第36話 生きるはずの君と死ぬはずの僕(2)



 雅人が学校を出る一時間前。


 詩織は覚悟を決めていた。死ぬ覚悟を。

 でも、その前にもう一つやるべきことがあった。


 父の再婚相手に、父と離婚して欲しいと述べること。

 私がいなければ、父は彼女と夫婦である必要は無かった。


 無論、彼女は首を縦に振らないだろう。

 しかし、詩織は言わずにいられなかった。


 一年間、耐えたこの日々も終わる。

 最期に反抗したっていいじゃないか。


 ――お母さん、また会えるからね。


 詩織は二階の自室で小さく息を吐いた。


 不思議と寂しくない。

 だって、大好きな母に会えるのだから。


 気持ちが満たされている。

 なぜ、こんな気持ちになれたのか。

 詩織の中で答えは出ていた。


 彼との出会いが。

 佐伯雅人が私を変えたのだ。


「だから、生きてね――雅人」

 彼と死のうと決めたはずなのに。

 直前にして、私は彼に生きて欲しいと思った。


 そして、手紙を書いた。

 最期にありのままの思いを。


 自室を出ると、二階のリビングのソファーで彼女はだらしなく座っていた。

 その様子だと、昨晩も誰かと飲んできたのだろう。

 所謂、二日酔いの様な姿だった。


 一言、口を開いた。

 途端に詩織の中で秘めていた思いが込み上げる。


 感情的になった。

 ヒステリックな彼女と何ら変わらない。

 だけど、もう抑えられなかった。


 次第に取っ組み合いの様な態勢になる。

 このままではいけないと思い、詩織は一階のリビングへ向かおうと階段へと向かった。


 逃げる様に向かう。

 普段よりも急いでいた。


 だから――足を滑らせてしまった。


 滑る感覚。

 瞬時に反転する世界。

 自身に起きた事象を詩織は理解する。


 この家の階段は急な段差だった。

 この勢いで転べば、無傷では済まされない。

 詩織は死を確信した。


 廻る視界。

 叩きつける様な激しい痛みが何度も襲う。


 その間、詩織の中で数多の記憶が脳裏に過った。


 声を掛けられた日。

 初めての夜。

 手を繋いだ日。

 遊園地へ行った日。

 二人で話したあの公園。

 微笑む彼の顔。


 弾ける様に詩織の脳裏を埋め尽くした。


 すべて雅人との記憶。

 やはり、私は自覚しなければならない。

 それは確信へと変わった。


 あの手紙の通り。

 私は――神崎詩織は、佐伯雅人が好きなのだ。


 もう一度、あなたと手を繋ぐために。


 一度だけ。いや、何度も何度でも。

 手を繋ぐだけでは無く、抱きしめたい抱きつきたい。


 彼の温かさを。あの温もりを。

 身体があの感覚を欲していた。



 生きたい――。

 詩織はそれだけを願った。


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