第31話 あたしが専属メイドと呼ばれていた頃 12
こいつはストーカーか? なんでこう、あたしのいるとこ行くとこに必ずと言っていいほど出くわすんだ?
声を聞いた途端すたすたと歩き始めたあたしに、奴は慌てたように追いかけてきた。
「あ、待って待って! 少し話をしない?」
「しない。ついてくんな」
「酷いな。お互い大変な主人を持った身だ、いろいろ話したいこともあるんじゃない?」
その言葉に、あたしは思わず立ち止まった。
チャールズ、もといストーカー野郎も、ぴたっと立ち止まる。
「いいかストーカー、あたしはこれでも今の職場には満足してるんだ。あんたと違って不満タラタラじゃないから。勘違いすんな」
「じゃあ、僕の愚痴だけ聞いてくれる?」
「なんであたしがあんたの愚痴なんて――――!」
「まあまあ。パン食べる? 美味しいよ」
チャールズが差し出したのは、できたてほかほかのチーズパン。
林檎は囓っていたところだったけれど、パンはパンで欲しくなる。特にあのパンは客や男爵一家用にしか焼かないやつ。以前あたしがくすねようとしたらしこたま叱られて結局食べさせて貰えなかったやつだ。
「……食べる」
あたしは差し出されたチーズパンを奪い、その場にどすんと腰を下ろして、むしゃむしゃと頬張った。
チャールズは「美味しいよねえ」と言いながら、紙袋の中から別のパンを取りだし、頬張った。
「良い天気だね。この景色を眺めながら美味しいパンを食べるって、贅沢な時間だなぁ」
「……勝手に他人様の庭をうろうろしていいのか。ご主人様が怒るんじゃないの」
「それはご心配なく。ご主人様はまだお休みだし、ここなら散策してもいいと、こちらの家の方から許可も貰ってるから」
「あ、そう」
あっという間にパンを食べ終えて、「もう一個」と手を出すと、そこにポン、と蒸しパンを置かれた。蒸しパンか。歯ごたえはないけどこれはこれで好き。
「美味しい?」
「まあまあ」
「そっかぁ」
チャールズはにこにこしながら、長細いパンに齧り付いた。
その横顔を盗み見ながら、あたしは蒸しパンを噛み千切った。
「……あのさぁ、何であたしにつきまとうの、あんた」
「え?」
「知ってるんでしょ? あたしが解放奴隷だって。奴隷だよ、奴隷。市民権もない。普通の奴ら以下ってこと。そんなのと並んでパン食べるとか、あんたって変わってるよね」
この国では奴隷制度が禁止されているから、逃げ込む奴隷も少なくない。ただ、だからってこの国ではまともな生活が送れるかって言うと、それは運次第だ。
あたしは偶然、男爵に声を掛けてもらったからまともな生活ができてるけど、ほとんどはタダ同然で、劣悪な環境でこき使われる。仕事は主にキツい辛い重労働ばかり。一般市民も、解放奴隷を「可哀想」と言いながら蔑んでいる。
結局、奴隷はどこに行っても奴隷でしかない。
「僕は、奴隷だから普通じゃないなんて、そんな風には思わないよ」
「嘘臭い」
「そう聞こえる?」
「あんたは恵まれてる側の人間だ。市民ってだけで充分恵まれてる。そんな奴に何を言われたって、嘘っぱちにしか聞こえないさ」
実際、チャールズは嘘で塗り固められた人間だった。
大嫌いなグレイス・エイデンにも、にこにこにこにこ、優しい笑顔で接していた。心から慕っているように、見せかけていた。
彼が本音を見せたのは、自分の姉について案じた、あの時だけだ。
「僕は、君の前で嘘を吐いたことはないよ」
「あっそ」
「声を掛けるのは、どうしても君のことが気になっているからだ」
「へったくそな口説き文句」
「君を見ていると、昔の自分を思い出すんだ」
「………………はあ?」
顔を歪めたあたしと対照的に、チャールズは偉そうな顔で微笑んだ。
あたしの気持ちなんて、何でもわかっている、とでも言うように。
「僕も、君と同じだった。貴族は皆恵まれているのだと思って、何を言われても嘘臭く思っていた。優しさを撥ね付けていた。……でも、違うんだよ、ラビ」
「違わない」
「違うんだ。本当に君のことを心配している人も、確かにいる。それにこの世には、貴族の中にももっと心の高潔な、優しい人がいるのも本当だ。僕には昔、大切な人がいた。自分が思っているよりずっと、心を許した人だ。美しい、優しい人だった。……愛していた。もし彼女なら、君の頑なな心も溶かしてくれたんじゃないかな」
姉のことだろうか。美しい姉弟愛だこと。
過去形ってことは、もしかして亡くなった? それとも嫁いだ? 病気は治ったはずだから、やっぱり結婚か? いや待て。貴族って言ったか? こいつもしかして元貴族だったのか?
ああもう、わからん。て言うか、どうでもいいか。チャールズの言うことなんて、全部嘘っぱちなんだから。
「ねえ、君は時折、酷く辛そうな顔をする。何か悩んでいることがあるなら、口に出してみるのもいいと思うよ?」
「ない」
敢えて言うなら前世の親と知り合いが現れたのがここ最近一番の悩み事だ。
チャールズはコテンと首を傾げ、「本当に?」と微笑んだ。
「僕はてっきり、君はギルバート様と一緒になりたいのかと思っていたけれど」
「はあ?」
「違うの?」
「んな訳ないだろ。馬鹿も休み休み言え。何であたしと坊ちゃんが」
あまりに馬鹿らしくて、あたしは思わず立ち上がった。
「ギルバート様もそのつもりかなと思ったけど」
「ない」
「君たち二人は何か特別な絆で結ばれているような気がする。違う? もしかしたら君は知っているのかな」
「何を」
「ギルバート様の病気が、たった一晩で治った理由」
歩き始めていたあたしは、その言葉に立ち止まった。振り返ると、チャールズは変わらない笑みを浮かべてあたしを見ている。
「まるで聖女様の力が、奇跡を起こしたかのような。君は知っている? 何か見た?」
「……知らない」
「そう?」
「知る訳ないだろ」
あたしはチャールズを睨み付け、足早にその場を去った。
ストーカー野郎も、今度は追いかけてこなかった。
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