第11話 彼女との日々(6)
「――それで佐伯くんの好きな食べ物は?」
会話を打ち切る様に、詩織は元の議題に戻した。
「あ、僕?」
そう言えば、僕が神崎に好きな食べ物を聞いたのだった。
「私だけ聞くのはおかしいじゃない」
「それもそうだね。好きな食べ物か……」
雅人は何も思い浮かばなかった。
「あなたからの案なのに考えて無かったの?」
「うん。神崎の好きな食べ物を聞けたらってことしか考えて無かった」
「本当に、あなた私のこと好きなのね」
「そりゃね」
公の場じゃなかったら、抱きしめたいほど好きなんだけど。
明確な理由も無い、この募る思いは異常なのだろうか。
「――変わった人」
可笑しいのか、詩織は小さく笑った。
「僕の好きな食べ物……」
ふと雅人は詩織を見てしまう。
「私は食べ物じゃない……っ」
目を細め、じっと雅人を睨みつけた。
「あ、ごめん」
咄嗟に謝る。
僕よ、確かに食べたいと思っているのは間違いないけど今はそれじゃない。
食材で好きな食べ物の話だろう。
もっと、理性を保つべきだよ――僕。
自身に呆れる様にため息をついた。
「真面目に考えて。佐伯くん」
頬を膨らませる詩織。
やはり、普段より幼く見えた。
「ごめん。うーんと、鯖とかかな」
鯖の塩焼きを想像する。
醤油を垂らした大根おろしとの相性が抜群の和食だ。
「鯖の塩焼きとか?」
「あ、うん。そうだね」
考えていることが合う。
大好きな人が僕と同じことを想像している。
それだけで晴れた様に嬉しい気持ちが込み上げた。
「美味しいわよね」
「そうだね」
これ以上の会話を広げられない。
語彙力の低さを噛み締めた。
「それじゃあ、次の議題ね」
「うん」
好きな食べ物については、これにて終了。
次の議題は、子供の頃に考えていた将来の夢について。
これは詩織の案。
「将来の夢かー」
息を吐き、夜空を見上げた。
「小さい頃でも最近でも良いわよ」
「小さい頃は、医者になりたいと思ったことあったなー」
母親と見た医療ドラマの医者がかっこいいと思い、そんなことを公言していた時期があった。
だが、現実的にそれは不可能に近い。
今の僕の学力では、お世辞でも医大に入れるとは言えなかった。
「医者ね。良いじゃない。お医者さん」
「夢見るならね」
「それ以外の夢はあったの?」
「んー、中学の頃は、公務員かな」
一時期、技術者と言う専門職を考えたこともある。
だけど、勉強をしていくうちに気づいた。
僕は理系では無い。むしろ、数学と物理の成績は悪かった。
僕は父の様にはなれない。
だから、安定した職業と言われる公務員になりたいと思った。
「公務員ね。私も一時期、考えたことがあるわ」
「神崎が公務員……」
雅人は想像する。スーツ姿の神崎を。
間違いない。とても似合う。――僕が命を懸けて保証する。
「今は公務員にはなりたくないの?」
「うん、まあ」
なりたいと言う意欲は無い。それに僕はそのうち死ぬし。
「良いじゃないの、公務員。あなたに似合うと思うわ」
雅人を見つめ、想像しているのか詩織は笑みを浮かべた。
「そ、そう?」
公務員の真面目なイメージは僕に無いと思うけど。
「ええ。その将来があるなら考えてみて」
問いかける様に詩織は微笑んだ。
「う、うん……。神崎は?」
そんな将来は来るはずも無いけど。
無論、神崎もわかっているだろうに。
「私の夢?」
「うん」
神崎のことだから、現実的な夢だろうけど。
「幼稚園の頃は……お嫁さんとかだったかな? お父さんと結婚するとか言っていたって、お母さんから聞いたことがある」
身に覚えが無い顔で詩織は言った。
「お父さん好きなの?」
そこまで言うと言うことは、お父さんっ子だったのだろうか。
神崎の花嫁姿。
似合わない訳が無い。想像するだけで雅人は幸せだった。
「うん。両親は大好きよ。今も昔も」
とびっきりの笑顔を彼女は見せた。
嘘偽りの無い明るい声で。
昔の神崎は笑顔が絶えない女の子だったのだろう。
人は変わる。良くも悪くも、時が経てば変わるのだ。
雅人は笑顔の詩織の前で自身に告げる。
「――小学生の頃は?」
話を変えた。自然とこの話は続けるべきでは無い。雅人はそう直感した。
「小学生の頃は……看護師かな」
「看護師か。理由とかあるの?」
ナース服姿の神崎。
雅人は不純な想像をしていた。
「お母さんが病気だったから」
詩織は感情が無い様な淡々した声で告げる。
理由から雅人は推測した。
詩織の母の病気は長期のものだったと言うことに。
「そうなのか……」
それ以上の言葉が出なかった。
聞くべきでは無かったと後悔する。
「まあ、お父さんにはそれを目指して、勉強しているって言っているけど」
「そうなの?」
「そりゃね。だから、塾にも通う。看護師になりたいって言った時のお父さん、嬉しそうにしていたから。それにすぐに家に帰っても、機嫌の悪いママがいるだけだもの」
あの時の父の笑顔。それを無下には出来ない。
だから、意味の無い塾へと通った。
どうせ、私は死ぬつもり。
勉強したって、成果を見ることは無いだろうに。
詩織は自身に呆れた様に小さくため息をついた。
詩織の淡々とした言葉で雅人は理解する。
彼女が生きるのは、両親のため。
彼女が死ぬのは、義理母のため。
生死の理由。
具体的にはわからない。
だけど、不思議と確信があった。
それから、雅人たちは他愛も無い話をする。
クラスの話。社会の話。
話す度、互いに自然と話題が出てきた。
前回とは違う。
ベンチにいる僕らは、時間を忘れて語り合った。
気がつけば、二十三時前。
「時間は大丈夫なの?」
腕時計を見た雅人が慌てて聞く。
「大丈夫よ。ママは彼氏のところへ行っているから」
数秒間、黙り込むと詩織は感情が無い顔でそう言った。
彼女は実の母親をお母さんと呼び、義母親はママと呼ぶ。
彼女にとって、その二人は紛れも無く別の存在なのだ。
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