第42話 氷室さんの過去

「優正は頑張ったんだよ。私も頑張れ。よし、陽太君、起きて」


「おはよう、氷室さん」


 氷室さんがどこか緊張しているように見える。


 昨日の優正のように。


 優正の過去を聞いた後は公園をお散歩していた。


 それを終えると二人で僕の部屋に帰ってきた。


 そして優正は氷室さんにも僕にした話をした。


 氷室さんは話してくれた嬉しさからか、優しい笑顔で優正の頭を撫でていた。


 でも最後の一言はいらなかったも思う。


 氷室さんは優正に「アニメとかが好きなのは知ってた」と言った。


 正直に言うと、僕もなんとなく知っていた。


 逆に優正が隠しているつもりだったことに驚いた。


 だけどそれを聞いた優正は顔を真っ赤にして僕の胸に顔を押し付けて抱きついてきた。


「言わなきゃ良かった」と後悔している氷室さんに「駄目だよ」と言って優正の気が済むまで頭を撫で続けた。


 でもこれはきっとバレたから怖いとかそういうのではないと思う。


「氷室さん」


「何?」


「今日、楽しみ」


 今日は氷室さんと遊園地に行く予定だ。


 これもホワイトデーのお返しが思いつかなかったから、氷室さんに提案されたことだ。


「良かった。コアラは大人になったら見に行こうね」


「うん」


 大人になっても氷室さんと一緒に居られる。


 そう思うだけで日々が楽しく迎えられる。


「じゃあ準備しよっか」


「うん。待ってて」


 僕は急いで立ち上がり準備を始めた。




「遊園地だ」


「どういう反応?」


「来たの初めてだから」


 正確にはいつかの遠足で来たような気がするけど、全然記憶にない。


「私もあんまり来たことないんだよね。とりあえずどうする?」


 氷室さんとパンフレットを広げてどこに行くかを考える。


「並ぶのもあるから早く決めないとだよね」


「順番に行きたいところに行く?」


「それが一番いいかな。どっちからにする?」


「決まってるなら氷室さんからでいいよ。僕まだ決まってないから」


 絶叫系は怖いからあんまり乗りたくないから、それ以外で選ぶことは決まっているけど、そこからが決めあぐねている。


「じゃあ定番なところ行く?」


「……どこ?」


「ジェットコースター」




 ということで僕と氷室さんはジェットコースターの順番待ちの列に並んだ。


「陽太君、嫌ならいいんだよ?」


「大丈夫。氷室さんが乗りたいなら僕も乗りたいもん」


「泣きそうになりながら言わないでよ。列抜けよ、ね」


「大丈夫。でも……」


「でも?」


「手を握っててくれる?」


 氷室さん手を握っていて貰えれば、怖いのも耐えられる気がする。


「駄目かな?」


「私はこの手を離さない」


 氷室さんはそう言うと、握っている手をぎゅっとする。


「それなら大丈夫だよ。一緒に乗ろ」


「無理はしちゃ駄目だよ?」


「うん」


 そうして氷室さんとお話をしながら順番が来るのを待った。


 そしてその時がきた。


「陽太君、順番が近づいてくるにつれて口数減ってるけどほんとに平気?」


「うん。氷室さんと一緒なら」


 正直に言うなら怖い。


 でもそれ以上に氷室さんと一緒に乗りたい気持ちが強い。


「陽太君は頑固なんだから。まぁもう乗ってるから帰れないんだけど」


「……」


「大丈夫」


 氷室さんが僕の手を強く握る。


「一緒だからね」


「……うん」


 そしてジェットコースターは動き出した。




「大丈夫?」


「うん。氷室さんのおかげ」


 怖かったけど、氷室さんの手の温もりが感じられたおかげか、楽しむ余裕があった。


「陽太君、怖いって言ってた割には叫んでなかったね」


「本当に怖いとね、声なんて出ないんだよ」


「分かる気がする」


 明莉がホラー映画を見てる時はわざと叫んだりしてるけど、人を前にしたり、本当に怖い映画を見てる時には無言なのと同じだ。


「叫んでるうちは余裕があるってことだもんね」


「うん」


「それじゃあ次はどこ行く?」


 氷室さんがパンフレットを広げて僕に見せてくる。


「行きたいところはあるんだ」


「どこ?」


「お化け屋敷」


「……」


 氷室さんが分かりやすく黙った。


 文化祭の時もなんとなく思ったけど、氷室さんはお化け屋敷が苦手なのかもしれない。


「明莉がね『遊園地に行くなら、お化け屋敷に行って感想ちょうだい』って言ってて。だから氷室さんが嫌なら一人で行くんだけど」


「……大丈夫。陽太君だって苦手なジェットコースターに乗ったんだもん。私も大丈夫」


 明らかに大丈夫な顔をしていない。


「大丈夫だよ、明莉だってちゃんと説明すれば分かってくれるだろうから、無理に行かなくても」


 僕は他の行きたい場所を探すことにした。


 でも氷室さんにパンフレットを仕舞われた。


「行く」


「だから大丈夫だよ?」


「行きたい。今無性にお化け屋敷に行きたいの。だから行こ」


 氷室さんはそう言うけど、震えてるのが手から伝わってくる。


「手は離さないでね」


「今度は僕が氷室さんを守る番?」


「そう。私に怖い思いをさせないでね」


「頑張る」


 ジェットコースターを楽しむ余裕が出来たのは氷室さんのおかげなんだから、僕だって氷室さんを楽しませないといけない。


「絶対に氷室さんの手は離さない」


「なんだか怖さじゃない何かが来そうな予感」


「ん?」


「なんでもない」


 そうして僕と氷室さんはお化け屋敷に向かった。


 お化け屋敷は並んでいる人が少なかったのですぐに入れた。


「氷室さん?」


「何かな陽太君」


「大丈夫?」


 氷室さんは今、僕の腕にしがみついている。


 それはいいのだけど、本当に大丈夫なのか心配になる。


「心配いらないさ。所詮は作り物。本物じゃないと分かっているのならそんなに怖くは……」


 氷室さんの足が止まった。


 なんでか気になって氷室さんの目線の先を見ると、そこには白いワンピースのような服を着る長い髪の女の人が立っていた。


「怖いんじゃん」


「へ、平気です」


 本当に怖い時は声が出なくなるのはみんな共通のようだ。


「優正に教わったことが実践出来ない」


 文化祭のお化け屋敷に入った時に優正が色々と教えてくれたけど、氷室さんは怖いのを認めないから実践出来ない。


「あ、でも氷室さんのドキドキは分かる」


「こ、これは陽太君と一緒に居るからであって、決してお化け屋敷が怖い訳ではないよ?」


 お化け屋敷に入る前は怖いのを認めていたのに、今は絶対に認めようとしない。


「氷室さん」


「なんですか?」


「怖いなら怖いって言って。僕はどんなことがあっても氷室さんの隣を離れたりしないから」


「ほんと?」


「うん。僕はずっと氷室さんの隣に居るって決めてるんだから」


 このお化け屋敷だけじゃなく、これから大人になってもずっと。


「……ありがと」


 暗くてよく分からないけど、氷室さんが顔を俯かせてしまったのが見えた気がした。


 それからお化け屋敷を出るまで氷室さんが怖がることは無かった。


 だから優正に言われたことを実践することが出来なかった。


 でもお化け屋敷を出た後に氷室さんが「少しだけ楽しかった」と言ってくれたから良かった。




 お化け屋敷を出た後も色々なアトラクションを回り、気づけば閉園時間が近づいていた。


「次が最後だね」


「そうだね。順番的には私か」


 今日はいっぱい氷室さんと遊べて楽しかった。


 こんな日がこれからもいっぱいあればいいなと思う。


「じゃあ最後はあれでしょ」


 氷室さんはそう言って観覧車を指さす。


「やっぱり残してたんだ」


「気づいてた?」


「途中からね。僕も観覧車は最後のイメージがあったし」


 遊園地に来た記憶がない僕でも観覧車は最後というイメージぐらいは持っている。


 だからなんとなく観覧車は選ばないでいた。


「じゃあ行こー」


 そうして僕は氷室さんと観覧車に乗った。


「上がってく」


「高いところ怖いから氷室さんを見てるね」


「だからそういうのは先に言おうよ」


 それは言いたくなかった。


 なんでかは分からないけど、氷室さんと一緒に観覧車に乗りたかったから。


「氷室さんに言われたくないよ」


「言ったなー」


 隣に座る氷室さんにほっぺをうにうにされた。


「よし。逃げ道はないし、お話を始めようか」


「辛いお話?」


「さすがに分かるか。そう、辛いお話」


 昨日優正にされたばかりだからなんとなくそんな気がした。


「陽太君には話したいんだ。私の背中の傷について」


 そういえば前に氷室さんが夏風邪を引いた時に氷室さんの背中に傷があった。


「私の背中の傷って、中学生の時についたんだけどね。その頃の私ってバカ真面目って感じでとにかくなんでも本気でやってたのね」


 氷室さんが背中を触りながら僕の嫌いな笑顔で話す。


「テストも毎回一位で、体育も成績良くってさ。まぁそれは今もなんだけどね」


「茶化さないで」


 氷室さんがわざと明るく話そうとしてるのは分かる。


 だけど氷室さん自身のことでもなんだか茶化されたくなかった。


「ごめん。それでね、全部で一位を取ってたら先生からの信頼は厚いんだけど、逆に同級生からは疎まれるじゃん?」


 それはなんとなく分かる。


 真面目な人というのは常に損をするようになっている。


「まぁ虐められるよね」


「虐め……」


 その言葉を聞いて優正の話を思い出す。


「でも私は先生に守られてたから表立っては何もされてなかったんだよ」


「表立っては?」


「うん。裏では酷かったよ。聞こえるように陰口言われたり、持ち物隠されたり。私なら先生に言えば何かしらの対応はしてくれたかもしれないけど、そんなのは一時しのぎにしかならないのも分かってたから耐えてたんだ」


 氷室さんは明るさを消さない。


「でもそんなある日ね。無視し続ける私がうざかったんだろうね。よく聞かない? 体育倉庫に閉じ込めるって」


 確かに聞いたことはある。


 でもそれは男女の二人が閉じ込められて吊り橋効果が発動するとかいう話だ。


「閉じ込められた私はさ、出る方法を探したけど、あったのは高いところにある窓だけ。最悪だったのはその後すぐに雨が降ったせいで体育倉庫に来る人がいなかったこと」


 聞いているのが嫌になってきた。


 でも氷室さんが震えながら話してくれてるのに、僕が聞かないなんて出来ない。


「雨のせいで薄暗かったのが更に暗くなったのね。体育の後で少し汗をかいてたのもあって体温はどんどん下がっていくのもあって焦っちゃったんだよね」


 なんとなく分かった。傷の理由。氷室さんがお化け屋敷を怖がる理由。


「私さ、運動神経良かったから高いところにある窓から出ようとしたんだよ。そしたら落ちちゃったんだ」


 それが氷室さんの背中の傷の理由。そしてお化け屋敷というより暗いところが苦手な理由。


「そのすぐ後だったよ。私を閉じ込めた人から先生が話を聞いて駆けつけてくれたの。焦らないでもう少し待ってたら傷なんて作らないで無事に出られたんだけどね」


 氷室さんが小さい笑いながらそう言う。


 なんか嫌だ。


 その話が嫌なのはそうだけど、氷室さんは震えてるのにそれを隠そうとしながら話すのが何より嫌だ。


「陽太君?」


「なんで強がるの?」


 聞いたらいけないことなのかもしれないけど、言葉が出てしまった。


「僕はそんなに頼れない?」


「そ、そんなことない。違うんだよ。陽太君が頼れないんじゃなくて、怖いの」


「怖い?」


「強がらないで話して、その後陽太君と普通に話せるのかが」


 僕がどんな反応をするかではなく、氷室さん自身が普通になれないのを心配しているみたいだ。


「私がどんな話をしても陽太君なら対応を変えないのは分かってるよ? でも私は違うんだよ。きっと話した後に泣きじゃくって、またあの時のことを思い出す。一番怖いのは陽太君を信じられなくなることなの」


「僕が虐めるかもってこと?」


「そんなことしないのは分かってるよ? でも陽太君のおかげで忘れられてたけど、一回思い出したらきっと……」


 氷室さんが涙を流した。


 僕は絶対に変わらない。


 多分それは氷室さんも分かってる。


 だから今氷室さんに必要なのは『信じて』とかの言葉じゃない気がする。


「たとえ氷室さんが昔のことを思い出して苦しむのなら、僕がまた忘れさせる。ずっと氷室さんの隣に居てずっと氷室さんを笑顔にする。だから今は強がらなくていいんだよ?」


 これが正解なのかなんて分からない。


 でも、氷室さんが悲しむのなら僕が氷室さんを楽しくさせる。


 僕は氷室さんと一緒に居たい。


 氷室さんの為ならなんだってする。


「……陽太君」


「何?」


「甘えていい?」


「好きなだけ甘えて。僕は絶対に氷室さんを悲しませない」


 そして観覧車が下に着くまでの間、泣きじゃくる氷室さんを抱きしめて背中を優しくさすった。

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