第2話 私が落ちこぼれの聖女と呼ばれていた頃 2
「チャ、チャールズ!?」
一瞬お父様かと思ったけれど、違う。
もっと幼くて高い。その声は、私の大好きな人のものだった。
私は思わず飛び起きた。
心臓がバクバクと煩くて、熱がまた上がってしまいそう。
「チャールズ、どうして? 今日は祝祭じゃ……」
「……グレイス様の顔が見たくて。入っても大丈夫ですか……?」
「あ、えと、その……」
彼の声は憔悴しきっていた。何かあったのかもしれない。
心配だから早く扉を開けてあげたいという気持ちと、この顔のままで彼に会って大丈夫かしらという、二つの気持ちがせめぎ合う。
だって好きな人と顔を合わすのに、酷い顔のままじゃ絶対に無理だもの。
私はベッド脇のサイドテーブルの引き出しを開けて手鏡を取り出し、小さく息を飲んだ。
ああ、なんて酷い顔。
ここ最近で一番酷い顔だった。丸い鏡の中に映る私は、まるで雑巾みたいな顔色をしている。
目の下は落ちくぼみ、唇は色がなく、これじゃ死人みたい。
「ちょ、ちょっと待っててくれる? すぐ終わるから!」
「わかりました」
私は化粧箱を取りだして、ベッドの上で慌ててお化粧を始めた。
一生懸命白粉をはたいて、頬紅をさす。色のない唇にも、軽く口紅を。
これで少しは普通の顔になったかしら?
チャールズは、私のお屋敷で働いている。
同い年だけれど、私よりずっとしっかりしていて、働き者で優しくて、誰よりも格好良い。
私はチャールズに夢中だった。一目惚れって言うのかしら。
綺麗な王子様みたいな顔で、物腰も柔らかくて。
初めて見た時から自然と気になって、彼の誠実で真面目な人となりを知るうちに、どんどん好きになっていった。
彼は、小さな小さなこの世界で、私に生きる希望を与えてくれる人。
少しはましになったよね、と何度も鏡で確認してから、私は「どうぞ、入って」と声を掛けた。
ゆっくりと扉が開いて、くすんだ金髪が覗く。
綺麗な若草色の瞳が、私に向けられる。
少し憂いを帯びた表情だったけれど、彼の顔を見ただけで、私の胸は大きく高鳴った。
――――ああ、だめよ、わかりやすく舞い上がってはだめ。いつも通りにしないと。
好きだってことがバレてしまったら、もう恥ずかしくて生きていけない。嫌われてしまうかも。
私は必死に平静を装いながら、彼に微笑みかけた。
「大丈夫? 何かあったの?」
「いえ……。アニーは? いないんですか?」
「お祭りに。お土産をお願いしたの」
「そうでしたか。……寂しくはないですか?」
「ええ。ちっとも」
彼は小さく微笑んで、ベッド脇の椅子に腰掛けた。
「少し顔色が悪いようですね。大丈夫ですか?」
ギクッと顔が強張った。不細工だって思われたかしら?
考えただけで泣きそうになって、私は「へ、平気よ!」と一生懸命笑顔を作った。
「私、皆が心配する程病弱じゃないもの。たまに微熱が出る程度。お父様ってば過保護なのよ。私のことが大切過ぎるんだって。あ、ここだけの秘密だけどね」
思わず嘘ばかり吐いてしまって、情けなくて泣きそうになる。
父親に愛されていないことは、誰よりも自分がよくわかっている。
冷や汗がだらだらと流れて、このままお化粧が剥げじゃったらどうしようって、それも心配になった。
「……いいですね。元気なら」
チャールズの声が、ちょっと低い。
違和感が耳を擽ったけれど、彼の表情は優しいままだった。
「チャールズ……?」
「元気なら、いいでしょう。一緒に抜け出しませんか?」
「え? 抜け出すって……お祭りに行くってこと? でも……」
「屋敷には他に誰もいませんし、抜け出してもバレはしないですよ。お祭りを楽しんで、すぐに帰りましょう。旦那様のスピーチも、楽しい催しもあります。美味しいものも。そうだ、サーカスも来ていますよ。前に見てみたいと仰っていたじゃないですか。僕が案内しますから、一緒に見に行きましょう。さあ」
チャールズが手を差し出す。こんな提案は初めてで、私は喜ぶより困惑した。
彼は真面目で誠実で、私を屋敷から連れ出すなんてとんでもない冒険をするタイプではないはずだ。
何かおかしい。
私は状況を整理できず、その手を取れずにいた。
「いえ、でも、あの……」
「何を躊躇っておいでですか? たまには外に出た方がいいですよ。ほら」
本当は行きたいという気持ちの方が強い。
でも、そんなことができる体じゃないってことは、自分がよくわかっている。
「ごめんなさい。私、汚いところはあまり……。その、苦手なの。だからお祭りは……今夜は遠慮しておくわ」
「…………落ちこぼれの聖女」
「え?」
落ちこぼれ?
ヒヤリと背筋が凍った。チャールズは、見たこともないような凍えた瞳で、じっと私を見つめながら捲し立てた。
「皆噂してますよ? 貴方は聖女の証はあるのに、肝心の力はない落ちこぼれだって。病弱で寝てるしかできなくて――……でも、僕は違うと思う」
「チャー、ルズ……?」
「本当は力があるんでしょう? だって貴方は病弱なんかじゃない。そのフリをしているだけだ。ずっと寝てなきゃならない程酷い顔色だとも思えない。いつもそうだ。貴方は病人じゃない」
何を言われているのかわからなかった。
彼が、どうしてこんな泣きそうな顔をしているのかも、わからなかった。
「貴方は聖女の力を使いたくないだけだ! 汚い平民のために力を使うのが嫌なんですか? 折角力があるかもしれないのに? 毎日毎日寝て世話して貰って医者にも診て貰えて何不自由ない生活を送って……貴方はいいですね。働かなくても生きていける。調子の悪いフリをすれば、皆が心配してくれる!」
「ま、待ってチャールズ。私――……」
「どうせ内心では、僕みたいな穢らわしい平民を蔑んでるんでしょう!? 聖女のくせに……! 神様に選ばれた聖女のくせに!!」
チャールズは怒鳴りながら立ち上がった。
涙が、彼の頬を濡らしていた。
「貴方の役目は、こんなところで寝ていることじゃない! 今すぐ神殿で祈りを捧げることだ! 祈りを捧げて、今苦しんでいる人を、病で苦しむ大勢の人を…………」
私を映す若草色の瞳は、怒りと憎しみの炎で燃えている。
指先が痺れた。何が何だかわからず、私の瞳からも涙が零れた。
「僕の姉さんを……治して、くださいよ……」
最後の言葉は、涙で滲んで擦れていた。
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