第32話 あたしが専属メイドと呼ばれていた頃 13


 その日から、あたしは引きこもりのメイドになった。


 せめてチャールズたちが滞在している間は、極力離れの部屋から出たくない。

 幸いギルバートもそれには同意していて、あたしが何度もチャールズに遭遇するって話をした後は、「あのストーカー……!!」と鬼みたいな顔をしていた。


 ギルはギルで忙しかった。滞在中の客の相手をしなきゃならないし男爵も「自慢の息子だ」とギルを連れ回すから、ろくに休む暇もない。

 特によく出かけている相手はエイデン侯爵らしい。

 シャーロットだっけ? あれも毎回くっついてくるらしいし、これは婿入りの話も順調に進んでいるということかもしれない。


 ギルバートは毎日疲れた様子で、侯爵やシャーロットから贈られたものを両手に抱えて戻ってくる。


「さすがお金持ち。金でギルバートの心も奪っちゃおうって魂胆ですね」

「いいと言ってるのに……要らないものを渡されても嬉しくないだろ」

「そうですか? こんなに渡されたんじゃあ、私だったらコロッといきますよ」


 あたしはシャーロットのお熱い手紙つきのクッキー箱を開けて、中身を一枚口に放り込んだ。ううん、美味。これ絶対相当高いやつだ。


「男爵の三男坊を籠絡して何の意味がある。……まあ、あと数日の我慢だ」

「どうですかねえ」


 男爵も侯爵も、ギルバートを次期侯爵にしようとしてるんじゃないだろうか。それを望んでんじゃないか。そうでもなきゃ、こんなに毎日連れ回さないでしょ。

 そう思ったけれど、あたしは大人しく黙っておいた。




 最終日の、昼下がりのこと。

 いつものようにギルバートが出かけて、あたしは広い離れの中を掃除して回っていた。


 その時、玄関の方で話し声が聞こえた。

 客が来るなんて聞いてない。もしあればギルバートが伝えてくれてるはずだ。

 もしかして泥棒の類いじゃないかと警戒した時、扉が開いた。


「――――私は早く本邸に来るように言っているんですよ。ですが本人が、この離れをどうも気に入っているみたいで……」

「ここもなかなか立派な屋敷じゃないですか。きちんと手入れも行き届いているようだ」


 まず見えたのは、へこへこと明らかに媚びた顔と声のアンカーソン男爵。……あんな顔初めて見た。気持ち悪い。

 そしてその隣で、屋敷の中をゆっくりと見回している人物は……



「ああ、君がギルバート君の侍女か。噂はかねがね」

「ッ…………」



 あたしは思わず後ずさった。

 短い銀髪に、薄青の瞳。精悍な顔つきに、軍人らしい逞しい体つき。


 紹介されなくてもわかる。

 エイデン侯爵。グレイス・エイデンの父親。

 チャールズと同等、いやそれ以上に、絶ッッ対に会いたくなかった人物。


「おい、何をぼさっと突っ立っている! この御方はエイデン侯爵閣下だぞ。さっさとおもてなしを――――」

「ああ、いいんですよ。急に来た訳ですから。ギルバート君もいないのに、勝手な真似をして申し訳ない。仕事の途中だろう、我々のことは気にしないで構わないよ」


 妙に優しい、声。それがどうしたって気持ち悪くて、あたしは返事もできずにいた。

 だって、前世では一度だって、そんな声では話しかけてくれなかったじゃない。


「? どうかしたかな? 何か……」


 エイデン侯爵が、固まっているあたしに一歩近づく。彼の瞳に、怯えるあたしが映される。同時に、その目が僅かに見開かれた。


「君、は……」


 あたしはパッと顔を背け、駆け出した。背後で男爵が「無礼だぞ」と叫ぶ声がした。



 本格的に引きこもろうと思ったけれど、それは男爵が許さなかった。

 侯爵にまともに挨拶もしないあたしにそれはそれはお怒りのようで、あたしは二人のためにお茶を淹れ、茶菓子を用意させられることになった。


 多分、ギルバートはこの離れに二人が来ることを許してはいない。後でバラしてやると思いながら、あたしは二人がどうでもいい会話を交わすのを、ただ突っ立って聞いていた。



「――――しかし、素晴らしいことです。大変な病気だったと聞いていますが、無事完治し、勉学にも励み、今ではあんな立派な青年に」

「ええ、ええ、そうでしょう。もう無理かと何度も諦めかけましたが、家族の献身的な支えがあって、ギルバートの病気は完治したんです!」


 何をいけしゃあしゃあと。葬式の準備までしてたくせによくもまあ。

 フォークであの舌引っこ抜いてやろうか。


「一晩で治るなんて、まるで奇跡だ。聖女が、貴方のご子息に祝福を与えられた」

「聖女? ああ……ええと、確か侯爵のお嬢様は……」

「……愛しい子でした」


 うっげえ、虫唾が走る。

 嘘吐きどものティーパーティーだ。耳を塞げればどんなに良かっただろう。


「妻によく似た子でした。髪と目の色は私似でしたが……成長していたら、きっと妻にそっくりになっていたでしょうね。あの子が亡くなって十八年、片時たりとも忘れたことはありません」


 だぁから嘘吐くなって言ってんだよ、それっぽい顔しやがって腹が立つ。

 しんみりした顔を叩いてやりたくなる。あたしは大人だからやらないけれど。


「今でも、夢を見るんです」

「夢?」

「あの子が、帰ってくる夢です。最近は特に見るようになりました。ここに来てからは、毎日」

「ほお」

「私の元に帰ってきて、怒鳴るんです。何を言っているかはわからない。ただ、怒っていることはわかる。怒って、悲しんで、泣きながら怒鳴っている」

「それは……」

「あの子は、責めているんでしょう、私のことを。貴方と違って、無能で無責任だった、私のことを」



 茶会はやがて終わり、二人は和やかに話しながら本邸へ帰っていった。

 結局何の為にあの人がギルバートの離れに来たのかは、わからないままだった。

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