第42話 あたしが次期聖女と呼ばれていた頃 3
その日、あたしは不思議な夢を見た。
真っ暗な闇の中で、女の子が泣いている。小さな小さな女の子。
銀の髪の、あたしのよく知っている女の子。
『……いつまでも泣いてんなよ、構ってちゃんか? 鬱陶しい』
あたしはやれやれと、女の子の隣に座った。
女の子はぽろぽろ泣き腫らした顔をあたしに向けた。
『お父様も、チャールズも……私のこと、嫌ってる』
『うん』
『私が、役立たずだから……。私が、お母様の命を奪って、生まれてしまったから……』
『うんうん』
『お父様は、何で刺されたの? 私の所為……? 私が、勝手に死んじゃったから、その所為で、ずっと責められてたの……? 私の所為で、あんなことに……』
『そうかもしれないしそうじゃないかもしんないけど、気にするだけ無駄無駄。悪いのは刺した奴でしょ。どんな理由があったとしても刃物持ち出した時点でやべえ奴なんだよ。悪いのはそいつだけ』
『でも……』
『いつまで不幸に浸るつもり? もうさぁ、いいんじゃない? あんたは18年も前に死んだ。死んで終わった。悲しみも苦しみも、いつまでも大事に持ってたって仕方ないでしょ』
『でも……辛かったわ。奴隷だって、辛かった……』
ぎゅっと膝を抱えたグレイス・エイデンの頭を、あたしはぽんぽんと、できるだけ優しく撫でてやった。
『大丈夫。あたしたち、もう奴隷じゃないでしょ』
『烙印は一生残るわ』
『これ、思ったんだけど結構カッコ良くない? ドクロマーク』
『ちっとも』
『そっか~。意外に洒落てるかもしれないと思ったんだけど』
『……どうせ押されるなら、花の烙印の方がよかったわ。綺麗な花なら、まだ耐えられたかも』
『そうねぇ……耐えられなくても、進むしかないでしょ、お嬢様。辛くても苦しくても、あたしの人生はまだ始まったばっかりみたいなもんだ』
痩せたグレイスの体を抱き寄せた。コテン、と頭を傾けると、彼女は心地よさそうに目を閉じた。
『……ギルバートは、とても良い人ね』
『生意気なクソガキだったのに』
『そんな言い方は良くないわ』
『はいはい』
『幸せになってほしいわね。彼には……彼には誰よりも、幸せになってほしい』
『……そうだな。それは、本当にそう思う』
グレイスは静かに寝息を立てて眠った。
いつしか、涙は枯れていた。
――――――――
――――――――――――――
「…………ふわぁ」
翌朝、柔らかな朝の光で目が覚めた。
明るい。何となく心も軽い。
あんなにどろどろとした気持ちを……前世に対する複雑な感情を抱いていたはずなのに、今はそういうものがそっと薄れてくれたような、おかげで自由になれたような、そんな感じがする。
……変なの。グレイスの記憶が消えた訳じゃない。
むしろ見た目もこんなに変わって、ラビとしてのアイデンティティみたいなものが消えつつあるような感さえあるのに。
今は何か、全てを許し許されたような、良い意味でもうどうでもいいんだって、自然とそう思える。一言で表すなら気分最高みたいな、そういう気持ち。
ベッドサイドにはギルバートが、あたしの手を握りながら眠っている。
本当にずっと握っててくれたんだ。そう思うと、胸の奥がこそばゆくて嬉しくなった。
無防備な寝顔が可愛い。黒髪をそっと撫でると、僅かに「んん……」と身じろぎした。それから、金色の瞳をゆっくりと開けた。
「ごめんなさい、起こしちゃいましたね、ギル」
「……ラビ」
彼は眩しそうに目を細め、微笑んだ。
「おはよう」
「おはようございます」
「……変な感じだな。顔が違う。今度力を使ったらどうなるんだ?」
「さあ? もう変わんないと思いますけどねぇ」
「グレイス・エイデンはそういう顔してたんだな」
「10で死んだんで、もっと幼い顔でしたよ。どっちかというと母親の方が出てきますね、この顔は」
あたしは手近にあった鏡を取って、改めて自分の顔を見た。
そこに映るのは、成長したグレイス・エイデンの皮を被った、ラビ。
きっとグレイスが成長したらこういう顔にはなっていたんだろうけど、ラビとして生きた人生がある所為か、顔つきがちょっと捻くれているような気はする。折角の美少女がちょっと勿体ない。けど……
まあ、うん、これはこれで良しとしよう。
「ねえギルバート、これからどうなると思います?」
「これから、か……」
ギルは気怠げに、扉の方へ視線を向けた。
「あいつらはお前を絶対に逃がさないだろうな」
「わあ、怖いですねえ」
「……お前が望むなら、このまま逃げるのも一つの手だがな」
「逃げる、ですかぁ」
うーん、とあたしを首を傾げた。
侯爵はお金持ち。お金持ちはあらゆる手を使って追いかけてくるだろう。そんな相手から逃げ回るなんて、考えただけでぐったりする。
「逃げるのは大変ですよ、ギル。女一人で金持ちの手をかいくぐるのは――――」
「一人? 俺も一緒に決まってるだろ」
「……男爵の跡取りとか言われてる人が、元奴隷と一緒に逃避行ですか?」
「楽しそうだろ」
「いかれてますよ」
いくら何でも、それはできないでしょ。
思わず噴き出したあたしと対照的に、ギルバートは真剣そのものの表情だった。
「……あたしと一緒に、地獄に落ちるって言うんですか?」
「ああ。お前と一緒なら、どんな場所だろうと天国だ」
大袈裟な、と返しそうになったけれど、その顔を見てると本気でそんなこと思ってんじゃないかって不安になる。
この子は、ほんとに、もう。
「ギルバートって、頭はいいくせに真っ直ぐ過ぎて心配になりますね。世間知らずって言うか」
「誰が世間知らずだ」
「世間知らずですよ~。何が一番お得かなんて、考えなくてもわかるはずなのに」
あたしはじっとギルバートを見つめた。
解放奴隷のあたしを受け入れてくれた人。あたしじゃなきゃだめだって言ってくれた人。
あたしを、愛してると言ってくれた人。
「……取りあえず、侯爵と話しをしましょ。気になることもあるから」
湧き上がる気持ちにはそっと蓋をして、あたしはいつものように微笑んだ。
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