ただの生理現象

桝克人

ただの生理現象【美玖】

大昔の人口って七十億人もいたと学校で習った時は、それだけの人数がいれば私にも親しい友達や恋人の一人はいたのかなと思った。いや、恐らく今とそう変わらないだろう。だって人付き合いってコミュニケーションが得意な人限定の娯楽特権だ。私のような根暗で気が弱い人と誰が積極的に友達になりたいと思うわけがない。

そもそもその当時なら、今と違って学校も職場も通わないといけない。いやでも人付き合いを強制される社会だ。そんな時代に生きていなくてよかった。毎日人に囲まれて生活するなんて想像するだけでも恐ろしい。学ぶ場所も働く場所も選び放題の時代で心の底から良かったと思う。


ただし人付き合いがないからと言って寂しいわけではない。話し相手が必要だ。だから新しいロボットは生活密着型のロボットが欲しくなった。

今の時代人型AIロボットなんて一人につき一台持っている。実家にも両親と私の分で三台いた。そのうちの一台は子供の時に政府から派遣された子供用のロボットだ。先日卒業と同時に返却することとなったので、実際私も大学入学と同時にお祝いと、これから始まる独り暮らしの娘の安全を考慮して個人用のロボットを買ってもらった。カタログから選んでロボットの容姿をカスタマイズした。憧れの私だけのロボットーーーS型-584632は男性型で身長百八十三センチ、細身の筋肉質、色白、目は青緑色で髪が濃いブラウン、サラサラのストレートヘアー、眉は緩やかなアーチ型で…つまり理想の彼氏像で作ったのである。モデルは元号、平成から令和で流行った恋愛シミュレーションのレトロゲームのキャラクターだ。最近アーカイブで見つけて、一目ぼれから始まり、すっかりそのゲーム、そしてキャラクターに深くはまってしまった。


「あなたの名前は一騎」


勿論名前も憧れの彼と同じ名前だ。いざ名前を口にすると少し恥ずかしい。一騎は「はい、わかりました。S型-584632、通称一騎で登録します。よろしくお願いします、美玖様」と恭しく頭をさげた。名前を呼ばれただけなのに春風に吹かれたような温かさを覚えた。初めてあの彼と画面で対面した時の感覚よりもずっとドキドキしている。


せっかく自分好みの姿にしたのだから性格も創り上げなくてはと、授業のない時間は全てロボットと話して学習させた。こんなに毎日誰かと話すなんて人生で初めてかもしれない。最新型モデルの一騎はどんどん学習し、私の思う理想通りのロボットに近づいていった。


「美玖、今日の晩御飯はなににしようか」


同い年くらいの青年で、私とは仲の良い親友―――流石に初めから恋人と設定するのは恥ずかしい―――で、シェアハウスをしている設定だ。お互い一緒にいて気兼ねなく過ごせるけれど、近すぎない節度ある間柄、でもお互いが一番大事な存在。


「冷蔵庫に何があるの?」

「からっぽに近い状態だよ。ちくわとキャベツが四分の一残っているだけ。買い出しに行くからリクエストに応えられるよ」

「えー…いざ言われると思いつかないなあ…」


一騎の料理なんでも美味しいし、と呟いてみせると学習はお手の物なロボットの一騎は少し照れ笑いしてから「おだててもデザートはないぞ」と求めているお決まりのセリフを言ってくれた。


夕方、寄り添ってスーパーにでかけ、野菜、魚、お肉と食材を見て回る。一騎は普段より安いものや新鮮なものを見分けて、いついつに何を作ろうかと提案してくれる。どれも美玖の好きなものばかりだ。今日は焼き魚、明日はハンバーグに決定した。


「デザートにミカンでも買おうか」

「ええ、プリンにしようよ」

「だーめ。この間食べたばかりだろう。それに肌のことで悩んでたんだから、ビタミン摂った方がいいよ」


私はむくれ面になりながら、みかんを取りに果物コーナーに戻る一騎についていく。確かにに最近肌に自信がない。年齢的には全く問題ないのだろうけれど、にきびが増えたし人に見せるにはみっともないような思う。

一騎はみかんを籠に入れてからすぐにレジへと向かい会計を済ませる。袋に荷物を詰めている間も私の「プリン食べたかった」と子供じみた文句に「はいはい」と受け流す。


「そんなむくれるなよ。ほら」


スーパーから出て、一騎の後ろを歩いていた私に手を伸ばした。


「牛乳プリンならもう作ってあるからさ」

「一騎、大好き!!」


私は一騎の腕にしがみつくように絡めて、そのまま頭を預けて足取り軽く帰路に就く。「現金なやつだな」と苦笑しながらその声には愛おしさが滲み心地よかった。


「あ」


ふと一騎が声を漏らす。足が止まるか止まらないかくらいの速さに歩調を合わせて私は一騎を見上げた。


「どうしたの?」


声をかけても一騎はこちらを見ない。私はなんだろうと一騎の視線を辿る。いつもの帰り道である河原は夕日にきらきらと輝いていた。特に変わった様子もない。


「一騎」


もう一度声をかけて漸く我に返ったようにこちらを見てくれた。


「どうしたの?大丈夫?」


ロボットに心身の不調の心配をするのは変かもしれない。頭の片隅にそんな考えがあるが、私にとって一騎はロボットではなく心のある人間なのだ。一騎はふっと笑って「大丈夫だよ」と言った。


「明日も良い天気なんだろうなって思っただけ」


雲のない澄み渡った空、遠くに見える山肌もすっかりオレンジ色に染まっている。一騎の言うように明日は天気に恵まれるのだろう。空模様を確認しなくても、一騎ならネットの情報から明日の天気どころか一週間、一か月先の天気もわかるはずだ。

もしかしたら、これも私を喜ばせる演出なのかもしれない。夕焼けを見て、天気になぞらえて明日も良い日になるといいねと言葉を交わす。希望のある未来を共に生きていくと言いたいのだろうか。何と返せば、素敵なシチュエーションに満足しているよと伝わるのだろうか。


「そうだね」


気の利いた言葉は思いつかなかった。ほほ笑んでみせてから彼の腕をぎゅっと掴んだ。彼はきっと仕方ないなと笑っているのだろう。私の彼ならそうすると知って設定している。

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