマナーもガン無視してパクパクと食事を頬張った。
「美味しい~! このパン最高! やっぱりパンは焼きたてですね!」
「そうだな」
侯爵と、背後に控えたチャールズから並々ならぬ視線を感じる。ちょっと食べづらいんだけど。
でもしばらく向こうは何も喋らないから、バクバク食べながらとにかく食事とギルバートに集中していた時だった。
「…………ラビ」
侯爵はフォークを置き、とうとう口を開いた。
「ありがとう。私は、君に救われた」
あたしは首を傾げた。男爵が「ちゃんと返事しろ、失礼だろう」と言いたげな目で睨んでくるけど、無視。
侯爵は特に気に留める様子もなく続ける。
「子爵は以前から私に恨みを募らせていたらしい。私と同じように、一人娘を病気で亡くしている。治療に多額の借金をして、妻ともそれが原因で別れた。だからと言って彼がやったことが許される訳じゃないが、私を恨むには充分な理由だったんだろう」
淡々と、よくあることみたいにそう話すと、侯爵は真っ直ぐにあたしを見つめた。
いつも力強かったその瞳は、今は僅かに潤んでいる、そんな気がした。
「君には……間違いなく、聖女の力がある」
「はあ」
「君はグレイスの力の継承者であり、グレイスの生まれ変わりだ。それは間違いない」
「はあ。急にそう言われましてもねえ……」
「君には、話さなければならないことがある。……食事の後、私の部屋に来てほしい。良ければギルバート君も一緒に。では、先に失礼する」
侯爵は席を立ち、部屋を出て行った。
チャールズも黙ってその後についていく。
男爵は2人が出て行った後「一体何が起きているんだ……」と呟いた。
あたしは黙ってパンを噛み千切った。……心臓が煩い。
あたしの知らない、聖女の真実。それをようやく知ることができるのだと、嬉しいと同時に、恐ろしくもあった。
知らない方がいいことを、知ってしまいそうで。
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