蒼穹凱歌――異世界でもままならない俺達の唄――
渡士 愉雨(わたし ゆう)
プロローグ
私は願う。
いつか謡いきる彼の歌が、空の果てにいる神に届く事を。
それこそが私から神への復讐であり、感謝なのだから。
「転生ねぇ……私の世界ではあれは合わないから使ってないんだよ」
そう言って目に前にいる、白い衣を纏った屈強な男……の姿をした自称・異世界の神様は豪快に笑った。
俺の名前は
少し前にコンビニのバイトをクビになって落ち込んでいた。
宣告を受けたのは少し前の話で、理由は制服が汚れていたため。
誤解しないでもらいたいが、別に日々洗濯をしてなかったわけじゃない。
その日たまたま、店の裏側の掃除をしていて、真面目にやっていたら気付かず制服が薄汚れてしまっていた。
でも掃除そのものは綺麗に出来たので満足して店に戻り、たまたま来店していたお爺さんにコピー機の操作について尋ねられ、対応した……のだがそれがまずかった。
それをたまたま外部の雇われた人間が視察しており、汚れた姿で接客していると誤解され、報告。
本部から通達のあった店長は、本部とごたごたするのは嫌だからという理由で俺をクビする事で即座の対応とした、というのが顛末である。
正直俺は内心憤慨していたが、店長からそれを通達されている時出てきたのは涙だった。
人に迷惑を掛けないをモットーとしているのに、自分の迷惑をかけた申し訳なさと、なんで自分を庇ってくれなかったんだろうという疑問、説明が伝わらず大声で怒鳴られたお爺さんを恨みがましく思ってしまう情けなさ、そういったものが混ざり合ったものだった。
そんな俺の涙を店長は「いい大人の男が恥ずかしいと思わないのか?」と至極当たり前の一般論で切って捨てた。
さらに「そんなメンタルだから仕事が見つからないんだよ」とも言われた……反論は出来なかった。
確かに、二十歳を過ぎた男がいろいろ言われて泣くのはみっともない。
高校卒業後、仕事が見つからないままフリーターを続けてかろうじて実家や誰かに迷惑を掛けずにいるだけなのも、そういう精神的な弱さで面接に失敗しているからの可能性は否定できない。それらは事実だと思う。
だけど、俺は、俺がそうなったのは情けないが、他の誰かがそうなったらみっともないとは思わない。
きっと泣くに足る理由があるのだろうし、涙もろい人だって世界にはたくさんいる。仕事が決まらない人だってなにもメンタルだけが理由じゃないはずだ。
そういう事を決めつけるような店長が、正直俺は好きになれなかった。良い所もたくさんある人だが、その一件で俺とは合わないと感じ取った。
だからコンビニでのバイトは今日で最後。
でもそういう経緯だからスッキリした終わりとは正直言えなかった。
一緒に働いていた人達も特に変わりなく、普通に接して、普通に仕事終わりの別れ方をして終わり。特にねぎらいの言葉もなく……あの時庇ってくれる人もいなかった。
だから家への帰り道は、最後に買ったコーヒーをちょびちょび呑みながらの落ち込み気味なものだった。
自分なりに真面目にやってきた。客、同僚にかかわらず親切に、優しくあろうとしてきた。
そもそも掃除だって面倒臭がった人が替わってほしいというからやっていたのに。似たように替わる事もたくさんしてきたのに。
でも、結局そういう真面目さとか優しさとかは何の意味もなかったんだろう。
見返りが欲しかったわけじゃないけれど。
ああ、でも謝意が欲しいというのも見返りになるんだろうか。
だとしたら立派な人間じゃないな。俺もまだまだ大人には程遠いのだろう。
昔はヒーローに憧れていたし、今もかっこいいとは思うのだが。
そんなことを思いながら、いつもどおりに角を曲がった時だった。
世界が消え果てた。いや、世界が変わった。
「えっ!? えぇぇぇっ!?」
夕焼けの空の上に、俺は立っていた。
足場がないはずなのに、足場がある。その事に驚いて、思わず足の感覚がおかしくなったような、あるいは平衡感覚か、いずれにせよ俺は尻餅をついた。
「はっはっは、良いリアクションだ」
そんな俺の眼前に、いつからいたのか、ギリシャ神話の神様が纏っていそうな白い衣の屈強な男が立っていた。彼は腰に両手を置いて快活に笑う。
「招待した甲斐があるというものだよ、山田ゆうーじ君。いや、違ったっけ? 山田憂治君、か」
「……自分の名前を何故知ってるんでしょうか?」
外向きの一人称を使いつつ、少しためらいながらも差し出された手を取って立ち上がる。
「というかここは? 一体何が……? あ、いえ、まずはちゃんと……」
「大丈夫大丈夫。自己紹介の必要も、そうして取り繕う必要もないよ。
私は神だ。ただしここ、君達の世界とは違う世界のね……何とも言えない表情をするんじゃない。
君の事は事前に大体調べさせてもらっている。いや、正確に言えば、君は覚えていないだろうが、許可を得て調べてもらった情報を渡されている」
そう言って彼がつらつらと語り出したのは、俺の個人情報。
生年月日、学歴、成績と、少し調べればわかりそうな事から、俺しか知らない事……細やかな趣味や性癖、周囲の人間への評価や感想等々、全て的確に言い当てて見せた。
「と言ったところだ。信じてもらえたかな? ひとまずバイトお疲れ様。次の仕事の宛てはないんだろう? だったら少し暇潰しをしていかないか?」
「暇潰し、ですか?」
「ああ。と言っても実際に時間は消費されないんだけれど。君は異世界召喚を知っているかな?」
「転生ではなく、召喚ですか?」
異世界転生なら聞いた事がある。
自分はあまりハマらなかったので概要しか知らないが、死んで新しい世界に生まれ変わるという……ジャンルと言っていい規模の作品群だ。
「転生ねぇ……私の世界ではあれは合わないから使ってないんだよ。何度か試してはみたけどね。だから召喚……つまりは君は君のままで、ファンタジーな異世界で暫く生きていてほしいんだ」
「生きる? ファンタジーな世界って事は、魔王を倒すとか、そういうんじゃないんですか?」
「転生物でも魔王を倒すのを最初から目的にしてるのは少ないらしいよ? さておき、そんな多大な目標を君たちに押し付ける気はないよ。
……簡単に説明するとだね、私達の世界は今、魔素不足なんだ」
「魔素?」
「うん、魔法を使うために必要な要素、元素、そういうものだ。生命力の欠片、そう言っていいものだね。私達の世界は君達の世界とは違って、科学でなく魔法が発展した世界なんだ。でもそれを使いまくった結果、世界そのものに貯蓄された魔素が不足気味になっている。
そこで君達の出番。
君達の世界は、元々魔素が薄い世界で、そこで生まれ育った君達は魔素が薄くても生きていけるように進化している。体内に生成・貯蓄される魔素の量が私達の世界の人間とは段違いなんだ。
そんな君達が私達の世界で生きていてくれたら、それだけで大いに助かる。君達の生命活動だけで、世界に満たされる魔素が少なからず供給され、活性化されるからね。魔法を習得してそれをどんどん使ってくれればより大いに助かる」
「……なんかおかしくないですか? 俺達の世界の人間はそちらの人よりもより魔法を使える、それは分かりました。でもより多く魔法を使ったら、その分魔素ってものを消耗してしまうんじゃ……?」
「いいね、いい疑問だわー、山田君。……先に結論から言えば、その心配はない。
魔素が薄くなった根本原因は、私の世界の人間が作り上げた自然の魔素を取り込むメカニズム、システムのせい。それは一方的な収集で、それを様々な動力に変換するから消耗しかない。
だけど、生命体が魔法を使う事は、自分自身の魔素を吐き出す行為だから、ちゃんと世界に循環されていく。だから、強い魔法が使える人が来ることは大歓迎という訳」
「じゃあそもそもそのシステムを廃棄すればいいんじゃないですか?」
「それがそうもいかないんだよね、これが。君達の世界にある発電所、害をまき散らす可能性があるから明日から停止、と言われて君達は即座にそれが出来る?」
「……できませんね」
「そうだろう? 生活に根差したものを取り上げる事は極めて難しい。だから君達に、ほんのわずかな夢を見ている時間に協力を要請している次第だ」
「夢?」
「正確に言えば、夢のようなもの。今の君は時間と時間の隙間の一瞬を切り取った存在。君にはこの状態のままで、私の世界に来てもらおうと思っている。
そこで君は好きに生きてもらって構わない。その為の準備もあれこれ整えてある。
思いきり冒険を楽しむもよし、ただぼんやり休暇を楽しむもよし。世界を観光するのもいいだろう。
死んだとしても暫くの間……君達が私達の世界に馴染まない内は蘇生魔術で復活可能だし、馴染んで蘇生が難しくなった状態で死亡した場合は、君達の世界に帰還してもらうだけだ。
君達は異世界をただ満喫してくれたらいい」
「……上手い話過ぎて疑ってしまうんですが」
言うなれば、初対面の人に目の前で十億円ほど渡されるようなものだ。
それを好きにしろと言われても、色々と疑ってしまうのが当たり前ではないだろうか?
だが、そんな俺の疑念を、目の前の存在は豪快に笑い飛ばした。
「さっきも言っただろう? こちらには十分、世界を助けてもらうというメリットがある。
それに、世界を助けてもらうんだ、そのぐらいの報酬を支払うのが当然。まぁ飛ばされた先で全部嘘でしたーという懸念もまた同じ位当然の警戒心だが。
だが、いずれにせよ、ここにいる以上、君には選択してもらわないと、ここから出られない。気が済むまで出口を試してもらってもいいが、時間の無駄になると思うよ? ……さあ、どうする?」
問われて俺は暫し考え込んだ。
正直、不安はあるが、目の前の存在に嘘は感じられない。
噓を見抜く能力が俺にあるわけではないが、それでもなんというか、説明出来ないが本能的に嘘はついていないと分かるのだ。
神様だから、なのだろうか。
だとすれば、俺は。
「……じゃあ、その、異世界に……貴方の世界に行ってみます」
浮かんだ願望のままに、そう答えた。
仮に全てが
根本的に何か致命的な嘘があったとしても、この状況ではどうしようもない。何が出来るのか、打破すべき状況なのかすらも判断がつかないのだ。
……正直、クビになった事でやけくそになっているのは否定できないが、
本能的な信頼と好奇心とやけくそと……こんな俺でも生きているだけで役に立てるなら、そんな思いから、俺はそう答えたのだ。
「おお、来てくれるのかー! ありがとう! 恩に着るよ! じゃあ、君が良ければ君の異世界生活を始めようと思うんだが、何か他に訊きたい事はないかな?」
本当に嬉しいらしく、満面の笑顔を浮かべる神様になんとなく訪ねたい事が頭を過ぎったので口にする。
「俺達の世界にも神様っているんですか?」
「ああ、いるとも。自分の存在を喧伝せず進行させず、自分を神と認めない、神域超越者でありながらも自身を人と定義するお人好し。
君達は彼女にバーレトに感謝すべきだね。彼女がいなければこの世界は当の昔に滅ぼされているだろう」
バーレト、初めて聞く名前だ。喧伝しないというのが事実なのか……いずれにせよ、その名前の神様を現在存在する宗教、神話、並びにフィクション内でも俺は知らない。
「あの真面目さが目障りだが……彼女の協力がなければ、この計画は進められなかった。
召喚に応じるかどうかを君達の自由意思に任せる事をはじめとした様々な措置……重ねて言うが、君達は彼女に感謝すべきだ」
「……はぁ。あまり実感はないですが、努力します。あ、それと最後に……貴方のお名前は?」
自分達の世界の神様の名前は知る事が出来た。
ではここにいる彼は、そんな純粋な疑問だった。
「ふふ、トゥーミ。私の名前は、トゥーミという。また会う機会があったら気軽に呼び捨てで構わないよ……」
その問いかけに彼が神々しくも嬉しそうに微笑みながら答えた直後、俺の意識は、視界は、白く染まっていった――。
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