9.模擬戦闘②


「強い……」


 イオルが嘆息した。

 剣戟の風圧と俵抱きで思う存分三半規管をシェイクされ、声がよれている。


「もうほんとにね。シュウの奴、本気で容赦ないな……」


 足りない。素直にカナキは認めた。

 むき出しの敵意に立ち向かう経験が、圧倒的に足りないのだ。

 嫌な汗がにじみでる。髪がへばりつく、鬱陶しい感覚。

 それはイオルも同じようで、しきりに汗をぬぐっている。

 それなのに手は、小刻みに震えていた。


(このままじゃ二人して、シュウの気迫だけで負ける)


「……イオ、」

「ねえ」

「ん?」

「わたし、割と負けずぎらいなんだ」


 イオルが笑いながら言った。けれど歯は鳴っていて、手の震えだってそのままだ。


「奇遇だね、俺も」


 返すように笑う。

 恐怖も歯の立たない屈辱も飲み込んだ彼女を折らないように。


「でもさ、なんかシュウ……それだけじゃない」

「ああ、確かに。なにかディプシライトそのものに憎悪を向けている。そんな感じを受ける」

「うん」


 カナキは目を細めた。

 きっと彼は、自分たちが思っているよりももっと深いところにいる。それを全部暴きたてるのは、きっと今ではないのだろう。けれど一本の矢は、楔は――なにがしかは今ここで必要なのだと、そう思った。隣の彼女も、だから無理くり立っている。


「いい、イオル? この場において、残念なことに俺たちは格下。格下の戦い方のセオリーは……」

「奇襲と乱戦」

「奇襲と乱戦」


 二人は同時に言い切った。そして同時に、ふっと笑う。


「やりますか」


 一足飛び、カナキが岩から飛び降りる。

 向かう先は積まれた土嚢、それらを目一杯高く放り投げる。二つ、三つ、シュウが来るまでできるだけ多く。


「やられますか」


 イオルが矢を撚り合わせる。

 見様見真似、と散らばったそれを眺めながら手のひらを回して弓を作る。

 きりきりと弦を引き絞り、放つ。二の矢、三の矢、腕が軋むまで。

 今の己の限界まで強化した矢は見事な速さで土嚢に向かい、そして爆ぜた。



 パァン……ッ!



 立て続けに破裂音が響いたあと、辺りは砂煙で包まれた。



***



「チッ、古式ゆかしい煙幕スタートかよ……だが、それで気配が消えりゃいいけどなぁ……」


 シュウが舌打ちする。


「こっちは一人だしな。ここでわざわざ待っててやる義理もねえんだが……今回は乗ってやるよ」


 シュウは構えを取る。

 己には輝かしい特殊技能も誰もが羨むような輝石めいたディプシウムもない。

 ただただ平凡な、研鑽のみを積んだ人生のみ。

 間合いを計るように一呼吸。そろそろ頃合いだった。

 目の端で砂埃の乱れを捉える。乱雑で見るからに慣れの少ない素人のそれ。


(乱戦の初手、大抵の場合――)


「後方、そして来るのはイオル」

「うわっ⁉」

「おらビンゴだ!」


 後ろからの奇襲を避けつつ、横薙ぎに剣を振るう。

 女の声であることに満足を覚え――そして首を傾げる。手応えがない。


「なに⁉」


 見ればイオルはそこかしこに蜘蛛の巣状に糸を巡らせており、足元のそれを踏むことでシュウの剣先から逃れていた。


「バネとして使って体術を補完してんのか……っ!」

「よいしょぉ!」


 すかさず、イオルが気合一閃左手を手繰る。ゴッ、という音とともに横っ面に衝撃を感じる。なんだ、この圧力、いや――ような。


「がっ……! てめっ、どこにそんな力が」

「そりゃあ糸が一番しっくりくるとは言ったけどさ」


 イオルはシュウに相対して初めてまともに口を開くと、


「糸にしてでしか使わないなんて一言も言ってないよ」


 ――実に小癪なことを言ってのけた。


 見れば左手から髪の毛全部を押し固めたような銀色の塊が繋がっていた。五

 指をほぐしてシュウを殴ったそれを散開させると、瞬く間に去っていく。おそらく違う蜘蛛の巣を踏んだのだろう。


「……ああ~~~そうかい」


 シュウは頭を押さえた。


「それならそれでいいさ。俺はお前らを全力でぶっ潰すだ――あぁ⁉」


 先ほどと全く同じようなゴッ――という音が聞こえる。

 今度は左斜め後ろから。


「はいちょっと失礼」


 今度は男の声がした。

 先ほど同様大して重たくはない殴打だが、それはそれとして腹は立つ。

 振りを小さくし、確実に当てるための構えに切り替える。が、ただでさえアジリティが高いカナキである。イオルの蜘蛛の加護を受け、シュウの閃きを紙一重で避けていく。

 おまけのような肘打ち――例に漏れず軽い一撃である――を肩に食らって、シュウは腹の底から声を出した。


「羽虫かてめえら!」



***



(くそ、厄介な局面になってきやがった……)


 最初に受けに回ったのがまずかった。

 そう分析するも、戦場は待ってはくれはしない。

 あれからカナキとイオルは徹底したヒットアンドアウェイに殉じていた。シュウの攻撃をまともに食らえば即瓦解するとわかっているからこその冷徹、それは二人がシュウを何の迷いもなく格上と断じているからこそ。


(新人共とは言え天下の激レアディプシライト様お墨付きか、おありがてぇこった――)


 流れる汗を雑に拭う。

 晴れそうになる度発動される煙幕、度重なる迎撃。

 通常より神経を

 今までチームを組んできた中で初めてのことだった。

 チームの力量を測るための最初の手合わせ。――そんなことすら、初めてだった。


『いやお前が力を測るって何?』

『キミは私たちの動きに合わせるだけでいいから』

『その粗末な得物をしまえ、後ろで見ていろ』

『報告書係~、あ、俺たちを導くナビゲーター、だっけ?』

『協会も意味わかんないことやるよね。なんで上司が一般人なわけ?』


 今までのディプシライト達の、ああなんてクソなことか。

 ――そんな腐った思い出ものは、ああ今ここで捨ててしまえ!


 だからシュウは笑う。粘つく汗は歓びの汗だからだ。

 だからシュウは叫ぶ。敬意を持ち始めた二人に対して、最後の全力を出せるように。


「そろそろ仕舞いにするとしようやぁ! てめえらもだいぶキてんだろうが!」


 全方向に煽ったあと、ぬるつく柄を握り直しシュウは思考する。

 己に最後の一撃を放ってくるのはどちらかを。


(順当に考えりゃカナキ、いやでもここで裏をかいてイオルか――?)


 どちらもひよっ子には違いない。けれど即座の決定力ならカナキだろう。

 しかし驚異的な速さで糸のバリエーションを増やしているイオルが、もし重量級の攻撃手段を閃いたとしたら? ぐるり、思考が廻るのを感じる。ぎょろり、連動して目が動く。


(――?)


 ふと見やった先に、見慣れた土埃を視認した。

 多少こなれたものの、やはりカナキに比べると稚拙なその足さばきは――。


「とどめはイオルかゴラァ!」


 二時の方向に突進する。

 剣を上段から振りかぶった先に、イオルの見開いた緑の瞳があった。


「――っ」

「もらったぁ!!」


 渾身の一撃。

 糸を張り巡らせ、防御体勢をとったイオルを、文字通り真っ二つにする勢いで刃を振り下ろす――が、


「……?」


 瞬間、イオルの姿が消え失せた。

 否、消えたのではなく、跳躍したのだ。

 張力を最大に引き出された糸でもって、イオルはするりと離脱した。

 シュウは直感的に理解した。


 ――これは罠だ。

 直後、背後から気配を感じる。

 振り向くよりも早く、それが何かわかる。ほとんど鍛えられてもいないくせに、いやに器用に、いやに流麗に――いやに様になるこの男の戦闘態勢。繰り出される基本の右ストレート。ああ、これは一等腰が入っていていい打撃。ぐしゃり、顎にまともに入る。身体が傾いでいくこの一瞬一瞬がいやに長い。


「迷った時点で詰んでんだよな……」


 どしゃりという音がして、シュウは仰向けに倒れていた。

 視界の先はめいっぱいのお馴染み地味な天井で――まあそれも悪くないと思えた。

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