ハロー、僕と君等のインテグレート∫ワンダーランド

楡乃セイマ

第一章

1.集合:イオル・レイウェンダムの場合

 その眠たそうな彼女は、どう転んだところで眠かった。


『眠たそうな』というのは標準状態デフォルトの目つきであるが、今の彼女は本気でまぶたが重い。今日の一人旅に浮かれて夜更かし、だなんて今時子どもですらしそうにない愚行のせいだ。そんなわけで、さっきから面白いように人に抜かれている。


「……あー、これは、眠い」


 言った瞬間、腹に住みついている虫からの催促がきこえた。

 ショクリョウ寄コセ。

 彼女の虫はやたらと正確で執拗で、要するにたちが悪い。

 あれほど持ってきたと思われた諸々の食料は、いまや氷砂糖一瓶を残すのみ。

 目に見える精神安定剤枠で入れてきたつもりが、旅の初日にして本気のレスキュー待ちかもしれない。

 学校帰りの子どもの集団が、見事な隊列でもって彼女の前に躍り出る。


「……なんか食べたい」


 言った瞬間、ふと足が止まる。

 そういえば眠気がひどくなってきた頃から、どこをどういう経路で辿ったか完全に記憶が抜け落ちている。

 このあたりの道は街の小奇麗さをアピールしたいのか、規則正しく均一にして直角、いわゆる碁盤目状というやつで、旅人に大層優しくない。

 植え込みの木だって枝ぶりすら同じに見える。 

 ついにお使い帰りらしい幼児にも追い越された。

 これはまさかの、もしかして。


「迷いましたなあ!」


 言った瞬間……もう何も起こらなかった。

 今でさえ眠気、空腹、迷子の三重苦。脳が思考をストップさせたのかもしれない。

 いつもはほとんど癖づくことのない長い灰色金髪アッシュブロンドが今では芸術点の高い絡まりを展開させており、外見もなかなかにキマった難民具合である。


(やらかした。いやいや、えーっと。まず考えないと)


 灰色のジャングルをほどきつつ、思考再起動試行。

 エラー、エラー、眠くてまともに考えられません。

 むしろ考えるだけのエネルギーが足りません。

 根本的にダメらしく、リセットは鮮やかに失敗した。


 そういったわけで、彼女は最後の望みに頼ることにした。

 さきほどの小瓶から氷砂糖を取り出し、続けざまに三個噛み砕く。

 たいして甘みを感じる構造の糖ではないので気分的にはいま一つだが、胃袋はそれなりに満足してくれるだろう。

 即効性の満腹感においてこれに勝るものはない。二重苦になった。


「よーし」


今充填したエネルギーでできること。

このままあてもなく歩き続けることより幾分かましなこと、人類共通の最終手段。


(祈る、のみ!)


 断っておくが、彼女は大真面目である。

 ぽう、と灰色が発光したような気がした。




 ――ややあって、


(来た道戻って、二つ目の角を右)


という妙に細かい啓示が降ってきた。


 無意識のうちに食べ物の匂いでも察知したんだろうかとも思ったが、とにかく彼女は安心した。

 こういうときのアテ勘みたいなものには昔からめっぽう強かったし、こんなような意識が湧くときは大体が正解を引いた時だ。

 希望の光が見えたところで、眠気が一気に吹き飛んだ。


 残る迷子という苦だって、きっと解消されるはずである。

 昼下がりの大通りをずんずんと歩く。

 まずは先ほどの幼児を抜かすことから始めるとしよう。


 幼児を抜かし、大人気なく学校帰りの集団と競走し、辿り着いた目的の場所はこの碁盤目状の町にしっくりと溶け込んだ建物だった。清潔そうだが、地味なことこの上ない。これは人に聞いたところでわからないだろう、自分の勘に頼ってよかった。いつの間にやら髪の毛だって元通りだし、万事順調つかみはOK。彼女はそう結論した。何せ胡散臭さこそないとはいえ、建物の名前ですら無意味に長ったらしくて、覚えづらいこと世界史の如しである。


【ディプシライト保持能力者協会西部支部】


 こりゃ絶望的に覚えてくれないな、とぼんやり思うことにした。センスがない。

 さっそくロビーに入って壁の時計を見やれば、ほぼ約束の時間を指している。にもかかわらず、自分を待っていそうな雰囲気の人物が見当たらない。新聞を広げている中年男性の灰皿には灰がたまっていないし、巻き毛の鮮やかな女性は身だしなみチェックの鏡をしまい、今にも立ち上がろうとしている。まさかあの気持ちよさそうに寝ているお爺さんではないだろう。むしろそうだとしても起こすのに気が引けてしまう。これはまさかの、もしかして。


「一番のり?」

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