第5話 氷室さんのテスト勉強

「ふにふに」


「おはよう、氷室さん」


「これでも起きるんだ」


 僕は今、氷室さんにほっぺたを人差し指でふにふにされている。


「じゃあいたずらしてもばれちゃうか」


「顔に落書きとか?」


「そんな酷いことしないよ」


「多分したら明莉が怒るからしないでね」


 小学生の時に寝ている僕の顔に落書きをした人がいた。


 僕は落書きされてるなんて知らなかったから、そのまま家に帰って、明莉に指摘されて事情を知った明莉が僕のクラスの担任の先生に抗議に行ったことがある。


「あの時は大変だったなぁ」


 僕はベッドから下りながらそう言う。


「ごめんなさい。変なことは二度としないです」


「明莉に許可を取ったらいいんじゃない?」


「陽太君じゃないんだ」


「氷室さんになら何されても大丈夫だよ」


 氷室さんなら僕が本当に嫌がることはしないと信じているだけだけど。


「陽太君ってほんと。いいや」


「いいの?」


「うん。それより今日はお勉強しに来たの」


 土曜日の今日に氷室さんがうちに来たのは、昨日テスト勉強をする約束をしたからだ。


「昨日も聞いたけど、氷室さんの方は大丈夫?」


「大丈夫だよ。赤点取らない程度には勉強してるし」


「一位狙ってるとかじゃないんだ」


 氷室さんは新入生の挨拶をしていたから、首席合格しているはずで、だから今回のテストも一位を狙っているのかと思っていた。


「首席合格はたまたまだよ。合格する為に頑張って勉強したから」


「凄いなぁ。僕も頑張って勉強したけど、どうにも眠くなっちゃって途中で寝ちゃうんだよね」


「授業中は寝ないのに?」


「授業中に寝ないのって高校に入ってからだよ。中学の時とかは普通に寝てた」


「高校は補習があるから頑張ってるの?」


「それもあるけど、多分氷室さんに起こしてもらうと起きてられる気がする」


「なんで?」


「分かんない。でも氷室さんの声を聞くと目がぱっちりするんだ」


「表現が可愛い。でも逆に言えば、私の声を聞くと寝れないってこと?」


「どうだろ。試してみる?」


 何の実験なのか、僕がもう一度ベッドに入り、氷室さんが子守唄を歌うことになった。


「じゃあやるね。んっ。ねーんねんころ。寝るの早いよー、起きてー」


「氷室さんの声、好き」


「ね、寝ぼけてるんだよね」


 なんだかまだ頭がふわふわしてる感じだ。


 氷室さんの子守唄を聞いたら、途端に眠気がきて、気づいたら氷室さんに起こされていた。


「でも良かった。私の声を聞いたら寝れないとかなら、もし子供が生まれたとしても寝かしつけられないもんね」


「氷室さん、子守唄歌って」


「可愛い。じゃなくて。赤ちゃんは終了。テスト勉強するよ」


 氷室さんが僕の肩を揺する。


「お母さん」


 僕は意識が曖昧のまま氷室さんの手を握りながら言う。


「耐えろ私。ここで甘やかしたら陽太君の為にならない」


「一緒に寝よ」


 氷室さんの手を引いて僕の隣に氷室さんを寝かせる。


「ちょっと待って。これはまずいよ。こんなところ明莉ちゃんに見られた、ら」


「あ、バレた」


「バレちゃった」


「違うんですよ。陽太君起きて」


「ん、ん? どうして氷室さんが隣で寝てるの?」


「陽太君に手を引かれたの!」


 そう言われて自分の左手を見ると、確かに氷室さんの右手を握っている。


「うーん。ちょっとだけ覚えてるような気がする」


「そ、それより説明を手伝って」


「説明?」


「陽太君のお母さんと明莉ちゃんが誤解してるから」


 そう言われて、扉の方を見ると、お母さんと明莉が扉の隙間から覗いていた。


「何してるの?」


「陽太がお友達を家に呼ぶの初めてだから気になって」


「学校行く前に来てくれてたよ?」


「それはそれとして、お休みの日にお友達、しかも女の子が来てるなんて気になるでしょ」


 確かに僕は友達がそもそもいた事が無かったから、友達がうちに来るのは気になるのかもしれない。


「いつもの起こしに来てくれてるのはまだ心配だからとかもあるから、いい子なんだなぁで済むけど。お休みの日にテスト勉強しに来てくれるのはお友達って確信が持てたから」


「そうです。お友達です」


 氷室さんが何故かお友達を強調して言う。


「お母さん。お兄ちゃんに友達がいな過ぎて麻痺してるよ。男女の友達同士で同じベッドで寝るなんて滅多にないよ」


「そこはほら、追々?」


「だから違うんですよ。陽太君からも何か言って」


「うん。お母さん。氷室さんは僕に初めて出来た大切な友達なんだからいじめないで」


 僕は本心を少し怒りながら伝える。


「陽太があんな真剣な表情するの初めて見た。大変、嬉しくて泣いちゃう」


「いや、涙出てるよ」


 お母さんがなんでか泣き始めた。


「ごめんね。嬉しいからって陽太の邪魔したら駄目よね。朝ごはん置いておくから、澪ちゃんと一緒に食べて」


 お母さんが涙を拭いながらそう言って帰って行った。


「私は覗いてていい?」


「明莉。今月のお小遣いあげないよ」


「お邪魔しました」


 お母さんの言葉を聞いた明莉がそそくさと帰って行った。


「いいお母さんだね。覗くのはあれだけど」


「うん。お母さんには友達がいないのをいっぱい心配させちゃったから、氷室さんと友達になれてほんとに良かった」


「陽太君の笑顔を見るとなんか浄化される気分」


「浄化?」


 氷室さんは浄化されるようなところはないと思うけど。


「それより今度こそ勉強だよ」


「うん。準備してくる」


 そう言って僕は扉の近くに置いてあった朝ごはんを机の上に置いて、手洗いうがいをしに行った。


 そして帰って来ると氷室さんが僕のベッドで寝ていた。


「氷室さんの寝てるところ初めて見た」


 いつもは僕が寝てる姿を氷室さんに見せてるけど、氷室さんが見てるのはこんな光景なのかなと少し嬉しくなる。


「氷室さんは寝てる時も可愛いね」


 僕がそう言うと、氷室さんの身体がビクッと動く。


「これなんとか現象ってやつかな。でもあれって椅子に座ってる時だけだっけ?」


 僕もたまになるなんとか現象。


 テストには出ないだろうから調べたりはしないけど。


「氷室さんいつも僕を起こしてるから疲れたのかな」


 だとしたら無理に起こすのも悪いからこのまま寝かしておいてあげようと思い、ベッドから離れる。


「いや、起こしてよ」


「びっくりした。おはよう氷室さん」


 氷室さんがいきなり起き上がって大声を出すからとても驚いた。


「おはよう。じゃなくて、起こしてよ。いつも私が起こす側だから今回は逆に陽太君に起こしてもらおうと思ってたのに」


「寝たフリだったの?」


「……そんなことはないよ」


「間があったよ」


「そんな悲しげな目をしないで。ごめんなさい、寝たフリしました」


「じゃあ僕を起こすのに疲れたとかじゃない?」


「え、うん。むしろ陽太君を起こすのは楽しいよ。最近は寝てる陽太君を眺めるのが趣味にな、ってる訳でもないけど」


 氷室さんがいきなり早口になって言い訳みたいな言い方をする。


「僕の寝顔、見て楽しいの? 氷室さんの寝顔は可愛くて見てて楽しいけど」


「可愛い言うなし。陽太君の寝顔だって可愛いし」


「そうなんだ。見た事ないから分かんないや」


「見る?」


 氷室さんがそう言ってスマホを取り出して、またしまう。


「なんでもない」


「写真撮ったの?」


「撮って、ないとも言えないといいますか、撮ったと言いますか」


 それは撮ったのだろうか。


「一枚だけね。ほんの出来心で」


「じゃあ僕も氷室さんの寝顔撮りたい」


「な、なんでさ」


「僕のは撮ったんでしょ?」


「何も言い返せない」


 氷室さんは渋々といった感じでベッドに横になる。


 そして目を瞑り力を抜く。


「やっぱり可愛い」


 僕はそう言って氷室さんの寝顔をスマホに収める。


「だから可愛い言うなし」


「じゃあ綺麗?」


「どっちも駄目。それより勉強するよ今度こそ」


 氷室さんはそう言って椅子に腰掛ける。


「氷室さん半分ちょうだい」


「ちょい。もしかして陽太君の部屋って椅子一つしかない?」


「うん。二つ以上使うこと無かったから」


 人を呼ぶなんて氷室さんが初めてだから、椅子が二つ必要なことが無かった。


 たまに明莉が部屋に来るけど、どちらかがベッドに居たからやはり必要無かった。


「じゃあ私は立ってる」


「疲れちゃうよ?」


「いいの。その方が家庭教師っぽくて教えてる感あるし」


「じゃあ疲れたら言ってね。半分貸すから」


「そこは譲らないんだ」


 僕だって疲れるのは嫌だ。


「そうだ陽太君」


「何?」


「もし十位以内に入ったら私がなんでも言うこと聞いてあげるよ」


 うちの学校は十位以内の人の名前を張り出すらしい。


「無理だよ。せめて五十位とかじゃないと」


「別に今回だけじゃないよ。テストの度にチャンスをあげよう」


「分かった。それなら氷室さんは一位ね」


「私の方が無理じゃん」


「首席合格なんだから十位以内だと毎回取れちゃうでしょ?」


「分かんないよ。じゃあ最初だけ十位以内は駄目?」


「じゃあ僕は五十位以内」


 お互いそれで納得した。


 そして僕と氷室さんは朝ごはんのおにぎりを食べながらテスト勉強を進めた。

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