第24話 彼女との日々(19)
金曜日。
今日は雅人の日。
詩織は学校が終わると、雅人の部屋に来ていた。
昼休みに詩織が雅人に言った一言。
「今日は雅人の日だね」
そう言って雅人の席から離れていく。
不思議と理解した。
今日は塾が休みで、彼女は僕の家に来ると。
どこか彼女の流れに流されている気もする。
雅人はふと思い出した。
「雅人、どうしたの?」
下着を脱ぎ終えた詩織。
その前で雅人はぎこちない動きをしていた。
「これからは付けようと思って」
避妊具――ゴムを付けようと。
雅人は帰り道のドラッグストアで買ったコンドームの箱を開けていた。
買った際、店員に少し冷たい眼差しを向けられる。
これが世間の目なのか。
恐る恐る封を開けた。
さて、付け方が大きな問題である。
どんな優良と呼ばれる道具でさえも、使い方を間違えれば不良となるのだ。
「……どうして? 男の人は無い方が良いんでしょ?」
ベッドの上で女の子座りをした詩織は、純粋な眼差しで首を傾げた。
詩織の周りには、カップルが多い。
それ故、こう言う話も聞いているのだろう。
委員長と言われながらも、女生徒の中では多様な一面を持っていた。
「んー、それもそうかもしれないけど」
君が妊娠してしまうかもしれない。
反論の様に喉まで出たその言葉。それは言えなかった。
僕らはまだ高校生だけど、僕も君も身体に備わる繁殖機能としては十分なはず。
それに僕は死ぬと決めたが、君はもしかしたら生きるかもしれない。
そんな時、自ら命を絶った男の子など身ごもりたくないだろう。
――僕は嫌だ。
死ぬ僕がこれから生きる君の足枷にはなりたくない。
雅人の本心だった。
「……まあ、私からすればどっちでも良いのだけど」
無関心の様な表情で、詩織はゆっくりと雅人に近づいていく。
彼女の身体の斑点。
少しだけ赤みが薄くなっていた。
これが彼女の不幸の度合い。
――こんなもの、すべて消えてしまえばいいのに。
「どっちでも良いの?」
付けるのに戸惑った。
こんなにも手こずるのか。
「ええ。別にそんな結果など私には関係無いもの」
何食わぬ顔でそう言うと、雅人の手助けに入った。
彼女も少し戸惑っている様に見える。
結果と言うのは、妊娠したらどうするか――か。
その選択肢は今の彼女には無かったのだ。
「……そうだね」
それでも僕は付けると決めた。
――君が生きた時のために。
思い出す柏木の言葉。
僕を思い留まらせるのは、あんな性悪な奴の言葉なのか。
それだけが少し不快だった。
僕は彼女の身体を求め、今の関係が続いている。
彼女は自身を好きな様にして良いと言っている。
本人が言うなら、良いじゃないか。
そう思っていた――今までは。
今までの不幸な日々が幸福に変わったが故に。
雅人はこれ以上の何かを躊躇っていた。
「ねえ、詩織」
無事に準備が出来た。
彼女もいつでも良い雰囲気。
「何?」
詩織は仰向けに姿勢を変えようとしていた。
「僕らは不幸なんだろうか」
両手で詩織の腕を持ち、仰向けにする。
「不幸か幸か……ね」
呆然とした顔で詩織は目の前にいる雅人を見つめていた。
「不幸だから僕らは死ぬ。――そうなのかな?」
結果論。
しかし、今の僕は不幸と感じていなかった。
それに不幸だから死のうと決めた訳では無い。
客観的に見えれば、僕はそう見えるかもしれないけど。
「別に不幸と思う人でも、生きている人もいるわよ?」
「そうかもね」
「それに幸せじゃないから死ぬの?」
不満げな顔で詩織は雅人をじっと睨んだ。
「え――」
予想外の言葉に言葉を失う。
不幸でも無い、幸福でも無い。
だから――死ぬ。
死のうと決めた僕はそう思っていた。
「ねえ、雅人。幸せだから生きるの? 幸せじゃないから死ぬの?」
両腕を雅人の首に掛け、絡みつく様な姿勢を取った。
「――結果的にはそうかもしれないけど」
戸惑いながらも、大きく息を吐く様に言う。
今まで他人の死に対して、彼らを不幸と思っていた。
なぜ、僕はそう見てしまったのか。
ゆっくりと息を吸うと、詩織は雅人を自身の身体へと寄せた。
「そうかもしれないわね。傍から見れば」
耳元で囁く詩織の声。
透き通るその声は、自然と僕の心へと染み渡って行く。
「傍から見れば……か」
「まあ、巡る死であれば、幸せに死ねるのかもしれないわね」
「巡る死?」
巡る死とは。
いったい、どんな死に方なのか。
彼女が望む死に方のことだろうか。
彼女が望む死に方であれば、僕はそれを叶えたい。
――彼女を殺すとしても。
「もうすぐ死ぬかもしれない。自身も周囲もそう思える死よ。誰もが、その死を受け止められる。そして、故人に悔いなく別れを告げられる。多くの人が故人を思ってくれる。――それって、幸せなことじゃないかしら?」
どこが満ちた表情で詩織は笑みを浮かべた。
「多くの人に……」
具体的に何人か、そう言うことでは無い。
多くの人、多くの他人に思われる。
それに大きな価値があるのだ。
――まさか、そのために君は委員長として学校にいるのか。
だとすれば、君はいつから死のうと思っていたのか。
純粋に気になった。
「ねえ、雅人」
弱々しく甘い声。
一瞬で雅人の心に染み渡る。
「ん?」
「私が死んだら、多くの人が来てくれるかしら?」
待ち望む様な遠い目で、詩織はそっと微笑んだ。
「……来るさ。きっと皆」
儚げな詩織の表情。
雅人は呆然と見とれていた。
クラスの中心にいる委員長の死。
必ず来るさ、僕以外のクラスメイトは。
「――そう。それなら、幸せなのかもしれないわね」
微笑む詩織は自身が不幸だと思っていなかった。
僕も不幸だとは思っていないよ――詩織。
「……うん」
会話が終わると、二人はゆっくりと身体を重ねた。
身体に触れる度。
身体を重ねる度。
雅人は思うことがあった。
詩織に生きて欲しい――と。
共に死のうと決めたはずなのに。彼女に生きて欲しいと願ってしまう。
僕の代わりに生きて。
決して、そう言うことでは無いけど。
想像する、これからを生きる彼女の姿。
次第にその思いは強くなっていった。
詩織。
君は今、何を思っているの――?
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