第9話 あたしが解放奴隷と呼ばれていた頃 6
あたしの胸には、烙印が押されてある。
真っ赤な焼き鏝でつけられた、奴隷の印だ。
奴隷となった者は必ず何かしらの焼き印を押されるものだけど、大きくて禍々しいそれは、ドクロのような形をしていて、あたしが奴隷の中でも最下層、何の長所も技術も持たない、死人並みの価値しかない奴隷だってことを表している。
と言っても、あたしが特別価値が低かったと言うよりは、子どものうちに奴隷になった者の大半は、これを押されていた。
特別可愛い子とか頭の良い子以外は、皆ドクロマークだ。
わかりやすく才能のある子なんてひと握りだし、奴隷商人もいちいち子どもをじっくり観察して評価をつけるなんて、面倒過ぎてできなかったのだろう。
『汚え子どもなら腐るほどいる。これでいいだろ』
ちっこい檻に入れられて売り飛ばされた先で、クソな奴隷商人がそんなことを言っていたのを覚えている。
燃えるような痛みだった。
多分、あの頃の記憶が、あたしが生まれ変わって覚えてる、最初の記憶だ。
焼き鏝なんて押しつけられた訳だから、印は死ぬまで永遠に残る。
だから解放奴隷となった後も、消えることなくあたしの体に刻まれていた。
「びっくりしました? ローラン王国では奴隷は禁止されてますもんね。見たこともないでしょう。聞いたことはあります?」
「お前……奴隷……だったの、か……」
「おかげさまで、今は解放奴隷です」
坊ちゃんの手足に怪我はない。背中も確認したかったけれど、それは坊ちゃんが「や、やめろ!」と嫌がった。
「元奴隷に触られるのは嫌でした?」
「ち、違う! 別にそういうのではなく……せめて服を着てからにしろ! お前が!」
「服を着たら確認させてもらえます?」
「……ああ」
「じゃ、そうしますかね」
あたしはもう一度浴室に戻って、適当に放り捨てていたメイド服を拾った。
その後、部屋に戻って坊ちゃんの背中に怪我がないか、改めて確認した。
あたしがクッションになったから大丈夫そうとは言え、多少の衝撃はあっただろうし、こんなに痩せた子だと些細なことでもどうなるかわからない。
坊ちゃんは背中を見られるのを嫌そうにはしていたけれど、約束通り拒絶はしなかった。
私が嫌なら医者に診てもらうかってのは最初に提案したけれど、「あいつにはできるだけ会いたくないし見られたくない。それならお前の方がマシだ」とのことで、よっぽど医者との関係はうまくいっていないらしい。
「――――よし、取りあえず大丈夫そうですね。よかったよかった」
「……意外に心配症だな、お前」
「えーだって何かあったらあたしの責任じゃないですか~」
それに、あたしの所為で坊ちゃんが怪我したなんて、さすがに寝覚めが悪い。
こんないたいけな骨と皮だけの男の子を甚振りたい訳じゃないし。
「今日は本当にすみませんでした。からかい過ぎちゃいましたね。反省してます」
「本当に反省してるのか……?」
「してますしてます。坊ちゃんにもヤな思いさせちゃって。もう二度と体は見ませんから、安心してください」
「…………お前こそ、大丈夫なのか。体打ったんじゃないのか」
「大丈夫ですよ~。あれくらい大したことありませんから。坊ちゃんはお優しいですねえ」
「………………」
坊ちゃんは押し黙り、服を整えた後、ぽつりと呟いた。
「お前は……僕の体を見ても、普通なんだな」
「? 普通って?」
「気持ち悪いとか……普通……そう思うのが、普通だろ。こんな醜い体……他の奴らは、皆怖がる。気持ち悪いって……悍ましいって……触れることも、目にすることも嫌がる」
「えー? そうですか?」
「お前、感覚がおかしいんじゃないか」
「でもでも、死体はもっと酷いですよ?」
「は?」
坊ちゃんが「何言ってんだこいつ」と言いたげな顔をあたしに向ける。
あたしは「死体ですよ、死体」と繰り返した。
「あたし何度か食べ物に困って死体漁ったことありますけど、あれは酷いですよ? 漁るもんじゃあないですねえほんとに。人って死んだらこうなるのかって、じゃあ死にたくないなと、それなら生きてる方がずっと綺麗だなって思いました」
「……死体、漁ってたのか」
「死ぬよりはマシかと思って。でもひっどい話ですよねえ。死体を漁るなんて、外道のやることです。あたしみたいなのは、この先もまともに生きられない。まともに死ねやしない」
「………………」
「だからこそ、何としてでも今を楽しみ尽くすことに決めています。折角生まれたんですから、人生使い尽くしてやらなきゃ勿体ないですよ。死ぬのは、どうせいつでもできるんですから。――――ね、坊ちゃん」
どんなに綺麗でも、死んだらお終い。
あたしの……グレイス・エイデンの死体も、それはそれは醜く腐敗したことだろう。そしてこの国のほとんどの人がそうされるように、醜い遺体は神殿の墓地にそのまま埋められたことだろう。
でも次に死ぬ時は……ラビとして死ぬ時は、あたしの死体は絶対燃やしてほしい。
綺麗に燃やし尽くして灰にして、それを海にでもまいてくれたら、最高だ。
「ところであたし、人肌ってけっこう好きなんです」
「は? 何の話……」
「あたしは坊ちゃんに触るのを嫌だとは思いませんよ。死体には絶対ないものですからね!」
「死体と比べるな」
「坊ちゃんはどうです? あたしみたいな汚い奴隷には触りたくありません?」
「……もし、移ったら……」
「今更移るも何もないでしょう。触られるのが嫌なら触りません。坊ちゃんが決めてくださいな」
あたしの言葉に、坊ちゃんはしばらくじっと考え込んだ後、恐る恐る手を伸ばした。
死体漁りなんてしたことのある女に、よく触れられるものだなと思う。
赤く爛れた指。それが、そっと、壊れ物にでも触れるように、あたしの頬に触れる。ざらついた感触がくすぐったくて、思わず笑みがこぼれた。
「ざらっざらですねえ、坊ちゃんの指」
「!! い、嫌なら――――」
「ああ待って待って。嫌な訳じゃないですよ」
あたしは、離れそうになった指をそっと掴んだ。
こんなに優しく触れてくれる人肌は、多分生まれて初めてだった。
「坊ちゃんはあったかいですねえ。あったかくて柔らかくて、とっても素敵ですよ」
「…………また死体と比べてるんだろ」
「あははっ。でも坊ちゃんは、死体になりがたっていたでしょう。どうです? 今の方がずっといいと思いません? あたしは死体になった坊ちゃんより、今の坊ちゃんの方が好きですよ」
「………………」
きゅ、と坊ちゃんの顔が泣きそうに歪む。
よしよしと坊ちゃんの頭を撫でると「子ども扱いするな!」と怒られた。
だけどその割に、あたしから手を離そうとはしない。
「変な奴。お前みたいな変な奴初めてだ。この変人」
「わあ、ひっどい言い草ですねえ。良い話してたのに」
「どこが良い話だ。人を死体と比べやがって」
「坊ちゃんなんか口悪くなりました? あたしの影響?」
「お前の所為だ」
黄金色の瞳が、じっとあたしを見つめている。
その目が、不安そうにあたしの胸元に、一瞬だけ向けられる。
「……もう、痛く、ないのか?」
ちょっと震えた声。
気にしてくれたんだろうか。あんなものを見せてしまって、ショックを受けさせただろうか。
あたしは、「ちっとも」と返した。
そしたら坊ちゃんは、ほっとしたように目元を緩めた。
「…………そうか」
そんな風に心配されたこと、今まで一度だってなかった。
罵倒されるか、呆れられるか、気持ち悪がられるか……奴隷への対応なんて、大抵がそんなものだ。
あたしは視線を逸らした。
こんな優しさを示されるのは、苦手だった。あたしには勿体ないものだから。
いつか、この優しさが痛みに変わったらと思うと、恐ろしかったから。
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